イシスの宿でサタルは一人、仲間達の帰りを待っていた。
 仲間達は今、酒場へ行って盗賊を捜している。これから犯罪を起こそうとしているからでは断じてない。わけがあるのだ。
 サタル達は今、魔王バラモスを倒すための旅をしている。しかし、バラモスの住むネクロゴンド地方に行く方法が分からない。何故なら、あの地方はバラモスの邪悪な術にせいで急激な地殻変動が起こり、周りを険しい高山で囲まれてしまったからだ。高山は魔の障気に覆われており、とてもではないが登ることは叶わない。唯一通れそうなのは火山であるが、そこにはバラモスの配下が住み、通る者を片っ端から殺しているという。現に父も、そのせいで命を落とした。あの父を打ち破った敵だ。今もいるかどうか分からないが、すぐに挑みに行くのは不安だった。
 そういう次第で、サタル達は、他にネクロゴンドに行く手段がないか探しているのである。今のところ手がかりは見つかっていないが、ノアニールとアッサラームで十数年前の父の足跡を知ることが出来た。父は、魔法の鍵というものを探していたらしい。
 自分達同様に魔王を倒すという目的を持っていた父の後を追えば、何か分かるかも知れない。そう考えて彼らはこの地、イシスへとやって来た。
 しかしいざこの町にやって来て聞いてみたところによると、オルテガは結局魔法の鍵を手に入れられなかったのらしい。だが折角苦労してここまで来たのだし、魔法の鍵を手に入れていきたい。一行はそう考え、町の人に魔法の鍵の話を聞いて回った。その結果、鍵はイシス王家の墓、ピラミッドにあることが発覚した。
 いくら魔王討伐の旅に役立つかもしれないとはいえ、勝手に王家の墓を荒らして良いものだろうか。そう考えると気が引けたのだが、聞くところによるとそのピラミッドは現女王の血統のものではなく、彼女の一族と敵対していた王族のものらしい。その一族は既に滅びて久しいらしく、だから今は放置しているのだそうだ。宝についても、それよりもっと凄いものを持っているから興味がないのだという。
 そうと分かれば、心置きなく探索できる。三人はピラミッド探索をすることを決めた。
 しかし、気になる噂があった。何でもピラミッドの中は侵入者を防ぐための罠だらけで、これまでに宝を発見して無事帰って来られた者はいないのだという。
 そこで、その罠を見破るために盗賊を雇おうという話になったのだ。盗賊には色々いて、人から物品を奪う者もいれば、純粋に洞窟から宝を探してくることを生業とする者もいる。サタル達が求めているのは、後者だった。後者の場合、ダンジョン慣れしていることが多いため、罠にも通じているのである。だから、一人でもそういった人物を連れていれば心強いだろうとフーガが提案したのだ。
 だが、勿論少しでも悪い心を持っている人間だと、後々面倒なことになる。だから、よほど良さそうな人物がいれば捕まえてこようという話になった。スカウトはこういったことに慣れているフーガに任せ、カノンはそのお供に行き、サタルは宿で荷物番をしていることになったのである。
 しかし、退屈である。サタルは欠伸をして、額のサークレットに手をやった。ひんやりとして心地よいそれは、亡き父からもらった唯一のものである。母が自分を身籠もった時、父が知り合いの名工に作ってもらった、世界に一つしかない防具である。内側に守備力増強の呪が彫ってあり、装備する者に、魔法による高い防御力を常にもたらすという優れものだ。これを装備しているから、サタルはいつも軽装でいられるのである。
 サークレットにはめられた宝玉を撫でながら、彼はいつしか先日訪れたアッサラームでのことを思い出していた。
 アッサラームでは、いくら女性を好みやすい彼でも遠慮したいような女性に会った。砕けた美しさを持っていたが、感性が他人と変わっており、しかも勘の鋭い人だった。炎が好きという理由だけで魔物の大群を一匹残らず焼き殺し、楽しそうに笑っていた。
 だが、本当に驚いたのはその後である。戦闘後、彼女は一行に話しかけてきた。何でも以前知り合ったフーガの気配を感じていたらしく、話しかけようと思っていたのだと言う。話してみると、彼女は気さくないい人だった。フーガ曰く、炎に異様なロマンを抱いているが、それ以外はまだ一般人らしいところもあるとのことである。
 そんな彼女は戦士と親しげに話をした後、サタルを一瞥してこう言った。
 ──貴方、変わってるのねえ。
 どきりとした。魔力と生体探知に長けるという話は聞いていた。しかし、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだ。

