「ハーイ! どう?」

 白い一枚羽織りの民族衣装姿で女物のカツラを被り陰から出てきたサタルをみて、一同は微妙な面持ちになった。

 線が細いからいけるかと思ったが、案外似合っていない。細いとは言っても所詮男の中でのこと、女にしては少々筋肉質にすぎる。

「キモい」

「ばれるな」

「ちょっと、厳しい気が……」

 一蹴するカノン、現実を告げたフーガ、控えめなアリア。それぞれの批評を聞いて、サタルはむくれた。

「何だよー。これくらいいけるだろ」

「いけない。女好きの怪物だぞ? 見破られるに決まってる」

 紫の宝玉があると聞いてやってきたジパングの国で、彼らは一国の平穏のために必要だという生贄の娘に出会ってしまった。ヤヨイという彼女が語るには、この小国は近くそびえる火山に住む魔物が火山を怒らせ国を襲うことがないよう、長年生贄を捧げているのだそうだ。これまでに何人もの娘が魔物の住まう火山へ連れて行かれ、帰ってこなかったのだと言う。

 ヤヨイは生贄になりたくないと泣いた。それはそうだろう。しかも彼女の言うことには、生贄を捧げている割に最近火山の機嫌が良くないのらしい。そのためあまり大きな声では言えないものの、民は生贄を捧げよと命じた統治者であり神託の巫女ことヒミコの指針を疑っているのだそうだ。

 彼女は一行に見逃してくれと懇願した。彼らは勿論承諾し、それだけでなく彼女に協力することにした。本当なら来たばかりの国でよそ者が勝手なことをするべきではない。だがどうにもこの国は怪しかった。巫女の住む社には不穏な空気が漂っているし、紫の宝玉について社の者に聞くと、妙に邪険に知らないと突き放される。さらに聞くところによれば、生贄の儀が行われるようになってから、火山に住む魔物の生態が変わったのらしい。

「昔はもう少し種類も少なくて弱かったそうです。だから、お山にいる化け物は生贄で力をつけてるんじゃないかって」

 ヤヨイはそう語った。彼女の隠れていた地下で五人は話し合い、まずはその人身御供を必要とする魔物がどのようなものかを確かめることにしたのである。

 ジパングの民に長いこと恐れられている火山の怪物は、オロチと呼ばれているらしい。色々聞いて回ってみたが、ジパングの民もその詳しい長い首を持つドラゴンであるということ以外詳しいことを知らないようだ。ただ若い娘の肉を好むということで、そのためご機嫌伺いを装って生贄を捧げるフリをしておびき出し、様子を見てみようという話になった。

 生贄は黒髪の少女が妥当だと読んだ。その条件を満たす一行の中の人物はカノンのみだったのだが、何故かサタルが自分の女装でもいけるのではと言い出したために先に彼が生贄の衣装を試着した。だが、結果は見ての通りである。

「いや、ちょっとくらい男っぽくても魅力があれば……!」

「じゃあお前が神だとして、カノンと今のお前とどっちを拐いたいと思う?」

 サタルは黙った。この気色悪いのに比べれば自分の方がましだろう、とカノンも考える。

「でも俺が女装したい!」

 しかしサタルは何故か自分が行くことにこだわる。武闘家はうんざりした。自分がやれば早い話なのに、何をそんなにこだわるのか。

「女装なんて、後でいくらでもすればいいだろ」

 カノンが苛立ったように言うと、サタルは反論した。

「今やりたいんだよ」

「ふざけるな、遊んでる場合じゃないんだ」

「遊んでない! 君をこんな薄着一枚で得体の知れないモノの前に放り出すなんて、危険すぎる」

 アリアがまあ、と声を漏らした。

 サタルは至って真面目な面持ちをしている。この無駄なフェミニストめ、とカノンは呆れの交じった溜め息を吐く。十六になってやっと旅に出たひよっこが何を言うか。

「いまさら何い――」

「何だ、騒がしいな」

 背後から声がした。階段を下りてくるのは、ひょうたん形に髪を二つに分けて結う、この島独特の髪形をした男性である。顔は平たいがなかなかの偉丈夫で、カノンはこの男性をどこかで見たような気がしてならなかった。

