「田舎者は帰れ帰れッ!」

 バケットに似た高い帽子を被った門番は怒鳴る。その剣幕に先頭で交渉していたフーガは肩を竦めてかぶりを振り、踵を返した。サタル達もその後に従う。

「やっぱりこの国、まだこんなだったか」

 城壁を伝って曲がり、兵士から見えないところまで来ると戦士は嘆息した。彼は五年以上も前にこの国を訪れたことがあるそうで、その時もこのような門前払いをされたのだそうだ。

「この国の歴史は浅いはずなんだが、プライドはもう大国並みだな」

「え、浅いのですか?」

 アリアが意外そうに尋ねる。

「ああ、俺が生まれた頃にできた国なのらしい。もとは海賊だ。スーの大陸の他、色んなところから物を巻き上げてできた金で陸にデカい家を作るうちに、すっかり陸に落ち着いちまったんだとか」

「それに田舎者呼ばわりされたのか」 

 サタルは唸った。はっきり言って理不尽である。確かにアリアハンには貿易大国ポルトガのような華やかさはないかもしれないが、かつては世界最大の領土を誇ったこともあったのだ。いやそれはどうでもいい。それよりもあの木偶人形のような男に自分が暗に「ダサい」と言われた気がして気に食わない。

「この俺のイケメンっぷりが分からないなんて、アイツ目が腐ってるんじゃねえ?」

「いや、そういう問題じゃないだろ」 

 フーガは無精ひげの目立つ顎に手を当てる。

「それよりどうする? 本当に入るか?」

「あの男の人が言ったことをずっと考えてきましたけど、結局分からないままここまで来ちゃいましたね」

 彼らはジパングで国の権力者の偽りを暴いた。その時、権力者の弟に化けていたらしい人物に予言めいたことを言われたのだ。他に目指すところもオーブの手掛かりもなかったので言われた通りエジンベアまで来てしまったが、未だその意味を分からずにいた。 

「エジンベアに来たのはいいが、ここに何かあるのか? この国は変なもんだぞ。外部からの客を絶対入れないんだからな」

「でも外交はしてるんだろ?」

「他国の王侯貴族なら渋々入れるらしい」

「それでよく国が回るよな」

 今一度エジンベアの城を仰ぐ。しかし高い城壁に阻まれて、どの部分か知らないが尖塔の先を見ることしかできない。こんなに壁を高くしたら中からの景観はさぞ悪かろうに。

「あれ?」

 サタルは目を凝らした。高い高い城壁の上、大分離れているので見えづらいが何かいる。壁の上の柵にロープらしきものを括り付け、ゆらゆら揺れるそれによじ登っている人影だ。頭は濃灰の中で引き立つ銀、山吹のジャケットに長い体躯。

 城壁のくぼみにかけたらしい足が一度ずるりと滑り、慌てて体勢を立て直す。サタルは確信した。

「あれ、スランじゃない?」

 一行はサタルの指さした方を窺う。細長い人影はロープを登りきり、柵を掴んで一息ついた。ロープを回収しようとするが手を滑らせ、慌ててこちらを振り向く。高い鼻と優美な横顔がちらりと見えた。

「本当だ」

「あのドジっぷり、間違いないね」

 フーガとカノンが頷きあう。アリアが訊ねる。

「あの、スランさんってイシスで落とし穴に落ちかけたっていう方ですか?」

「ああ。盗賊なんだが罠を見抜くのが苦手でな。熱意はあるし努力は惜しまない良い奴なんだが」

 以前彼女にも話したイシスでのエピソードを仲間達が復習する横で、サタルはふとあることを思いついた。スランは仕事の下準備はきっちりやる人だ。もしかしたら、この城についても詳しいかもしれない。

 少々手荒になるが協力してもらおう。城内を見下ろす細い背中に向かって大声を上げる。

「スラーン!」

 細い背中が傍目に見ても大きく跳ね、こちらを振り向いた。黙っていれば中性的で美しい顔立ちが勿体ないほどに驚きで歪んだ。

「何やってるんだー!?」

    スランはあからさまに狼狽えて首を左右前後に振っている。あの慌てよう、やはり騒がれるとまずいらしい。サタルの唇が弧を描いた。

「スランー! 久しぶりだなー! 元気かー!」

 わざと更に大きな声で叫ぶ。彼はさっとしゃがみ込んで大袈裟に両手でバツを作っている。焦ってる焦ってる。サタルは笑い出したいのを堪えてまた叫ぶ。

「そこで何してるんだぁ!? あっもしかして!」

「大声出すなあああ!」

 遂にスランは怒鳴った。そして背後を窺うと、今取ったばかりのロープを柵にもう一度括り付けて大急ぎで降り始めた。

「お前の方が声デカいだろ」

 フーガが思わずといった風に呟く。スランは滑るように城壁を降りきり、すぐこちらに向かおうとしてロープを回収し忘れたことに気付き急いで一度戻り、それから改めてサタルの方へ向かって突進して来た。

