「勇者殿なら、もう旅の扉に向かって旅立たれましたぞ」

 レーベに着いたフーガ達を迎えたのは、町長のそんな一言だった。

 レーベは、アリアハン城下町の北方にある長閑な町だった。町の中を小さな川が流れ、子供達がその傍で遊んでいるのをフーガは見た。ザリガニでも穫っていたのだろうか。分からないがとにかく楽しそうだった。

 そうして着いた町長の家で聞いたのがそれだった。

「隣に住む魔法の玉というものを作っとる爺さんにその玉をもらいましての、いつだったかのー……とにかく、旅立ちましたぞ」

「いつだったかのって、覚えてくれよ」

 フーガは思わず呟いた。町長には聞こえなかったようだが。

「魔法の玉、ですか」

 彼は隣の小柄な少女を見やった。カノンは珍しく、その魔法の玉とやらに興味を持ったようだった。町長は頷く。

「そうじゃ。火をつけると爆発する玉じゃ。しかし、手に入れるのは諦めなされ。家には鍵がかかっとるし、魔法の玉なんぞあったって役にたたんぞ。危険じゃ」

「その鍵は? こじ開ければ開きますか?」

「おいこら」

 他人様の家に平然と泥棒に入るようなことを言うカノンを軽く諫める。町長はそれを冗談ととったらしく、笑いながら、

「残念じゃったの、盗賊の鍵ではないと開かんのじゃ。それも勇者殿が持って行ってしまわれたしの」

「勇者が?」

 フーガが問うと、町長は説明してくれた。

 なんでも、盗賊の鍵と言うのは先日アリアハン城にて捕まった盗賊、バコタの作った優れものの鍵であり、普通に鍵がかかった扉なら開けてしまうという代物らしい。その鍵をアリアハンの王宮魔術師が、彼の師匠にあたる賢者に預けた。その賢者の名がナジミであり、アリアハンの西の孤島にある塔――通称ナジミの塔に住んでいるのだそうだ。サタルは既に彼に会って、鍵をもらったようである。

 それを聞いて、なら諦めましょう、とカノンは大人しく引き下がった。

 それにしても、何故サタルは魔法の玉が欲しかったのだろう。フーガは考えた。それを持ってどうするつもりなのか。やはり戦闘で使うつもりなのだろうか。

 フーガは町長にそれを訊いてみた。すると、町長は言った。

「なんでも、旅のなんとかの封印を解くためとかなんとか」

 "旅の扉"か。彼はすぐにピンときた。

 しかし、"旅の扉"の封印というのは、一体どんな封印の仕方をしているのだろう。よく考えれば、自分はそれを知らないのだ。魔法の玉をもらっていったということは、サタルは封印がどんなものか知っているということだ。きっとアリアハン王から聞いて行ったのだろう。自分も聞いてくればよかった。

 フーガとカノンは、それだけ聞くと町長の家を出た。

 

 

 

 

 

「あ? 勇者様? それならもうとっくに封印を解いてロマリアに向かったよ」

 アリアハン東の"旅の扉"があるという洞窟――いざないの洞窟の傍で、フーガ達はレーベと似たような台詞を聞いていた。

 レーベの町長の話を聞いた後、フーガはカノンに付き合わされ、その隣に住む魔法の玉を作る老人の家に行った。町長の話通り、家の扉には鍵がかかっており、フーガはそれで諦めようとしたのだが、カノンは違った。何と彼女は鍵がかかっていることを確認した後、徐に懐から棒のようなものを数本取り出し、白昼堂々ピッキングを始めたのだ。

 フーガは焦りに焦った。

 彼は以前、カノン本人から彼女がもともと僧侶として修業を積んでいたと話は聞いていた。しかし、もと盗賊だったという話は聞いていない。

 フーガは自分が持てる限りの語彙力を総動員させて彼女を説得した。しかし、全く聞く耳を持たなかった。彼女が発してくれたのはただ一言、

「ここで諦めたら女が廃る」

だけだった。

 いや、廃らねーよ! とフーガは否定したが、それでも鍵穴をほじくる彼女を止めることはできなかった。

 結局カノンはひやひやするフーガを傍らに置きつつ、日が暮れるまでピッキングを続けたが開けられなかった。そして、やっと諦めてくれたのだった。

 その翌日、ピッキングに全力を尽くせて逆にすっきりしたらしいカノンを連れ、フーガはいざないの洞窟を目指してレーベを発った。

 そして、今に至る。

「それで、勇者はいつ頃ここに」

「うーん、一昨日だったかなぁ?」

 いざないの洞窟の傍では、樵の男が一人、黙々と木を切っていた。男はやはり勇者が通るのを見たらしい。

「いやぁ思ってたよりずっと優男だったよ。羨ましいねぇ」

 樵は豪快に笑った。フーガもあわせて曖昧に笑う。

 勇者を追っているこちらとすれば、それどころではないのだが。

「それより、その"旅の扉"に案内してくれない?」

 カノンがフーガの気持ちを代弁するかのように言った。実際のところ、戦士の思いを代弁する気など全くなく、男の顔なんて興味ないとでも思っているからだろうが。

 おぅ、悪ぃな嬢ちゃん、と樵が愛想良く言って、洞窟へと向かう。フーガ達もその後に続いた。

 洞窟へ入り、古びた階段を下りると少し広い空間が広がっていた。その向かって左側は、ぽっかりと大きな穴が空いている。そして、その穴に向かって一人の老人が座っていた。

「あれは?」

「近くの祠に住んでる爺さんだ。勇者様がいらっしゃった日の朝にひょっこり出て来て、勇者様に会った後からずっとああして座ってんだ」

 樵はそう言うと、老人に声をかけた。

「おい爺さん! あんたも勇者様見ただろ? この人達に詳しく話してやっとくれよ!」

 しかし、老人はこちらを全く見ようとしない。それどころか、ぴくりとも動かない。樵の声が聞こえていてもおかしくない距離なのに、だ。

 反応のない老人に背を向けると、樵は苦笑いをした。

「ずーっとああなんだよ。一昨日から。何か少し勇者様と話してたみたいだったから、あんたらとも話してくれると思ったんだけどなぁ」

「どんな話をしたのか気になるが……まぁ、仕方ない」

 フーガはもとからそれほど話を聞きたいとも思ってなかったので、別にがっかりしなかった。それに本人には悪いが、あの老人はあまり当てになりそうにない。

 樵は咳払いをすると、仕切り直した。

「そこにでっかい穴があるだろう? 実はもともと壁だったんだけどね、一昨日勇者様が壊していったのさ。この穴は勇者様が作ったもんなんだよ」

「どうやって?」

「うーん、何か変な丸いもん使ってたな」

 カノンにちらりと目をやると、彼女はぽつんと呟いた。

「魔法の玉か」

 なるほど、封印とは分厚い壁を作って"旅の扉"を封鎖することだったらしい。確かに、膨大な魔力なんかかけてたら大変だろうから、此方の方が生産的かもしれない。

 だからサタルは魔法の玉を持って行ったのか、とフーガは納得した。それにしても、魔法の玉とは凄い威力を持っていたものだ。自分は呪文に詳しくないから何とも言えないが、確か昔知り合いの魔法使いが爆発するような呪文を使っていた気がする。もしかしたら、それの類なのかもしれない。

「そうか、ありがとな。行くか、カノン」

「うん。じゃ」

 フーガは樵に軽く会釈すると、カノンを促して歩き出した。広間の中央近くに座る老人にも会釈して、穴を挟んで立つ銅像を眺めながら先を急ごうとした時だった。

「哀れな子じゃ」

 嗄れた低い声がした。

 カノンが素早く振り返る気配を感じて、フーガもそれにならった。

「哀れな子じゃ」

 老人がもう一度繰り返した。長く白い口髭が吐息で動かなければ、喋っていることさえ分からない。

「何が?」

 カノンが問いかけた。黒い大きな瞳が警戒の色を浮かべている。しかし、老人はこちらを向こうともせず、

「非常に賢い子じゃ」

とまた意味不明の一言を放った。老人の独り言は止まらない。

「賢い、本当に賢い子じゃ。時が時なら、賢者になっておったろうに」

 ぼさぼさの眉に隠れて見えない老人の目は、どこを見つめているのか。何か見つめているものがあるのか、それとも何もないのか。

 フーガは何故かたまらなくなって、口を挟んだ。

「爺さん、一体何が──」

「何という皮肉、何という残酷な運命よ」

 だが、老人はまたも無視して声を震わせて呟く。

「哀れな子、哀れで賢い子よ。主神なんぞ当てにしてはならんぞ。ぬしは一人で立たねばならん。行かねばならん。おお、願わくばぬしに真の理解者の現れんことを」

 老人はそれだけ言うと黙った。そして、初めて動きらしい動きをした。徐に立ち上がると、持っていた杖をつきつつ、足早に出口に向かって歩き出したのだ。その外見に似合わぬ速さだった。老人は呆然としている樵を無視して、階段をかくしゃくとした足取りで上っていく。そして、最後に完全に見えなくなる前に、くるりと顔だけこちらに向けた。

