黒胡椒をポルトガの王に献上したフーガ達は、無事船を得た。城下町で海に詳しい男が住むと聞き、その住まいである南の灯台を訪ねる。男は一行を歓迎し、航海に必要な情報を詳しく教えてくれた。そして、最後に意味ありげな言葉を彼等に送った。
「六つのオーブを集めた者は、船を必要としなくなるという」
 それを聞いた夜、フーガの頭に昔船乗りから聞いた話が蘇った。それは、遥か南のレイアムランドという氷の大陸にある奇妙な祠の噂だった。そこには不死鳥を祀っているのだと主張する二人の小人が住んでいるらしい。訪れた旅人に六つのオーブを持っているかと尋ね、持っていない者は追い払ってしまうのだという。
 もしかして、あの人の言っていたオーブは自分の聞いた話に出てきたものと同じもののことを指しているのではないか。
 そうならば、「船を必要としなくなる」とはそれに勝るとも劣らぬ移動手段を手に入れるということで、その移動手段とは不死鳥の力ではと考えられる。鳥で移動と言えば、飛行である。つまり、六つのオーブを手に入れれば、空を飛べるのではなかろうか。
 翌朝、フーガは自分の推測をカノンに話した。朝食の支度をしていた彼女は、その考えに手を止めて聞き入った。
「まあ、憶測でしかないんだけどな」
 語り終えると、カノンは思い出したように握りしめたままのチーズを切り始めた。チーズに目を据えたまま、彼女は言う。
「もしそうなら、ネクロゴンドに行くのが随分楽になるね」
「ああ、火山を越えなくてもいいかもしれないな」
 フーガは、ネクロゴンドの火山に思いを馳せた。あの山を越えるのにも、アイテムが必要だという噂である。それが何なのかまだ分からないが、オーブを集めるのとどちらが早いだろうか。
「いずれにせよ、楽な道のりじゃなさそうだ。十年くらいかかるつもりで構えていた方がいいかもな」
「そんな悠長にしてたら、先にバラモスが世界を滅ぼしちまうよ」
 そういやそうだったなとフーガは苦笑した。魔物が世界に蔓延っていても、こうも平和だとついバラモスが攻めてくる可能性もあるのだということを忘れてしまう。しかしそう杞憂していても仕方ないので、その可能性についてはあまり考えないようにしていた。
「でも他に有力な情報もないし、当分オーブを集めてみるってことでどうだ?」
「あたしは構わないよ。飛べる力を手に入れられなくても、不死鳥の力ってのに興味がある」
「そうか。じゃあ、我等が勇者様にも聞いてみないとな」
 そう言って、フーガは台所のドアに目をやった。そこにもう一人の仲間の姿はまだない。
 一応勇者ことサタルは、朝に弱い。朝食が出来上がるまでに起きてくることは少なく、準備のために自ら起床することは更に少ない。
 また起こしに行くか。フーガはサタルの部屋に向かった。船には三人にそれぞれ部屋が割り当てられるほど部屋数があり、サタルの部屋はそのうちの船長室だった。
 部屋に辿り着き、戸を叩く。案の定返事はない。フーガは気持ち声を張り上げた。
「サタル、起きろ。朝飯ができたぞ」
 しかし、それでも反応がない。訝しく思いながら、一言断って扉を開ける。広い船長室の隅に置かれた寝台の上に、白い塊ができている。深く眠っているのだろうか。フーガは歩み寄りながら
「朝だぞ。起きろ」
 布団を捲ろうとして、塊が不規則に震えていることに気付いた。布団にかけようとした手を止める。
「サタル? どうしたんだ」
「何でもない」
 くぐもった声が返ってきた。そこに常の張りはない。
「ちょっと食欲がないんだ。寝れば治ると思うから、放っといてくれ」
 フーガは震える塊を見つめる。それから、黒髪が覗く寝具を頭の部分だけ剥ぎ取った。さほど抵抗することなく、中身が現れる。
 出た顔は、宵闇に浮かぶ月より白かった。
「大丈夫か?」
「いつも通りだよ」
 語頭が震えていた。色味のない唇から、言葉と共にカチカチという音が漏れる。
 明らかに大丈夫じゃない。毛布を捲る前から何となく分かっていたフーガは、サークレットの嵌められた額に手を当てる。手が焼けるかと疑うほど熱い。
「余計な嘘はいいから答えろ。吐き気は?」
「ない」
「痛む所は?」
「頭、が痛い」
「怠いか?」
「怠い、のかなあ」
「寒いだろう?」
 サタルは歯を鳴らしながら首を縦に振った。そりゃそうだろう。体が勝手に震えるほどだ、相当である。
 フーガは昨夜までの彼の様子を思い出す。特に変わったことはなかったように感じる。至って元気で、初めての船旅が嬉しいようだった。
 原因は分からないが、とにかく冷やすものを用意しよう。高熱は辛い。冷やせば、少しは楽になるはずだ。
「待ってろ、冷やすものと布団を取ってくる」
「待ってくれ」
 踵を返そうとしたが、サタルに遮られた。彼の目は、高熱のせいで赤く潤んでいる。

「俺、昔からよく熱が出るんだ。放っとけばどうにかなるから、あまり気にしないでくれ」
「気にしないでいられるか。いいから待ってろ。あと何か必要なものはあるか?」
「ないけど……」
 サタルはなおも何か言い募ろうとしたが、構わず部屋を後にした。急ぎ台所へ戻る。卓に着いていたカノンが、不思議そうに彼を見た。
「どうかした?」
「サタルが熱出した」
 答えながら盥に水を張る。カノンの声が後ろから投げかけられる。
「風邪?」
「分からねえ。でも熱は高そうだ。ガタガタ震えてる」
 白布を棚から取って、水につけた。カノンが立ち上がる。
「あと何か持っていくものある?」
「じゃあ空き部屋にある布団を持ってきてくれないか?三枚くらいでいい」
 彼女は頷いて出ていった。フーガはまっすぐ船長室を目指し、着くとすぐに盥を置いて白布を絞った。サタルは何も言わず、戦士を見ている。
「サークレット、取れるか?」
 黒い髪が横に振れた。怠いのだろう。仕方なくサークレットに手を伸ばすと、サタルは身を捩った。
「取らないでくれ」
「何でだ」
 サタルは離すまいとするかのように、サークレットに両手を添えている。彼の目が宙を迷い、やがてフーガに戻った。
「これ、健康促進の呪も施されてるんだ」
 戦士はなるほどと頷いた。それなら、取らないでおこう。
 サークレットの上から布を当てる。サタルは目を閉じた。ちょうどその時、ドアが蹴り破られる。
「ありがとう、カノン」
 小さな両手いっぱいに毛布を抱えた彼女は、無言で持ったものをフーガに差し出した。一枚ずつ受け取って、サタルに掛けてやる。彼は毛布に更なる温もりを求めて、身動ぎをした。
「ごめん」
「気にするな。後で粥を持ってきてやる。食欲なくても、少し食え」
「ありがとう」
 サタルは礼を言った。次いで、フーガの後ろから自分を凝視する黒い瞳に向かい、弱々しく笑みを浮かべる。
「おはようカノン。俺、寒くてしょうがないんだ……こんな時は、君の温もりが恋しいよ」
 添い寝してくれない? と、勇者は囁いた。
 フーガは呆れてしまった。体調が悪いのに、何故口説く気になるのか。馬鹿なことを言うなと言う前に、カノンの落ち着いた声が答えた。
「それで良くなるならしてやるよ」
 フーガはぎょっとして振り返った。少女は平静そのものである。対してサタルは、獲物に噛まれた猫のような顔をしていた。
 ややあって、カノンは鼻を鳴らした。
「冗談さ。さっさと大人しく寝な」
 武闘家は背を向けて、部屋から出ていった。残された男二人は、顔を見合わせる。
「一本取られたな」
「ああ。調子が悪いと駄目だね」
 サタルは残念そうに溜め息を吐いた。そんな彼に、笑いながら言う。
「安静にしてろ。そうすればきっと熱も下がるから」
「うん」
 少年は大人しく頷いた。

 それからサタルは粥を食べて、よく眠った。しかし一向に熱は下がらず、翌日になっても変わらぬ高熱のままだった。

 ポルトガに引き返して医者に診てもらったが、原因が分からない。解熱剤を飲ませても熱が下がることはなく、強い悪寒と震えが続く。ポルトガで知り合った魔法使いに氷を出してもらって氷嚢を作ったこともあったが、少し震えが治まったくらいで、根本的な治療には繋がらなかった。

 サタルは、どんどんやつれていく。日を追うごとに悪い症状が増える。高熱、悪寒、震え、頭痛、吐き気、全身を襲う痛み、脱水。まるで世界中の病魔が大挙して彼の身体を蝕みに来たような、そんな有様だった。

 これで栄養が摂れていたら、少しは違っただろう。そう、困ったことに彼の身体は食事を全く受けつけないのだ。消化のいいもの、滋養のあるもの、何でも喉に通そうとした途端吐き出してしまう。本人に食べる意思はあるらしいが、どうにも駄目らしい。薬でさえもそうだ。意地でも飲み込もうとすると、途端に吐瀉物に赤いものが混じりだす。二日経つと、何もしていなくとも吐血するようになってきた。

 それを補おうとするかのように、サタルはよく眠った。酷い時は丸一日以上起きない。しかしそれで休まっているようには見えないのも、また問題だった。目を閉じていても、獣の唸り声のような声を上げている。魘されているのだ。しかも、時折何かに襲われたかのように飛び起きる。そういった時は、大抵前後不覚になっている。ワケの分からない文言をわめき、一区切りするとぷつりと糸が切れたかのように意識を失う。

 意識がしっかりしている時に聞いてみると、眠っている時はしきりに夢を見ているのだと言う。しかし、目覚めると何の夢か思い出せないらしい。

 フーガとカノンは交代で看病をし、その合間に手分けして治療法を探した。だが、どんなに人を尋ね書物を開き知識を求めても、仲間の症状と同じ病気は見つからない。人に移るものだといけないから、下手に町へ連れて行くことも医者のところへ泊めさせることもできない。何の手掛かりもないまま、時間と病人の生命力だけが手をすり抜けていく。フーガにはそれがどうしようもなく腹立たしかった。現状が続けば本当に命が危ないことくらい、素人の自分にも分かる。しかし、どうしたらいいのか分からないのだ。

「死にたがってるみたいだ」

 発病してから五日目の夜に、ふとカノンがそう漏らした。

 サタルが珍しく魘されずに寝ているので、二人で甲板に出て今後のことを話し合っている時だった。

「馬鹿なことを言うな」

 フーガは、語気を強めて少女を睨む。彼女は、落ち着けというように手を彼に向けた。

「違う、そうじゃない。ちょっと聞いてよ。アイツの身体、だんだん食べ物も水も全く摂れなくなってきてるし、どんどん睡眠時間が伸びてるような気がしない?」

「まあ、そうだな。水が飲めないのは困る」

「これ、普通の病気じゃないんじゃない?」

「そりゃあ、普通の病気じゃないだろうよ」

「そうじゃなくてさ」

 ささくれ立つフーガを宥めるようにゆっくりと否定の言葉を口にし、カノンは腕を組んだ。

「あたしは、呪術の可能性があるんじゃないかって思ってる」

 歩き回っていたフーガは、足を止めた。

「呪術……」

「呪いだよ。あたしも専門じゃないから、詳しいことは知らない。けど、いくらなんにしても妙じゃない?」

 妙、だろうか。確かに、難病や流行り病に彼と同じ症状のものはなかった。その他は言うまでもない。しかし、未知の病気ではないのか?