「よっ、久しぶり」

「ふざけんなバレるだろ!」

 開口一番、勇者のにこやかな挨拶に対して怒った。しかし言ってから自分の声の大きさに気付いたらしく、慌てて口を押さえた。今更遅いのにとサタルは笑う。

「何やってたんだ? 仕事?」

「違う」

「じゃあ何?」

 軽い気持ちで聞いたのに、スランは予想外に大真面目な顔をした。

「……やらなくちゃいけないことだ」 

 どこか決意めいたものを漂わせた声色でそう答える。フーガがサタルの背後から問いかける。

「仕事でもないのにやらなくちゃいけないことがあるのか?」

「あっ、フーガさんお久しぶりです――はい、そうなんです。この国が昔奪ったあるモノを返したいと思って」 

 何だか聞いたことのある話だ。サタルは首を捻って、数か月前に訪れた場所で聞いた話を思い出した。

「もしかして渇きのツボのこと?」

「えっ! 何で知ってるんだ!?」

 適当に言っただけなのに当たっていたらしい。驚愕を露わにする盗賊にしたり顔で頷いて先を促す。

「渇きのツボをスー族に返すのか?」

「そうなんだ。俺、先月雇われてスーの村に行ったんだ。そこであのツボがスー族の宝だったって知って……申し訳なくて」

 スランは項垂れた。人の好い彼らしいがそれにしても妙な言い方をする。この言い方ではまるで、自分がやったようだ。

「スランってこの国の貴族なの?」

「ええっ!? 何でそれも分かるんだよ!?」

 またしても適当に言っただけだというのにスランは大仰に目を見開いた。自分で言ったようなもんだろうと笑いたくなる反面、なるほどと納得する。彼の性格や物腰、話し方からにじみ出る育ちの良さはその出自から来たものだったらしい。

「俺、この城で生まれて育ったんだ。みんなの閉鎖的で偉そうな雰囲気が嫌で家出――飛び出したんだけど、その前は城の宝物庫にあるものをよく見てたんだ。その頃から外に憧れてて、城にあった遺跡図鑑や秘宝図鑑、各地の伝説をよく読んでたから渇きのツボも自分の目で見たしどんなものかも知ってた。でも、まさか奪って来たものだなんて知らなかったんだ」

 盗賊は心底悲しそうである。祖国の蛮行など一切知らされずに生きて来たのだろう。飛び出したとは言っていたが、その表情は生まれ故郷を愛する者のものだった。

「だから返すことにしたんだ。俺ならあれがどこにあるかも知ってるし、何も知らない人より侵入もしやすい。城のみんなは着飾ることの方に夢中で、ツボのことなんてもう忘れてる。今のうちに……」

「でも、奪って返すの?」

 カノンが眉をひそめた。

「それはまずいんじゃない?   下手したら勘違いして、またスー族に攻め込みに行くようなことにならない?」

「あっ」

 スランは目を見開いた。それは考えていなかったようだ。

 存在自体を忘れていたような宝でも、なくしたと分かった途端執着が湧くというのはよくある話である。その宝がたとえもともとスー族のものであったとしても、国家間なら都合が悪いことなんていくらでも捻じ曲げられる。

「王様に話をつけたら?」

「駄目だ」

 頭を抱え首を横に振るとさらさらと銀の髪が揺れる。

「駄目だよ、あの人は物分かり良さそうにしてるけどかなり欲張りで面倒なんだ。あれが何を隠すためにできたものか知ったら……」

「そんな大事なものなのか」

 そう問うたフーガに頷き、スランは真摯な面持ちで一同を見回した。

「絶対言うなよ。渇きのツボはな、スー族の祖先とも伝えられる太古のある一族が、とんでもない秘宝を隠すために精霊から授かったものだと言われているんだ」

「とんでもないものって?」

 サタルが聞き返すと、盗賊は目を輝かせて息を飲んだ。

「この世のどんな閉ざされたものも開いてしまう……最後の鍵だ」

 「最後の鍵!」

 そう声を上げたのは一人ではなかった。アリアは驚いて背後を振り返る。つられて全員同じ方を見る。

 そこには一台の大きな馬車と、その御者台から飛び降りる桃色の影があった。小さなそれがこちらに向かって大きく手を振る。カノンがあっと声を上げた。

「わあやっぱり! 久しぶり元気ぃ?」

 キラナだった。駆け寄りながら溌剌とした笑みを浮かべる。

「貴方達ったらランシールから北に向かったっていうんだもの! てっきりネクロゴンド山脈にアタックしに行ってるんじゃないかって心配だったのよー!」

「何で知ってるんだ?」

「ランシールの道具屋から聞いたよ」

「耳が速いなあ」

 彼女の耳は世界中にあるのではないだろうか。商人ギルド所属は伊達じゃない。

 スランは自分の胸あたりの高さでぴょこぴょこするポニーテールを、珍しそうに眺めている。しかし、彼女が自分の方を向くと慌てて視線を逸らした。

「最後の鍵って言ったよね?」

「だ、誰だアンタ」

「商人ギルドのキラナ。あなた盗賊でしょ? 最後の鍵のこと、聞かせてくれない? 私達あれが必要なんだ」

「まあまあ待て」

 警戒心を剥き出しにしたスランの顔を見て、フーガが割って入った。

「キラナ、お前はどうして最後の鍵がいるんだ? それを話さないとコイツは教えないと思うぞ」

「あ、そうなの? あまり話しちゃいけないことなんだけど」

 キラナはちらりと俺達の顔を眺めまわした。友人というより商人の目だった。

「ちょうどいいかな。貴方達、また一つ手伝ってくれない? 受けるかどうかは話を聞いてからでいいから」

 フーガが口を開きかけるが、それより早く商人は話し始めた。

「サマンオサに行きたいんだよね。魔王が世界を滅ぼそうとしてるっていう噂がどんどん広まってるのは知ってる?」

 知らないわけがない。だが、スランはそうではないようだった。

「魔王?」

 素っ頓狂な声を上げる。

「その昔ネクロゴンドを滅ぼした魔王バラモスがそろそろ世界を滅ぼすって、今もっぱらの噂なんだよ? 貴方達は聞くでしょ?」

「少しは聞くかな」

 口にする人はしきりに気にするし、口にしない人は知っているかどうかすら分からない。ジパングあたりでは全く聞かなかった。

「そのせいで、今世界的に武器や防具の需要が高まってるの。特にロマリアやポルトガの辺りなんてすごいよ。ロマリアはほら、王様がああじゃない? だから不安な人が多いらしくて」