「哀れな子達よ」

 フーガは一瞬、老人の見えない眼差しに射抜かれた気がして、身を強ばらせた。

「道は、自分で切り開くのじゃ。もうぬしらは、その頃合いじゃろう」

 主神なんぞ当てにならんぞ。

 老人の言葉は、叫んでもいないのにしっかりとフーガ達の所まで届いた。

 そして音高く杖を突き、地上へと姿を消した。

 しばらくの間、いざないの洞窟には沈黙が横たわった。

「なんだったんだ、ありゃ」

 最初に口を開いたのは、老人に無視され続けた樵だった。そして、目をフーガ達へと向ける。

「あんたら、あの爺さんと知り合いだったんかい?」

「んなわけねぇだろ。初対面だ」

 フーガは、即座に否定した。あんな老人、会ったことがあるなら忘れるはずがない。

 カノンが急に背を向ける。

「おい、カノン」

「行こう。長居しすぎた。奴がだいぶ進んでしまってるかもしれない」

 その言葉で、戦士は今自分が受けている仕事内容を思い出した。そうだ、急がなければ。

「あ、ああ。行くか。悪かったな、おっさん」

「いやいや、気ぃつけてな」

 慌てて樵に手を振ると、先に歩き出していた小さな背中を追った。

「カノン、お前、あの爺さんのこと」

「どう思うか、って?」

 フーガが呼びかけると、カノンはこちらを見ずに答えた。

「まるで、あたし達に警告してるように思えたよ」

「そして俺達を待っていたようにも、な」

 カノンはそれに答えず、歩きながら足下の石を蹴った。面倒だ、とでも言いたそうに。

 

 

 

 

 

「勇者様は、昨日北のカザーブ村へ向かって旅立たれたそうだ」

 早くもうんざりしてきたらしいカノンが、やけに「様」を強調して言った。

 勇者捜索の旅が始まって、今日ではや五日となった。

 フーガ達はいざないの洞窟をあっさりと抜け、ロマリアに到着していた。いざないの洞窟の魔物を倒すくらい、二人にとっては造作もない。だから、抜けるのに一日もかからなかった。

 そうして着いたロマリアには、またしても勇者がいなかった。

 しかも、すれ違いで去ったと言う。 

「もうキメラの翼でカザーブまで飛んで、待ち伏せしない?」

 絶対言うと思った。

 フーガは愛用の剣を磨きながら、腹立たしげな武闘家に言う。

「待ち伏せしてて、カザーブにもし来なかったらどうするんだ。どうせカザーブは通りすがる予定なんだろ?」

「うん、そうらしいね」

 カノンはそう言うと、ロマリア城の門番に聞いて来たことを話し出した。

 今のロマリア国王、ヒッピアス九世は大変な遊び好きらしい。王子の頃から城を脱走してモンスター格闘場に行ったり、すごろく場に行ったりと城の人々を困らせてばかりいたが、大人になってもその癖が抜けず、相変わらずふらふらしているそうだ。

 そして、それが原因で、ある事件が起こった。

 いつもの如く王が脱走し、城の者が王探しに奔走している間に、城に賊が入ったというのだ。

「カンダタ盗賊団っていうらしいね。盗まれたのはロマリア王家に代々伝わる国宝、金の冠」

「ありきたりな名前だな」

「正式な名前があるらしいんだけど、面倒で誰も呼ばないんだって」

 とにかく、冠を盗まれて流石のヒッピアス九世も困った。普通の財宝なら放っておいたかもしれないが、盗まれたのは王家に代々伝わる由緒正しい代物。これは盗まれたままでは、王家の尊厳どころか存亡にも関わる。何とかして取り返さなければならない。

 しかし、相手は傍若無人、残虐非道で最近恐れられている盗賊団。一体どんな追っ手を差し向けたらいいかも分からない。

「そこで登場したのが、偶然通りかかった我等が勇者様ってわけさ」

「冠を取り返してくれたならそなたを真の勇者と認めよう、ってやつか」

「ま、そんなとこ」

 すらすらと言ったフーガに、カノンは苦笑した。

「しかも、我等が勇者様はそれを受けちゃったらしくってね」

「ああ、そんなお人好しだったのか」

「金欠だったらしいよ」

「あ?」

 なんでも、モンスター格闘場の前で腹を空かせてうずくまってるところを、これまた脱走中の王が見つけたらしい。飯を奢って金をくれてやると言ったら食い付いたという。

「……アホか」

 どうでもいいが、なんという駄目な出会い方をしているのだろう。頭が痛くなってきたのは気のせいだろうか。フーガは溜め息を吐いた。

「第一、なんで仲間もいない一人ぼっちの勇者に頼んじまうんだ」

「仲間がいるってご本人様が言ったらしいよ」

「まさか」

「いや本当に」

 宿屋の一室に、静寂が満ちた。ややあって、どちらともなく溜め息を吐く。

「どうする?」

「これ以上差をつけられんのはごめんだ。本当は一晩くらい泊まっていきたかったが仕方ない」

 追おう。

 そうフーガが宣言すると、カノンは無言で荷物をまとめに行った。

 

 

 

 

 

 バトルアックスが、固い甲羅で知られる軍隊蟹をいともたやすく一刀両断していく。楽々と斧を振るう戦士の背中を狙って、ポイズントードが跳んできた。そこにすかさずカノンが回し蹴りを放って片を付ける。

「こんなもんか」

 フーガが呟いて、バトルアックスについた血糊を拭った。カノンも黒い武道着を軽く整える。

「こう言っちゃなんだけど、軽いね」

「おいおい、これで手こずってたらどうすんだよ」

 フーガもカノンも世界各地を旅したことのある冒険者である。魔物の巣窟と言われるネクロゴンド地方の魔物は流石に厳しいが、そんじょそこらの魔物に負けないくらいの腕は持っていた。ロマリア地方の魔物くらい造作もなく倒せる。

 二人は倒した魔物の死骸をそのままにして、北を目指した。魔物は人間と体を構成する成分が違うせいなのか何なのか分からないが、普通の生き物の死骸より腐敗が進むのが速い。およそ二、三日で分解され、地面と同化する。だから、以前魔物を倒した場所を歩いていても死骸を見かけないのだ。

 二人は黙々と北を目指す。彼らが疲れているから、というのもこの沈黙の原因の一つだろうが、主たる理由はそれではない。

 彼らの目指す目標が近いと考えられるからである。

「ねぇ」

 やがて、カノンが前を行くフーガに声をかけた。フーガが振り返る。

「何だ?」

「あれ、何?」

 彼女の指差した先にあったのは、一軒の豪邸であった。屋根は金色に輝き、豪勢な花が庭に咲き乱れている。巨大な門の両脇では、サイコロを上に掲げた筋肉質の男の銅像が二つ、爽やかな笑顔を浮かべていた。

 フーガは目を細めた。

「ありゃすごろく場だな」

「ロマリアの王様が来てるってやつ?」

「そうかもな」

 曖昧に答えたフーガは、それを聞いたカノンの黒い目にちらりと炎のようなものが浮かぶのを見た。フーガがそれをいぶかしむ間はなかった。彼女はずんずんすごろく場に向かって歩き出したのだ。

「え、おい!」

 フーガは慌てて後を追う。

「どこ行くんだよ?」

「王様がいたら一発ぶん殴ってやる」 

 長身のフーガの急ぎ足でも追いつけない恐るべきスピードで歩きながら、カノンは堂々と言った。フーガはそれを聞いて、背筋が寒くなるのを感じた。

「お前、相手は仮にも一国の王だぞ!? 不敬罪なんかになったら」

「ならないように気をつける」

「どうやって」

「後ろから近付いて、こっちの顔を見られないうちに気絶させるとか」

 カノンの口調は普段と全く変わらない。自分の前を歩いているため表情も分からないが、多分それすらも変わってないだろう。

 しかしフーガはこれまでの付き合いから、こういう時の彼女は本気だと知っていた。

「そうすれば後は目隠しでもして、煮るなり焼くなり」

「頼むから命だけは奪うな!」

 ぽつりと言ったカノンに、フーガは懇願した。彼女が言うと、全く冗談に聞こえない。本当に煮たり焼いたりしそうだ。

 そうこうしているうちに、二人はすごろく場に着いた。この時点で、フーガはカノンの説得を諦めていた。カノンは一度言い出したことは決して引っ込めてくれない。だから、代わりにすごろく場にロマリア王がいないか、またはロマリア王がうまく気絶してくれることをひたすら祈ることにした。

 カノンが、やけに静かに扉を開けた。そして、フーガが彼女の後から建物内に入ったのを確認すると、きっちりと扉を閉めた。ガチャンという音すらしなかった。

 すごろく場の中は、その外装と同じく煌びやかだった。王城のものほどではないが高級そうな赤い絨毯がしいてあり、白い壁は傷一つない。あちらこちらに置いてある、老若男女様々な銅像がフーガ達を出迎えた。

「フーガは、このすごろく場には来たことないの?」

 突然、カノンが話しかけてきた。祈りに集中していたフーガは、一瞬きょとんとしてしまった。

「あ、ああ、ここには来たことないが、アッサラームのなら行ったことあるな」

「へぇー」

 どうにか返事をすると、カノンは全く彼を見ずに相槌を打った。黒い瞳はじっと前だけを見つめている。

 さっきから瞬きをしていないのは、フーガの気のせいだろうか。

「なぁカノン」

「何?」

「頼むからやりすぎるなよ」

 フーガはもう一度念を押した。しかし、カノンから返事が返ってこない。非常に話しかけづらいが、これだけは譲れないので、フーガは恐る恐る呼びかけた。

「カノン?」

 武闘家は振り返らない。また無視かと思った刹那、

「…………ふふっ」

 低い笑い声が聞こえてきた。

  笑った。カノンが笑った……!