 フーガがそう言うと、カノンは首を振った。

「いくら新しい病気だとしても、爪の先くらいしかない薬も飲めない病気ってどうなの? あたしには、まるで病気自体が血を吐いてまでして治るのを拒んでるように見えるね」

「病に意思があるみたいな言い方だな」

「その通りさ。呪いには術者の意思があるだろう?」

 戦士は黙った。カノンは、ここからはあたしの勝手なイメージだけどねと前置きしてから言葉を連ねる。

「食べることってのは生きることだろう? それを一切拒んで、寝てばっかり。まるで死にたがってる……いや、死なせたがってるみたいじゃないか」

 死なせたがる。フーガはカノンの言ったことを。脳内で反復する。

 呪いのことは全く詳しくない。だが、言われてみると彼女の言う通りのような気もしてきた。呪いという陰湿な手口で、病を装って殺す。誰が何のためにとか、そんなことは考えても仕方がない。

 それが快方へ向かう手掛かりになるならば、突き詰めてみるだけだ。

「じゃあどうすれば」

「……ちゃん?」

 海のさざめきに混じって、声がした。

 二人は振り返る。船室の扉の前に、痩せこけた少年が出てきていた。

「サタル! ダメじゃないか寝ていないと」

「テンちゃん」

 歩み寄ろうとしたフーガは息を飲んだ。少年の瞳は虚ろに月光を照らし返すのみで、焦点が定まっていない。

 まただ。また、夢を見てしまっている。

 青白い手は寄りかかっていた船壁を離れて、前を彷徨う。波が激しいわけでもないのに足取りはおぼつかず、頭は不安定に大きく傾ぐ。消えそうな火の如くふらふらと揺れるその姿は、幽鬼のようだった。

 フーガとカノンは彼を止めようと駆け寄る。しかし、病人は戦士をすり抜けた。

「……っ」

 サタルは、抱き締めるようにカノンに寄りかかった。一瞬、フーガには彼女がそれをふりほどくのではないかと窺えた。しかし黒い瞳をやや見開いたのみで、彼女は止まった。

 テンちゃん、とか細い声でもう一度サタルは呼ぶ。そうやら、カノンを親友と感違いしているらしい。元気な時の彼なら信じられない行為である。

「ごめん、むりだよ」

 揺すって意識を戻そうとしたカノンの手が固まった。フーガもできなかった。少年の声が、震えている。

「おれ無理だよう。ごめん無理だ。無理だってば。おれじゃないよ、おれが何したって言うんだよう」

 サタルは泣いていた。自分より小さな少女の肩に寄りかかり顔を力なく俯け、鼻をすする。硝子玉のような目に溜まった雫が、音もなくこけた頬を伝う。ぽたり、と甲板に黒い染みを作る。

「くるしいよつらいよ帰りたいよ。いやだいやだいやだ」

 サタルは駄々をこねる子供のように、いやだを繰り返す。情けなく顔を歪め涙を流す男を、カノンは呆けたように見ている。突如、彼の身体から力が抜けた。受け止めようとするものの、崩れ落ちていってしまう。つられてカノンもずるずると、甲板に膝をついた。

 それでもサタルは首をゆるゆると横に振り、いやだを続けている。少女の手が、恐る恐る彼の首根に回る。

 瞳が、急にカノンの上で像を結んだ。

「殺して」

 それまでの夢見心地ではない、はっきりとした声音。それだけ発してサタルはぐったりと脱力した。

 

 

 

***

 

 

 

 翌日、彼らはキメラの翼でダーマ神殿に飛んだ。ようやく夢に歩くようになってしまった彼の病気が、普通のものではないと思うようになったのだ。

 万が一カノンの言う通り呪いの類がかかっているなら、僧侶に頼るしかない。普通の教会の神父では駄目だ。彼らには既に見せたが、何も分からなかった。

 ならば、彼らの修行の場であるダーマ神殿に行ってみるしかない。ダーマには賢者をはじめ腕のいい僧侶が揃っている。聖地であり先進医療の地と呼ばれるそこならば、もしかしたら彼の病気の正体が判明するかもしれない。

「そんな、いいのに」

 当の本人は、そう言ってベッドの上で苦笑している。そしてそのそばから咳き込むのだから、全く良くない。

 もっと早く連れてくればよかったと、フーガは後悔する。

「持病なんだってば。最近良かったんだけど、その分一気に出ただけだよ」

「お前が小さい頃から……そうだな、喋れるような年にはもうかかってたものなのか?」

 フーガが問うと、サタルは眉を上げた。

「そうだね。どうして?」

 フーガは答えなかった。昨夜のことは、何となく言ってはいけないことのような気がしたのだ。代わりに、これまで何度も発してきた質問を投げる。

「昔熱が出た時、どうやったら良くなったんだ?」

「特に、治療法はないんだよ。マシになるまで待つしかないんだ」

 やはりサタルは変わらぬ返答をする。フーガは溜め息を吐いた。彼はどういうわけか、治療する気があまりないようだった。いくら評判のいい医者や教会に行こうと言っても、乗り気にならない。彼曰く、医者に見せて治るものではないのだという。

 いったい何を考えているのか。サタルはいくら問いただしても、まともな答えを返してくれなかった。

 そんなに、幼い頃から呪いをかけられていたのだろうか?

 まだ呪いと決まったわけでもないのに、フーガの頭には昨夜からそのことばかり浮かぶ。いったい誰が? どうして? とりどめなく溢れる疑問を押しとどめて、彼はまた、自分に言い聞かせる。それより、治療だ。

「待ってろ、僧侶を連れてくる。それまでカノンがお前についてるから」

「わあ、嬉しいね」

 サタルはにっこりするが、頬のこけたのが一際目立って痛々しい。少し前のうざったいけど健康だった彼が懐かしい。

 手はかかっても、元気でいてくれた方がいい。そんな親のような思いを胸に、彼の頭をぽんぽんと叩いて、フーガは船を後にした。

 

 

 

 

 

 疲れで淀んだ目は、何を考えているのだろう。

 何をするでもなく床に横になっている男を、カノンは凝視する。天井の方を見据える瞳は、明確に対象を見ているわけではないけれど、ゆうべのような虚無はない。意識はあるらしい。相変わらず震えているし。

「そんなに見つめられると、照れるよ」

「視線が気になるなら目隠しでもしてやろうか」

 カノンちゃんたら積極的ィ、とふざけたことをぬかす口をいつもなら拳で塞いでやるところだが、小刻みに触れ合う歯をへし折るほど自分は薄情ではない。

「こんな時じゃなくて、もっと俺が絶好調な時に見て欲しかったな」

 自分がいかに惨めな有様であるのかを自覚しているらしい。切なげに微笑むサタルを前に、カノンは言葉に詰まった。

「……目を離した隙に、悪化されたら困る」

「いくら俺でも、目の前で死なれたら嫌だよね」

 笑いを含んだ声に、カチンと来た。

「あのさ、だから何でそうやってすぐに死ぬ死ぬ言うの? アンタ死にたいの?」

 反射的に強い口調で突っかかっていた。サタルはそれに対して、微笑むばかりで何も言わない。それが、余計に気に障った。

「何さ、何なのさアンタは。相手のことも考えないで好き勝手言いやがって。フーガがアンタのためにどんだけ頑張ってるか、アンタのことどんなに心配してるか分かってるのか!」

 喋っているうちに、ここ数日のフーガの様子が脳裏をよぎる。寝る間も惜しんで看病して、病気の原因を町に探しに行って、知ってる人知らない人構わず話しかけて情報を探し、無理を言って看病に必要な道具を揃える。お金だって馬鹿にならない。自分も魔物を倒して金を稼いだが、あの戦士は自分の倍以上討伐して稼いでいた。

 昔から疲れたようではあるけど温和さは失わない彼が、ここ最近荒れてきている。明確に口に出しては言わないが、コイツの病が良くならないからだ。心配しているのだ。

 それなのに、当の本人は。

「あたしはアンタが分からない。バラモスを倒すのを引き受けたくせに無計画なことをする、身体を鍛えもしないで恋人ごっこばっかり、見栄張るのも格好つけるのもいい加減にしろ!」

 言葉を重ねているうちに、どんどん頭が熱くなってきた。

「そんなに死にたきゃ死ねばいいじゃないか!」

 カノンは立ち上がり、盥を抱えて大股に部屋を出た。彼の顔は見なかった。きっと馬鹿にしたような薄笑いを浮かべているに違いない。あの顔をもう一度見たら、腸が煮えくり返って手を出してしまいそうだった。

「何のためにッ……何のためにあたしは、あんなのについて来たんだ……」

 今一度、自分の目的を思い返す。魔王を倒すという勇者のために、はるばるアリアハンまで足を運んだのだ。自分を取り巻く何もかも捨てて、ただ勇者のためだけに。

 あたしは今まで、何をしてきたんだ。

 台所へ行き、ぬるくなった水を捨てて今朝方湖で汲んできた新しい水を盥にすくう。

 何のために、あんな厳しい修業を積んできたんだ。

 全くの無駄骨じゃないか!

 ふつふつと怒りながらも、カノンは手を止めない。額に当てるための新しい布を出して来て、水に浸す。布をぐるぐると、無意味に水中で回す。そうしているうちに、高まった怒気は、少しずつ冷えていった。

 アイツは勇者じゃないのかもしれない。これまでの旅路で何度も頭に浮かんだ可能性が、頭に蘇る。それはそれで、良いことのように思われた。

 もしそうだったら、どうしようか? 本当にアイツがバラモスを倒せるか見届けてから、パーティーを離脱しようか。しかしその前に、あの病を乗り越えられるか分からないが。

 ……やっぱり、人が死ぬのは嫌だな。

 台所を出て、その結論に戻って来る。無意味に命が失われることほど、嫌なものはない。あんな腑抜けでも、死なれたら後味が悪い。それにフーガも彼には生きていて欲しいみたいだし、その思いを彼本人に踏みにじらせちゃいけない。

 ちょっと、きつく言い過ぎたかもしれない。落ち着いてきた彼女は、反省する。アイツも死ぬことばかり言うけど、本当はそう思っていないことも十分あり得る。というか思っていないに違いない。死にたがりを主張する者ほど、案外生きたがっているものだ。少し、落ち着いてアイツとも話をしてみた方がいいのかもしれない。そんなことを考えながら、件の部屋を覗く。

 ベッドは、もぬけの殻だった。

 

 



 

 

「おや、雨ですね」

 ダーマ神殿から戻る道、フーガは男の台詞につられて空を見上げた。いつの間にか、墨を掃いたように暗くなっている。戦士の額で、冷たい粒が弾けた。

「快晴だと思っていたんだが」

「気まぐれですからねえ、山の天気は」

 ダーマの神官はそう言って、馬の手綱を握りなおす。

 神殿の神官詰所に行き事情を話したところ、すぐに人を手配してくれた。それがこの男である。白髪交じりの優しげな面立ちだが、神殿で修業を積む僧侶達の教官長らしい。そんなたいそうな人物に、とフーガは恐縮したが、本人は献身的な性質らしく、何も気にすることはないからと手早く支度して一緒に来てくれた。

「あの船だ」

 森に囲まれた道を抜け、船を留めている場所へと案内する。馬を停めて乗り込むと、すぐにサタルが寝ている船長室へと足を運んだ。

 ところが、そこには誰もいなかった。

「カノン? サタル!」

 仲間の名前を呼びながら船内をまわる。船に叩きつける雨音が徐々に強まり、フーガの声を掻き消さんばかりになる。やめろ、これじゃあアイツらの声が聞こえなくなるじゃないか。フーガは、腹の中を冷たい蛇がのたうち回っているような気がした。

「どこかに行かれたのでしょうか?」

「申し訳ない……病人は随分弱っていて、そんなどこかへ歩いていけるような元気はないはずなんだが」

 フーガは一周して、甲板に出る。滝のような雨が全身に降りつけて来た。

 視界はすっかり濁ってしまっていて、遠くの方が満足に見えない。黒々とした森が突然の豪雨に蹂躙され、悲鳴を上げている。

 あれ、と神官が一方を指さす。

「あそこに、誰かいませんか?」

 フーガは目を凝らした。小さな影が揺れている。

 それが何か理解した途端、彼は走り出した。船を飛び下り、背後の神官も振り返らず人影を目指す。影は近づくにつれ大きくなり、武闘家の姿を形取った。

「お前どこに――」

「アイツが!」

 カノンが大きな声を出して、フーガは驚いた。それから泣きそうな顔をしていることに気付いて更に目を剥いた。

「アイツが、どこかに行っちゃった!」

「サタルが? どうして」

「分からない。ちょっと盥の水を取り換えに行ってた隙に――あの身体で遠くに行けるわけないのに――見つからない!」

 轟々と耳元で風が騒ぐ。それに負けないよう、カノンは声を張り上げる。肩を大きく上下させている。ちょっと走ったくらいの息の切れ方じゃない。随分長いこと、探していたのだろうか。