 ポルトガにはカルロスとサブリナがいるしなあ、とサタルは思い返す。彼らは魔王に呪いをかけられた悲運の恋人達だった。思うに、世界貿易と造船で知られるポルトガの国を抑えるのが目的だろう。

 キラナは両手をあげて見せた。

「お陰様で武器屋も防具屋もてんてこ舞い! どうにかしてくれないかってギルドに泣きついて来るわけ」

「作ればいいんじゃないか?」

「作ってるよ。それだけじゃ足りなくなってんの」

 世間知らずの盗賊の言葉に、キラナは溜め息と共に返す。

「あのね、武器と防具っていうのは、全部その店の商人が作ってるわけじゃないのよ? 武器や防具を作る専門の職人から仕入れてるの」

「そいつらが足りないのか?」

「人数はどうにかなってる。問題は需要の声と供給の質」

 女商人は綺麗に結われた頭に指をあてる。

「素人でも使いやすい武器はないのかとか、女子供でも装備できる鎧はないのかとか、寄せられるのはそんな声ばっかり。武器屋と防具屋の客層っていうのは今まで戦い慣れている人達がメインだったんだけど、最近素人がいっぱい来るの! でもお客様はお客様だからどうにか対応しなくちゃでしょ?」

「大変だな」

「まったくよ」

 フーガが労いの言葉をかけると、キラナは肩を竦めた。

「それでサマンオサか」

「そう。あそこいい職人がいっぱいいるから、ちょっと回してもらいたいんだよねー」

「でもあの国はおかしくなったって噂だろう。聞いてもらえるのか?」

「それがとんでもない人を拾っちゃったのよ、私」

 キラナは振り向き、遠くに向かって大きく手招きをした。

「ねえ、ちょっと来て!」

 荷台から誰か出てきて、馬車が動き出した。若い男である。使い込まれた魔法の鎧を着こんだ均整の取れた体躯、腰には細身の剣をはいている。柳のような眉は吊り上がって、切れ長の瞳と合わせて意思の強そうな印象を与えていた。年は自分より上だろうがフーガに比べて若そうだ、とサタルは見た。

「紹介するね。サマンオサのレオさん」

 御者台から飛び降りた彼を、キラナはそう紹介した。その名前には聞き覚えがある。

「もしかして、勇者サイモンの」

 意外なことにそう呟いたのはカノンだった。男は微笑して頷く。

「サイモンは私の親父だ」

「じゃあ、噂は本当だったのか」

 フーガは驚いたようだった。男は首を僅かに傾ける。癖のない黒髪がさらりと流れた。

「噂?」

 いやと戦士は口ごもったが、首を横に振って彼に視線を合わせた。

「アンタが、親父さんを探して旅に出たって聞いたんだ。その……サイモンさんは」

「その通りだ。父は国王に追放された。私は親父を探して旅をしている」 

 いや、それよりも大きな目的が一つ。レオはキラナの方を見た。

「故郷、サマンオサを助けてくれる人間を探していたのだ」

 サマンオサについてはサタルも聞いている。フーガやカノンは言うまでもなく、アリアも気づかわしげな表情をしているから知っているのだろう。

 その中でただ一人、スランだけは目を丸くして揃った面々を見回している。

「スラン、お前最近何してたんだ?」 

 見かねたフーガが訊ねた。

「え? その……スーの森に潜ったり、ムオルの樹海で遺跡を探索したり」

「たまには酒場で他人と話せと言っただろう」

「あの、人里がさっぱりなくてですね」

 スランは気まずそうに引き攣った笑みを浮かべる。このトレジャーハンターは人を引き寄せそうな外見に反して、人付き合いが苦手なのである。サタルからしてみればとんだ宝の持ち腐れだ。

 フーガは仕方ないと言いたげに、彼のために語り始めた。

「サマンオサはかつて、最初にアリアハンに反抗した国だっていうのは知ってるな?」

「はい」

「今でもそれは変わっていない。サマンオサとアリアハンは外交上あまり仲が良くないんだ。それでも他の国とは交易があった。あの国には豊富な資源と先住民から引き継いだ魔法技術があるからな。他の国もあの国とは積極的に関係を持ちたがった」

 うんうん、とスランは頷く。

「ところが最近、急に国の様子が変わった。俺が聞いた噂では旅人どころか外交官も受け入れず、ルーラによる転移も完全拒否。国土を囲む高い山脈のこともあって事実上鎖国状態らしい。原因は」

 戦士はちらりと目でレオを窺った。彼は片手を挙げた。

「私に話させてくれ。原因は国王陛下の人変わりだ。心の優しいお方だったのだが、一年半より少し前に急に変わってしまわれた。己に牙を剥く者、向かない者構わず、少しでも気に食わないことがあると処刑してしまうようになったのだ」

「そんな……」

 アリアは手で口元を覆った。レオはやるせなさそうに俯く。真面目そうな顔立ちに影が落ちた。

「国税も跳ね上がった。民は飢え怯え、かつての忠臣たちもどんどん処刑されていく。私の父は陛下がお変わりになってしまったばかりの頃、真っ先に追放処分を受けて、今でも行方が知れない」