 フーガの背を冷たいものが走り抜けた。普段滅多に声を出して笑わない彼女なだけに、余計怖い。フーガは今後のロマリア王の運命についていよいよ本格的に考え始めた。

 と、その時カノンがふっと立ち止まった。

「あれ何?」

 彼女の視線の先にあったのは、赤い絨毯の敷かれた台座だった。人一人が丁度立てそうだ。

「悪い、あれは知らねぇ」

 フーガは正直に言った。アッサラームには、あんなものはなかった。

 すると、ちょうどその時、台座の上の天井に穴が開いた。フーガが驚いて眺めていると、その穴から、すとんっと何かが落ちてきた。

 それは、人だった。青と白のしましまの服を着た、ぽっちゃり体型の男だ。頭に同じ青白の三角帽子を乗せている。真っ白な化粧を施された丸顔と、糸目に垂直に引かれた青いラインを見て、フーガは確信した。こいつ、遊び人だ。

 遊び人とは、ちょっと聞くとただの人の性格を表す言葉のように聞こえるが、実は違う。歴とした職業である。 

 ほとんどの者は街の雑技団に入ったり、カジノで働いていたりする。しかし、たまに普通の冒険者達に混ざって、街の外に――魔物のいる世界に飛び出す奴がいる。今では極稀だが(つまり、街の外にいるこいつはその珍しい例ということだ)。無論、最初のうちは戦闘では全く役に立たないらしいのだが、だんだん役に立ってくるのだと言う話である。

 フーガはそれについてはよく知らない。その話をしていた奴に、戦士みたいに腕力やら体力やらついて剣とか使えるようになるのか、と訊いたことがある。そうしたら、そいつに鼻で笑われた。少し腹が立ったのでモンスター格闘場で賭け合ってそいつの身ぐるみをほぼ全部剥いでやったのは、いい思い出である。

 天井から落ちてきた遊び人は得意気に両足をぴったりつけ、両手を指先までぴっと斜め45度上に上げている。その顔には満面の笑みがあった。

 何だこいつは? フーガが首を傾げていると、上から騒がしい音が聞こえてきた。

 音が右から近付いてくる気がしたのでそちらを向く。階段から派手な色がたくさん雪崩れ込んできた。

「ゆーうちゃーん!」

 派手な色達は叫びながらあの青い遊び人に駆け寄っていく。青い遊び人は実に嬉しそうだ。

 よく見ると、派手な色達は皆遊び人だった。赤白のしましまと、緑白のしましまと、黄白のしましまの服をそれぞれ身に纏っている。目がちかちかしそうだ。

 それにしても。改めて台座付近の四人を見やる。

 ぽっちゃりした色違いの遊び人が四人。

 とても、嫌だ。実践に不向きすぎて最悪にもほどがある。戦士四人より質が悪い。

 そんなフーガの胸中を知ってか知らずか、遊び人達は更に騒ぎ出した。

「すごぉいゆーちゃん!」

「これでもう十二回目のゴールじゃない!?」

「すごーいすごーい!」

 きゃいきゃいうるさいことこの上ない。

 それにしても、十二回もすごろくでゴールするとは確かに凄いかもしれない。しかし、どれだけ暇な奴らなんだろう。同じすごろくを十二回……いや、またはそれ以上もやるとは。

 だが、お陰で一つ分かったことがある。あの台座は上のすごろく場でゴールした者が一階に降りる場所なのだ。 

「これで分かっただろ?」

 フーガは一歩前に立つ少女に話しかけた。さすがのカノンも、異様な遊び人パーティーには意表を突かれたらしく、

「ああ……うん」

 先程までの殺気は感じられない。じっと遊び人達を見つめている。ロマリア王から気が逸れているようだ。

  もしかしたら、これでロマリア王暴行及び誘拐計画を止めてくれるかもしれない。

「そろそろカザーブに向かわないか? 暗くなったら厄介だぞ?」

 フーガは彼女の顔色を窺いつつ、なるべく普通に聞こえるように言った。

 さすがに、駄目だろうか。

「ああ……うん」

 しかし、カノンの返事は思いの外適当なものだった。まさに生返事、というような感じの雰囲気である。

「カノン?」

 さすがにおかしい。

 そう思ったフーガは、低い位置にある彼女の顔を覗き込んだ。

 上から見下ろした彼女の顔には、やはり感情があまり現れていない。しかし、その瞳は異様なほど強く、何かを見つめていた。

「おかしい」

 フーガがその視線の先を辿ろうとした刹那、カノンが呟いた。そして、あの遊び人四人パーティーの方を目指して迷わずつかつかと大股に歩き出した。

 まだ騒いでいる遊び人達は、迫り来る女武闘家に全く気付いていない。しかも、その足がだんだん早くなっていることも気付かない。

 遊び人達から僅か二メートルも離れていない所まできて、遂に彼女は走り出した。一目散に遊び人達に駆け寄り、目の前にいた黄色い遊び人を押しのける。

 そして、目にも留まらぬ速さで、一人の遊び人の胸倉を掴んで引っ張り出した。あのゴールした青い奴だ。

「おい! やめろカノン!」

「ちょっとっ! 何さ君は!?」

 フーガが叫んで走り出したのと、赤い遊び人がカノンに取り縋ろうとしたのが同時だった。

 それら全て無視してカノンは青い遊び人の腕を掴む。無表情に彼の顔を見つめた――と、思いきや。

「見ぃぃつけたぁぁぁ!」

 普段の彼女からは想像できないような大声で叫んで、彼を一本背負いで投げた。

「ゆーちゃんっ!」

 赤い遊び人が慌てて叫んだ。青い遊び人は足の方から床に叩きつけられた。その衝撃で帽子が外れる。

「誤魔化せるとでも思ったかい?」

 カノンは冷徹な瞳で青い遊び人を見下ろす。ゆーちゃんというらしい彼は、女武闘家を見上げた。分厚い化粧を施された顔には、冷や汗が流れているように見える。

 カノンはゆーちゃんの正面に回り込むと片膝をついて座った。青い遊び人は彼女の迫力に押されて、後ずさりしようとする。

「逃げるんじゃないよ」

 カノンは低く脅しをかけた。遊び人の体がびくりと跳ねる。

 カノンは両手を遊び人の白い頬に添えた。そして、添えた手をそのまま上に上げると

「……あちゃぁ」

 赤い遊び人が呟いて、頭を掻いた。

 ――頭が、すっぽ抜けた。

 そしてその下から違う頭が現れる。

 太っていない顔、甘い顔立ち、澄んだ碧眼、銀のサークル、黒く短い髪。

「マジかよ」

 フーガはぼそっと呟いた。他の遊び人連中は気まずげな顔をしている。

「ごめん、テンちゃん」

 青い遊び人が初めて口を開いた。男にしては高めの、澄んだ声。

「バレちゃった」

 青い遊び人――サタル・ジャスティヌスは苦笑いをした。

 

 

 

 

 

「改めまして、サタル・ジャスティヌスです。こっちは今俺に同行してくれてる、遊び人のテンちゃん」

「テングだよ。ゆーちゃんの大親友なんでよろしく」

 通称、勇者サタルはそう言ってにこやかに挨拶した。その隣の赤い遊び人――テングも同様ににこやかだ。まぁ、遊び人はたいていそのメイクのせいで笑い顔に見えるものなのだが。

 夜になってしまい、すごろく場を閉めるというので、フーガ達とサタル達は近くの林で野宿をすることにした。暗くなってきたので、今は燃え盛る薪を囲んでいる。

「フーガだ。アリアハン国王の依頼でお前を追ってきた。こいつは連れのカノン」

 フーガは名乗ると、カノンを紹介した。カノンは軽く頭を下げただけだった。

「お二人は恋人か何かで?」

「いや、ただの旅の仲間だ。それから敬語はいらない。いつも通り話してくれ」

 分かった、とサタルはやはりにこにこしている。

   ――こいつ、反省してんのか?