「どうしよう……あたしのせいだ!」

「落ちつけ、大丈夫だ。本当にそんなに遠くには行ってないだろう。一緒にまた探そう」

「神殿に戻って応援を呼んできます」

 旅人達のもとへ走り寄って来た神官が、険しい表情で提案する。

「この雨ですから、もう少し人員がいるでしょう。船の辺りにまた来ます。見つかりましたら、船にいてください。いらっしゃらないようだったら、我々も探します」

「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 神官は頷くと馬の一頭に飛び乗り、来た道を戻っていった。フーガはカノンと共に残されたもう一頭に乗り、森の中へと飛び込んだ。

 探しながら、フーガはカノンに何があったのかを聞いてまた吃驚した。サタルがカノンの間でしきりに死のことを口にしていたこと、カノンが自分と、そして彼のことで感情的になったこと、どちらにも驚愕したが、このところ自分が苛立っていたことが彼女を追い詰めてしまったことを、彼は恥じた。フーガは詫び、カノンだけのせいじゃないと宥めた。

 雨垂れとそれに打たれた小枝とが視界を遮る中、二人は懸命に捜索した。茂みの影にも、木の影にもいない。木の上には勿論いない。まだ日中であるはずなのに森は暗く、視野は不明瞭で、こんな中をアイツはどう歩いたのだろうとフーガは疑問に思った。

 一向に求め人は見つからず、永遠に出られない森を彷徨っているのではないかと錯覚しそうになった頃、頭上を閃きが駆けた。

「雷……」

 カノンが虚脱した声で呟く。しかし、フーガは空より周囲に違和感を抱いた。

 森のただなかを走っているはずなのに、四方を囲む木々の間にやけに明るいところがある。違和感の正体も分からぬまま、フーガはそちらに馬を駆った。しかし到達する寸前に馬が嘶き、フーガも目前に広がったあまりの光景に手綱を強く引いた。

「何だ、これは」

 森が、突然なくなっていた。むき出しになった地面には、無数の木の根が露わになっている。しかし、そこから上がない。葉も枝も幹も、何もないのだ。

 カノンが声を上げて、十時の方向を指す。地に、紫色の薄汚れた何かが倒れ込んでいる。

 フーガは手綱を振るった。しかし、馬は怯えて進もうとしない。仕方なく彼を木に繋ぎ、二人は倒れる者に向けてその名を呼びながら走り出した。

「しっかりしろ!」

 祈るように声をかけて、顔を覗き込む。紛れもなく、探していた人だった。突っ立っていたはずの髪は地に向けて流れ、白い面に張り付いている。目を瞑っているが、浅く息をしているのを確認すると、フーガとカノンは青ざめた顔を見合わせて、一息吐いた。

「怪我はないようだが……おい、サタル起きろ」

 フーガは、少年の肩を叩く。三回叩くと、睫毛が震えた。静脈が透けて見えるほどに、色が白い――そんなことに気をとられていたから、急に彼が上体を起こした時、フーガは仰天した。

「ねえカノン知ってたかい? 俺は死ねないんだ」

 目を開いてまず映ったのが、彼女だったらしい。サタルはそう語りかけながら、ここ数日の気だるそうな仕草が嘘だったかのように、機敏な動きでその手首を掴んだ。

「俺も知らなかったんだよ、だって何度も死にかけてきたんだ、だからてっきり死にやすいのかと思ってた、でもそんなことなかったんだよおっどろいたなあ」

 声には以前のような張りがある。否、明朗すぎるくらいだ。短い笑い声を上げるも、南国の海に似た双眸は彼女に据えられたまま微動だにしない。そこに籠る異様な熱は、彼が正気じゃないことを雄弁に物語っている。

「よくよく考えてみれば昔からそうだったんだ、バブルスライムの毒にやられてうっかり倒れちゃったり剣でやられて倒れちゃったり崖から落ちちゃったりーそういう時にしばらく経ってから目を覚ましてああ気絶してたんだって思ってたんだけどあれ違ったんだね死んでたんだ、死んだはずなのに生きてたんだ多分あははっこれはすごいことだよ何たって死んだんだぜ旅に出てからもやたら危ない目にあっても生き延びるし今だってほら君たちが助けに来てくれたどうしてか当てようかそうさ雷だ神の怒りだよ勇者は天に選ばれし者みんなの希望で生きてるんだだから死なないんだ役目を終えるその日まで」

 まくし立てるサタルを見つめ、カノンは硬化呪文をかけられたように固まっていた。サタルの方もサタルの方で、口が淀みなく動く以外は全く微動だにしない。言葉が終わっても、動かなかった。

 しばし、二人はじっと凝視し合っていた。もう一度雷鳴がとどろいた時、ふっとサタルの目から異様な光が失せたのを、フーガは確かに見た。

「……あれ、何でいるの?」

 一変、気の抜けた声で少年が尋ねる。それから自分の手が少女の手首を掴んでいることに気付くと、やんわりと解いた。

「うわ、ごめん。俺、凄い力で握ってたみたいだ」

 カノンの左手首には、彼の手の形が痣となってついていた。それを、サタルは心の底から申し訳なさそうな目で見つめ、その痣をもたらした手で、いたわるように撫でた。

「そんなに俺は君のことを離したくなかったのかな? それにしても、これは酷い」 

 カノンは怒ることも払うこともせず、呆気に取られて彼に視線を注いでいる。ややあって、おずおずと尋ねた。

「ねえ。さっき言ってたのってどういう意味??」

「さっき? 何のこと?」

 サタルは、心の底からそう思って言っているようである。

 馬の蹄の音が聞こえた。ダーマの神官服が五つ、はためきながら近づいて来る。気付けば雨も風も、弱まっていた。

「フーガ、この人達は」

「ダーマの神官だ。よく見つけてくれたもんだな」 

 フーガは先頭に立つ、先ほども会った男を仰ぎ見てはっとした。カンテラに照らされた男の目は険しかった。 

「これは」

 男は口を開きかけて、つぐんだ。言い知れぬ不安に駆られたフーガは、僧侶に問い質す。 

「どうしたのです?」

「いや、これは」

 そんな馬鹿な、と男は口走った。狼狽する彼を、サタルのいつになく冷めた瞳が見つめる。 

「見た通りですよ。これは治せません」

 サタルは冷ややかとも取れる調子で言った。男は揺れる目を少年に向けたまま、動かない。 

 既視感を覚えたフーガは、それがかつてエルフの女王が彼を見た時と似た目付きであることに気付いた。 

「どうしたんだよ、治せないって何だ?」

 フーガは両者に問いかける。しかし、返事はない。

「なあサタル。お前これが何の病気だか、本当は分かってるのか?」

「病気ではありません」 

 男は口を覆った。秀でた額にうっすらと汗を掻いている。 

「これは、呪いです」

 フーガは言葉を失った。カノンも僅かに目を見開いている。サタルは、何とも言い難い表情をしていた。笑っているような諦めているような、はたまた悲しみともとれる奇妙な顔つきである。

「本当に?」

 やっとのことでフーガは問うた。男は首を縦に振る。

「誰に呪われてるんだ?」

「分かりません」

「どんな呪いなんだ?」

「詳しくは分かりかねるのですが、体力を吸い取るようです。それで身体が抵抗して、高い熱を出しているものと考えられます。こんなものは、見たことがない……」

 男は考え込む。豊かな顎髭が風で揺れる以外、後ろに控える者達も動かなかった。

「私の力では、解呪はとても。ですが、症状を柔げられないか試みることはできます」

 沈んでいたフーガの顔に希望が宿る。対して、サタルの顔からは感情らしき色が一気に消え失せた。

 神官は治療法について話し始める。彼の仕える神に祈りを捧げ、神の加護をサタルに与えるつもりらしい。それによって、呪いの力を緩和させようということであった。

 サタルはそれを黙って聞いていた。神官が語り終える時、彼は変化のない顔をそちらに向けた。

「貴方は何を信仰していらっしゃいますか」

 男は虚を突かれたようだった。彼は訝しげに患者を見てから、厳かに答える。

「主神にお仕えしている」

 サタルはふーんと気のない返事をした。愛想のいい彼にしては珍しいことだった。そして、更にこう続けた。

「悪いんですが、それなら治療はやめてもらえませんか?」

 周囲の視線が一点に集まった。中心にいるサタルは鉄面皮のままである。

 神官は目を見開いている。

「何故?」

「幼い頃主神を信じる神父に治療を施されたことがあります。しかしそれが原因で症状が悪化し、死にかけたことがありました」

 主神は俺の肌に合わないんです。彼は寂しげに笑った。カンテラの光が彼に濃い影を投げかける。その顔が老人のように見えて、フーガはぞっとした。

 しかし男は、寧ろその言葉で信仰心を煽られたようだった。

「いや、それは神のせいではなくその神父の修練が足りなかったせい! やってみないことには分からないでしょう」

 熱の入った男は、サタルの左手首を掴んだ。

 純粋な痛みに満ちた悲鳴が空地を貫く。呆気に取られた神官の手をサタルが振り払う。白い顔には、雨ではなくいく筋もの汗が伝っていた。

 フーガは彼が庇うように擦る左腕の、先程僧侶が掴んだだろう辺りにくっきりと火傷のような赤い手形がついているのを見た。

「これは」

 フーガもカノンも神官達も、皆絶句した。神官は青くなって何度も首を横に振る。

「私は何も、何故……っ?」

「言ったでしょう」

 押し殺したような声がした。見ればサタルが眉間に皺を寄せながらも、口元を歪めていた。

「主神は俺に合わないんですよ。貴方はよほど普段、祈りを捧げていらっしゃるようですね。ちょっと触っただけで、貴方の体に残った主神の力が働きかけてきましたよ」

 カノンはサタルの左手を慎重な手つきで取る。筋ばって綺麗な形をした腕は、手首の部分だけが無惨に焼け爛れていた。

「あたしが魔法をかけて大丈夫かい?」

「君は主神じゃないだろ?」

 カノンは頷く。なら大丈夫だという台詞を受けて、彼女は癒しの言葉を紡ぎ始めた。青白い光が赤黒い痕を包む。険しかったサタルの顔が、僅かに和らいだ。

 何故だ。僧侶や神官は神に仕えることで癒しの力を得る。仕える対象は様々で、主神に仕える者もいれば小さな精霊に仕える者もいる。それは知っていたが、ほとんどの神霊は信徒である信徒でない関わらず、万人に癒しをもたらすはずだ。

「ダーマに、精霊ルビスに仕える僧侶はいませんか?」

 すると、サタルがそんなことを言いだした。

 聞き覚えのない名前である。フーガはその精霊を知らなかった。一方、神官は知っているようだった。彼が答えるより早く、柔らかな声が応じる。

「ここにおります」

 男は身を引く。彼の後ろには、白銀の髪を背に流す、すらりとした少女が佇んでいた。額にはくすんだ黄金のサークレット、賢者の証である。

「頼む、ルビス様に祈りを捧げてくれ。回復呪文じゃなくていい。祝福を祈ってくれればそれでいいんだ」

「呪いの解呪でなくてよろしいのですか?」

「……ルビス教でもこれまで何度もやってもらったとしたけど、解けないんだ。だから祈りを捧げてくれるだけでいい」

 少女は訝しげな様子だったが、それでも頷いた。早速彼のもとへ跪き祈りの姿勢を取れば、唇が密やかに動き始める。彼女を取り巻く空気が変わるのを感じた。湿気て淀んだ空間に、どこからともなく清らかな光が差し込む。それは少女の体に降り注ぎ、彼女の全身が光を帯び始めた頃、サタルのもとへそのうちの一筋が伸びた。苦しげに喘ぐ彼の顔が、光が注がれるにつれ安らかなものへと変わっていく。