「何でだ。サイモンさんは忠義に厚い武人だと聞いたぞ」

「陛下曰く、世に仇なす物を持っていたからだと。それでその仇なすと言われた家宝、ガイアの剣ともども」

 ひどい。サタルは眉根を寄せた。噂で人変わりしたとは聞いていたが、そんな悪政をしいていたとは。温厚なフーガでさえ拳を握りしめている。

「気が狂ったのか」

「分からない。お変わりになってから、庶民は国王には一切近づけないのだ。私も何度国王に直訴しようとしたか」

 レオは悔しそうである。サマンオサのサイモンの息子は天雷こそ操れないものの、人望の厚い父に似た英傑だと聞いている。周囲も彼を失うまいと必死だったのだろうとサタルは推測した。

「だが、周囲から止められた。城の兵士からもだ。あの国王には何を言っても無駄だ。勝てないと。そこで私は、国王の支配下にない者なら彼に処刑されることもないだろうと思い、国外へ助けを求めに出ることにしたのだ。最初は父の居場所が分かれば父をとも思ったのだが、さっぱりどこにいるのか分からない。ポルトガとロマリア、イシスの国王にも聞いてみたのだが駄目だった。そんな折にキラナ殿と会って――」

「アンタそんなに凄いのか?」

 スランがキラナを見下ろした。キラナはにやりと口の端を吊り上げると上着をめくって見せた。銀地にポルトガ王家の碇を抱く鷲の紋章と、商人ギルドの天秤のエンブレムが輝いている。 

「言っとくけど私、ポルトガ支部局長よ?」

 フーガとカノンが目に見えてぎょっとした。アリアでさえまじまじとそのエンブレムに見入っている。サタルも勿論驚いた。

 世界で国と張り合えるほどの財力を持つ商人ギルドの本拠地はポルトガにある。そのポルトガの局長ということは、幹部も幹部、次期ギルドマスター候補であり、現在の長とも下手すれば張り合える大役である。

「おっ……まっ……」

 言葉に詰まるフーガ達を見て、支部局長は楽しそうに笑う。

「まあそんなわけでサマンオサを助けて、うちと商談を取り付けたいの。詳しく聞いてみるとその国王様も怪しそうだし、行ければ落としどころが見つかると思うんだ」

 でも入るまでが問題なんだよねえ、とキラナはいまいちその凄さが分かっていなさそうなスランに視線を転じる。

「今サマンオサに入れる唯一の場所に行くには、最後の鍵が要るの」

「あれ? でも出てきたんじゃあ」

 サタルがレオを窺うと、彼はこともなさそうに 言う。

「私はサマンオサ山脈を越えるのに三か月かかった。一人だったからというのもあるだろうが、時間がかかり過ぎてあまり効率的な手だとは思えない」 

「いや、一般人には無理だろそれ」

 サタルは思わずツッコんだ。隣のフーガを仰ぐ。

「サマンオサ山脈ってすっごく高かったよな?」

「前にサマンオサに住んでたことがある奴に聞いた話だと、一年中雪が降っていてレイアムランドより寒く、上に行くにつれて普通は呼吸ができなくなるらしい」

 フーガも呆れているようだ。自分の父も人とは思えないほど逞しいと聞いたが、このレオも父と同じ人種である気がする。

 だがそんなことは気にも留めず、レオはスランに深く頭を下げた。

「どうかお願いします。我がサマンオサのために、最後の鍵の場所を教えて頂きたい」

「んー……まあそういうことなら」

 見るからに立派な男に頭を下げられて、盗賊は決まり悪そうだった。

「でも、本当にそこにあるのか分からねえよ? 確実だろうとは思うけど、ちょっと手間がかかる。いいか?」

「勿論だ」

 サイモンの息子は大まじめな顔で了承した。スランは東に向けて利き手を振る。

「最後の鍵は、最果ての村ムオルより北の海の祠にあるらしい」

「なら船で向かえばいいのか?」

「ただ船で向かっただけじゃダメだ。祠は海の中にあるんだからな」

「そのために、渇きのツボが要るんですね」

「そういうこと」

 アリアは感心したようにぽんと掌を打ち鳴らした。

「けど、そのツボは城の中だ」

「じゃあ私達も協力する!」

 キラナが俄然勢いづいた。

「渇きのツボが貴方達の目当てなんでしょ? それなら私達も協力する! 私は貴方達がツボをもらいやすいように国王に話をつけてあげる! その代わり、私達と一緒にサマンオサに来て。腕の立つ人が必要なんだ。三ヶ月でどうにかならなかったら旅の続きに行ってくれていいから。どう?」

「どうだ?」

「俺に聞くの?」

 フーガが自分を見た。アリアとカノンもこちらを見ている。何となくフーガがリーダーである気がしていたが、そう言えば魔王討伐の勅命受けたのって俺なんだった、とサタルは思い出した。

「行こうよ。あと行ってない所っていうとサマンオサくらいだし、酷い状態なのを知ったからには放っておけないだろ」

「ありがとう。感謝する」

 レオはスランとサタルと握手をかわした。剣ダコのできた堅い手だった。

「今更失礼かもしれないが、君達の名前は」

 それぞれが名乗る。最後にサタルが自分の名を告げると、レオは切れ長の瞳を見開いて嬉しそうに破顔した。 

「君がサタル君か! 噂は聞いているよ。昔君のお父上がうちに来たことがあって――」

「ちょーっと待った!」

 キラナが英雄の息子達の間に割って入る。それから悪戯っぽく口角を上げて見せた。

「先に作戦会議しないとね!」

 

 

 

***

 

 