 先程まで全く勇者に見えない格好をして、下手すればフーガ達を騙しているような状況だったのに、反省の色があまり見られない。

「なんであんな変装なんかしてたの」

 カノンが口を開いた。大きな瞳は目の前にいる勇者を睨んでいる。

「もう少しで気付かないまま通り過ぎて、見つけられないところだった」

「逆に聞きたいんだけど、カノンちゃん」

 笑顔の勇者の言葉に、カノンは眉をひそめた。もう少しで、「気持ち悪い」とか言いそうな顔だ。しかしサタルは全く気にせず、続けた。

「どうして俺が変装してるって気付いたの?」

「"あんたが変装してる"って気付いたわけじゃない。"あの青い遊び人はおかしい"って思ったんだ」

 サタルは首を傾げた。カノンが、ぶっきらぼうに答える。

「最初にあんたが天井から落ちてきた時、あんたの腹はあんなに太ってるように見えたのに、揺れもしなかった。その後観察しててもやっぱり揺れなかった。しかもよく見たら他にも変なところがいっぱいあった……それだけさ」

「ああ、脂肪に見せてたのは綿だったからな。だそうだよ、テンちゃん」

「うー、次は負けない!」

 テングは叫んだ。何に負けた気でいるのだろう。まさか、あの遊び人スーツは自分で作ったとでも言うのだろうか。

「ちなみに、その他にもってのは具体的には?」

「微妙に動きが変だったりとか、触った時の頬の肌の感触が生きた人間の感じじゃなかったりとか」

「おっかねぇな」

 サタルは苦笑いした。確かに、そんなところなど普通は見ない。動体視力、観察力、注意深さ。どれにしても、凄いことには変わりない。

「そんなもんでいいか? サタル」

 ここで、フーガはサタルに問いかけた。澄んだ瞳が、黒ずんだ瞳を捕らえる。

「お前には、いったんアリアハンに戻ってもらう。ルイーダの酒場で仲間を探せと言われていただろう?」

 サタルの顔から、ふっと一切の笑みが消えた。途端、表情の甘さが抜けて、勇者らしさが際立つ。

 今のサタルの服装は、すごろく場での遊び人の格好ではない。大きく襟ぐりの開いた青いシャツの下に、山吹の長袖アンダーシャツを着ている。ズボンもシャツと同色で濃紫の地味なマントを纏っており、腰にはすごろくの戦利品らしい鋼鉄の剣を差していた。

 冒険初心者にしては着なれている印象がある。

「陛下には申し訳ないけど、俺は仲間を連れて行かないって決めたんだ」

 サタルは静かな声で、きっぱり言い放った。

  何だ? フーガは戸惑いを感じた。

 普段の彼だったら、甘ったれたことを言うな、世界はそんなに甘くない、と説教をするところだ。何せ、サタルは、認定試験をパスしたとはいえ、冒険初心者なのだから。

 しかし何かおかしいのだ。今それを彼に言うのは、適していない気がする。

「一人でバラモスを倒すつもり?」

 カノンが静かに問う。サタルはそれに対して、ゆるゆると首を振った。

「いや、決まった仲間は作らないつもりだ。行った先々で募る」

「何でそんなめんどくせぇことを」

「色んな人に会った方が器がデカくなるぞーって、爺ちゃんが言ってたから」

 フーガは思わずサタルの顔を見つめた。至極真面目な顔をしている。

 こいつは本気で言ってるのだろうのか? あの強敵、魔王バラモスを倒すのに、自分のあまり信頼できていない仲間を連れて行く。しかも時と場合によっては、仲間が集まらず全くバランスのとれていないパーティーでバラモスを倒しに行かなければならないかもしれないのだ。

 そんな危ういことをする動機は、『爺ちゃんが色んな人に会った方が器がデカくなるぞー』と言ったこと?

  正直、信じがたい。

 そんなことを言うなんて、他に隠している理由があるのか、よっぽどボケた性格をしているのかのどちらかだ。

 だが、問いただしても分かるはずがない。この少年が一日で勇者認定試験をクリアしたことや、仲間を連れず旅立ったことなどは、その現場を見ていれば確かめられるだろうが、たとえフーガがその様子を見られていたとしても、現在の心のうちまでは分からないだろう。 

「俺を連れて行ってみないか?」

 自分でも大して考えないうちに、彼はそう口に出していた。サタルが形の良い眉を上げ、カノンがこちらを向く気配がする。

 多分、こいつはどうしてしまったのだろうとでも考えているのだ。はっきり言って、自分でもどうかしていると思う。こんな軽い調子で、魔王退治に志願するなんておかしい。

 しかし、フーガは気になってしまったのだ。

 この少年が大物なのかうつけなのか、そして、彼が仲間を連れて行きたくない理由は何なのか。

「じゃあ、あたしも連れて行ってみない?」

 カノンが立候補した。フーガは彼女を見る。幼い顔は、ひたむきに若き勇者を見つめていた。 

「足手まといになるつもりはないけど、もしそうなるようだったら仲間から外してもらって構わないよ。あたしはこう見えて回復呪文も使えるんでね」

「俺も、足手まといになった場合には外してくれていい。呪文はからきし駄目だが、剣と斧なら少しは役立てるはずだ」

 サタルは、突然の申し出に少々面食らったようだった。

 勇者は額に手を当てると何事か考え出した。再びその整った顔を上げたのは、しばらく時間が経ってからのことだった。

「駄目だ」

 きっぱりそう言い切った。 

「貴方達には、帰りを待つ人がいるんだろう?」

「いないよ」「いねぇよ」

 カノンとフーガが答えるのは同時だった。

 思わぬ切り返しにサタルは戸惑ったようだった。

「故郷は?」

「ないね」「ねぇ」

 どうにか絞り出すように言ったサタルに、二人はまた同時に即答する。

(カノンを選んでおいて正解だったな)

 フーガは内心で頷く。ルイーダの酒場にて任務の内容を考慮しつつ仲間を選んでいた時、フーガは友人たちに説明した選考基準とは別の基準を一つ、心中に持っていた。

 それは、所属する集団や場所が無いということだった。

 一国の王の命令は重い。さらに、行方不明者の捜索となると、どれだけの時間がかかるか分からない。だから、家族や故郷、所属組織のある人間を選ぶと、フーガにとってもその人間にとってもデメリットが大きい。

 そのため、フーガはルイーダの名簿を見ながら、第一基準である回復手段を持つ前線に立てる人間を探しながら、第二基準を満たす人間を探したのである。そうして、唯一両方の条件を満たす人間が、カノンだったのだ。

「だから、どこで野垂れ死んだって平気だぜ? 気ままな一人旅ばかりしてきたからな」

 フーガの言葉に、サタルは黙り込んだ。難しい顔をしている。おそらく、他に自分を追ってきた二人を帰す口実を探しているのだ。

 どうして連れて行きたくないのだろう。そこまでして、彼の祖父の言ったことを守りたいのか。

「一緒に行きなよ、ゆーちゃん」

 そう言ったのは、意外なことにテングだった。厚化粧をした顔は、やはりこんな時でも笑っているように見える。

「テンちゃん」

「ずっと一緒の仲間ってのも、悪くないと思うよ。二人ともなかなか良さそうだし。ねぇ?」

 何が良さそうなのか分からないが、テングは仲間を連れて行くことに賛成らしい。言っていることも、あながち的外れではない。奇抜な格好に見合った変な人物だとばかり思っていたが、そうでもないようだ。フーガは自分の中のテングの人物像を改めた。

「分かった」

 ややあって、若き勇者は言った。

「陛下のこともある。二人に、俺の旅について来て欲しい。ただし、一つだけ、約束してくれ」

 カノンが僅かに身を乗り出した。

 サタルは、ゆっくりと言った。

「絶対に、何があっても──例え世界が滅びかけても──絶対に、死なないこと」

 いいよな? と、少年勇者は言った。そして、笑った。

 どこか楽しげに、寂しげに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから! そうじゃないんだってば!」

 サタルはもう一度拳を強く振るった。

「この薬草は傷口に貼るんでいいんだって! で、こっちのは辛子と一緒にあえる! いい? 分かった?」

「いや、これだけは譲らないよ」

 カノンが力説した勇者をきっと睨んだ。

「それは事前にすり潰しといて飲むんだ。それからこれは辛子と一緒にあえるんじゃない、細かく千切って砂糖と一緒に煮詰めるんだ」

「そんな微妙な食い方するかよ! 砂糖とか、おかしいって」

「いや、辛子の方が変だね。そんな普通の菜っ葉みたいな食べ方しないよ」

「そもそも薬草だって植物だし菜っ葉だ! 同じような調理法でいいじゃないか!」

「うるさい。素人は黙ってな!」

 遂に声を荒げた武闘家に、更に自分の意見を主張する勇者。

 我関せずと小鳥と野を駆け回る遊び人。そして、うんざりしながら少年少女を見ている戦士。

 フーガは三日にして、早くも勇者の魔王討伐パーティーに加わったことを後悔していた。

 最初の一日目はまだ良かった。お互い初対面で、まだ様子を窺っていたからだ(ただし、テングだけは例外である。奴はいかなる時も周りを気にせず、手品の修行に明け暮れたり、蝶々を追いかけたりしていた)。

 異変が起きたのは二日目だった。いや、正確には二日目の未明と言うべきか。

 フーガは深い眠りについていた。長年の放浪生活のお陰で、フーガは寝たいときに瞬間的に深い眠りに落ち、起きるべき時には一気にばっと目が覚めることができる。その日もそれが発揮された。

 悲鳴が聞こえた気がしたのだ。

「どうしたッ」

 フーガはすぐに飛び起きて、枕元の剣を手に取った。斧は剣より重いぶん、手に取るのに時間がかかるから枕元に置くのはいつも剣にしている。間を置かず鞘から刀身を抜きはなった。