 やがて瞑っていた少女の瞳が開いた。その頃には、サタルの呼吸も安定し、震えも治まっていた。

「具合は如何ですか」

「大分良くなったよ」

 サタルはそれでも青白い顔に微笑みを浮かべる。少女は不安な瞳を彼に向けた。

「でも、これで治ったわけではないのでしょう?」

 少年は微笑んだまま黙ってしまった。そこでフーガは彼の頭を軽くどついた。

「正直に言え。あと治療に何が必要なんだ」

「酷いな。俺病人なんだけど」

 サタルはどつかれた場所を手で撫で、愛想の良い笑顔を振りまく。しかし、腕組みをした戦士と武闘家の冷たい眼差しを見て、口の端を微妙に引き攣らせた。

「えっと……」

「症状がましになる方法を知ってたならどうしてそれを早く言わないんだ」

「あの……ですね」

「病気じゃなくて呪いだってことも知ってんなら、何でそれを言わなかったんだい?」

「いや、その……」

「あと治療法で分かってることがあるんならさっさと吐け。吐かないんなら、いくら病人でも容赦しねえぞ」

「……怒ってる?」

 サタルは恐る恐る訊ねる。当たり前だと返した。この男は、自分がどれだけ周囲に心配をかけたか理解しているのだろうか。病名も治療法も分からなくて、為す術もなく毎日衰弱していく仲間の姿を見なければならなかった自分達の気持ちを分かっているのか。絶対分かっていないだろう。そうでなければ、対策を知っていた癖に黙ったままでいることなんてできやしない。

 こちらが本気で怒っていることを察したのだろう。サタルは観念したように布団に視線を落とした。 

「今は治まってるけど、またしばらく経ったらぶり返す。そうなったらまた祈りを捧げてもらって、また抑える。それを何回か繰り返しているうちに再発しなくなるから、そしたら当分は大丈夫だよ」

「つまり、それまで傍にルビス教の僧侶が必要なんだな?」 

 サタルは頷いた。フーガは賢者の少女を見る。 

「申し訳ない。これからも何日かこちらに通ってもらうことはできないだろうか? 船に宿泊してるんだが、どうだろう?」

「勿論構いませんが」 

 彼女は少し考え込む素振りを見せた。癖のない白銀がさらりと揺れる。 

「よろしければ皆さんを私の家にお招きしたいのですが……如何でしょうか」 

 フーガとカノンは顔を見合わせた。少女は僅かに顔を赤らめて言う。

「私の家は皆、ルビス様に仕える僧侶なんです。両親も兄も姉も未熟な私よりは知識がありますし、皆様のお役に立てるかもしれません。それに、毎日船の中ではお疲れになってしまうのではと思いまして……」 

 最後の方はもごもごと小声だった。

 いきなり自分達が邪魔してしまって、大丈夫なのだろうか。それを訊ねると、彼女はぶんぶんと首を横に振った。 

「全く問題ないです! 寧ろ家族はお客さんが大好きなので、来て下さったらとっても喜ぶと思います。よく患者さんを家に泊めたりしますし、そういうのは慣れっこなんです。あっ、お嫌でしたら遠慮なく仰って下さい。毎日通わせて頂きますので」 

 本当にいいのだろうか。自分達は見ず知らずの旅人であるし、病人(正確には違うようだが)もついている。迷惑にならないはずがない。しかしまたいつサタルの発作が再発するか分からない中で複数のルビス教僧侶がついているというのは心強く感じられるし、魅力的だった。 

 せめてサタルだけでもお願いしようかと思ったが、そう言うと彼女は「是非皆さんも」と勧める。大人しそうな見た目の割に、なかなか頑固な少女である。しまいにはフーガが折れて、とにかく一度アリア・アーベントロートというらしい彼女の家へ足を運ぶことになった。

 

 






 

***

 

 

 

 それから一行はいったん船に戻り水で重くなった衣装を着替えてから、必要最低限のものを持って出発した。神官達は一足先にダーマへと帰っていった。四人はダーマを北上する。彼女の家はダーマ神殿から北東の、ガルナの塔と呼ばれる建物のすぐ近くにあった。

「私の家は、代々ガルナの塔の管理を任されているんです」

 大きな二階建ての一軒家の周りには畑があり、二つの人影が畑を耕していた。彼らは一行が近付いて来るのを見ると、作業の手を止めた。アリアが手を口に添えて叫ぶ。

「父さん、兄さん、お客さんよ! 病人なの!」

 二人はすぐに駆け寄ってきた。片方は色の薄い金の髪をした年配の男で、もう片方はアリアと同じ髪色をした若者である。

 年配の男はすぐにサタルがその病人だと見て取ったらしく、彼を一瞥するなり若者を振り返った。

「一階の客室に連れて行ってくれ」

 若者は首を縦に振り、フーガの代わりにサタルの肩を担いで歩いていった。その後ろ姿を見送るフーガに、年配の男が会釈をする。

「どうも、オルヴィス・アーベントロートです」

 アリアが父ですと紹介した。フーガも頭を下げる。

「フーガといいます。いきなり申し訳ありません」

「いえ、構いませんよ。ところで」

 オルヴィスは娘に似て人の良さそうな眉を顰めた。

「随分変わった方ですな」

「は?」

 何のことだか分からずフーガが首を傾げると、オルヴィスはあの少年のことですよと返した。

「ああ、サタルですか。それが俺達にも何が何だかさっぱりで」

「詳しくお聞かせ願えますかな」

 フーガとカノンは家の中に通された。アリアの母だという人物が茶菓子を出してくれて、皆で食卓を囲む。まずフーガがサタルの発症からこれまでのことを話し、アリアがそれに補足をつけた。オルヴィスもアリアの母も兄も、真剣に話を聞いている。アリアが最後に精霊ルビスへの祈祷で症状が治まったことを語ると、彼女の兄ロレンツが顎に手を当てて唸った。

「呪いか。だけど、そんなのは聞いた事がないな」

 精悍な顔立ちは難しそうに唇を曲げた。息子と似た目元の母クララは、やはり困ったように言う。

「こんなに症状の差が激しい呪いで、しかも術者が分からないなんて……ねえ貴方、何か分かった?」

「うむ」

 オルヴィスは立ち上がった。そのまま、卓に背を向ける。妻がどこへ行くのか問うと、振り返って答えた。

「あの少年に聞きに行く」

 そして、廊下へと姿を消した。

「あの人ったら、何か分かったのかしら」

 クララは小首を傾げている。夫が入っていった扉を見つめる彼女に、フーガは尋ねた。

「あの、こういったことに疎いものでよく分からないのですが、呪いというものはこんなに長い間かかっているものなのでしょうか?」

「……確か、先程の話では随分前からかかっていて苦しめられているということでしたわね」

 フーガは頷いた。クララは答える。

「長く呪いをかけられている例はいくつもありましたけど、サタル君のように数年に渡ってかけられているものは聞いたことがありませんわ。普通長くかかったのしても一、ニヶ月がいいところです。あまりに長い呪いは、その分術者に大きな負担をかけることになりますから。だから、大抵早く効き目が現れるものをかけることが多いんです。そうでなければ、手間と時間をかけてこつこつじわじわとやるか」

 ですが、とクララは頭を振った。

「サタル君のはそういったものとも違うようです。確かに時間をかければ長く症状に苦しむ呪いをかけることが可能ですが、それにしては症状にムラがありすぎます。これまで旅をして来て、何もそれらしい症状はなかったのでしょう?」

「はい」

「それが不可解ですわ。呪いというのは相手を害するためにかけるものです。それならば絶えず呪いの症状が出ているはずなのです。なのに、それがない。術者は一体何が狙いなのか……」

「誰が呪いをかけたのか、分かりますか」

 知らず知らずのうちに、膝の上で握りしめた拳が震えていた。フーガは拳を開いて、また握り直した。

「分かりません。普通呪いは誰にかけられたか明確なことが多いですから……例えば呪われた武具防具だったり、魔物だったり。私達がよく接する呪いなんて、サタル君のに比べれば軽いものです。ですが、彼のは」

 クララは息子と顔を見合わせた。ロレンツが首を横に振って、代わりに話し出す。

「誰にかけられたものか分からないくらい、呪力が強大すぎます。とにかく複雑に魔力が彼を取り巻いていて、探知が上手くいかないんです。我々が未熟なせいもあるのがしれませんが強大すぎてそれが人の手によるものなのか魔族の手によるものなのかも分からない。せめて呪いをかける者の心当たりがあれば、少しは解呪の手がかりになるかもしれないのですが」

 フーガはふとアッサラームでのことを思い出した。そう言えば、あそこで再会した時ルネはサタルに向かって何と言っていた? 確か、変わっているとか言っていたような気がする。

 そうか、あれはこのことだったのか。フーガの合点がいくと同時に、怒りが込み上げてきた。ならば、何故それを自分に言わなかったのだ。そして、これまで長く一緒に旅をしていながら、何故自分は気づけなかったのか。言及しなかったのか。フーガはルネより何より、自分に腹が立った。それにも増して、サタルにこんな仕打ちをしている者が許せなかった。

 一体誰がこんなことを? 脳裏に浮かんで離れない呪いに苦しむサタルの姿に、フーガは歯を食いしばった。

「サタルが呪いをかけれる原因といったら、彼が勇者であるためか、女絡み以外思い付きません」

「勇者?」

 一様に怪訝な顔をする一家に、戦士は彼がアリアハン国王の特命を受けた勇者であること、また自分達が魔王バラモスを倒すために旅をしていることを話した。

「まあ、サタル君が? あんなに若いのに……」

「まだアリアハンでは成人になったばかりなんでしょう?」

 フーガは肯定した。クララはサタルのいる部屋を見やって嘆息する。

「未来ある若者を死にに行かせるような真似をなさるなんて……アリアハン国王は何をお考えなのかしら」

「それがどうもアイツは幼い頃から国王と約束をしていたらしくて、アイツの誕生日に魔王討伐の旅に出るっていう話だったらしいんです」

「何なんですか、それは」

 ロレンツは信じられなさそうに目を見開いた。

「幼い頃って、一体いつから」

「アイツの父親が死んだっていう報せが入った頃だったそうです」

「父親。アリアハンの勇者、オルテガさんね」

「ご存知なんですか」

「ええ、若い頃にお会いしたことがあるわ」

 クララは遠い目をした。

「修練のためにいらしたとかで、しばらくダーマに滞在していかれたの。神殿に魔物が襲いかかってきた時も、いつも先陣を切って戦っていらっしゃったわ。自分の損得なんて気にしない、誠実で真面目な方でした」