「ヒ、」

 蒼白になったヤヨイが口にした名を聞き、そう言えば例の巫女の弟がそんな名前だったっけとカノンはおぼろげに思い出した。

 

 

 

 

 

「あのな、ああいう場合大きな声を出さないのは当たり前だろう」

「はい」

 女王ヒミコの次に偉いという弟に見つかったことで、一行はヤヨイとともに連行された。四人はヤヨイと別の牢に隔離されたが、彼女は逃亡を企てたせいで、即刻生贄に捧げられると聞いた。

 大きな体にきつく縄を巻き付けられたフーガの前で、サタルとカノンは並んで俯いている。主にこれはサタルが駄々を捏ねたせいで、自分はたしなめてただけじゃないか、とカノンは理不尽に思うが、自分と隣の奴のやりとりのせいでヤヨイが連れて行かれてしまったのは事実である。早く何とかしなければと責任は感じていた。

「分かってるんだろうな、サタル」

「はい」

 元凶は萎れている。萎れれば済むもんじゃない。しかも、これで服装があの生贄衣装のままなのだから余計腹が立つ。

「まあ今どうこう言っても、仕方ないことだがな」

 フーガは嘆息して、自分達を閉じ込める格子を眺めた。庶民の住居が簡素すぎることからもっと単純な木材のみを使用した牢を予想していたのだが、この閉鎖的な島国にも鉄文化は伝わっていたらしく、木製の細かな格子の周囲はれっきとした金属で頑丈に固められている。

「魔法を使える者がいるようなのも厄介ですね」

 アリアが荒縄を外そうと腕を動かしながら、眉を下げる。

「牢屋には呪文封じがかけられているようです。魔法が使えません」

「荷物も武器も取り上げられてるし、鉄格子を破壊できてもこの縄が解けないんじゃどうしようもない」

 忌々しげにフーガが言って離れた位置にいる牢屋番を睨み付けた。牢屋番達はカノン達の荷物を漁って、やんややんやと楽しそうに会話している。

「生贄――ヤヨイはもう出発したはずだ。早く追わないと」

 焦るフーガの隣に立ち、カノンは格子戸の隙間から牢屋番の人数を数える。三人。男のみ。武器は腰に下げた鋼の剣と背に背負った木製の弓矢。装備は皮の鎧。今いる牢から彼らのいるスペースまではまっすぐな道で繋がっていて距離は自分の大股でおよそ三十歩。地面は土、道の両サイドは空の独房が続いているが隠れられそうにない。見張り達のいる向こうは壁を隔てて昇り階段があるようで、月明かりが段を照らしている。

 それから周囲を見回して他に牢屋番がいないことを把握し、鼻を鳴らす。

「何か良い策はある?」

「良い策も何も、荷物を奪い返してとにかく早く追うしかないだろう。だがアイツらは飛び道具を持っている。下手に牢を壊して行ったら」

「なら、ここはあたしに任せてくれないか」

「どうするつもりだ」

「すいませーん」

 返事はせず、カノンは格子の隙間から手を差し出した。兵士たちのうち、一番年を取っていそうな男――とは言ってもこの国の民は顔が平たいので年が分かりづらいのだが――が歩み寄って来た。

「お手洗いに行きたいんですけど、出してくれませんか?」

「そこですればいいだろう」

 冷たい眼差しと台詞。ふざけんなと返したいのを堪えて、カノンはできる限り困ったような表情に見えるよう眉を下げて両手を合わせた。

「そんな……イヤです。そこを何とかお願いします。何でもしますから」

「何でも? 本当か?」

 兵士の目が後方に向けて泳いだ。自分達の荷物にめぼしいものがあったか。だがそんなことはどうでもいい。カノンは頷いた。

「なら来い」

 腰の帯に下げられた鍵束で閂を外し戸を開く。頭をうつむけ気味にして戸口を潜り、兵士が閂を閉めるのを目だけで窺う。鍵束につく鍵の数はさして多くない。その中から、彼が今使ったものの形と鍵束での位置を記憶に留め、兵士が振り返る前に目を地面に戻した。あまり優しくない手が彼女の縄を掴み、輸送用の紐を括りつけて足早に引かれるままに後に続く。