 薪の残り火が、辺りを薄暗い橙色に染めている。そのぱち、ぱちという音がやけに大きく聞こえた。

 悲鳴の声は高かった。

  カノンだろうか。しかし、戦士は一度も彼女が悲鳴らしい悲鳴をあげたのを聞いたことがない。何せ、奴は以前外見のグロい昆虫を平然とナイフ投げで射殺し、「これ、炒めれば食べられそうじゃないか?」と言った女だ。それが女らしい悲鳴をあげるとは、俄には信じ難い。

 見ると、フーガの足元でテングが寝袋にくるまって丸くなって寝ている。こいつはまず関係ないだろう。

 次に、他の二人の寝床を確認する。やはり空だ。月の傾き具合を見るに、ちょうどカノンとサタルが見張りを交代する時間かもしれない。

  まさか。嫌な予感がした。

 ふっと、森の暗闇から白いものが浮かび上がった。

「……!」

 剣を中段に構えた。反射的に足を肩幅に踏み開く。全身に緊張が走るのを感じた。

 だが。

「何、警戒してんの」

 黒い森からぼうっと現れたのは、カノン本人だった。心なしか、表情が不機嫌そうだ。

 フーガの全身から、一気に力が抜けた。

 でも、どこか違和感がある。

「何だ。無事だったか」

「無事って何?」

 フーガが悲鳴が聞こえた話をすると、カノンの顔が不機嫌さを増した。 

「あたしは悲鳴なんかあげてないよ。空耳だね」

「そうか」

 ならいいが、とフーガが呟くのを待たず、カノンはさっさと寝床へと歩いて行ってしまった。長い、真っ直ぐな黒髪をなびかせて。

  ……髪?

 フーガは振り返った。そして、違和感の正体を知った。カノンの長い黒髪は、いつものように結わえられていなかったのだ。

「何か用?」

 フーガの視線に気付いたカノンが、眉間にしわを寄せながら睨みつけた。フーガは慌てて否定する。

「いや、別に」

「じゃ、おやすみ」

 それだけ言うと、無愛想な女武闘家は寝袋にくるまって横になってしまった。ピリピリした雰囲気がその小さな背中から伝わってくる。

 フーガは少しの間彼女の背中を見つめていたが、振り返ると彼女が歩いてきた方向に向かって歩き出した。真っ暗な森に足を踏み入れる。梟の声が聞こえ、遠くの方で何かの遠吠えが聞こえる。狼なら良いが、もしかしたらアニマルゾンビかもしれない。夜に会うのはごめんだ。

 ガサガサ、と茂みの擦れ合う音が聞こえた。フーガは迷わずその音源を探る。それが自分に被害を及ぼさないことなど、とっくに分かり切っていた。

 そして、いとも簡単に彼は目的のものを見つけた。

「おーい、大丈夫かー?」

 茂みの陰で、一人の少年がうずくまっている。両手を腹に当て、体を丸くなるようにして。

「……大丈夫かー……? って、他人事、だな……」

「まぁ、事実だろ?」

 腹が痛いのは俺じゃない、と言って、うずくまっているサタルの肩をフーガは軽く叩いた。サタルはうっ、と呻いた。

「くそ……信じらんね……あいつ、本気で蹴りやがった……」

「あーあ。お前蹴られたの。ご愁傷様」

「やっぱ武闘家だ、な……呼吸止まるかと思った……」

「あいつの蹴りくらって生きてられてるだけ、運良かったと思え」

 やはり戦士の予想通り、この勇者はあの武闘家に蹴られたらしい。多分この様子から考えるに、奴の得意な跳び蹴りか何かだろう。

「で? 何したんだ? お前」

「え?」

   フーガはしゃがんだまま問いかけた。サタルが透き通った目でフーガを見上げる。その顔は、幼い子供のようにきょとんとしていた。

「あいつはな、確かに無愛想だし、目上にもタメ口きいたりするけど、会って間もない奴を蹴るようなことは、滅多にしないぞ」

「……別に何もしてない」

 サタルはそう答えると、上体を起こしながら苦しそうに呻いた。眉間に皺が寄る。どうやら、まだ蹴られた腹が痛むらしい。

「普通に話しかけただけなのに」 

 何やらぶつぶつ呟いている。俯いていて表情は分からない。だが、声色から察するに不満なのだろう。何が不満なのかは知らないが。

「あ、なぁ」

 突然、サタルが何か思い出したように顔を上げた。フーガは首を傾げてみせる。

「何だ?」

「カノンって俺より一つ年上って本当?」

「ああ、そうらしいな」

 フーガは頷いた。カノンは――あの武闘家は、身長こそ小さいが、アリアハンの基準で言えばもう成人なのである。旅に出ることを許されているあたりからして、おそらく彼女の故郷でももう既に成人として認められているのだろう。

 サタルはふぅん、と曖昧に頷いた。足を組んで上体を前後に揺らしている。

「そっか、年上かぁ……あれでねぇ」

 勇者は独り言のように呟いた。

 あれ、とは何なのだろう。フーガは少し考えて、すぐに思いついた。身長か。すぐに思いついたなんて言ったら、きっとあいつは怒るだろうな、とフーガは心の中で苦笑した。

 その後サタルは見張りにつき、フーガは再び寝床に戻り、すぐに深い眠りについた。

 フーガが、その日何があったかもっと聞けば良かったと思ったのは翌日である。

 翌日から、カノンはサタルにことあるごとにつっかかるようになった。出会ってから二日と経っていないのに、だ。

 紛いなりにも魔王を倒しに行くはずのパーティーが、これでいいのか?

 今日の薬草についてもそうだ。最初にカノンがつっかかってきて、サタルがそれを受けた。ちなみに二人はまだ薬草の煎じ方について議論している。フーガはいい加減うんざりしてきた。 

「おい、お前らいい加減にしろよ」

 遂に堪えきれなくなって、フーガは口を挟んだ。二人が同時にこちらを見る。

「薬草の煎じ方なんて、今はどうでもいいだろうが。第一、うちのパーティーには回復呪文使える奴がいる。そこまでこだわらなくても、別にいいだろ」

 でも、となおも何か言おうとするのを軽く睨みつけて遮る。

 もうどうでもいい言い合いはごめんだ。

「いいか、そこまでして知りたいならよく聞け。サタルが持ってるその薬草はな、一般的によく道具屋で売ってるやつで、だいたいの症状に効能がある。すり潰して傷口に塗って布でも巻けば切り傷、火傷に効く。そのまま患部に貼り付ければ打ち身、打撲の応急手当てにもなる。刻んで和えたり、煮詰めたりするのは風邪にいいんだ。薬草は消化もいいからな」

 フーガの口からぺらぺらと出て来た薬草の知識に、サタルもカノンも唖然としている。

「で、カノンのそれはサタルのより色んな症状に効く訳じゃないが、強い冷却剤代わりになる。よく高い山に生えてて、冷却効果が強いらしい。唐辛子みたいにつんとくる感じもある。だから、間違えても食うなよ。食えないこともないが、不味いし激辛だ」

 一気に言い切ると、フーガは溜め息を吐いた。腕を組むと、身に纏った鎧がガシャ、と音を立てた。

「満足したか?」

「……はい」

「……うん」

「分かったら、もう下らねぇことで喧嘩すんじゃねぇぞ。戦闘に支障が出る」

 戦士の鋭い一睨みに、まだ若い勇者と武闘家はこっくりと頷いた。少し反省しているらしい。

 取りあえず、一件落着か。

 フーガが内心ほっとしていると、遠くの方で「無限に広がる大宇宙!」と叫ぶ声が聞こえた。テングだ。野原でくるくる回りながら跳ねている。

 あいつは、まぁどうでもいいか。

「フーガ、薬草に詳しいんだね」

「ああ、呪文使えねぇからな。何でも一人でやってきたし」

 まぁ回復呪文使える奴と旅してる時はそいつの呪文に頼ってたけどな、とフーガは笑った。さすが、とつられたようにサタルも少し笑った。そして、ぽつりと呟いた。

「実は、俺も呪文を使えないんだ」 

 表情に、どこか自嘲の色が見られる。

 そう言えば。フーガは気がついた。昨日の戦闘でも一昨日のでも、サタルが呪文を使うのを見たことがない。いつも剣を振るっていた。フーガはてっきり魔力を温存しているのかと思ったが、違ったらしい。