 彼女はすうと目を細めて笑うと、艶やかな唇に人差し指を当ててその場を去った。フーガとカノンは何のことだかと言いたげに首を傾げていたが、サタルは笑顔を取り繕いながらも内心冷や汗を掻いていた。あのことには触れられたくなかった。だから、一言だけで済んでほっとしたという気持ちも混ざって、心臓が不規則に脈打っていた。
 彼女に会ったのはその一回だった。彼女はすぐにまた、燃やせるものを求めて旅立っていったのである。
 恐ろしいところもあったが、不思議な魅力のある人だと思った。
 サタルが炎の彼女を思い出してぼんやりしていると、部屋のドアが開いた。フーガとカノンが帰って来たのである。にっこりと笑って二人を出迎えた。
「お帰り。どうだった?」
「一人、邪心のなさそうな奴を見つけたから連れてくことにした」
 フーガはそう言って椅子に腰を下ろした。椅子が重い鎧を乗せてぎしりと音を立てる。
「おお、やったね! どんな人?」
「本当に邪心のなさそうな男だ。ただ」
 戦士はそこで言い淀んだ。サタルは首を傾げる。
「ただ?」
「いや、人格的には問題ないし、この件にも乗り気だ。上手くいくだろう」
 そう、とサタルは返した。フーガが言うのだからそうなのだろう。彼はいつでもくたびれたような顔をしているが、戦士としても冒険者としても一流だ。面倒見も良く親切で、本当に良い仲間に巡り会えたと思う。
 もう一人の仲間、カノンは戦士のそばに立って腕組みをしている。こうして見ると、やはり身長の割に胸がある(これを言ったら間違いなく蹴り殺されるなと思った)。柔らかくきめ細かい肌はお菓子のようで、大粒で黒目がちの瞳が何とも可愛い。愛らしい外見の割に自分より大人びた表情をする彼女を、サタルは気に入っていた。
「カノンはそいつのことどう思った?」
 俺より格好いいとか言わないだろうなと思いながら、サタルは訊ねる。少女は濡れたような目を彼に向けるとぶっきらぼうに答えた。
「ひょろっこちくて折れそうだった」
 彼女らしい答えに、思わず笑ってしまった。外見も勿論だが、サタルが特に気に入っているのはその内面である。これまで出会った女性達の中でも群を抜いて飾り気のない、竹を割ったような性格が非常に好ましい。加えて彼女が得意の武術で戦う様はとても美しく、彼は戦闘中、よく彼女をこっそり盗み見ていた。
 ただし、カノンはサタルに苦手意識を持っている。それを知っていても、サタルは自分のあり方を今のところ変えるつもりはなかった。何故なら、このままで接していると楽しいことがあるからである。
「明日、日が出る前にそいつと合流してピラミッドに行くことになっている。だから今日は早めに寝るんだぞ」
「はーい」
「じゃああたしはもう寝るよ」
 カノンが踵を返した。その背中に、サタルは声をかける。
「おやすみカノン。夢の中でも君に会えますように」
 武闘家は振り返ると、眉根を寄せてとても嫌そうな顔をした。
「教会行って、お祓いしてもらってから寝るか」
「ひどっ! 呪い扱いするなよ」
 少女は何も言わずに部屋を出た。くすくすと笑っていると、フーガが呆れた様子で口を開く。
「お前も物好きだな。嫌がられるって分かってる癖に、何でそんなこと言うんだ」
「楽しいからさ」
 サタルは歌うようにそう答えた。
「これを言うとどんな反応してくれるかなとか、どんな顔するかなって考えるだけで凄く楽しい」
「嫌がってることについてはどうなんだよ?」
「最初はあからさまに引いてる時もあったけど、最近はそうでもないよ。少し慣れてきたんじゃないかな。きついことを言っても俺全然挫けないから、言いたいことをずばずば言えるって感覚を楽しんでるようなフシもあるし」
 サタルは、カノンが何をどう感じているのかをよく見るようにしている。彼女と一緒に旅をして積極的に会話をするようにした結果、ある程度の感情は読み取れるようになってきた。基本的に好き勝手話しかけているが、本気で嫌がっている時はしつこくしないよう気を付け、気を遣うようにしている。それくらいなら、女慣れしている彼にとっては造作もない。気を遣うことも楽しい。
「それに、罵られるのって、悪くないよね」
「そういう趣味もあるのか」
 フーガは鎧を脱ぎながら、苦笑混じりに溜め息を吐いた。この年上の男は、サタルの遊び癖を知っても変わらずに接してくれる、数少ない人物の一人である。彼自身がさほど恋愛や異性に頓着しないせいか、はたまたその広い度量のせいなのか。分からないが、どっちでも良かった。いかなる時でも兄のようでいてくれるこの男のことも、彼は気に入っていた。