 口調が患者の容態を説明する事務的な賢者のものから、一女性に戻る。それを聞いて、カノンがぼそりと呟いた

「アイツとは全然似てないな」

「あら、サタル君も真面目な良い子そうだけど違うの?」

「真面目なところもありますよ。でも少し、軟派な奴でして」

 渋い顔つきのカノンを見ながら、フーガは苦笑した。

「女性には声をかけずにはいられない性質というか、根は良い奴でフェニミストでもあるんですけど、うーん……ちょっと変わってますが、とにかく悪い奴じゃないんです」

 それだけは信じてやって下さい、とフーガは拝むようにして言った。クララもロレンツもアリアも笑っていた。フーガも少し笑って、しかしそれはすぐに翳る。

「でも、呪いをかけられるような奴じゃないはずなんだが」

 皆の顔が真面目なものに戻った。ロレンツが机の上で手を組む。

「女性関係の線は薄いでしょう。さっき本人から少し聞いた話だと、呪いをかけられたのは彼が幼い頃のようでした」

「アイツが答えたのか?」

 フーガは思わず口を挟んでしまった。

「ええ。いつからなのか聞いたところ、いつからかなのかも分からないくらい幼い頃からだと」

「アイツ、俺達には何も言わなかったくせに」

 フーガが毒づくと、ロレンツは眉を下げて困ったような笑みを浮かべた。

「言いたくなかったのでしょう。呪いというのはしばしば誤解を受けやすいものですから」

「何も知らない一般人からは伝染病のような扱いをされることもあるんです。おそらくそれを恐れていたのではないかしら」

「俺達はそんなことしねえって。なあ?」

「寧ろ治療法を隠された方が腹が立つ」

 カノンの低い呟きにフーガは同意した。全く、見くびられたものである。

 賢者の親子はまあまあと二人を宥めて、話を進めた。

「あと考えられるのは、彼が勇者であるためかご両親が誰かの恨みを買っていたか、または無作為なものかですが……何かご存知ないですか?」

 フーガは考える。改めて思い返してみると、自分の彼に関する知識が少ないことに気付いて驚かされた。そう言えば、サタルが自分のことを話したことなんて全くと言っていいほどない。あまり他人の過去を聞かなすぎるのも問題かもしれないな。フーガは苦々しく思った。

「実は俺もあまり知らないんだが、アイツの両親は他人の恨みを買うようなひとじゃないと思う」

「私もそう思うわ。ただ、妬みややっかみを抱かれることはあったかもね」

 クララの言葉に頷いた。確かに、それはあり得る。オルテガ以外の彼の家族に会ったことはないが、旅に出る前にニコラスやルイーダから聞いた話から察するにそういったことから身を守るという概念がなさそうな人々だと感じていた。

 ロレンツが首を傾げる。

「だけど、それだけであんな強力な呪いをかけるかな?」

「そうなのよね。じゃあ勇者絡まりの線かしら。勇者になると特権があるのでしょう?」

「そのようですね」

 今は旅に出ているからあまり感じられないが、勇者の家は結構な優遇を受けるらしい。現に、サタルの母も祖父も全く働いていないが生きていけている。それも国王の支援のお陰だろう。

 まさか、金のために息子に魔王を倒させようとしたんじゃないだろうな? フーガの頭に嫌な考えが持ち上がった。オルテガが死んで、稼ぎのあてがなくなった家族が生活費をどうにかするためにサタルを魔王討伐のための勇者にしようとしたのでは、と考えてしまったのだ。まさか、そんなはずはないだろう。アリアハンにいた時、そういった噂は全く聞かなかった。だからそれはない、きっと。

 フーガは頭を切り替えて目の前の話に集中した。まだサタルの呪いの可能性について話し合っていた。

 するとその時、玄関の戸が開いた。全員の目が集まった先には、若く背の高い薄い金髪の女性と、まだ成人になったかならないかという少年が立っていた。

 クララが声を上げる。

「あらノーラ、ビクトール」

「長女と次男です」

 ロレンツがフーガ達に説明する。クララが娘達を迎えるべく立ち上がった。

「今日は早いじゃない。仕事と学校はいいの?」

「特別に早く上がったのよ」

 ノーラが母を見つめて頷いた。困惑したような顔つきである。一方末っ子らしいビクトールは見知らぬ二人を見て目を丸くした後、家の中を見回して言った。

「母さん、本当にうちにアリアハンの勇者が来てるのか?」

「ええ。どうして知ってるの?」

 クララは驚いて尋ねた。長女が心なしか堅い表情で言う。

「そのアリアハンの勇者に会うために、今大神官様がいらしたの」

 ロレンツとアリアが顔中に驚愕の色を浮かべて立ち上がった。フーガも思わぬ出来事に驚きを隠せない。

 ダーマ神殿の大神官といえば、世界教会の最高権力者である。普段は滅多に神殿を出ることはなく、聖なる祭典と転職したい人々の人生の祝福をする時しか人前に現れないという。

 その大神官がサタルのために神殿を出た。これはとんでもないことだった。

「私達は護衛も兼ねて帰ってきたの。あとは大神官様が私達一家に話があるって」

 ノーラの後に、ビクトールが口を開いた。

「なあ、アリアハンの勇者って何なんだ? そいつがどうかしたのかよ?」

「それを今から見せてもらいたいのじゃ」

 ビクトールの身体が跳ねた。姉弟が左右に避ける。空いた道の中央には神官兵に挟まれた小さな、腰の曲がった老人が長い杖を手に立っていた。

「大神官様! お久しゅうございます」

「しばらくじゃの、クララ。達者で何より」

 大神官は長い顎髭を引きずりそうになりながら家の中に入ってきた。フーガは起立する。それからやや遅れて、胡乱げな目で老人を見ていたカノンが立ち上がった。

 老人が顔をこちらに向ける。皺くちゃの顔の中の円らな瞳は、冴え冴えとした光を放っていた。

「彼の友人かな?」

「お初にお目にかかります大神官様。私はフーガ、こちらはカノンと申します。この度は仲間がご迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳なくお詫び申し上げます」

「ほほほ、気にするな衛兵よ」

 フーガは動揺した。カノンが素早く戦士を見やって、警戒を込めて大神官を睨み付けた。

「そんなに気を張るでない。儂はそなたらの友人を見舞いに来ただけじゃ」

 しかし大神官は柔らかな口調でそう言った。午後の木漏れ日を思わせる雰囲気の持ち主ではあるが、その顔立ちには立場相応の厳格な貫禄が見られた。

 カノンはそれでも老人を睨み付けたまま、ぶっきらぼうに問うた。

「アイツは一体何なんだい」

「おいカノン!」

 はっとして、フーガは少女を諌めた。だが大神官は気に止める様子もなく答える。

「彼は彼じゃ。それは分かっておろう?」

「聞きたいのはそういうことじゃない」

「それはそなた自身が見極めるのじゃ。そうじゃろう?」

 カノンは虚を突かれたらしく黙ってしまった。代わりに、フーガが問い掛ける。

「大神官様は何故サタルを?」

「変わった症状の患者がいると報告を受けたのでな。そして儂の記憶が正しく彼がオルテガとミシェルの子であるならば、儂は彼の古い知人ということになる」

 それはどういうことだ?

 しかしそれを聞く前に、老人はクララに向き直ってしまった。

「オルヴィスは彼と?」

「はい、そちらの部屋におります」

 クララは大神官より一足先にサタルの運ばれた部屋に辿り着くと、戸をノックした。間もなくオルヴィスが顔を出す。

「あなた、大神官様が」

「邪魔するぞ、オルヴィス」

 老人が朗らかに声をかける。オルヴィスは彼の姿を認めると頭を下げた。

「大神官様……必ずいらしてくださると思っておりました」

「彼は起きているかの?」

「はい。大神官様とお話ししたいと」

 フーガは耳を疑った。サタルが何だって?

 大神官様はオルヴィスを見上げる。

「うむ、儂もそうしに来たのじゃ。オルヴィス、そなたもいてくれるな?」

「はい」

 オルヴィスが戸を大きく開ける。その向こうにサタルの姿が見えた。彼は上体を起こし、両手で顔を覆っている。

 知らず彼の名が声となって溢れ落ちた。すると、サタルが手から顔を上げた。絶えず人を魅せていた顔容は土気色で死人の如く、海と空を内包する瞳は硝子玉となってただものを写すのみだった。

 伏せられていた瞳がフーガとカノンを映し出す。途端、目に一瞬だけ細波が立った。しかしそれも束の間のことで、代わりに形のいい眉がひそめられ目が狭められる。口の端が歪んで吊り上がる。唇が薄く開いて、三つの音を形取った。

 ――ごめん。

 フーガは再度呼ぼうとした。しかし時既に遅く、部屋の扉が彼らを隔ててしまった。

「……誰か、説明してくれよ……」

 彼の声に答えるものはなかった。

 

 











 

***

 

 

 

 大神官もオルヴィスも、それからしばらく出てこなかった。フーガ達は当初はサタルの呪いのことで話し合っていたが、一向にことの詳細は分からなかった。やがて日が暮れ始め、クララとノーラ、アリアが夕飯の支度のために席を立ち、カノンが手伝うと言って後を追う。それに従って、サタルの呪いのことは大神官達が出てくるまで保留となった。

 フーガはロレンツとビクトールの兄弟と、ダーマでの修行のことや旅の話をした。太陽が山の後ろへと完全に姿を消した頃、客室のドアが開く。三人とも弾かれたように開かれた扉を見た。

 大神官とオルヴィスが出てくる。大神官はフーガの顔を見ると、一つ頷いた。

「待たせたの。サタルなら大丈夫じゃ。あと数日ここで養生すれば、良くなろう」

 フーガは緩く息を吐いた。しかし、まだ安心はしきれていない。根本的な疑問も問題も、解決できていないのだ。

「大神官様、アイツは何の呪いにかかっているのですか」

「ふむ、そうじゃのう」

 老人は顎髭をしごきながら、小さな目を瞬かせた。

「それはアーベントロート家の皆にも話さなければならぬことじゃ」

「呼んで参ります」

 ロレンツが立ち上がって、台所へ向かった。それから間もなく女性陣が姿を現す。全員が揃ったことを確認すると、大神官は口を開いた。

「皆に集まってもらったのは――もう分かっておるじゃろう、サタルのことじゃ。サタルはアリアハンから来た勇者で、バラモスを倒す使命を背負っておる。じゃが、彼は特別なまじないをかけられておっての……それは、我々の手の出せない強大な存在によってかけられたものじゃ」

 よって解呪は敵わぬ、と大神官は告げた。

 フーガは耳を疑う。呪いが解けない? 大神官をもってしても解けないなんて、本当だろうか。彼はそんなにあっさりと諦められなかった。

「失礼を承知でお伺いしたい」

 大神官の目にフーガが映り込む。そこに許可を見てとった彼は尋ねた。

「大神官様やダーマのお力をもってしても解けない呪いなど、あるのでしょうか。手の出せない強大な存在とは、一体何なのです?」

「それは儂の口にできぬ恐ろしいことじゃ。本当に、人の手ではどうしようもできないことなのじゃよ」

 大きな帽子を被った白髪が横に振られる。嗄れても威厳をなくさない声には、しかし抑えきれない悲哀がこもっていた。

 フーガは追随しようとして、オルヴィスがこちらを見つめていることに気付いた。その顔がやめろと言っている。フーガはそれでも聞いた。

「それは、魔の者によるものだということですか」

「儂にも正確なことは言えん。だが、人間ではない者によってかけられたことは確かじゃ」

 大神官でも確証を持てない魔術。手の出せない強大な存在。恐ろしいこと。フーガの頭に次第に浮かんできたのは、魔王バラモスの名だった。バラモスなら、世界的に名高いオルテガの子であるサタルを呪い殺そうとしても無理はない。だが、推測を確かめる前に大神官は話を再開してしまった。

「それでも、希望はある。サタルの症状を唯一和らげることができるものがある。精霊ルビス様の力じゃ。ルビス様は慈悲深き女神。彼女だけが、サタルに救いの手を差しのべてくれるのじゃ」

 オルヴィスが頷いた。そこで、と大神官が声を強くする。

「代々ルビス様に支えておるアーベントロート家にお願い――任務じゃ。これから、サタルの症状が和らぐまで彼の治療をしてもらいたい。そして彼が再び旅立てるようになった時、そなたらの誰かに彼の旅路についていって欲しいのじゃ」

 アーベントロートの人々は顔を見合わせた。家長であるオルヴィスが彼らを見渡して言う。

「これは私達にしかできないことなのだ。ダーマには我々以外のルビス教徒はほとんどいない上に、あの方のお力を私達一家ほど引き出せる者は誰もいない。サタルの手助けをできるのは私達以外いないのだ」

「サタルを助けられるのは君達しかおらぬ。そしてそのサタルは、確かに世界をバラモスの手から救えるただ一人の少年なのじゃ」

 フーガは軽く目を見開いた。それはいくら何でも大袈裟だ。サタルは確かに剣の腕も上達してきているし頭も悪くないけれど、そこまで言い切れるほどのものじゃない。彼には呪文が使えないという、致命的な弱点があるのだ。そこをこの人達は分かっているのだろうか。