「そうなのか?」

「ああ」

 サタルは決まり悪そうに頭を掻いた。短い黒髪が揺れる。

「父が魔法を使えたらしいから、俺も手解きは受けたんだよ。だけど……」

 そう言うと、サタルは右手の人差し指を立てた。

「宿りしは赤き炎。生命の象徴は今生命を滅さん――"メラ"」

 サタルはどこか歌うように唱えた。流暢な発音には、どこも間違ったところはない。

 しかし、その指先に炎が灯ることはなかった。

「魔力がないのか」

「多分そうなんだろうな。俺は、父とは違って呪文が使えないんだ」

 出来損ないの勇者さ。

 サタルはぽつんと呟くと、寂しそうに笑った。十六歳の少年には似つかわしくない、乾いた微笑み。

「さぁ、行こうぜ。もうすぐカザーブだろ?」

 次の瞬間、眉が下がり気味だったのが綺麗に三日月形を描いた。寂しげな光りは明るさにがらりと変わって、瞳に宿る。

 サタルはいつもの笑顔を見せつけるように、一回くるりと軽やかに回って見せた。腰に差した剣を確認する。そして、先に向かって歩き出した。マントが風に舞う。

「勇者の称号が、重いか」

 何か言おうか迷っているうちに、フーガの口から出たのはそんな言葉だった。

  何でまたそんな。戦士は焦った。今の無意識の言葉で、サタルを傷付けてしまったかもしれない、と。

「いや、重くないよ」

 しかしサタルからの返事は意外にも早く、軽いものだった。こちらを振り返らず、変わらぬ足取りで前に進みながら言う。

「俺は、勇者の称号が嫌なんじゃないんだ。寧ろ」

 サタルの表情は窺えない。颯爽と歩いていく。

「嬉しいよ。そんな希望に満ちた称号で、俺を呼んでくれて」

 フーガは口を開きかけた。謝罪の言葉を言いたかったのか、慰めの言葉を言いたかったのか、それとも、その言葉の意味を問いたかったのか。自分でもよく分からなかった。

 しかし、ちょうどその時少し離れていたカノンや、どこかにいきかけていたテングが帰ってきたので、結局何も言えなかった。

 やがて、目の前に微かに村が見え始めた。レーベより随分地味な、田舎の村だ。フーガはすでに何度も来たことがある。

「あれが、カザーブ村だ」

「あれが」

 サタルが目を細めた。フーガと同じく来たことがあるだろうカノンは、特に感慨なさげである。テングに至っては論外だ。いつも笑っているような顔だから分からないし、今は自分の武器である鞭を見て、やたら盛り上がっている。

「確か金の冠を取り返すために、カンダタを倒すんだろ?」

「うん、ロマリア王に頼まれた」

「どうしようもないお人好しだね」

 容赦なく言い放ったカノンに、サタルは苦笑で返す。

「いや、案外悪いことばかりじゃねぇよ」

「じゃあ何で? 他国の事情に口を突っ込むなんて、厄介ごとでしかないと思うけど」

「うーん、そうかもしれないけど」

 ほら、分かんない? とサタルは嬉しそうに笑った。

「ロマリア王に恩が売れるだろ?」

 フーガは呆れた。カンダタ盗賊団は、フーガら程度のレベルの冒険者にとってならば、それほど恐れるべき存在ではない。しかしサタルは初心者だ。ひどく手間取るだろう。さらに退治しに行くには、回り道をしなければならない。回り道をすれば当然、手間もリスクもさらに増える。冒険初心者がする判断としては、無謀と言わざるをえない。

「お前、本気で言ってるのか?」

 溜め息混じりに戦士は言った。やはりこの勇者はただの世間知らずなのかもしれない。

「勿論だよ」

 少年は、考えてもみてよ、と歌うように続けた。

「今のロマリア王は、政務から逃げて遊んでばかりいる。国民からの不満の声は多い。だから、いつ国民が反乱を起こしても、政敵が暗殺を企てても不思議じゃないと俺は思ってる。それがまだ起こらず政権が保ててるのは、まだ国民の生活が苦しくないからなのと、王の重臣達が色々苦労してくれてるからだろうな」

「さて、こんなギリギリの状態で『王様の脱走騒動に気を取られて、大事な王冠盗られちゃいましたー』なんて言ってみろよ。国民からの信頼はがた落ちだ。そしたら、国に何が起こるだろうなぁ。まぁ、王座を狙う奴らは増えるだろうな」

「そう考えた国の重臣達は、冠騒動の情報が出回るのを必死で抑えた。でも、いつまで隠してられるか分かったもんじゃない。一刻も早く王冠を取り戻したいけど、兵士を何十人も派遣すると怪しまれる。だけど数人じゃカンダタ盗賊団に立ち向かえるかわからない。そんな時に登場したのが」

 サタルは、親指をぐっと自分の方に向けた。

「この俺。かの有名な勇者オルテガの息子。勇者の息子だし、何となく腕立ちそうだろ? しかも仲間付き。おまけにまだ旅立ったばかりであまり顔も知られていない。これは使える、と重臣達はピンときた。それで俺に斯く斯く然々でと事細かに事情を話して、頼み込んだ。すると正義感の強い勇者様は、二つ返事で受けてくれた」

 勇者様万歳、勇者様万歳! ってわけよ。

 サタルは万歳をした。それで、動機説明は終わったつもりらしかった。ふと横を見ると、カノンがぽかんと口を開けてよく喋る勇者を見つめている。こいつ、理解できているのだろうか。 

「つまりお前、王様脱走騒動が王冠盗難事件の原因だってネタで、ロマリア王を強請る気だな?」

 分かったことを言ってやる。すると、勇者がにやりと笑った。

「だーいせーいかーい!」

 フーガは笑顔の少年を凝視した。少年はそのまま小首を傾げた。彼に、何か言いたいことでも? と言うかのように。

「それで何をもらうつもりだ?」

 フーガは尋ねた。サタルはそれまで傾けていたのとは反対側に首を傾けた。うーんとうなる。

「特に決まってないよ」

 意外にもあっさりと答えるので、フーガは拍子抜けする。

「じゃあ、そんなに嬉しそうなんだ」

「だって、よっぽどのものじゃなければ、何にでも使えるだろ?」

 なるほどな、とフーガは納得した。どうやら、彼は今すぐ使うというつもりはないらしい。来たるべき時まで待つ方針のようだ。

「あんた」

 すると、それまでずっと黙っていたカノンが口を開いた。依然としていつもの無表情である。

「ホントに勇者なの?」

 サタルは首を傾げた。彼女の言っている意味が分かったフーガは、慌てて諫める。

「おい、幾ら何でも」

「あたしは勇者ってのはもっと人徳のある、誠実で善良な人間のことを言うもんだと思ってたんだけどね」

 カノンはフーガの諫める声を無視した。歯に衣を着せるという言葉を知らない武闘家は、言葉を続ける。

「あんた、全然誠実でも善良でもなければ、謙虚でもないじゃん。本当に勇者なのか疑問だね」

 武闘家の毒舌に、サタルは軽く肩をすくめた。

「俺が勇者かどうかなんて、どうでもいいよ。呼びたい人が呼べばいいんじゃない?」

 さらりと言ってのける。それから、と更に続けた。

「もちろん、卑怯者と言いたいなら言ってもいいよ。否定はしない」

 そう言って、甘い顔立ちで笑みを形作った。対して、カノンは眉根を寄せる。

「変な奴」

「何とでも言えばいいさ。俺はあの時、飯が食えれば良かったんだから」

「……は?」

 さり気なく付け加えられた言葉に、今度はフーガが引っかかった。

 今、こいつは何と言った?

「お前、飯って」

「だってー、依頼受けなきゃ飯奢ってやんないって言うんだよー? しかも受ければいっぱい金くれるって言うしー。受けなきゃ損だろ、これ」

 頬を膨らませて言う通称勇者に、戦士は全身から力が抜けるのを感じた。

 つまり、こいつはただ飯のためだけに要求を飲んだのだ。先程のはもっともらしいこじつけで、最初からそこまで考えて任務を受けたわけではなかったのだ。

  つまるところ、ただのアホなのである。

 フーガの考えがまとまったところで、一行はカザーブ村に着いたのだった。

 

 

 

 

 

 カザーブ村はどこかレーベに似た雰囲気を持つ静かな村だった。家はそれほど豪華なものではないし、かと言ってさびれた様子でもない。つまり、ごく普通の農村だった。

 宿に着き、荷物を部屋に置いてすぐにフーガ達は話し合いを始めた。場所は男三人の泊まる部屋、議題は今後の動向についてである。

「さて」

 まず口を開いたのは、この中で一番旅慣れているフーガだ。どかりとあぐらをかいて、パーティーを見回した。そして、その視線が一点で止まる。

「これからどうするつもりだったのか、教えてくれるか」

 フーガに尋ねられたサタルは、その瞳を戦士から逸らさずに答えた。

「カンダタ盗賊団がねぐらにしてるっていう、シャンパーニの塔に乗り込もうと思ってた」

「シャンパーニの塔っていうと、ここから南西にあるあそこだな」

 フーガの言葉に無言で頷く。

 シャンパーニの塔と言えば、昔から盗賊達が住処として使ってきたということで有名な塔だ。盗賊達と言っても盗賊全てではなく、中でも質の悪い連中ばかりが集まって暮らしているという。冒険者達の間でも、そこにだけは近寄らないという暗黙の了解が成り立っている。近付いて下手なことになったら厄介だからだ。

「ちなみに聞きたいんだが」

 フーガは、ここで少し気になっていたことを尋ねた。

「俺達に会わなかったら、あのすごろく場で組んでた遊び人パーティーで行くつもりだったのか?」

「いや、違うよ」

 サタルは意外にも否定した。

「あの二人はすごろく場で会っただけ。本当は俺とテンちゃんの二人で行くつもりだったんだ」

「どっちにしても随分心強いメンバーだね」

 カノンが嫌味を言った。サタルは曖昧に笑って、そうだねと肯定した。皮肉られていることを分かっているのだろうか。少なくとも、先程からお手玉を縫っているテングは分かっていなさそうだ。と言うより、周りの様子だって分かっているかどうか怪しい。