 戦士はインナーの胸元をくつろげた。彼も女性に好かれやすいことを、サタルは知っている。外見も逞しくて男らしく魅力的であるが、それより頼りになる誠実な人柄がいいのだろう。旅先で知り合った女性達から熱い眼差しを注がれていることに、気付いているのかいないのか。どちらにしても勿体ないとサタルは思っていた。
「お前、他の女性に対しては無難な口説き方する癖に、カノンには笑えるほど甘ったるいこと言うよな。それも楽しいからか?」
「うーん、まあそうかな? 何かやけに過剰な言い方したくなっちゃうんだよね。可愛いからかな?」
「ふーん」
「何て言ったらいいんだろう。手放しで可愛がりたくなる」
「そうか」
 鎧を磨き始めていたフーガは、ふと手を止めてこちらを見つめた。そこに真面目な雰囲気を感じ取ったサタルは、どうしたのと声をかける。
「いや、俺の考えすぎかもしれないんだが」
 気を付けろよ、と彼は言った。
 サタルは何のことかと問いかける。フーガは鎧磨きを再開し、少し間を空けてから言う。
「長く一緒に旅をするようになると、仲間に対して抱く気持ちが変わるなんてことはよくあるからな。言動には注意しろよ」
「ああ、確かにそうかもしれないけど。フーガ、何を心配してるの? 俺とカノンのこと?」
「遊べる女とそうでない女とを見分けられるお前のことだ、何も心配いらないかもしれないが」
 気付いてたんだ。サタルは感心した。
 サタルの人付き合いの基本は、楽しいことと他人に優しくすることである。誰だって楽しいことは好きだし、他人から優しくされたいものである。彼にとっての女遊びはそういった欲求を満たすためであって、またスリルを楽しむためのものであった。
 サタルは少々考えて、フーガの言いたいことに思い至った。
「カノンに本気にならないように、または本気にされないようにしろってこと?」
 戦士は頷いた。勇者は笑って、彼の懸念を否定した。
「大丈夫だよ、そんなことありえねえって。大体、カノンは俺のこと苦手なんだぜ?」
「まあそうなんだけどな。ガラにもないこと言っちまったな」
 フーガは微笑んだ。優しげで、人を安心させるような笑みである。
「もしそうなったとしても、お前らの好きなようにしろ。俺はうるさいことは言わないようにする」
「フーガ、本当に兄貴とか父親みたいだな。どっちも俺にはいないから分からないけど」
「そうか?」
 そんないいもんかな、とフーガは言う。サタルは満面の笑みを浮かべた。
「俺はフーガのそういうとこ好きだよ。この俺がこんな風に言うの、男ではフーガかテンちゃんくらいだからね」
「気恥ずかしいことを簡単に言うな」
 フーガは拭き終わった鎧を置いた。外を眺めて、月の傾きを確かめる。
「そろそろ寝た方が良さそうだな」
「うん、俺先に寝るよ」
「ああ、そうしろ」
 俺は風呂に行ってくる。そう言って、戦士は部屋を出ようとした。サタルは寝台に乗りながら、彼に声をかけた。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 扉が静かに閉まる。サタルは微笑んで、微睡みの中へと落ちていった。









***



「スランって言います! よろしくお願いします!」
 翌朝待ち合わせ場所にやって来たのは、本当に折れそうなひょろ長い男だった。白銀の髪を右側に分けた、緑色の瞳が爽やかな、なかなかの美形である。しかし、妙に動きが硬かった。
 サタルは笑みを浮かべて、彼に挨拶を返した。
「俺はサタル。今回はよろしくお願いします」
「はいっ、こちらこそ!」
 声が無駄にでかい。こいつ、大丈夫かな。サタルはちょっと不安になってきたが、フーガが大丈夫だというのだから大丈夫なのだろう。そう思うことにした。