 そしてそう考えたのは、彼だけではなかった。それまで黙していたカノンが声を上げたのだ。

「待ちなよ。随分期待しすぎじゃない?   アイツは魔法が使えないってのに、それでただ一人のだなんて……」

「いや、あの子は使える」

 オルヴィスが断言した。フーガには、彼が何を言っているのか一瞬分からなかった。大神官が引き受けて説明する。

「サタルが魔法を使えないのは魔力を持っていないからではない。まじないの強力な魔力に抑圧されて、本来の力が出せないからなのじゃ。だから普通に呪文を唱えても、彼の魔力が引き出せないから何も起こらない。これは仕方のないこと」

 じゃが、と大神官は右手を掲げた。

「ある方法を身につければ、彼は魔法を使えるようになる。いや、使えるなんてものではない。上手くやれば、このダーマにいる誰よりも魔法に長けた存在になるであろう」

「安全な方法なんだろうね?」

 カノンが疑り深く訊ねた。大神官は顎髭を撫でつける。

「多少のリスクはある。しかし、ルビス教の僧侶がついていれば問題ないじゃろう」

 オルヴィスが頷いた。それでもフーガの不安は拭えない。

「なに、心配するでない。儂らが見立てておるのじゃ。それに、そんなに無茶も難しいこともさせんよ」

「どのような方法なのです?」

「かかったまじないの魔力を利用して呪文を使うのだ」

 フーガはカノンと顔を見合わせた。そんなことが本当に可能なのだろうか。

「コツさえつかめればどうにかなる。それについては、ここでの滞在期間中に覚えてもらうから、万が一の際もすぐに対応できる。大丈夫じゃ」

 大神官はそう言うと、戸口で控えていた神官兵に目配せした。

「では、儂は帰る。頼んだぞ皆。たまに報告をくれ」

 老人の小さな背中が扉に消える。神官兵が後に続き、アーベントロート家の一同も見送りに着いていった。

 フーガも後に続こうとした。しかし、カノンがその袖を引く。

「あんだけいりゃ十分だよ。それより、あっちに行かない?」

 彼女は客室と呼ばれた部屋を指さした。思いがけない彼女の提案に、フーガは目を丸くする。

「お前、アイツのこと苦手なんじゃなかったのか」

「それとこれとは別さ」

 あたしだって仲間の心配くらいはする。眉根を寄せながら無愛想に吐かれた台詞に、フーガは更に驚いた。これまでサタルが発症してから、彼が半日以上眠り続けて飲食を全くしなくても、起きて薬や食物が喉を通らなかった時も、少量しか食べなかったのに全て吐き出してしまった時も、高熱に魘されている時も、如何なる時も案じる言葉の一つもかけなかった彼女である。ずっと無表情でただ看病の手伝いをしているだけだった。てっきり嫌々やっているだけなのだろうと思っていたのだが、それが自分から様子を見に行こうと言い出すなんて。

 サタルが聞いたら喜びすぎて却って体調が悪化しそうだ。当分言わないでおこう。

 ふて腐れたような顔になってしまったカノンを宥めて、フーガは客室の戸を叩いた。

「入るぞ」

 返事が聞こえる前に扉を開けた。ちょうど、サタルが上体を起こしたところだった。

「ど、どうも」

 サタルは微妙に笑顔を引き攣らせながら言った。

「部屋に入ってくるの速すぎない? もし俺が可愛い女の子と人前でできないようなことしてたら――」

「ここにそんな女がいるわけがない。それにお前に今そんな体力がないことくらい、看病してれば分かる」

 ベッドに歩み寄ろうとした。しかしそれよりも速くカノンが寝台に接近していて、それを更に上回る速さで武闘着の袖が閃いた。

 乾いたいい音がした。唖然とする男達をよそに、カノンが悠然と腕を組む。サタルが頬を押さえて、それでやっとフーガは少年が張り手を喰らったのだということを認識した。

「何でアンタは、命を粗末にするような真似をするの」

 カノンは低く問いかけた。サタルは彼女を見つめて、困ったような様子でゆるやかに口角を上げる。

「粗末にしているつもりはないよ」

「してるようなもんさ。呪いのことも治療の方法も知ってたくせに、知らないふりしやがって」

 怒っている。フーガは彼女の怒りを肌に感じていた。背後にいるため、顔は見えない。それでも口調で分かった。

「死ぬかもしれない呪いだって、知ってたんだろ?」

 フーガは息を呑んだ。サタルは心持ち困惑したような笑顔のまま、穏やかに言う。

「……きっとそんなことは」

「あるんだろ。誤魔化すんじゃないよ」

 サタルは口を噤んだ。カノンは鼻を鳴らす。

「おかしいと思ってたんだよ。正義感が強いわけでも戦いが好きなわけでもないのに、アンタは危険な場面に会うと、必ず危ない真似をする。カザーブの時もアッサラームの時もピラミッドの時もバハラタの時も、アンタはヘラヘラ誤魔化しながら死にそうな方向に向かおうとしていた」

 フーガは記憶を遡る。カザーブではテングと二人で、無謀にもカンダタ盗賊団を討伐しに行った。アッサラームの時はトロルと無茶な戦い方をした。ピラミッドの時は落とし穴に落ちようとしたカノンを庇おうとして一緒に落ちた。バハラタの時は、カンダタがカノンに向かって投げた武器を代わりに受けた。

 確かに危険な目にばかり遭っている。だが、考えすぎではないか?

「ちょっと待て。危険な目に遭うのは旅ではよくあることだし、大体カザーブ以外は不可抗力じゃないか?」

「確かにそうさ。でも危険な状況で瞬時に自分の身を考えずに危険な方に動けるっていうのは、ある程度死ぬ覚悟ができてる奴じゃないと、できないよ」

 カノンはサタルを睨み付けた。

「あの爺さんは大丈夫だしか言わなかったけど、アンタの呪いって相当重いんじゃないんかい? 何もない時は何もないけど、不安定で、いつ酷い発作が来るか分からない。アンタはそれを知っているから、いつ死んでもいいって思いながら生きてる。だから楽しそうとかやりたいって思ったら考えなしに行動するし、危険にも平気で飛び込んでいく。でも、アンタはさっき言ってたね……死ねないって。アンタはその呪い以外じゃ死ねないんだ。それに気づいたから、今回発症しでも治さずにそのまま死のうとしていた。違うかい?」

 カノンは挑むように問いかけた。サタルはそれでもまだ、彼女を見つめたまま微笑んでいる。その眼差しは、野に咲く花を愛でるかのように優しかった。

 サタルは一つ、息を吐いた。

「君はなかなか鋭いな」

 それから満面の笑みを浮かべる。

「どうしてそう考えたの?」

「見てりゃ分かる。あと、勘」

 カノンはぶっきらぼうに吐き捨てた。サタルは楽しそうだった。

「君には全く恐れ入るよ」

「おいおい、本当なのか。お前本当にそんなこと考えてたのか?」

 フーガが思わず声を上げる。サタルは肩をすくめた。

「できれば言いたくなかったんだけど、この際だからこれだけは正直に言っておこうか。カノンの言う通り、俺にかかってるのはかなりタチの悪い呪いだ。これのせいで物心ついた頃から何度も死にかけてきた」

 サタルは誰かから聞いてきた話を語るように言った。軽く首を捻ってうーんと唸る。

「小さい頃からよく寝込む子どもでね、友達は枕元に置かれたぬいぐるみだけっていうそりゃあ可愛らしい美少年だったのさ。熱が出てることが多くて外に行けなくて、家に籠もってばかりだった。君達も船で見ただろう? あれがずっと続いてたんだ」

 フーガはここ一週間の彼の様子を思い出す。高熱、激しい悪寒、痙攣に似た震え、食欲不振、嘔吐、脱水、長すぎる睡眠。あれが幼い頃から、しかも一時は毎日のように続いていたなんて。考えただけでぞっとする。

 サタルはにこにこと続ける。

「でもこれでもマシな方なんだ。本当はもっと多い量の魔力が絶えずかけられてるから、普通だったら身体が耐えきれなくて、とっくに死んでてもおかしくないんだよ。じゃあ、何で俺は生きていられるのか? 理由はこのサークレットにある」

 彼は旅の如何なる時も肌身離さず着けていた銀のサークレットを指さした。

「これは俺の父が俺のために作ってくれた、俺に悪い事をする魔力を抑えつけるよう、またその膨大な魔力を使って装備者に守護の呪文をかけるよう細工された特別な装備品だ。これのおかげで、俺は大した装備をしなくても大抵の魔物の攻撃から身を守れるし、呪いにそれほど身を苛まれずに済んでいる。まあ、たまに今回みたいに発症しちゃうんだけど、そこは生きてるだけで万々歳ってことで、気にしちゃいけないよ」

「でもこの呪いのお陰で、自分はいつ死んでもおかしくないんだっていうのが刷り込まれちゃって。実際、いつ死んでもおかしくない状態だし。だからなるべく後悔なく生きたいんだ。今楽しめる事はとにかく楽しみたいって思うようになったのも、この呪いのせいだろうね。あとは、どうせ死ぬならこの呪い以外のことで死にたいっていうのも、理由の一つにあるかな」

 だけど、とサタルはカノンに目を戻した。

「君の考えは結構当たってたけど、ちょっと違う所がある。まずアッサラームでは特に死ぬ気はなかったし──トロルと戦うなんて滅多にない経験だから、ちょっと楽しんでたけど──君を二回助けたのは俺が死ぬためじゃない。純粋に君を助けたかったからさ。だって君は、俺の大切な人だからね」

 サタルはじっとカノンの瞳を覗き込んだ。

「分かった?」

「……何でもいいけど、他人を理由にして死のうとするのはやめて。それで死なれたら、一生ついてまわりそうだから」

 カノンは目を逸らして答えた。サタルは苦笑する。

「あと、俺は呪い以外で死ねないなんて言った覚えがないんだけど」

「さっきアンタが倒れてるのを見つけた時に、アンタ自身が言ってたよ」

「嘘だろ?」

 カノンは肯定しない。しかし、サタルはどっちでもいいかとすぐに確認を諦めた。

 どっちでもよくないだろう。フーガは嘆息した。

「大体分かったが、本当に覚えていないのか?」

「覚えてないね」

「お前は、呪い以外じゃあ本当に死なないのか」

「分からないよ」

 サタルのにこやかな顔を見下ろして、フーガは更に問いを重ねる。

「いくつか聞きたいことがある。いいか」

「勿論」

「お前にかかっている呪いは、いつまた症状が再発するか分からないんだよな」

「そうだよ。でもルビス様の癒しをもらえれば大分楽になるけど」

「何でルビス様なんだ?」

「何でなんだろうね。俺も知らないよ」

「主神の力が駄目なのは何でだ?」

「これだけはもうどうしようもないかな。合わないものは合わないんだ」

「いつも死ぬことを考えてるのか?」

「いつもじゃないし、できれば死にたくないよ。でも解けない以上、望みは薄いって分かってるから」

「バラモス討伐を引き受けたのも死ぬ理由のためか?」

「それだけじゃないな」

 サタルは緩んでいた口元を引き締めた。生まれ持つ端正さが増し、より凛々しい印象になる。

「第一に父のため。魔王討伐は父の唯一の心残りだろうから。さっきも言った通り、父のおかげで俺は今まで生きていられている。正直もう全然父の事は記憶にないんだけど、恩は凄く感じてるし尊敬もしてるから、少しは息子として役に立つ事をしたい」

 サタルの目が一瞬伏せられ、すぐにまたフーガを見上げた。

「第二にアリアハンで父の次にバラモスを倒せそうなのが俺だったから。大神官様から聞いたかな。俺には呪いの強力な魔力がある。これを使いこなせれば、一流の賢者を遙かに上回る量の魔力を使う事が可能なんだ。何せ、絶え間なく魔力が注がれてるからね。無限大と言っても言い過ぎじゃないと思う。これを使う事ができれば、バラモスだって苦もなく倒せる計算なんだ。加えてこの魔力をバラモスとの戦いでたくさん使えれば、俺に害をなすものが減るわけだから俺のためにもなる。つまり一石二鳥ってわけ」