「何だ?」

「厠だと。ちょっと行ってくる」

「おうおう、ゆーっくり行って来い」

 独特の訛りに笑いを含ませた男達の声に送り出され、カノンは見張り小屋を越えて階段を上る。辺りはすっかり闇に染まっており月光と強風が冷たい。草木が騒ぐのを聞いて内心ほくそ笑んだ。明かりに馴染んでいた男の目が闇に順応するのに時間を要することは明らかで、更にこれだけ風が唸っていれば下の兵士達には何も聞こえないだろう。

「さて、何でもと先程言ったが」

 兵士が歩を止めて草を踏みしめた音と、乾いた草が軽い重みを受け止めたのは同時だった。

 カノンは解いていた縄を落としてすぐに男の膝を裏から蹴り飛ばした。不意を突かれ崩れ落ちる首に飛びつき、抵抗されるより一瞬速く頭と胴を繋ぐ太い血管を狙い両腕で絞める。男は身体を激しく振るって逃れようとしたがすぐに静かになった。腕に濡れた衣服のような重みがまとわりつく。カノンは彼の完全に意識がないことを認め、片手を外して先程まで自分を縛っていた縄を取り手早く後ろ手に縛りその腰から鍵束を取った。まず、一人。

 縛った男は地面に転がしたまま、彼女は来たばかりの道を戻る。地下牢の階段を音もなく下る間に帯を解く。解ききった帯の先が青い光を放つ。食事に使うナイフほどの大きさではあるが、薄く鋭い刃物がついていた。

 階段を下り切るより前に歩を止め、壁を背に向う側を窺う。残る二人の牢屋番はまだこちらに背を向けたまま、カノン達の荷物から見つけたグリーンオーブにじっと食い入るように目を注いで話し合っている。見事なもんだな、売ればいかほどになるかなどという他愛もない会話。五歩、二歩、それからもう一歩。彼女は彼らの立つ位置を見ながら、手にした帯を振り子の要領で回し先端のナイフに小さな円を描かせる。それが高い音を奏でる前に壁の向うへと躍り出た。

 大きく一歩二歩三歩。ここで兵士達がこちらに気付く。四歩、柄に手をかける。五歩、間に合った。帯についたナイフを男達――否、その後ろで儚く揺れる灯へ投げつけた。

 地下牢は完全な闇に包まれる。カノンとて目が利かない。だがこの時のために標的の位置は覚えていた。

 二時の方へ大きく二歩、手繰ったナイフで重く風をまとうものを弾き、曖昧な暗い輪郭を頼りに右の肘を叩き込む。入った。落ちる男を振り抜いた腕でどかしてもう一人が振り上げた剣を躱す。行く手間が省けた。もう己が目は闇に慣れている。ヒュッと鋭く空を切る音と時を隔てずに呻き声が上がった。背中から大きく振り回した帯が、残る兵士の首に幾重にも巻きついたのである。カノンは委縮する手から剣を叩き落とし、帯を強く引いて寄せた頭を力任せに殴りつけた。自分より大きな体が視界の下に倒れる。カノンは動かない二人の背に括りつけられた矢筒を足で踏みつけた。

 迅速に自分の入っていた牢へ戻る。先程奪った鍵束から錠前に鍵を合わせ、中へ身体を滑り込ませた。

「カノン?」

「静かに」

 カノンはまずアリアの縄をナイフで切る。明かりを、と囁くと彼女は牢を出て指先に炎を一つ灯した。温かい橙が辺りを照らす。カノンはフーガとサタルの縄を切った。二人とも呆気に取られているようだった。

「何したの?」

「ちょっとスピードに物言わせただけさ。早く荷物を持って行こう」

 待てよとサタルが声を上げても構わず見張り達のもとへ戻る。アリアは明かりと共にその後をついてきた。漁られた品を袋へ戻す彼女達のもとへフーガが、それからサタルが来る。

「君、帯が」

「走りながら巻く」

「どうして帯を?」

「武器なんだよ」

「そうじゃなくて!」

「サタル、気持ちは分かるが後にしろ」

 フーガが宥めるも、サタルはまだ何か言い募る。カノンはそれを無視して荷物をまとめながら戦士を見上げる。

「火山への行き方は分かる?」

「ああ。俺が先に行く」

 カノンは頷き返して得物を腕に嵌め、宣言通り帯を乱雑に巻き付けながら戦士の後を追って走り出した。

 

 

 