 そのピラミッドは、イシスの北にあった。綺麗な三角をした珍しい建造物に、思わずまじまじと見入ってしまう。
「どうやって作ったんだろうね、これ」
「全部人力で積んだらしいぞ」
「うわっマジで? イシスの民すげえ」
 サタルとフーガがやり取りをする傍らで、もともと口数の少ないカノンは黙って四角錐を見上げている。スランは先程から口の中で何事かもごもご言っている。特に自分達に話しかけているわけではなさそうだったので、反応はしなかった。
 重厚な作りの扉を押し開く。中も同じ大きさの煉瓦を積み重ねて作られていた。感心しながら進もうとすると、スランに制された。
「待ってくれ。どこに罠があるか分からねえから、俺に先頭を歩かせてくれないか?」
「そうか。じゃあ頼む」
 スランはフーガに頷いて見せると、ずんずんと歩き始めた。そんなに進んで大丈夫なのだろうか。サタルは慎重にその後を追う。
「そんなに早く歩いて平気なのか?」
 やはりフーガも疑問に思ったらしく、先を行くスランに尋ねた。彼は振り返って笑顔で答える。
「大丈夫。特にこれといって仕掛けも見つからほぎゃあッ」
 刹那、猫が踏んづけられたような声と共に盗賊の姿が掻き消えた。一同は驚いて彼がいたはずの場所を見る。なんと、足元に穴が開いていた。
 その淵に、黄色いグローブがかかっている。
「やべっ落ちる! 落ちるー!」
 スランの切羽詰まった声が下から響いてきた。フーガがしゃがみこんで、腕を引っ張りあげる。地面に足がついた盗賊は、胸を押さえて荒く息をした。
「うえっ、へぇ……危ねええ……すみません、ありがとうございます!」
「いや、無事で良かった」
 地に頭を擦り付ける勢いで礼を言うスランに、フーガは頭を上げさせながら答えた。
「くっそ、油断してた……落とし穴の可能性に気付かなかったなんて」
 盗賊はしょんぼりしている。飼い主に怒られた犬のようだ。サタルは笑って励ます。
「大丈夫だよ、気にせず行こうぜ」
「ありがとうございます……!」
 大仰に頭を下げる彼に、サタルはあることを確信した。しかし、それはまだ口に出さないことにする。
 落とし穴の存在を認識したスランは、先程より慎重に進むようになった。事前に調べてきたらしく、お手製のピラミッドの地図を持って着実に前進する。床の確からしいことを確認し、壁に細工のないことを認識し、天井から何か降ってこないことを確かめてから前へと歩を進める。
 夢中で辺りを調べる彼に、フーガが問う。
「盗賊になってどのくらい経つ?」
「二年くらい、かなあ?」
 壁をそっとなぞりながら、スランは答える。中性的な顔立ちは真摯に煉瓦を見つめている。
「宝探しが好きで始めたんだ。こういう遺跡とかに来るとわくわくしちまって」
 通りで先程から何とはなしに嬉しそうなわけである。真面目な顔をしながらも、口元が微かに弛んでいる。その様子を見ていたカノンが、ぽつりと呟いた。
「アンタ、実はドジだろ」
 柳のような身体がぎくりと震えた。その拍子に壁の煉瓦が、ガコッと音を立てて外れる。上方で物音がして、はっとした一同は思い思いの方向に飛んだ。鋭利な針が足元の岩にめり込む。
 きっかり三秒間、誰も動かなかった。静止した場を破ったのは、スランの土下座だった。
「すみません!!」
 三人は唖然とする。盗賊は泣き出しそうな顔で、しょんぼりと言った。
「俺、盗賊の癖にすげえおっちょこちょいなんだ。罠苦手だし、すぐに気が抜けるしアホだし。でも、すみませんクビにしないで下さい! ここのところお金がなくてヤバいんです!」
 そう言ってまた額を地につけるスラン。サタル達は顔を見合わせた。それからフーガが彼の傍にしゃがみこみ、微笑みながらその肩を叩いた。
「そんなに謝るな。薄々分かってたよ」
 スランは顔をあげた。緑の双眸は真ん丸に開かれている。驚愕を露にする彼を見て、サタルは悟った。フーガが彼を選んだ一番の理由は、技術によるものではない。恐らく、放っておけなかったのだ。この盗賊は見るからにおっちょこちょいで、しかし職業に対する熱意があって、憎めないところがある。お人好しで面倒見のいいフーガのことだ。スランの逼迫した事情を見て取ったから、仕事を任せようと思ったのだろう。
 戦士は盗賊の目を見据える。
「いくらそそっかしくても罠が苦手でも、素人の俺達よりは知識があるだろう。だから自信持って、たまには罠に引っ掛かりかけてもいいから、無理せず進もう。な?」
 温かいフーガの言葉に、スランは感じるところがあったらしい。再び瞳に涙が溜まり始めた。
「すみません。ありがとう、ございます……」
「おいおい、何で泣くんだよ。落ち着けって」
「一度発作来たら止まんないんスよ、俺……!」