「で、他に何かカンダタ盗賊団について知ってることはないか?」

 このままではいつも通りサタルとカノンが言い合いを始めると察したフーガは、さり気なく話を変えた。それにまたサタルが答える。

「分かってることが三つある。一つ目。カンダタ盗賊団は四人組であること。各地に出没しているのを見ると、いつも同じ面子らしいから。二つ目。最近やることが酷くなってきたこと。昔はちょっとしたスリだけだったんだが、だんだん密輸とか人身売買とか、やばいものも扱うようになったらしい。三つ目。リーダーが露出狂の才能を開花させたこと」

「……ろ?」

 フーガは空耳かと思って、聞き返した。サタルが大真面目な顔で返す。

「だから、露出狂だってば。最近は覆面と下着だけでうろついてるんだって」

「気色悪っ」

 カノンがぼそっと呟いた。先程から酷いことしか言わない武闘家である。しかし、こればかりはフーガも賛成だった。

 別に自分の家の中なら勝手にすればいい。だが、外──しかも魔物がうろついている街の外でその格好とは、馬鹿以外の何者でもない。むしろ、馬鹿を通り越して勇者かもしれない。

「で、その変態率いる盗賊団から金の冠を奪還すればいいわけか」

「そうそう」

「んー、じゃあどうするか」

「何が?」

「お前、忘れたのか? 俺達、もともとアリアハン王の依頼でこいつを追ってたんだぞ? 一言くらい報告に行かないとまずいだろうが」

「あ、そうか」

 顎で例の勇者を指し示してやれば、彼はやぁ照れるなぁと言って笑った。わけがわからない。何が照れるなぁ、だ。

 一方、女武闘家はすっかり忘れていたらしい。ぽん、と手を打ち合わせた。

「俺達がアリアハン行ってくるまで、待てるか?」

「え? 盗賊退治、ついて来てくれんの?」

「当たり前だ。こんな頼りない面子で行かせられるわけねぇだろ」

 目を輝かせたサタルに、フーガはぴしゃりと言った。しかし、浮かれた勇者は聞いていない。

「やったよテンちゃん! フーガ達が倒してくれるって!」

「おい、俺達に全部任せっきりにするつもりか!」

「ほんとー!? ありがとうフーちゃん!」

「おわっ、やめろ馬鹿気持ち悪い! 引っ込め!」

 勇者の浮かれ具合が遊び人にも伝染したようだ。ただでさえも浮かれている遊び人は、更にハイテンションになってフーガに飛びつこうとした。戦士が持ち前の運動神経でかわすと、そのまま歩伏前進で接近してきた。しかも案外素早い。蜘蛛のようだ。

「フーガ」

 周りが騒がしい中、一人だけテンションが低いカノンはテングを睨みつけている戦士に声をかけた。

「何だよ」

「アリアハン行くの、あたしも行かなきゃ駄目?」

「あ?」

 思わず見やれば、気怠げな瞳とぶつかった。

 こいつがこういう目する時は、たいてい。

「めんどい。任せていい?」

「あー、はい」

 絶対こう来ると思った。しかし、カノンは自分が引きずり込んだようなものだから、無理強いはできない。

「早めに戻ってくるから、ちゃんと待ってろよ」

 フーガは荷物の袋からキメラの翼を二枚取り出すと、剣と斧を身に着けた。その疲れた後ろ姿を見ながら、サタルが言った。

「あんたも大変だな」

「お前が言うな」

 戦士はじとりと若き勇者を睨むと、後ろ手にドアを閉めた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「ねぇカノン」

「何?」

「この後、カノンはどうするの?」

 カノンは顔の筋肉を総動員させて、自分ができる限りの、非常に嫌そうな顔をした。

「何であたしが、あんたにそんな事教えなきゃなんないの」

「君ね、女の子はそういう顔するものじゃないと思うよ」

「余計なお世話だ」

「折角──」

「うるさい。あんたが話すの聞いてると苛々する」

 言い切れば、流石の勇者も黙り込んだ。少々心の奥底が痛んだが無視して、そのまま部屋を出た。

 自分の借りた部屋の扉を閉め、溜め息を吐く。安堵する反面、突き放してきてしまった彼を思い、罪悪感が押し寄せてくる。

 何故だろう。ベッドに倒れ込みながら顔をしかめた。人付き合いが上手くできていない方だという自覚はある。それでも社交辞令くらいは言える。話を合わせて、愛想笑いくらいはできるのだ。老若男女、誰に対しても。

 それなのに。

 彼のへらへらした顔を思い出しながら、カノンは舌打ちした。あいつだけは駄目だ。どうにも合わせられない。ついつい突っかかっていきたくなってしまう。

 何故なのだろう。

「あー……」

 カノンは考えることを放棄することにした。これだけはどうしようもない、生理的に受け付けないのだ、と自分に言い聞かせる。

 尖った自分でも柔らかく包み込んでくれる、布団の感触が気持ちいい。カノンは、次第に眠りに引きずり込まれていった。

 

 

 

 

 

「君、年幾つ?」

「十七だけど」

 うわぁ、本当に年上なのか。そう言って彼は笑った。暗闇の中、月光に額のサークルにはめられた石が光るのが見えた。

「可愛い顔してるから、年上には見えないな」

「失礼だな」

「褒めてるんだよ」

 そう言いながら、彼は自分に片手を伸ばしてきた。払いのける暇もなかった。突如、背中にぱさりと何かが触れる。自分の髪だ。それで、自分が何をされたのかを悟った。

「うん、やっぱりそうだ」

 勇者は呟くと、彼女の髪を一房手に取った。そして透明感溢れる青い瞳を煌めかせて、悠然と微笑んだ。

「君、とっても綺麗だね」

 囁いた彼は、唐突に顔を俯けて――

 

 

 

 

 

「触んな!」

 カノンは自分の叫び声で目が覚めた。部屋の中は橙色の光で満ちている。どうやら、眠っているうちに、夕方になってしまったらしい。

 嫌な夢だ。独り、顔をしかめた。本当に、嫌な夢だった。何で夢の中でまであいつに会わなければならないのか。現実だけで十分だ。幻の世界でくらい、もっといいものを見たっていいじゃないか。

 そう。今見た夢こそ、カノンがあの勇者を苦手に思うようになった原因を再生したものだった。この間の晩、見張り番の時に奴は急にやってきて可愛いだの何だのと妙な文句を吐き、更には他人の髪紐を解いたのだ。その後の奴の行動は、今でも思い出すだけで寒気がする。

 奴は、あのえせ勇者は、他人の髪を手にとって、口付けたのだ。

 カノンはぶるると身震いをした。溜め息を吐いて起き上がる。なんて嫌な目覚めなんだろう。誰か、自分の目の前からあの忌まわしい男をどこかにやって欲しい。

 のろのろと部屋を横切り、外へ出た。まだ微かに眠い。もっと眠っていたいが、そろそろフーガが帰ってくる頃だろう。

 廊下は静かだった。他の客は皆、夕飯でも食べに食堂へ行ってしまったようだ。隣の部屋にいる馬鹿共はどうしたのか。カノンは、隣室の扉をノックした。

 返事がない。カノンは扉を開け放った。

 部屋の中には誰もいなかった。窓が開いていて、入ってきた風がカノンには少し冷たく感じられた。

 どこに行ったのだろう。荷物は置いてある。ベッドに使った形跡はない。特に私物も広げられていない。ゆっくりと部屋の中を見回していると、机の上で何かがひらひらしているのが目に留まった。

 近付き、覗き込んでみる。手紙だ。達筆な文字が行儀良く並んでいる。それを目で追い始めたカノンは、次第に自分の体が冷えていくのを感じた。

 手紙にはこうあった。

 

『拝啓 疲れ顔のフーガと未成年にしか見えないカノンへ

 

 吹く風は今貴方がたがこれを読んでいる頃、どんな感じでしょうか。夕闇に怯える寒い北風でしょうか。それとも、夜の静寂を行く静かな西風でしょうか。どちらでも良いですが、風邪だけは引かないようにして下さいね。

 さて、この度、私サタル・ジャスティヌスと遊び人テングは、暇なので、かの盗賊団がお住まいの塔へと足を運ぶことに致しました。所謂偵察です。あわよくば、奴らの宝も戴いて参る所存ですので、お楽しみにお待ち下さいませ。

 では、皆様の御健康と、明日の夕食にステーキが並ぶことを祈って。

 

敬具』

 

 "かの盗賊団がお住まいの塔"、シャンパーニの塔のことだ。

 カノンはその下に戦士への伝言を書き殴ると、急いで自室に戻った。荷物から愛用の武器である鉄の爪と、薬草が入った袋をひっ掴んで、宿を飛び出した。

 そして、馬屋の男に馬を一頭借りると、それに乗って塔へと馬を走らせた。

「あの馬鹿ども」

 馬を駆りながら、カノンは悪態を吐いた。カンダタ盗賊団は、そんなに甘くない。例え偵察であっても、自分の寝床に入り込んだ輩を、タダで帰すような真似はしないはずだ。

 カノンは、手綱を強く握り締めた。 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 サタルは、とっぷりと日が暮れてしまった外を見た。遠くに、カザーブ村の明かりがぽつぽつと見える。