 サタル達は塀の角から城門の方を盗み見た。門番は依然として威圧的に立ち塞がっている。

「いい? 上手いことやってね? 終わったら――」

「分かってる。俺とスランが戻って来るよ」

 念を押すキラナにフーガが答えた。スランが門番の方を窺いながら急かす。

「早く行こうぜ。効果が切れちまう」

「ああ。行くぞ」

 スラン、フーガ、サタル、カノンの四人は一斉に動き出した。四人の姿は消え去り草により透明になって背景に溶け込んでいるため、よほど目を凝らさなければ存在にすら気づけない。足音を殺して城門へ向けて一直線に歩く。門番は一心に前方を見ている。こちらの動きに気付いた気配はない。それを確認して、赤いレンガ橋の上を一息に進んだ。途中門番の頭を小突いてやろうかとサタルは思ったが、あとでフーガとカノンの二人にそろって本気で怒られそうなので止すことにした。

「よっしゃ、いい気味」

 開け放たれた城門から無事中へと侵入して、サタルは舌を出した。姿こそ見えないが、朧げな輪郭で見て取ったらしい戦士が彼の背を叩いた。

「まだだ、気を抜くなよ」

「分かってるさ」

「こっちだ」

 スランの声が招く。サタル達はそれに従った。城内は一応立派にできていたが、やがて行き着いた先にあるものを見てサタルは眉をひそめた。それは小さく、他に比べて随分粗末な下り階段だった。

「ここだ」

 しかしスランはそう言った。サタルは階段を覗き込む。

「これ大丈夫?」

「大丈夫だろ。古いけど、ちょっとやそっとじゃ崩れないはずだ」

 スランはそう言い切るが怪しいものである。まあ彼の方がこの城には詳しいし、自分が行くわけじゃないんだからいいかとサタルは気楽に考えた。

「俺達はこのままこの地下に潜る」

 スランの声が言う。

「やることが終わったら戻って来る。ここの連中は能天気だから、城内にさえ入っちまえばどこかの地方の貴族だろうって勝手に勘違いしてくれる。だが何か聞かれたら……覚えてるか?」

「私は名もなき田舎の地方の出でございまして、父がお大臣様に御用があるのを待っております」

「そうだ」

 すらすらと言ってのけると、スランが頷いた気配がした。

「そう言っとけば大抵ばれない。この国には開拓したての名もない地方なんてわんさかあるからな。それを認めて欲しい奴も後を絶たない」

「けどお前、調子に乗って目立つことするなよ?」

「やだなーしないよ。女性のエスコートがあるんだから」

 サタルは笑って見せるが、恐らく見えていないだろう。

「じゃあ見張り、頼んだぞ」

「うん、任せて」

 サタルは二人がいるだろう方向へ向けて手を振り、送りだした。二人の気配が遠くなっていく。周囲に人がいないから、その様子がはっきりと分かった。

「さあ、楽しい楽しい二人きりの時間だよ」

 おどけた調子で声をかければ、背後で鼻を鳴らすのが聞こえた。サタルは膨れ面をして見せる。

「ちょっと、少しは嬉しそうにしてよ」

「全く嬉しくない」

「そんな酷い。俺はとっても嬉しいのに」

「はいはい」

 流された。酷い。

 カノンとサタルはスランとフーガが地下へ渇きのツボを取りに行っている間、見張り番をすることになっている。この地下は城の人間にも忘れ去られているようなもので、滅多に人なんて来ないらしいのだが、用心するにこしたことはないだろうということだった。

 目の前を二人、談笑しながら女性が通り過ぎていく。二人ともよく似た服装に身を包んでいる。詰め物がなく肩が出そうなほどに襟ぐりの開いたドレス。段々に重なったビゴラスリーブの袖。腰の部分は細く締まって――おそらくコルセットをしているに違いない――腰でふわりと上のスカートを開き、中に着込んだスカートを見せている。袖とスカートはサテン生地で美しく輝いていて豪勢だ。

「贅沢なドレスだったね」

 彼女達が通り過ぎるのを待ってから、サタルはカノンにそう話しかけた。彼女はいつものようにすげなく答える。

「動きづらそうだ」

 彼は思わず笑ってしまった。彼女のこういう飾り気のない率直な回答はとても好ましいと思う。

「カノンっていちいち意見が男前だよね」

「男みたいなものだからね」

 カノンの答えを聞いて、サタルは首を横に振った。

「冗談じゃない。君が男だったら勿体なさすぎる」

「変なこと言うね。人に勿体ないも何もないでしょ」

 声の調子からして、きっと訝しそうな顔をしているんだろうなと推察する。声が聞こえるのに顔が見えないままで会話するなんて、変な気分だ。早く顔が見たい。

「勿体ないよ。君は女の子の方が良い」

「どうして?」

「どうしてって」

 返そうとして、はたと口が止まってしまった。そう言えばどうしてだろう。仮にカノンが男だったら、きっとサタルとは正反対な不言実行、質実剛健のいい男になったに違いない。自分ともいい友人になれただろう。なのに自分は彼女には女性でいてほしいと思う。どうして?

「……可愛いからかな」

 ややあってテンプレートの回答を口にしてみて、納得した。そうか、彼女の女性としての外見が気に入っているのか。

 しかしもともと自分の女性の好みはオールラウンドで、一つのこだわりなどなかったはずなのだが。

「うるさい」

 しかしカノンは彼の疑問など知らず、一蹴した。サタルは唇を尖らせる。

「えーうるさくないでしょ。あ、もしかして照れてる?」

「照れてない」

「照れただろ? いいんだよ照れなくて。君は可愛いよ?」

「うるさいこのエセ勇者。黙れ」

 この声の印象では軽くうっとおしがっているくらいで、本気で嫌がってはいないだろう。

 ああ、顔が見られないのが勿体ない! 今どんな顔で自分の絡みを躱そうとしているのかすごく気になるのに。あの小ぶりで可愛らしい顔をどう歪めて――あるいはもしかしたら赤らめて――「うるさい」と言っているのか見たい。すごく見たい。