 スランは必死に涙を拭っている。この様子から察するに、よほどこれまでの依頼で失敗したか、または組んだ相手と苦労してきたのだろう。素直な性格をしているようだし、その度に先程のように落ち込んでいたに違いない。
 スランが落ち着いたのは、それから襲ってきた魔物を二回蹴散らした後のことだった。
「本当、俺情けねーッスよね。すみません」
 まだ目の淵が赤いが、大分落ち着いた彼は自嘲気味に笑った。斬りつけた大王ガマの体液を拭いながらサタルは言う。
「気にするなよ。今日の涙は明日の酒さ」
「いいこと言うなあサタル」
「だろ?」
 スランの笑顔が明るいものに変わったのを見て、サタルはほっとした。頼りないところのある盗賊でこの先が少々不安だが、悪い人じゃないから良しとしたい。きっとどうにかなる。
 スランは道を右手に進んだ。途中いくつか宝箱が見えたが、彼によるとあれも罠であるらしい。高確率で人食い箱に当たるらしく、調べるのは危険だということだった。
「うわあっ!」
 角を曲がると、魔物の群れが飛び出してきた。スランは驚きの声を上げながらも、鞭で大王ガマの一群を薙ぎ払う。無言で進み出たカノンが、爪で笑い袋を切り裂く。そのまま舞うように身体を回転させ、ミイラ男を蹴り飛ばす。次の動作に移るべく、片足を半歩引いた時だった。
 音もなく、黒いブーツが地に吸い込まれた。目を見開く彼女に、発声する暇などない。小さな身体が穴に飲み込まれていく。いち早く気付いたサタルは駆け寄り、その手を掴もうとした。しかしそれより先に、彼の足場が崩れる。サタルは何も考えず、小さな手を掴まえて引き寄せた。体重の重いサタルが先に落下し、背を石畳で強打した。
 身中の気が砕け散り、呼吸を絶たれる。目の裏でちかちかと光る星。それが収まった頃、身体は呼吸を思い出した。
「いってぇ」
 体の背面が痛い。まだ落下の衝撃が抜けきらないようで、痛みと麻痺の狭間にいる。
「おーい、大丈夫かー?」
 上から声が下から降ってきた。フーガである。自分達の落ちた穴から、仲間の顔が二つ覗いていた。
 サタルはそのままの格好で大声を出した。
「死んだーっ」
「よし、生きてるな!」
 あっさりと流された。次いで、スランの声がする。
「縄使って助けてーけど、この辺りは足場が脆いし縄の長さが足りなそうだから駄目だ! だからそっちで登り階段を探してみてくれ!」
「階段どこ!?」
「ピラミッドの外に繋がってんのがある! そこから南西の方向に進んでみてくれ! 方角間違っても、道は入り組んでねーからそのうち着くはずだ!」
「おっけー! 先に行っててくれ!」
「分かった、気を付けろよ! 入口で会おう!」
 最後にフーガの声がして、二人の顔は消えた。
 サタルは溜め息を吐く。また面倒なことになった。早いところ脱出したい。
 身を起こそうとすると、身体が悲鳴を上げた。しかしそれより、腕の中にある柔らかな温かい感触に気付く。
 顔を俯ける。自分の上に、カノンによく似た何かいた。
 落ちた衝撃で幻が見えるようになったらしい。サタルは冷静にそんなことを考えた。
「あの、大丈夫?」
 腕の中のそれがカノンの声で喋った。と言うか、カノンだ。カノンが、俺の腕の中にいる。
 認識した瞬間、反射的に腕の力を強めてしまった。
「勿論だよ。君は怪我してない?」
「うん。その……ありがとう」
 自身の胸の上に、カノンの小振りな形のよい顔が乗っている。暗闇に白く浮かび上がる彼女は幻想的な美しさが増しており、潤んだ瞳が何とも艶っぽい。小さな手は揃えて胸に添えられ、その向こうに武闘着の隙間から魅惑的な谷間が覗いている。
 生まれてきて良かった!
 サタルは脳内で歓喜の雄叫びを上げ、自分を世に在らしめてくれた両親に感謝の祈りを捧げた。ありがとうございます、お陰様でいい眺めが見られました。ああ絶景かな、絶景かな。
 サタルが涼しい顔をして、その実胸中で多大なる煩悩を叫んでいるとは露ほども知らないカノンは、なかなか拘束を解かないことに眉根を寄せた。