「……このことをアリアハン王は?」

「俺にたくさんの魔力があることは知ってる。だけど、呪いのせいだっていうのは王も含め誰も知らない」

 国の勇者が呪いつきだなんて王やみんなが知ったら、えらいことだからね。

 サタルはそう言ってからフーガを見た。他に質問はあるのか問いたいのだろう。フーガは迷ったが、意を決して訊ねた。

「最後に一つ。何で俺達に、本当の事を話さなかった?」

 少年は不意に、困惑しているような照れているような、何とも形容しがたい笑みを浮かべた。常に大人びた表情の多い彼にしては珍しい顔つきだった。

 彼は黙っていたが、やがてぽつりと呟いた。

「嫌だろ? こんな呪いのかかった人間と、一緒に行動するなんて」

 サタルは首を回して外を見た。窓の向こうには、もうすっかり夜の帳が降りている。

「この呪いは何も知らない人から見たら、得体の知れない病気みたいなものだ。得体の知れないそれは人に伝染るものかもしれない。触れたら伝染るのかもしれない。空気を伝うのかもしれない。伝染はないにしても、術者が呪われた人間の近くにいる者に同じようなものをかけるかもしれない」

 サタルはこちらを向いた。もういつもの笑顔に戻っていた。

「そんなことは起こらないって分かってる。分かってるけど……みんなを怖がらせたくないし、腫れ物みたいに扱われたくもない。万が一のことなんて、考えたくもない」

 フーガはその時悟った。この少年が最初一人で旅立とうとしたのはこのためだったのだ。呪いを隠し、人からやっかまれる事を避けるため。そして、第二の自分が生まれる可能性をなくすため。

「さあ、どうする?」

 サタルの唐突な言葉が分からず、フーガは瞬きをした。サタルはフーガとカノンを交互に見た。

「また俺と一緒に魔王討伐の旅に出る? それともやめる? 俺は止めないよ。だって最初から一人で行く気だったし、ここで一人になっても全然構わない」

 フーガはサタルを凝視した。シーツの上の手は特に震えていない。肩の力みもない。顔に浮かぶのは、穏やかで柔らかい笑み。日向で微睡む祖父のような、落ち着いて温かなものの漂う表情である。

 フーガは胸の内で大きく溜め息を吐いた。感情が、読みとりづらい。無駄に同情を買うようなことも言わず、ただ偉そうに選択肢を提示して見せている。こうなるまで、一体彼はどんな思いで生きてきたのだろう。何を表に出して、何を隠して生きてきたのか。それを考えるだけでフーガは感心と憐憫と、深い悲しみの情に攻められるのだった。

 カノンを見やる。ちょうど彼女もこちらを見ていた。少女の大きな瞳はまっすぐで、もう揺らがないようだった。そうか、お前も決まったか。フーガは頷いて、サタルに向き直った。

「俺は行く」

「あたしもついて行ってやる」

「本当に?」

 サタルは訊ねた。カノンが口を開く。

「魔王がどうとか、そんなんはどうでもいい。あたしはアンタのその性格が気に喰わない」

「……ん?」

 サタルは思わず聞き返した。カノンはサタルの胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「親父のお陰で生きてられてるって分かってるんだろ? なら何で、すぐ死のうとするんだい。アンタの嫌いなところなんて上げてたらキリがないけど、あたしはアンタの先の事を考えないで『自分はいつか死ぬんだ』って決めつけて考えて動くところがいっちばん大嫌いだ」

「え、あの……傷つくんだけど」

 サタルの笑顔がひくついた。カノンは構わずに続ける。

「アンタなんか嫌いで嫌いでホントどうしようもない奴だけど、そのねじ曲がった根性は殴りたい。だから覚悟しな」

 そう言ってカノンは手を離した。目を丸くして彼女を見つめるサタルの肩を、フーガは軽く叩く。

「ようは放っとけないってことだよ。良かったな」

「そうじゃない! こんなんが世界に一人いるって考えるだけで気持ちよく生活できる気がしないから治してやろうって言ってんだよ」

「うん分かった分かった、じゃあそういうことにしておこう」

 フーガはカノンの頭をぽんぽんと叩いて、サタルに顔を戻した。

「サタル、お前に何の呪いがかかってようが何だろうが、俺達は一向に気にしない。嘘を吐かれるのは悲しいがな。ただ、お前がこれから先たった一人で旅をするってなると、色々心配だ。だから俺はついていきたい」

 サタルは目を見開いたままだった。いつの間にか口元の笑みは消えていた。

「……俺、色々面倒かけるよ」

 よく通る声は僅かに震えていた。フーガは常のように応じる。

「いつものことだろ」

「危険だよ」

「何を今更。魔王退治なんて危ないに決まってるだろ。それに俺は風来坊だからどこを旅して死のうが悲しむ人なんていない。だから存分に危険な目に遭える」

 そう言ってから少年の眼差しが何か問いたげに眇められるのを見て、戦士は首を左右に振った。

「勘違いするなよ。お前みたいに死ぬ事を前提にいつも考えてるわけじゃない。お前のその考え方の癖がついたのも仕方ないし、分かるが、止めた方が良い。お前のそれで傷ついてる人がいるだろう。何より、お前自身が傷つく。厳しいだろうが、もう少し生きる方に目を向けてみろ」

「そんなこと言われても」

「可能性に期待するのが辛いのも、分かってる。すぐにじゃなくていい。だんだんでいいから。まあコイツはほっとかないみたいから、何とも言えねえけど」

「今すぐにでも殴ってやりたい」

「もう叩いただろ」

 拳を鳴らすカノンをフーガはたしなめた。茫然としているサタルに目を落とし、フーガは少し笑った。

「何にしても、お前を放っとけないんだよ。ここまで一緒に旅をしてきたじゃねえか。だからバラモスを倒すまでくらい、一緒にいたっていいだろ。な?」

 サタルは顔を俯けた。表情を窺わせないまま大きく息を吸って、ゆっくり吐き出す。それから乱雑に首を横に振って、顔を上げた。眩しいくらいの笑顔だった。

「後悔するよ」

「別にいいさ。後悔なんて何にでもついてくる」

 フーガがゆったりと答えた。

「大変だよ」

「大変じゃない旅なんてないだろ」

 カノンが喧嘩腰に言う。サタルはまた息を吸った。

「また、前みたいに約束してくれないか……絶対に、何があっても、死なないって」

「そんな簡単に死なねえよ、俺達は。約束する」

「アンタよりは長生きしてやるから安心しな」

 フーガが断言してカノンが毒舌を放つ。そしてサタルは笑った。

 以前のように楽しげに、しかしどこか悲しげに。

 

 









 

 

 ***

 

 

 サタルの容態は、それから日増しに良くなっていった。アーベントロート家に来て五日が経つ頃には呪いの症状も出なくなり、食事も喉を通るようになった。それを見計らって、オルヴィスによる魔法の訓練が始められた。訓練はナジミの塔で行われ、その二回目でサタルは以前フーガの前でやって見せて何も起こらなかったメラを習得することができた。しかしその後にまた熱が出てしまい、訓練は二日間休みになった。

 その後も訓練中に症状が出てしまうこともあったが、次第にコントロールが上手くなり、そういったこともなくなった。サタルは勇者の呪文を二つ、僧侶の呪文を三つ、魔法使いの呪文を五つの計十の呪文を二週間で覚えてみせた。またそのどれをどれだけ唱えても、副作用として呪いの症状が出ることもなくなったということであった。

 その間フーガはアーベントロート家の雑務を手伝ったりダーマの仕事を引き受けたりしていたが、サタルが魔法を使っても体調が崩れないという確証が持てた頃に彼への剣術の稽古を始めた。以前は旅の合間合間にやっていたのだが、ここしばらくサタルの体調が悪かったのでできていなかったのだ。

 サタルはずっと寝込んでいたため、体力がかなり衰えていた。フーガは彼の調子を見つつ無理のないように、しかし容赦なく稽古をつけた。サタルの体力が戻り、剣術の腕が大分上がってきた頃、今度はそれまでフーガ同様賢者一家の家事やダーマの仕事をこなしていたカノンがサタルに体術を教え始めた。彼女曰く彼の体術レベルがあまりにお粗末だったからということであったが、フーガは彼女が他人に体術を教えているところを見たことがなかったので驚いた。そして、稽古を受けることを決めたサタルにも酷く驚いた。

「やべえ、俺最近すげえ勇者してる」

 アーベントロート家に来てから一ヶ月と少し経った頃、サタルはもはや自室同然となってきた客室のベッドに飛び込んでそうこぼした。フーガはそれをたしなめながら、でも正直に彼を褒めた。

「確かに前に比べて戦闘の腕が上がってきてるよ。頑張ってきた甲斐があったな」

「あとは実戦でそれを活かして腕が落ちないようにすることだけど、体術はまだちょっと厳しいなあ」

 サタルは起き上がって訓練着を脱ぎ始める。呪いで痩せこけた時の姿などもう幻だったかと思うほどに、以前の優男ぶりを取り戻していた。いや、以前より良い男になったかもしれない。

 男の中では平均より少し線が細い彼の身体だが、近ごろかなり筋肉がついて逞しくなっていた。それでもまだ彼はむさ苦しく見えないしこれから先も見えそうになく、寧ろ美しさを上げていた。

 モテる男というのは天性なんだなと思いながら、フーガは鎧を脱いだ。

「とりあえず最低限敵の攻撃をかわせればいいってカノンも言ってただろ。もうそれくらいはできるようになったんじゃないか?」

「できるようになったけど、稽古でカノンに勝てない」

「当たり前だ。アイツはプロだぞ」

 フーガはたまに自身の修業も兼ねてカノンによる体術の稽古を見学したり参加したりしていたが、この勇者が武闘家に勝てたのを見た事がなかった。大抵組み敷かれているか殴り蹴りされているか、投げられているかのどれかだった。

「体術、もう少し上手くなりたいな」

「お前にしては珍しいな。体術がそんなに面白いか?」

 フーガが問いかけると、サタルはどんな女性でもときめきを覚えさせられると自他共に認める爽やかな笑顔を浮かべた。

「面白いけど、それ以上にカノンとベッドの上で格闘技ってなった時に負けるわけにはいかないだろ?」

「そんな状況はきっと来ないから安心しろ」

 フーガは素気なく言ってインナーを脱ぐ。その時、扉が二度叩かれた。

「失礼致します。夕食のお支度──きゃあッ!」

 部屋を覗いた白銀の少女は、半裸で会話する男達を見て悲鳴を上げた。フーガは慌てて着替えを身に纏う。

「悪い、アリア。見苦しいところを見せた。止めれば良かったな」

「いえ、断りなく入った私が悪いのです」

 申し訳ありませんとアリアが頭を下げる。その赤くなった顔を見て、まだ半裸のままのサタルはにやにやと笑っている。

「お兄さんや弟の着替えとか、あんまり見ないの?」

「そっ、それとは別です……っ」

「サタル、アリアを困らせるんじゃない。あと服を着ろ」

 しかしサタルはフーガの言葉を聞かずに、服を着ないままアリアに近寄った。印象だけはかなりいい笑顔のまま、彼女の瞳を覗き込む。

「アリアは可愛いな。それに綺麗な瞳の色をしてるね」

「あの、サタル様」

「様なんてつけないでくれ。君とは呼び捨てで呼び合うのが当たり前の関係になりたいんだ。いや、それだけじゃなくてもっと親しい関係に――」

 困ったように目を逸らした彼女の脇を黒い影がすり抜けた。サタルの声が途切れて床に倒れる。反射的に受け身を取ったその首を神速の拳が締め付けた。

「二十三回目」

 カノンは手を彼の首から離さずに短く言った。サタルが足払いをかけられた様子が見えなかったアリアは垂れがちの瞳を丸くしている。勇者はお手上げの格好のまま組み敷く武闘家に笑いかけた。