 しかし消え去り草の効果はまだ解けない。サタルは名残惜しく思いながら、彼女の台詞で思いだしたことがあったので話題を転じる。

「そう言えばカノン、レオのこと知ってたんだね」

「ああ、まあね」

 声から意地になったようなトーンが消えた。

「噂には聞いたことがあったからね。サマンオサのサイモンの名に恥じない剣士だって」

「ふーん」

 サタルは何となく面白くない。レオは自分より年上だし、その差の分武勇が広まっていても仕方ないだろう。だが、はっきりとそれを言われると妙な気分だった。アリアハンのオルテガ、サマンオサのサイモンは昔勇者として名を馳せた英雄である。張り合うつもりはつもりはないし勝てるとも思えないのだが、何というか。

 彼は何気なく尋ねる。

「彼のこと、どう思う?」

「サマンオサ山脈を一人で越えられたのが本当なら、大したもんだね。剣もあの様子ならお飾りじゃないだろう」

 カノンが他人を褒めた。ますます面白くない。

 彼は男性として魅力的だろうか。サタルはレオの顔を思い返してみる。鋭利な印象のある細い顎、切れ長の瞳、鼻は高く唇は薄め。肌は白色系だが日に焼けている。身体つきはフーガほどではないが、サタルよりは逞しい。背も高い。総合してみると、美男とは言わないまでも十分な外見であることは確かだ。

 顔では勝てる自信がある。体格は微妙だ。こうなると勝負はつけがたい。個人の好みによるとしか言えない。

「あの人がどうかしたの?」

 カノンが訊ねてきて、サタルははっとした。いつの間にか物思いに耽ってしまっていた。しかも出会ったばかりの男のことで。そう思って彼は顔を顰めた。この言い方はすごく嫌だ。

「ねえ」

「あっ、ごめん」

 サタルはにこやかな顔を拵えた。顔が見えないとはいえ、女性に仏頂面を見せるのはポリシーに反する。

「別にどうもしないんだけど、君も知っているみたいだったから」

 君も知っているみたいだから?

 サタルは自分の口にした台詞に違和感を覚えた。知っていて当たり前じゃないか。サマンオサのサイモンの息子は冒険者の間でも有名なようだから。カノンが知っていて、だからそれが自分にとって何なのだろう?

 思考が乱れている。そう感じた時、急に視界に新しい色彩が加わった。

「あ、解けた」

 カノンが呟いた。しかし、サタルはそれどころではなかった。目に飛び込んできたものに釘付けになっていた。

 小柄な体を包むのは薄紅のドレスである。襟は先ほどの女性たちのように大きく開いて、首筋から肩の線、鎖骨まで露わになっている。袖はゆったりとしてフリルのように段がついており、スカートは丸く膨らんで内からクリーム色の生地が覗く。そしてそのゆったりしたスカートの上の、腰の細いこと。

「君、そのドレス」

「これ? キラナに着せられたんだよ。ばれないようにってさ」

 カノンはドレスの裾を持ち上げてひらひらと振る。宮廷で育てられた女性ならば「まあ、はしたない!」と怒られるところなのだろうが、サタルはちらりと見えた踝に目を奪われた。小さくて華奢で、折れてしまいそうだ。

 そう言えば彼女は馬車で着替えて、そのまま消え去り草を食べてから出てきたんだった。

「似合わないでしょ」

 その声に顔を上げた。いつぞやになぞったこともある首筋の上に乗った顔は小さく愛らしい。特にその大きな黒目がちの、猫に似た瞳が愛くるしいと思う。瑞々しい黒髪は結われ、可憐な布の髪飾りでまとめられていた。

 すごく綺麗だ。まるで――比喩を思い浮かべようとしてサタルは戸惑った。喩えてその美しさを現したいのに、思い浮かばない。適当な表現が出て来ないのである。彼女の可愛さと綺麗さを両立して妥当だと言えるものがない。

「……可愛いよ、すごく」

 そのため、ややあって出てきたのはそんな情けない一言だけだった。

「あのさ、前から思ってたけど」

 カノンの唇が不機嫌そうにすぼまる。柔らかそうだなと思った。

「無理してお世辞言わなくていいから。別に欲しくないし」

「そうじゃないよ! 本当だよ」

 サタルは慌ててそう言った。しかしカノンは胡乱な目つきである。

「どうだか」

 サタルは混乱した。おかしい。何かがおかしい。女性への賛美がすぐに出て来ないなんて自分らしくない。こんなにも心の底から綺麗だと思うのに、それを僅かでも伝えることができないなんて。

「君はすっごく可愛いよ! 君はもとから可愛いけど、普段全然お洒落とかしないから――あ、勿論普段の武闘着でも十分可愛いよ?――すごく新鮮で見惚れちゃった」

 おかしい。自分の何かがおかしい。自覚しながらも違和感の正体を突き止めることができないまま、彼は懸命に感じたままを言葉として紡ぐ。

「君がそのドレスを着るととてもスタイルがいいね。襟ぐりの大きなものが似合うんだろうな、ラインが綺麗だよ。首や手足の細さとドレスのボリュームのバランスがいいね。ふわっとしてて可愛い。色も君に合ってる。あまり明るい色の服を着てるのを見たことがなかったけど、赤が似合うみたいだ。肌が白くて綺麗なせいかな。それからドレスのもよ――」

「もっ、もういい」

 必死になっていて、彼女の表情の変化に気付かなかった。サタルが口を止めてその顔を見ると、頬が朱に染まっていた。目は斜め下を向いて、頑なにこちらを見ようとしないのが伝わって来る。