「あのさ、いい加減離してくんない?」
「嫌だ」
「は?」
 怪訝な顔をするカノン。そんな顔も可愛い。サタルは甘く、とろけるような笑みを浮かべた。
「嫌だ。離さないよ」
 囁いて、抱く腕に力を込める。ふにゃりと溶けてなくなってしまいそうな柔らかさと、立ち上る香料と彼女の匂いが入り交じった香りに安らぎと緊迫を感じる。
「ちょっ、と……ッ」
 切羽詰まった声。捕らえられた少女は腕をふりほどこうともがく。しなやかな身体が抵抗する感触に、サタルは高揚感を覚えた。抵抗されると、余計支配したくなる。
 瞳を覗き込んだ。大粒の瞳に映るのは戸惑いと焦り。嫌悪はなさそうだ。それを確認してサタルは身体を反転させた。地面の上に彼女をそっと、だがしっかりと縫い付ける。華奢な手首を押さえ、脚の間に自身の膝を割り入れる。これでもう動けない。獲物の捕獲に成功した勇者は、満足げに目下の光景を眺めた。
 捕らえられた少女。束ねられた墨色が川のように流れ、さらけ出された首筋にアクセントを添える。同色の双眸が瞬く度に長い睫毛が震え、その様は蝶が羽を開いては閉じるかのよう。粉砂糖をまぶした肌の下には、禁じられた果実の色が仄かに艶めく。花唇はふっくらとして、甘い香りと共に彼を誘う。
 少年は溜め息を吐いた。美しい。このまま時が止まってしまえば、永久にこの光景を色褪せぬまま見続けることができるのに。しかし、見るだけでは足りない。
 触れてみたい。
「何考えてるんだ。離せ」
 カノンの声は落ち着いていた。しかし逸らすことなくその瞳を注視する彼には、その奧に潜む焦燥が見て取れた。焦燥だけ? 首を傾げてみせる。
「俺のこと、怖い?」
「別に」
 少女は顔を逸らした。髪が流れ、半月の形をした耳とほっそりとした首筋が露わになる。
 ――触れたい。
 刹那、彼の中でそんな欲求が急激に高まった。どうしようもなく惹き付けられて仕方がない。それは感覚というより衝動に近かった。
 誘われるままに顔を寄せる。花の香り立つ首もとに吸い付くと、組み敷いた身体がびくりと跳ねるのを感じた。そのまま唇を這わせて、浮き上がった細い線を伝っていく。カノンは俄に暴れ始めた。
「待てやめろっ、何のつもりだ!」
「何のつもりって、仲良くしたいだけなんだけど」
 暴れちゃって、可愛いなあ。彼は噛み含めるように笑って、少女の耳の下に口づけた。両手、脚に伝わっていた振動が一瞬止む。その隙に、彼女の様子を盗み見た。上気した頬と、瞑られた瞳。その表情は与えられんとする刺激に耐えようとするかのようで。
 彼の背筋がぞくりと震えた。
「もっと、君のことを教えて?」
 舌に睦言を乗せて耳朶へと流し込む。カノンが小さく息を呑んだ。軽く噛みついて舌で愛でる。少女の身体が震えた。浅く息をして目を瞬かせ、唇を開いて――



「魔物だ!」



 サタルは身を翻して剣を抜き放ち、背後に忍び寄っていたミイラ男を斬り捨てた。加えてもう一体を袈裟懸けに断ち、腐った死体の首を刎ねる。首が地につく湿った音を聞くより前に、ステップを踏んで襲いかかろうと両腕を振り上げたマミーの胴を、二体まとめて薙いだ。
   マミーの上体が地に落ち、サタルは剣を振り抜いたままの姿勢で静止した。鬱屈とした地下室に動く気配がなくなった。それを実感し、剣を鞘に収める。
   その直後、背中にメテオの如き一撃が襲いかかった。
「最後に何か言いたいことは?」
「いやいやいや死にたくないです! ごめんなさいごめんなさい調子に乗ってすみませんでした!」
 得意の跳び蹴りから絞め技へと移った武闘家は、少年を締め上げながら無表情に問う。その低い声色に本気を感じた勇者は必死に命乞いをした。謝罪と反省の言葉を数十回繰り返したところで、カノンは乱雑にお調子者を突き飛ばした。彼は地面を二転三転して、仰向けに寝転がる。かと思うと、ばっと上体を起こして曇りなき眼を少女に向けた。
「何で!? 楽しくなかった? 今の!」
「楽しいとか楽しくないとかの問題じゃない!」
 武闘家は顔を赤らめて、珍しく声を荒げた。両手を腰に当てて、少年を睨み付ける。
「こういうことは好きでもない相手とするもんじゃないだろ!  分かってんのか!?」
「あ、いやそれは」
 サタルは口ごもった。目を彷徨わせながら、さっきのことを振り返る。
 ちょっと遊ぶだけ、戯れのつもりだったのだ。少し抱きしめてからかうだけ。そのつもりでいたはずだったのに、気がついたら口説きにかかっていた。しかもいつもの遊びみたいな口先だけのものではない。自分はあの時、心の底から。
 どうしてしまったのかと自らに問う勇者を、武闘家は一転して醒めた目で見つめる。
「全く、本当にどうしようもない勇者様だね。誰彼構わず、ああいうことするんだ」
「待って誤解だよ!」
 サタルは慌てて弁明した。