「君さ、音もなく現れて確実に人の急所を突けるとかどこで習ってきたの? 暗殺の訓練でも受けたの?」

「あたしは武闘家だよ」

 カノンは笑顔に応えず仏頂面のまま吐き捨てた。

「世話になっている家の者に対して何回失礼な真似すれば気が済むんだい。アンタには常識がないのか」

「あるよ。これは俺の礼儀作法の一つみたいなもんで……あの、カノンちゃん。そろそろマジで苦しいんだけど」

 サタルの笑顔が息苦しさに歪み始めた。カノンが手を離す。するとすぐにサタルの上体が起き上がってカノンの肩を捕まえようとしたが、呆気なくはねのけられた。

「相変わらずガード固すぎだよ」

 また首を片手で押さえつけられても、サタルは苦笑していた。

「て言うかこんな半裸のイケメンを押し倒しといて、君は何も思わないの?」

「裸の野郎なんて見慣れてるんだよ」

「え、何それ聞き捨てならないんだけど。カノンそれどういうこと?」

 カノンは素早く立ち上がって部屋を出て行った。サタルも飛び起きて手早く服を着てからそれを追いかける。

「待ってよカノン! それどういうこと!?」

 サタルの声が遠ざかる。フーガは目をぱちくりさせて彼らを見送るアリアに詫びた。

「悪いな、面倒臭い癖のある奴で」

 アリアははっとしてフーガの方を振り返って、ぶんぶんと首を横に振る。また頬に赤みが差してきた。

「いえそんな面倒臭いなんて! ただ面白い方々だなーと思いまして」

「そう言ってもらえると有り難いな。さて、下に降りようか」

 アリアは頷いて踵を返した。その後にフーガも続く。食卓には既に一同が揃っていた。サタルは横に並んで座っているカノンにまだしつこく話しかけていた。

「ねえカノン聞いてる? さっきの話だけど」

「うるさい」

「後でにしろ、サタル」

 フーガが言うとサタルは不満そうな顔をしたが、静かになった。

 フーガとアリアが席に着くと食事が始まった。一同の会話が弾み出す。ノーラやビクトール、サタルなどのやり取りを中心に、食卓の雰囲気が和やかで華やいだものになっていく。ここに世話になり始めてもう一ヶ月である。彼らの会話は、相応の打ち解けたものになっていた。それを聞きながら、フーガは今日だなと思った。

 サタルの体調はもう安定している。体力、剣術、魔法のどれも旅をする分には問題ない。ならば、もうこれ以上滞在して面倒をかけさせるわけにはいかなかった。ここにいる間自分達にできることは何でも積極的にやって来たが、それでも自分達が気を遣わせる存在であることに変わりはない。加えて、自分達の目的のこともある。手がかりが少ないからこそ、そうそう悠長にしているわけにもいかなかった。

 サタル達とも、このことについてはもう話し合ってある。二人とも、フーガと同意見だった。あとは、家長であるオルヴィスに話をしにいかないといけない。

 ちょうど今日、フーガがダーマで引き受けている仕事が終わる目途が立った。話をするなら早い方がいい。今日、話してみよう。

 食事を終えて各々が空になった食器を片付け始める。フーガはサタルに自分のものを任せて、自室へ戻ろうとしたオルヴィスを引き止めた。話があると切り出すと、そのまま彼の書斎へと連れて行かれる。書斎は壁一面を書物で覆われていて、フーガとは縁遠い古紙とインクの匂いがした。

「旅立つ話か?」

 オルヴィスは開口一番言った。さすが察しが良い。フーガは肯定して、深々と礼をした。

「あなた方には随分面倒をかけてしまいました。特にサタルの事では、感謝してもしれないくらいです。御礼申し上げます。このご恩は忘れません」

「そんなに畏まらずともいい。面倒なんてとんでもない。寧ろ我々の方が助けてもらったくらいだ」

 オルヴィスは首を横に振った。目尻に皺が寄り、年相応の貫禄をそなえた顔が和やかに笑みを浮かべる。

「君達がいなくなると寂しくなるな。君もカノンもよく働いてくれたから、神殿も君達との別れを惜しむだろう。特に神官兵からは、君の剣術指導が好評でね。このまま指南係として留まって欲しいという声もあるくらいだ」

「恐れ多いです。自分にはとても」

 フーガが辞すると、オルヴィスは頷いた。

「アリアハン王に命じられた特別な旅の途中だ。仕方あるまい。しかし、また何かあったらダーマに足を運んでくれ。君のためならきっと、席を用意するだろう」

「ありがとうございます」

 フーガはまた頭を下げた。オルヴィスは訊ねる。

「旅立ちはいつにする?」

「三日後の朝に失礼したいと思っております」

「そうか」

 オルヴィスは斜め下に視線を落として少し考え込む素振りを見せてから、フーガに目を戻した。

「以前、君達の旅に私達一家の誰かをつけるという話があったのを覚えているかな」

 フーガは首を縦に振る。一ヶ月前に大神官が言っていた。あれから彼はここを訪れていないが、神殿に仕えているロレンツが定期報告を入れていたようだった。

「私と妻は、ガルナの塔と後進の教育があるからついていけない。末のビクトールはまだ一人前でないから除外させてもらった。そうなると本当ならロレンツかノーラを連れて行ってもらいたいところなのだが、二人とも神殿で役についてしまっていて、離れられないのだ。だから、消去法のようで申し訳ないが、次女のアリアをつけたいと思う」

 フーガの脳裏に、先程自分達を呼びに来てくれた少女の顔が浮かんだ。清楚でいかにも育ちの良さそうな彼女は、辛い戦闘や放浪の日々に耐えられるだろうか。戦士の危惧を見越してか、オルヴィスが口を開いた。

「アリアはあの通り大人しい娘だが、真面目で打たれ強いから、多少のことで音をあげたりしないはずだ。また武器を使った戦いでは最初君達の足を引っ張る事になるかもしれんが、魔法面でなら間違いなく助けになれるだろう。どうだ?」

「俺達の方は無論助かりますしお願いしたいのですが、よろしいのですか?」

「構わん。本人も乗り気だ。ああ見えて好奇心の強い奴でな。旅を嫌がるようなことはないだろう」

 フーガはそれを聞いて少し安心する。だが、後で本人とも話をしようと考えた。

 彼らはそれから旅に必要な物資や仕事の話などをし、フーガが書斎を出た時には食事が終わってからかなりの時間が経っていた。しかし奇しくも食卓でノーラとアリアが繕い物をしているのに出会った。ノーラはすぐに書斎から出てきた彼に気付いて手を振ってみせる。だがアリアは作業に集中していたようで、彼に気付くのが少し遅くなった。彼女は編み物から目を上げて自分を見つめるフーガに気付くと、椅子から跳び上がった。

「フーガ様! 申し訳ありません、私ったらぼんやりしていて、いらっしゃるのに気付かず」

「そんな謝るほどのことじゃない。それから俺に様なんてつけなくていいし、敬語もいらないから」

「前から言われてるじゃない、アリア。何度もそう言ってくれてるのに変えないんじゃ、逆に気を遣わせるわよ」

 ノーラは妹を諭す。アリアは目を泳がせながら口をもごもごと動かした。

「けど……無理です……」

「じゃあさん付けでもいいから、アリアの呼びやすいようにしてくれ。ただ、様だけはやめて欲しい。そんな大層な身分じゃないからな」

 フーガは少女が頷いたのを確認すると、本題に入る事にした。

「君が一緒に旅に来てくれるとオルヴィスさんから聞いた。大丈夫か?」

 すると、アリアは先程より大きく首を縦に振った。

「はい、大丈夫です!」

「旅慣れてない君にはかなりきついと思うぞ。いくら大神官の命令でも、俺達の方から断れば行かなくても済むと思うから。サタルがまた具合が悪くなった時にお世話になりに来てしまうことになるだろうが、行きたくないようだったら遠慮なく言ってくれ」

「いえ、行きたいです! 不束者ではありますがどうかお供させて下さい! よろしくお願い申し上げます!」

 アリアはきっぱりと言って青銀の髪が散る勢いで頭を下げた。フーガは思わぬ少女の言動に驚いたが、すぐに破顔する。

「君がお願いすることじゃないだろう。お願いしてるのは俺達なんだから」

「あ……えっと、その」

 アリアは頭を上げて頬を紅潮させ、狼狽え始めた。大人しい印象しか抱いていなかったが、表情は意外にも豊富である。彼らのパーティーに一番欠けているものを補ってくれそうだ。

「そこまで乗り気になってくれてるなら、助かるよ。三日後の朝に旅立つ予定だから、よろしく頼む」

「はい!」

 今度は一気に雰囲気が華やいで、嬉しそうな笑顔を見せた。フーガもつられて微笑んでしまう。彼女にとって辛いこともあるだろう旅立ちの話をしていたはずなのに、場の空気と気持ちが和らいだ気がした。

「フーガぁー」

 その時、頭上から声がした。見上げるとサタルが階段の上から彼を見下ろしている。

「良い雰囲気なところ悪いんだけど、湿布貼ってくれねえ? カノンに投げられた」

「また何やってんだお前は」

 フーガは呆れた声を上げた。アリアが繕い物を卓上に置いて、頬を上気させたまま提案する。

「それでしたら、私がホイミします!」

「いいの? 申し訳ないけどお願いできる?」

「悪いな、頼むよ」

 アリアはそれでも嬉しそうに頷いて、階段を駆け上がっていった。それを見ながらサタルはしみじみと呟く。

「罪作りだねえ」

 しかしそれは誰の耳にも届かず。彼はただ階下にいるノーラと目を合わせて、にやりと笑い合うのだった。

 

 

 

 

 







 

 

 三日後、フーガ達は準備を整えてダーマ神殿への挨拶もしてから旅立った。次の目的地はここから北東に位置するムオルという村である。ダーマに来ていた行商人から、そこでオーブの噂を聞いたという情報を得たのだ。それで直接行ってみることにしたのだ。

「ああ、ダーマともお別れか」

 サタルが船の上から遠くなる神殿を振り返って言った。フーガもそれを振り返って、早くも懐かしい気持ちになる。

「世話になったな」

「本当だよね。まあまたルーラで簡単に来られるんだけど……つい、感傷的な気分になっちゃうなあ」

「また来ればいいだろ。あの子のこともあるし」

 フーガの台詞を受けて、サタルは甲板に目を戻した。アリアは船の上に慣れていないらしく、揺れにつられてふらふらしている。それをカノンが支えに向かっていた。

「華が増えたね」

「頼むから変な真似はするなよ」

「しないよ。フーガだって俺がどんなに紳士的か知ってる癖に」

「そこが心配なんだ」

 サタルはわざとらしくむくれて見せて、それから少女達に向かって走り出した。

「君達大丈夫?   さあ俺の腕に掴まって」

「来んなこの万年発情期。コイツのことは大抵無視していいから」

 カノンはサタルに容赦なく言葉を突き刺して、後半はアリアに向かって真面目な顔で言った。アリアは困ったような顔で微笑んでいる。

 酷い酷いと言いながらも彼女らにつきまとうサタルを無視して、カノンはアリアに船内を案内するつもりらしい。面倒臭がりの彼女の割に気が利いている。彼女も変わってきたのだろうか。

 フーガは三人の少年少女を見つめた。呪いのことを明らかにしたサタル。他人を思えるようになってきたカノン。故郷にひとまずの別れを告げたアリア。彼らは何やかんやと楽しそうに会話しながら船内へと入っていく。三人とも変化に柔軟な対応を見せ、変わりながら生きていこうとしているとフーガは思った。できればそれがつかえることのないように、自分は変わらず見守っていきたい。変わる事のない立ち位置で、これ以上のことは望まずに。

 フーガは舵を取るために、その場を後にした。





 

      

 

 

20141029 加執修正