 まずい、怒らせた? 自分の顔から血の気が失せるのを感じた。

「ごめん! 上手くなかったね。怒らせたならごめん」

「怒ってない!」

 彼女は小さな掌でスカートをぎゅっと握った。瞳はもとから潤みがちなせいもあるが、今は余計に泣きそうなほどに潤って見える。

「よくそんな……調子のいいこと、ばっかり」

 口唇から洩れたのは、少し震えた細い声。

 怒ってるんじゃない、照れてるんだ。ようやく気付いたが、今度は彼はからかいの言葉を口にできなかった。というのも、いきなり胸を正体不明の何かが強く締め付けて来たからだ。

 彼は思わず己の胸を掴む。何だろう、この感覚は。締め付けられるというか、何かが突き抜けそうというか。刺されたようで、しかし心地よい痛み。

 何だろう、これは。

 知らず、手を伸ばしていた。何を触ろうとしたわけでなく、ただ彼女に触れたくなった。カノンは胸元に両手を添えてこちらを見る。目が零れ落ちそうだ。彼は口を開いた。

「取って来たぞー」

 しかし、階下から呑気な声が聞こえてきて二人は跳ね上がった。階段を埃にまみれた盗賊が昇って来た。その両手には、大事そうに魚のようなものを形どったツボを抱えている。薄汚れた美青年は、驚いた顔つきの少年少女を見て首を傾けた。

「どうかしたのか?」

「いや、別に」

 サタルは愛想笑いをする。多分引き攣っていないだろう。笑顔の練習は毎日欠かしていないし。

 盗賊の後ろから戦士が現れた。

「いやあ手間取った。何だあの仕掛けは」

「昔の宮廷魔術師が考えたらしいですよ」

「これだから魔法使いって奴は」

 フーガは文句を言いかけて、並び合ったサタルとカノンを見て目を丸くした。

「お前ら、その格好似合ってるな。貴族かと思ったぞ」

 言われてみれば、サタルも上質なプールポワンにズボン、ブーツを穿いているのだった。彼は調子を取り戻そうとカノンの肩に腕を回し、気障ったらしく笑って見せ、

「だろ? こうして見ればほらこ――」

 と自慢しようとして、カノンに突き飛ばされた。抱き付いた城壁が冷たかった。

 

 

 

 

 

 

「水がないです!」

「こっちにもないぞ!」

「今朝井戸から汲んだのに!」

 渇きのツボを地下に戻して、また登ってみればエジンベアの城は大騒ぎだった。水がなくなったのに気付いたらしい。サタルはにやりと笑った。

「おっ騒ぎになってるよ」

「今頃気付いたのか」

 カノンは騒がしい場内を冷めた目で見ている。サタルは振り向いて彼女に提案する。

「見に行こうよ」

「もう入ってるの?」

「多分もう入れたんじゃないの?」

 彼女を連れ立って、サタルは玉座の間に続く階段を上がる。

 衛兵達は物々しいというより、困惑しきった顔で右往左往している。女性達は恐ろしそうにひそひそと声を潜めて話し合う。その顔を順に見ながら、サタルは適当に神話の女神の名をあげていく。彼女はフローラ、アンブロシアーナ、あちらはニンフの誰か。うん、やはり挙げられる。なのに何故、先ほどはできなかったのだろう。

「そんな馬鹿なことがありうるのか」

 玉座の間に上がると、人々のざわめきを通り越して疑わしげな声が聞こえてきた。一段と豪勢な一室には既に多くのエジンベア人が集まっている。人の垣根の隙間から見れば、玉座に腰掛けた男へ傍に控えた初老が身振りを交えて報告していた。

「はあ、それが城内のあちこちからそのような報告が上がって来ておりまして」

「水が消えたと?」

「はい」

 立派に立てた襟を正して初老の男は言い募る。

「確かに汲み置いたはずのものが次々となくなっているのです。誰かが使った様子もなく、急に蒸発するのです」

「そんな馬鹿なことがあり得るものか」

「俄かには信じがたいですが、皆気味悪がっております」

 王は唸る。ブロンドの髭が深い息に揺れる。サタルは口の端を吊り上げた。

「思ったより効果出てるな」

 ね、と隣の同伴者を見れば、彼女は玉座の方を窺おうとしきりにつま先立ちをしていた。履きなれないヒールの足は、よろよろとふらついてはすぐに踵を地面につけてしまう。勇者はきわめて紳士的な笑顔を繕う。

「抱き上げてあげようか?」

 空気を切った拳が腹へとめり込む音は、しかし王の間に突如響き渡った声に掻き消された。

「お困りのようですね!」

 人のざわめきと垣根が、示し合わされたように割れた。振り返る先、中央後方に位置する下り階段に三人の旅人が立っている。一人はゆったりとした純白の長いローブにこれまた神秘的な青みがかった白銀の髪を垂らした、顔をヴェールで隠した女。もう一人は鉄仮面で素性を覆った騎士。そして二人の間に、桃色の髪を一つに束ねた少女が仁王立ちしている。響いた声は、彼女のものだった。