「誰にでもやるわけじゃないよ! 確かに綺麗な人には声掛けに行くけど、こんなに触れたいとか知りたいと思ったのは君だけなんだ!」

 カノンの顔が固まった。どうしたのだろう。何かおかしなことを言っただろうか。しかし、この時のサタルは仲間に嫌われたくない一心で、何も考えていなかった。
 ややあって硬直の解けたカノンは小さな声で呟いた。
「誰にでもそんなこと言ってるくせに」
「言ってないよ。だって、こんなに強く感じたのは初めてなんだから」
 サタルは正直に言った。すると、今度は明らかに動揺した。目がサタルの上から離れて宙をさまよう。
 様子の変わった武闘家に、サタルはさすがに何かおかしいと気付いた。冷静に、その前の己が言動を振り返る。そしてはっとした。
 まずい。これじゃあ口説いているようなものじゃないか! 彼は何も考えず言ったことを後悔した。自分としたことが、呆れてしまう。
 彼の「口説き」は、効率よく温もりを感じたい時に行われる。自分の欲を満たしたいだけだから、一時的な関係を良しとする女性を相手として選ぶ。水商売の女が一番、後腐れがなくていい。お金を払えば、後追いをしない。行為への要求も高くない。
 それ以外の女性は危険だ。サタルが自分を満たしたくて発した言葉を、彼女に惹かれて言ったものだと錯覚して、勝手に傷ついてしまう。

 欲を満たせれば、それでいい。女との確かな繋がりなんて、安定した関係なんて、互いを傷つけるだけだ。
 しかし今、気持ちの赴くままに触れてしまった。相手は、長く接していかなければならない、仲間である。生理的欲求でも何でもなく、気持ちが惹かれた。こんなことは初めてだった。
 いや、そう言えば以前もこんなことがあった。まだ仲間になって間もない頃の夜。見張りを交替する時、月に煌めく彼女の姿があまりに美しく感じられて、髪に口づけた。サタルは刹那主義である。それにして、今までこんなことはなかった。
 サタルは半ば呆然と目の前の女性を見つめる。少女は細い腕で自らの身体を抱え、時折恥じらうような視線をこちらに向ける。そこにまた先程の欲求が押し寄せて来て、サタルは慌ててそれを振り払った。冗談じゃない、何だこれは。
 カノンは何を考えている? こちらをまともに見ないから、恐らく困っているのだろう。ならば、原因の自分は謝った方が良い。

「ごめん、困らせちゃったね。申し訳ない」
 彼は極めて紳士的な笑みを繕った。するとたちまちカノンは常の仏頂面を思い出したらしく、つんと顔をそっぽに向けた。
「調子の良い奴だね。さっさと行くよ」
 そう言って大きく歩き出す。サタルはそれについていきながら、ほっとしたような、勿体ないような気持ちを持て余していた。
 地下道は分かれておらず、長かった。景色の変わらぬ暗い一本道に、もしかして全く進んでいないのではないかと錯覚してしまう。しかし、脇にもたれかかるようにして積まれた骸の数の変化が、この現実を確からしいものにしてくれていた。
 予想外の出来事にぎくしゃくした二人の間も、時が解してくれる。しばらく経てば、サタルもいつもの調子で会話することができるようになっていた。
「随分長い道だね。気が滅入ってこない?」
「いや。どうってことないね」
「カノンは強いなあ。あ、もしかして俺が一緒にいるから?」
「ほざけ」
「冷たいお返事、ありがとうございます」
 サタルは微笑んだ。ちょっと素っ気ないけど、やはりこういう彼女もいい。ありのまま、繕うことのない返事が楽しい。
 白骨化した死体だらけで嫌な場所だけど、彼女といればそんなことも気にならなかった。
「君となら、ここで出られることもなく二人きりで死んでもいいかもな」
 通り過ぎた部屋の一隅、身を寄せ合う二体の骸骨を見てサタルは呟く。すると、カノンはサタルの方を振り返った。あの出来事があってから、彼女がこちらを向いたのはこれが初めてだった。
「何ほざいてんの。縁起でもない」
「駄目かな?」
 勇者は首を傾けた。カノンは顔をしかめて返す。
「駄目に決まってるだろ。アンタ、そんなに死にたいの?」
「人間、いつ死ぬか分からないもんだよ」
 あくまでも笑顔で、歌うように言う。カノンは理解しがたいと言いたげな調子で口を開いた。
「そんなこと言って。アンタ、バラモスを倒すんだろ?」
「うん、そこまで生きていられたらね」
 彼女は余計解せぬといった顔をした。それを見てサタルは言う。