 

 

 何という熱気だろう。火山の洞窟を下へ奥へと進みながら、カノンはまた目に入ろうとした汗を拭った。むき出しになった黒い岩肌は、燃えて煮えたぎる溶岩に照れされて熱された金属のように輝いている。噴き出した溶岩の地表を占める割合は高く、アリアのトラマナがなければ歩くこともままならぬような有様だった。

 熱風とマグマの眩しさで目が痛むが、彼らは立ち止まることをせず洞窟を駆け抜けた。そして最奥で神輿を担ぐジパング人の一団に出くわした。

「アイツら、まさかもう……」

「まだだ、もう一つ扉がある!」

 一団がどよめくのを余所にフーガは重厚な造りの扉に体当たりした。観音開きで視界が開ける。その先に、天井を突くほどの大きな五手をうねらせる奇怪極まりない影が聳え立っていた。

「ヤッ、ヤマタノオロチだあ!」

 背後でジパング人が喚く。五つの首を一つの胴から生やしたドラゴンが鎌首をもたげ、下首の二つで火炎を吐き出した。後ろへ大きく退こうとしたカノンの背筋が凍る。ドラゴンの足下に人影がある。頼りない白装束でへたり込む乙女が。

 なりふり構っていられなかった。大地を強く蹴り押し寄せる熱波に逆らう。ヤヨイの黒い髪に炎の触手が伸びる――それでも彼女は手を伸ばした。

 指が震える肩に触れる。灼熱で灼け付いた皮膚が干からびる。力一杯彼女を抱きすくめ、カノンは無防備な背中を炎へと差し出し目を瞑った。

 背が焼ける。首を、腰を熱が嘗める。その覚悟をしていた。しかし、予想したものはいつまで経っても襲ってこなかった。

 「大丈夫か!?」

 代わりに生暖かい風が吹き抱きかかえられる。カノンは恐る恐る目を開けた。顔を青くした優男が彼女の背をさすっていた。

「立てる? ヤヨイさんも立てますか?」

「なに、一体何が……」

 振り向いて、彼女は絶句した。巨大な竜の頭が五つ、全て氷の銛で壁に括り付けられていた。混じりけの一切ない透明がオロチの鮮血に濡れてその刀身の内に炎に似た光を宿す。火炎を封じられた龍は頭をひくつかせ、自由を求めて短い足をばたつかせる。地響きにまぎれて男の声が届いた。

「さあ、今のうちに頭を切り落とせ!」

 ジパング型に髪を結った男である。カノンはそれが自分達を牢へ放り込めと命じた人物だということに気付いた。何故いまさら?

「バイキルト!」

 アリアの詠唱で力をみなぎらせたフーガが怪竜へ斧を振りかざす。彼を見て、他のジパング兵達も気を奮い立たせ後に続く。だがヤマタノオロチは大きい。皆で分担して首を切り落とそうとするものの、長い首を激しく蠢かせ胴や足を暴れさせるものだから、踏み潰されないよう駆けまわる合間に一撃を加えるので精いっぱいだった。

 あれじゃあ先に氷の杭が外れてしまう。カノンは助太刀しようと膝を立てて呻いた。焼け付くような痛みが彼女を襲った。

「じっとしててくれ」

 サタルが彼女の両肩に手を置き懇願する。見れば、自分の手足はヤヨイを庇いながら勢いよく地面を転がったせいですり傷だらけだった。加えて炎の息を浴びたこともあり、服が破けて露わになった肉が焦げながら血と脂を垂れ流す酷い様相をしていた。

「ちょっとごめん」

 身体が宙に浮いた。サタルは片腕でカノンを小脇に抱え、もう片腕でヤヨイを支えて戦場から離れる。カノンは自分を抱える少年を見上げる。眉間に皺こそ寄っているが苦しそうではない。フーガほどではないものの力はあるようで、こう真面目な顔をしていると男らしいなと彼女は呑気な感想を抱いた。

 彼は壁際まで来てカノンをそっと下ろし、ヤヨイを壁に寄りかからせて座らせた。

「ヤヨイさん、ちょっと待っててくれる? 先に彼女を治させてほしい」

「あたしは自分で治すからいい」

「何言ってんだよ。雑に治すと痕が残るぞ」

 思いの外厳しい口調で言われ、カノンは目を丸くした。その隙にサタルは横たわった彼女に両手を翳す。詠唱もないうちに治癒の光が集い、自分の体に注がれる。背中と四肢の負傷した部分が再生していく感覚がむず痒い。