 その一番小柄な姿を認めると、王がおおと声を漏らした。

「これはこれは、キラナ殿!」

「お久しゅうございます陛下」

 キラナは堂々と割れた人垣の間を歩き、玉座から十歩ほど離れた位置で礼を示した。素性の知れない二人はその後に続く。国王は彼らを見て不思議そうな顔をした。

「その二人は?」

「はい、この二人はこの度私がこちらに行商に窺おうとしたところ、そちらの方角に凶事ありと見て同行して参りましたさすらいの占い師とそのお供にございます」

「凶事?」

 国王の目に不安の色がちらついた。キラナは変わらぬ営業用の笑みで大きく頷く。

「はい。こちらの方々は人助けを生業としていらっしゃるそうで、何でもエジンベアの水の相が良くないと」

「なんと!」

「ですので、それを祓い清めたいとのことです」

「その者達、素性は確かなのだろうな?」

 大臣が口を挟む。キラナは大きく相好を崩した。

「ええ、それは勿論。エンペリオ様はポルトガの母をご存じで?」

「い、田舎のことは存ぜぬ」

「まあ失礼いたしました。ポルトガにおります、占わせたら百発百中、その言葉は運命の女神様の託宣に等しいとまで言われる大変有名な女占い師でございます。その方の一番弟子がこのミス・トルーデです」

 サタルはにやつく唇を抑えた。トルーデと言えば有名なメルヘンの魔女だ。あの恐ろしい女のことを、この国の人々は知っているのだろうか。

「ミス・トルーデですって」

「変わった名前」

「どこの野蛮人かしら」

 人々の囁き声が聞こえる。サタルは三人の旅人に注視する。そのうちの一人、ミス・トルーデの片手がすうと床と平行に上がった。

 突如、乳飲み子ほどの火球がその指先に現れた。赤々と照らされた玉座の間に悲鳴が反響する。男も女も怯えて後ずさり、大臣と国王でさえ顔を引き攣らせた。

「ミス・トルーデはお見通しだ!」

 占い師のお付きである騎士がくぐもった声で叫んだ。

「この城には呪いのかかった悪しきアイテムがある!」

 王の間はどよめいた。

「それは今から三百年の昔、西の大陸に住む泉の精霊が己に嘘を吐いた男を閉じ込めたツボだ! その男には永遠にその舌の根が乾き嘘を吐くことができないよう呪いがかかっている! 男はツボの中で渇きに苦しみ、水を求めて喘いでいる! この城の水が突然なくなったのは、ツボの封印が解かれたからだ!」

「大臣、そんなものがこの城にあるのか?」

「わ、私の記憶にはございま――」

「地下だ!」

 王の問いに騎士が答えた。彼は大きく手を背後へと振り、人差し指で下を示した。

「地下にツボは封印されていた。しかし、それが解けてしまったのだ!」

「おお! で、ではどうしたら」

「ツボをミス・トルーデに渡すのだ!」

 騎士は次に、自分の主君に頭を垂れた。ミスは黙って立ち尽くし、指先の火球を揺らめかせている。

「ミスならばその悪しきツボを持っても祟られん! ミス・トルーデならあの悪しきツボを泉の精霊のもとへ返し、この城にもう災いの降りかかることのないよう祝福を頂けるだろう」

 国王をはじめとするエジンベアの人々は、畏怖の念をもってミス・トルーデを見つめた。彼女は利き手を一振りし火球を消す。玉座の間を覆っていた熱気が薄れた。

「頂いて行ってもよろしいですか?」

 初めて零れた声は、意外にも若く鈴をふるようだった。国王は何度も繰り返し頷いた。

 

 

 

***

 

 

「いやあ、上手くいったわね」

 キラナは自分の考えた筋道通りにいったので満足そうだった。アリアは長くだぼついだローブを脱ぎ、暑そうに手をひらひらとさせながら馬車の御者台に座る彼女に尋ねる。

「本当に頂いて行っていいのかしら」

「いいのいいの! 略奪品なんだから」

 キラナは気楽に言った。馬車の外を歩くレオが鉄仮面を商人に渡して生真面目な口調で言う。

「泉の精霊に謝った方がいいだろうか」

「んー? まあそうね。正直に懺悔した方がいいかもしれないね」

 そう言うわりに軽く鼻歌なんぞを歌っている。サタルは馬を撫でて、商人の方を振り返った。

「スランの言う通りなら泉の精霊の住む方と最後の鍵がある祠は方角も一緒だし、お会いしていくのもいいんじゃないかな」

「貴方達信心深いわねえ」

「泉の精霊にツボに封じ込められるのが怖くてね」

 彼女は明るい笑い声を上げた。

 筋書きを考えたのはキラナだった。渇きのツボを利用してエジンベアの人々に自らツボを手放させようと提案したのである。そしてそれにおあつらえ向きの昔話をスランが思い出し、組み合わせてうまく整えたのだった。

「だが、城中の水を全部抜き取るってなかなか骨が折れるな」

   もうやりたくねえとフーガが苦笑する。その隣でカノンとスランが本当にそうだと頷いた。

「でも封印が解けてるのを見た城の連中の顔、見たかったなあ。俺達外で待機だったから」

「いい顔してたわよ。本当にあったのか! ってね」

「一人くらい覚えてろよ。情けねえ」

 スランは天を仰いだ。フーガとスランは城に潜入し渇きのツボの封印を解き、消え去り草で姿を消してツボを持って城中の水を探し当てて吸わせまくるという、地味ながら手間のかかる役割を担当したのである。そう考えると自分とカノンの仕事はわりが良かったなとサタルは考えた。事の顛末をずっと見ていられたし、何より。

「さあ、これで最後の鍵を手に入れてサマンオサに向かうよ! 船貸してよね!」

「へいへい」

「もう、フーガったら。私のお陰でツボが手に入ったんだからもうちょっといい返事してよ。ねえサタル」

「なに?」

 サタルは御者台を見上げた。キラナは妹そっくりの顔で、全然似ていない愛想の良い笑みを浮かべた。

「私の作戦、悪くなかったでしょ?」

 うんそうだねとサタルは努めてにこやかに微笑んで見せながら、何が一番悪くなかったかは当分自分の胸の内にしまっておこうと思った。

 





 

 

 

20150203 執筆完了