「ほら、よく考えてみればさ、俺達が毎日無事に生きていられる保証なんてどこにもないだろ?」
「そりゃそうだけど」
「だから俺はいつもその時その時を、最善というか、できるだけ楽しく生きたいんだよ」
 分かってくれるかな、と彼は少女の反応を見た。カノンは何やら不満そうな顔をしている。
「分かるけど、あたしはそうは思えないね」
「え、何で?」
「その時の一番いいことは、後にとっての一番いいこととは限らないだろ? だから後先考えないなんてことは、あたしにはできない」
 サタルは驚愕した。これまで刹那的に生きてきた彼に対して、こういうことをはっきりと言う人は初めてだった。
 本当にそんなことを思えるのだろうか。彼は訊ねた。
「君は、たとえ今の自分にとって嫌なことでも、後の自分にとって有益なことならできるのか?」
「うん、それくらいできるよ」
「じゃあ自分にとって死ぬほど嫌なことでも、未来のためになるならやれる?」
「……ああ」
 武闘家は肯定する。サタルは驚嘆した。この無口な武闘家は、そんなことを考えて生きてきたのか。でも、確かにそういう考えでもなければ、魔王討伐になんて志願しないよな。
 自分とはある意味正反対な考え方をする彼女を、サタルは好奇と尊敬の目で見つめた。
 歩き続けるうちに、天井に穴が空いた部屋へと辿り着いた。穴を仰ぎ見て、二人は顔を見合わせる。
「あれさ、俺達が落ちてきた穴だよね」
「うん」
「戻って来ちゃったってこと?」
 カノンは難しい顔をして、何か考え込んでいる。サタルは顎に手を当てた。
 特に入り組んでいない道。にも関わらず、出口が見つからない。死体が多いのは、皆出口を見つけられなかったからなのか。または、出口がないのだろうか。
 いや、それなら何故スランは道を知っていた? 彼の地図には地下の道も記されているようだった。そして、ピラミッドの外へ続くという上り階段も。
 誰がそんなものを記したのだろう? 一度ここへ下りたことのある者でもなければ、分からないはずだ。そこまで考えて、サタルはある可能性に行き着いた。
「もう一回、さっきと同じように歩いてみよう。ただし、今回は注意深くね」
 カノンはこっくりと頷いた。
 二人は、辺りの様子を注意深く見つめながら同じ道を歩いた。時には死体をどけてまで調べることもあった。そうしていると、先程も通ったある一室へ着いた。
 ここも隈無く調べる。死体をどけ風化しかけの瓦礫を押しのけ、壁や床を念入りに見ているうちに、武闘家が声を上げた。
「ねえ、ここおかしい!」
 駆け寄って調べてみると、壁に細い切れ目が入っているのが見えた。その形は、人一人ちょうど通れそうなくらいの扉に似ている。
「これだ!」
 サタルは区切られたところを、力一杯押す。すると、壁は軋みながら動いてくるりと回った。その向こうには、何処かへと続く通路があった。
「隠し通路か」
 カノンは驚いたように言った。やはり、思った通りであった。きっとこれが地上へと続いているに違いない。二人は通路を辿る。しばらくいかないうちに階段が現れ、その上は石で塞がれているようだが、微かに光が漏れてきていた。
 二人は力を合わせて石を押しのけた。すると、頭上に満点の星空が現れた。
「やった、出られたぞ!」
 サタルが歓声を上げる。カノンは何も言わないが、安堵した様子だった。
 そこはピラミッドのすぐそばだった。壁を伝ってぐるりと回ると、入り口に着く。そこには既に、戦士と盗賊の姿があった。
「おお良かった、やっと来たか!」
 安心した様子の男達に口々に謝ると、サタルは魔法の鍵はどうだったのかと訊ねた。途端にスランが満面の笑みを浮かべる。
「あったぜ! 童歌が手がかりになってたんだ」
 何でも、イシスには高貴な血筋の家にのみ伝わる童歌があるらしく、それが関係あるに違いないと踏んだスランによって、どうやっても開かないという噂だった扉の鍵が開いたのだそうだ。無事任務を達成できたスランは、とても嬉しそうだった。
 それから四人は、星が降ってきそうな砂漠の夜空を楽しみながらイシスの町に帰った。道中仲間達と楽しく会話しながら、サタルはカノンに触れた時のことを思い返していた。
 あんなに自然と相手に触れたいと思ったのは、何故だったのだろう。他の女性達と接した時とは別の、抗いがたい誘惑。カノンだけが、自分の特別な欲求を煽るのだろうか。

 カノンだけが特別? サタルはそう考えてぎょっとした。仲間で欲求を満たしたいのか。長くなるか分からないまでも、関係性を保たせなければいけない相手に、欲望をぶつけるのは憚られる。
 いや、まさかそんな。ありえない。まだ相手の全てを知っているわけでもなく、断言するには早い。しかし最初にあの誘惑を感じたのは、会ってまだ間もない頃。別に欲の捌け口に困っていたわけではなかった。急に、なぜ。
 冷静に見極めるんだ。サタルは自分に言い聞かせて、武闘家を盗み見る。彼女の横顔は、やはり愛らしかった。






 



 

20151220 加筆修正

20200208  加筆修正