 彼女は手紙に気付いただろうか。出てくる前、カノンの部屋を覗いて来たが、よく眠っているようだった。今まで疲れたとか休みたいとか彼女が言うのを聞いたことはなかったが、結構疲れていたのかもしれない。彼女は、泣き言を言うようなタイプではなさそうだし。

 気付いたとしても、自分を追ってくるようなことはないだろう。手探りで前に進みながら、サタルは思う。彼女は、自分のことが嫌いなようだから。原因は、おそらくこの間の出来事だ。

 髪に口付けくらいで、なんで怒るのかな。

 彼としては、ただ単純にその漆黒の髪が綺麗だと思っただけだったのに。綺麗なものにちょっとした「敬意」を表して、何が悪いのだろう。

「ゆーちゃん?」

 くすくすと笑うと、後ろにいたテングが首傾げる気配がした。彼も自分同様、壁を手探りで進んでいるはずだ。カンダタ盗賊団に気付かれるといけないから、松明は灯せない。暗闇に目は慣れてきたものの、確かなものに触れていたかった。

 サタルは喉の奥で笑いを殺し、小声で返した。

「いや、カノンのこと考えてたんだ。彼女、ウブだから構いがいがあるよ」

「まあ、ゆーちゃん相手にあそこまで普通にっていうか、邪険に対応する女の子って、初めてだよね。みんなたいてい舞い上がっちゃって、浮いた会話しか出来ないのに」

「そうそう。だからこそ楽しい」

 サタルの愉快げに言うと、テングが言う。

「ソッチの意味では、僕よりよっぽど遊び人になってるなあ」

   そう、自分は「遊び人」なのだ。

 勇ましく誠実であった、勇者オルテガの息子でありながら。

 アリアハンの王に、勇者と認められた存在でありながら。

「行く先行く先で街角の女の子に浮ついたこと言っといて、そのくせ本気でその女の子に接する気は全くない」

「俺は女性と遊ぶのが好きなだけだからね」

「それだけならまだしも、もっと困るのは、声かけられた女の子が君の外見に惑わされて本気になっちゃう時だよね」

 珍しくテングがまともだ。ここの所、馬鹿な道化みたいなことしか言わなかったのに。

「俺はただ、道とか聞く時にその子の良いところを褒めただけだよ。何も悪いことしてない」

「よく言うよ。この顔面兵器」

「顔面兵器って」

 サタルは思わず顔をしかめた。顔が良いと言っているようにも聞こえるが、悪いという風にも取れる。それはやめて欲しい。

「頼むから、痴情のもつれだけはやめてよ。君の命が取られると困るからね」

「そんなことにはならないよ」

「どうだか。とにかく、旅の仲間に手を出すのはやめなよ。長く付き合うことになりそうな相手とトラブルを起こすと、どっちにとっても良くないからね」

「分かってるよ。ほどほどにしとく」

 壁づたいに、一階上に上がった。そろそろ最上階に着いたって良い頃じゃないだろうか。早く着いて欲しい。早くしないと、アリアハンに行っていたフーガが来てしまう。あのお人好しの戦士のことだ、きっと探しに来るだろう。

 フーガは本当に良い人だ。嫌味でも何でもなく、そう思う。様々な点から怪しいだろう自分にも普通に接してくれる。面倒見もいい。剣術について教えてくれたこともあった。

 そんな彼に心配をかけるのは申し訳なく思うが、今行かなければ駄目なのだ。

 彼らに、手間をかけさせるわけにはいかない。

「まともなテンちゃんは疲れるなぁ。いつもの通り、道化でいてくれよ」

「今道化になってどうすんのさ」

「その変な化粧、やめたら?」

「嫌だね。僕は芸人なんだ。芸人はお客さんに純粋な芸だけを楽しんでもらうために、素性を見せちゃいけないんだ」

「またそれ? 好きだね、その言葉」 

 芸人ねぇ。サタルは呟いた。観客を驚かせたり笑わせたり、時には泣かせることもある、自身の特技を売りにする人々。

「平和になったら、それもいいかもね」

 横から蝙蝠男が飛んで来たのを、一刀両断で斬り捨てた。弱そうだとなめていたのだろう。魔物の動きは無駄が多すぎた。

 更に一階上がると、吹き抜けになっていた。壁づたいにぐるりと回ると、重厚な扉がある。きっと、この向こうにカンダタ達がいるに違いない。

 扉を少し開けると、素早く中に潜り込んだ。テングもそれにならう。中は、松明に照らされて少し明るかった。

「ゆーちゃん、あれ」

 テングが指差した先には、階段があった。その上から、更に明るい光と、話し声が漏れている。数人の男のものだ。

 カンダタ盗賊団に違いない。

「いい? テンちゃん」

 サタルは囁いた。目は階段から離さない。

「打ち合わせた通りだ。俺が先に行くから、援護頼む」

 厚化粧の顔が、神妙に頷いた。サタルも頷き返すと、階段に向かって慎重に歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

*** 

 

 

 

「遅かったか」

 カノンは肩で息をしながら舌打ちした。カザーブからこの塔まで全力で駆けてきたが、戦闘は始まっているようだった。カンダタ達の部屋らしきこの場所に、争った形跡があるからだ。

 しかし、ここに奴らはいない。ここまでだって誰にも会わなかった。と言うことは屋上か。

 カノンは屋上に続く階段に向かって走り出した。階段を一段抜かしで一気に駆け上がる。しかし、屋上に出たカノンは拍子抜けすることになった。

 そこにも誰もいなかったのだ。

 まさか、やられてしまったのだろうか。嫌な考えが頭をよぎる。

 周りを見回すが、本当に誰もいない。こうなったら。

「サタ──」

「あれ、カノン?」

 叫びかけたカノンは、突然耳元でした声に驚いて呼吸が止まった。

 振り返ると、にこにこしているサタルと、同じくにこにこしているテングがいた。カノンの頭が混乱する。

 ここまで、誰もいなかったはずだ。なのに、何故後ろから。

「ど、どうして?」

「そこから飛び降りたカンダタ達を追ったんだよ」

 彼が指差した先から下を覗くと、なるほど、二階下に降りられるようになっていた。それで、どこにもいないように見えたのか。

 つまり、すれ違いだったらしい。

「怪我は?」

「何もないよ」

「どうやって? そんな簡単な奴らじゃなかっただろ?」

 サタルはただ笑っているだけだった。その口から答えを聞く前に、カノンはもう一つ大事なことを思い出した。

「王冠は?」

「これだろ?」

 サタルが腰に下げた袋の中から、黄金の冠を取り出した。

 豪奢に飾られ、ふんだんに宝石が使われた冠には、ロマリア王家の紋章が入っている。月光に晒され、埋め込まれた宝石と冠の金が、きらきらと眩い光を放っている。

 間違いなく、金の冠だ。

「あんたらだけで取り戻したの?」

「そう!」

「って言えたら格好いいんだけどね」

 ぴょんぴょん跳ねるテングを、サタルが押さえつけて苦笑した。

「アホなことに、あいつら飛び降りる時に落としていったんだ。それを拾わせてもらって、奴らを突き落としたってわけ」

「突き落としたって、死んだの?」

「まさか。気絶してるよ。それだけで済むなんて、素晴らしく頑丈な体なんだね」

 カノンが見下ろすと、確かに四人の人らしきものが、地面に大の字になって倒れているのが見えた。本当にそうなのらしい。

 意外と弱い奴らだったようだ。そう思った途端、カノンは全身からどっと力が抜けるのを感じた。肩を落として、呟く。

「なんだ。急いで来て損した」

「へぇ、急いで来てくれたの?」

 サタルがカノンの顔を覗き込んできた。にやにやと笑っている。カノンは慌てて背筋を伸ばした。

「いや、馬が意外と走るの速くて」

「馬まで借りてくれたんだ」

 カノンは自分の失言に気付き口を手で覆ったが、遅かった。サタルは実に嬉しそうである。

「心配してくれたんだ」

「んなわけあるかっ……」

 吐き捨てながら、カノンは内心頭を抱えた。

 しまった、こいつを喜ばせるようなことを言ってしまった!

 しかしもう遅い。訂正はきかないのだ。

「カノンちゃんやっさしー」

「黙れ」

「俺惚れちゃうかも」

「黙れって言ってるだろ」

「まーた照れちゃっても──うおっ!?」

 更にカノンをからかおうとしたサタルの顎があった空間を、黒いブーツが通り過ぎた。思わずのけ反ってかわすサタルに鼻を鳴らし、カノンは背を向ける。

「帰るよ」

「あ、待てよ! 照れるなって!」

 照れてない!

 そうカノンが叫んだ声は、木霊した。

 宿に帰ってから、先に帰っていたフーガに三人揃ってこっぴどく怒られたのは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

20191228 加筆修正