「別に、痕なんてもう」

「黙って。集中してるんだ」

 彼女はこれまでにない少年の強い台詞に気を取られ、普段の反抗心など忘れて口を噤んだ。苦手な痒さに堪え終わると、今度は背中に細くひんやりとした感触が滑った。見ることがかなわないので分からないが、衣服の背面が随分なくなってしまったらしい。晒された生肌の上を柔く指が這う。その優しくもまとわりつくような掌の動きに意図せず身が震え、カノンは口を覆った。くすぐったいような、不思議な感覚だ。

「大丈夫かな、痕は残ってなさそう――」

 丹念な指が脇を掠める。

「ちょっ……」

   抑えた唇から声が漏れてしまった。刹那、指先が強張り弾かれたように離れた。

「ごっ、ごめん!」

 サタルは覆いかぶさっていた身体ごとカノンから距離を取り、慌てふためいて両手を振った。頬と耳に火が灯っている。

「違うんだ、傷がないか調べてただけで何もそのっ……ああもう!」

 サタルはヤケになったように自分のマントを乱暴に掴むと、脱いでカノンに被せた。雑な手つきで、しかし痛い思いをすることのないようにマントを彼女の体に纏わせる。

「汗臭くて悪ぃけどこれ着て! ヤヨイさんを頼む!」

 サタルはそうまくし立てると、踵を返してオロチの方へ向かって行った。カノンはその後ろ姿をポカンと見つめた。

「やだ、初々しい」

 呆けたような声が耳に入った。声の主はカノンと去って行った少年とを見て、それから我に返り頬を両の手で挟んだ。

「あっ、私ったら。申し訳ありません、つい」

「いやこっちこそ……ごめんなさい、どこが痛い?」

「足首を捻ってしまっただけで、それ以外は何ともございません。貴方のお陰ですわ」

 ヤヨイは丁寧に頭を下げる。それを上げさせて患部の処置を行った。幸いさして腫れていなかったが、まだ下手に動くと神経を痛める可能性がある。一応薬草を貼って安静にしているよう言い、カノンは無事だった相棒の鉤爪を構え前線に舞い戻った。既に首の三本が切り落とされていた。

「あともう少しだ!」

 戦士が各人に指示を飛ばす。ジパング兵数人が束縛の外れてしまった首の一つの注意をひきつけ、残りがサタルと共に封じられた首を切り落としにかかっている。フーガとアリアは暴れ狂う足に対処していた。

 カノンは全身の感覚を研ぎ澄ます。荒れた生命の波動が竜の全身から迸り出ている。その中でも特に波動の強い部分が彼女には分かった。首が複数生えていた部分の中心、そこが弱点だと読んだ。

「下がれッ」

 武闘家は宙へと舞い上がり、下降する寸前に叫んだ。首に集中していた面子が散る。生命の気配が色濃い中心へ、彼女は爪を翳し弾丸となって突き入った。

 会心の一撃。

 他の箇所に比べ柔らかな一点に、爪は的確にめり込んだ。視界が赤に侵される。もろに浴びた血液と肉とは沸かした湯のような高熱を伴っていた。

 身体を包む肉が二つの咆哮を伝える。カノンは生命力の弱まりを感じ取り脱出を試みる。しかし体内の深層にあるはずの身体はそのまま外へと飛び出た。生臭さから解放されて、反射的に大きく息を吸い込んだ。

「カノン!」

 パーティーの三人が駆け寄って来る。その時、これまでとは比べ物にならない地鳴りが轟いた。倒れた竜の身体から魔方陣が展開し、渦を巻く。

 旅の扉だ。そう思った時には渦に巻き込まれ、あの得体の知れない浮遊感に身を任せていた。

 視界が歪み回る。この世の果てを見たようなえづきを堪えて目を瞑り、時を待つ。浮遊感はやがて去り、瞼を開けるとこの国独特の木造建築の中にいた。

「きゃああっ、ヒミコさまぁ!」

 女官の悲鳴。カノンの足下に血に塗れた女が倒れていた。墨汁の海に似た髪の中に血の気のないうりざね顔が沈んでいる。衣装は丹精込めて織られたことが窺えるようなつやめく白だが、黒き血を多分に吸って汚れてしまっている。すぐ回復させようとしたアリアが手を止める。彼女の首元から背にかけて、見覚えのある穴が開いていた。

「まさか、貴方は……」

「ほほほ、バレてしもうたか」

 解けた長い黒髪の隙間から、うっすらと瞳が覗いた。それは金属的な黄金に輝いていた。カノンは思わず身を引く。

「大事ない、下がっておれ」

 女は煩わしげにオロオロする女官たちを手で払う。彼女達は躊躇っていたものの、彼女があの人離れした双眸で睨むと全員蜘蛛の子を散らすように去った。

 オロチの血を纏う女――否、自身の血を滴らせたこの国の統治者は上体を起こす。その痩身は満身創痍であったが、にも関わらず薄い唇に浮かぶのは挑発的な微笑みだった。

「わらわの本当の姿を見た者はそなた達だけじゃ」

 猫撫で声は、危険な甘さと背筋を凍らせる不気味さを漂わせている。

「黙って大人しくしている限りそなたらを殺しはせぬ」

「何を余裕ぶって」

 フーガが言いかけたカノンの肩を小突いた。重い一重の目が女を指す。よくよくもう一度彼女を見直して、ぎくりとした。空けたばかりの穴が赤い泡を立てて塞がろうとしている。

「それでよいな?」

 恋人と逢瀬の約束を取り付ける少女の面差しで、彼女は囁いた。カノンは得物を握りしめる。

「いや、そうはいかないな」

 しかし勇者が平生通りの調子で答えた。彼は戦士と視線を交わらせ、軽く頷く。

「ある女性と約束したんでね。これ以上美人を死なせるような真似はさせないよ」

「ほほほ。そうかえ」

 ヒミコの唇が吊り上がった。瞳孔が裂けて、爬虫類めいた形相が浮かんだ。

「ならば生きては帰さぬ! 食い殺してくれるわ!」

 長い髪が五股に裂ける。髪が独立した個体のように宙を舞い、竜の頭を作る。邪気が膨れ上がり、一行は再び剣を構えた。

 ぐしゃり、と濡れた音が響いた。

「ようやっと正体を現したか」

 聞き覚えのある声がした。ヒミコは俯いた。巫女衣装の合わせ目から、氷の刃が突き出ていた。中央で縦に裂けた瞳孔が信じられぬように瞬いて、堅い動きで背後を仰ぐ。

「そ、そなたは……」

「貴方の、いや。貴方が乗っ取った女性の弟はずっと自分の部屋で寝てるよ。君が偽物だったように、僕も偽物だったのさ」

 ヒミコの弟が立っていた。片手は鋭利な氷を纏った刃を握り、姉を刺している。その刃が断つ位置は間違いなく心臓だった。

「長かったよ。三ヶ月もかかった。全く楽じゃないね」

「キ、サマぁ」

 女の胸から刃が抜ける。偽巫女はどうと倒れ込んだ。その弟であるはずの男は、冷酷な瞳でそれを見下ろしている。

「だが、それも貴方がこの国を貪った時間と比べれば大したものじゃない。もっと早く手を出せば良かった」

 男は亡骸をつま先で軽く蹴った。すると、ヒミコの横を向いた口から何かが転がり出た。それはうちに紫色の渦を巻く宝玉だった。

「君達に必要なものだろう? 持って行くといい」

 深みのある声で語り掛けるその相手が自分達であることを、台詞の後に彼のまっすぐな目がこちらを向いたことでやっと気づいた。

「エジンベアに行っておいで。そこで、かつて別れた仲間達が道を拓いてくれるだろう」

 男は遥か北、やはり辺境にある島国の名を口にする。そしてそれ以上何かを言うことをせず、ただその場を後にした。数拍経ってから一行は我に返りその後を追う。

 しかしその時には、彼は転移の風に乗って消えてしまっていた。

「何だったんだ、今の」

 カノンは男の溶けた空を見上げる。ちょうど群青の山際を白くかすませて、東より日が出づるところだった。

「さあ」

 勇者は首を傾け、それとなくはぐらかした。







 

 

 

20150103 執筆