通称「冒険者達の聖地」、ルイーダの酒場の主人である三代目ルイーダは迷っていた。

 このところ儲けは上々、お金もなかなか貯まってきた。女の一人暮らし、あまり生活に困ってはいない。それなら店の客のために使った方がいいのではないだろうか。

 例えば、今ある酒よりもう一段階くらい上の酒を取り扱ってみようか。そろそろ冒険者達もここにある酒に飽きてきたかもしれない。辛く厳しい旅に疲れ、酒に癒やしを求める者達も多い。数種類くらい増やしてみようか。

 または、今ある酒をもっと多く買った方がいいだろうか。あまり高い酒は冒険者達にとって手を出しづらいかもしれない。財布の膨らみ具合が心配な客も多いはずだ。それなら手頃な値段で、それなりにおいしく飲めるものの方がいいだろう。

「どうしたもんかねぇ」

 年季の入った机を拭きながら、ルイーダは一人呟いた。もう時刻は深夜に近い。冒険者同士の出会いや別れ、情報交換を主な目的とするこの酒場にとっては閉店の時間である。いつもなら、翌日に旅立ちの予定がない客が数人くらい飲んでいるのだが、今日はいない。珍しいこともあるものだ。

 その時、酒場の扉のベルがなった。即ち来訪者が現れたのだ。それもこんな時間に。誰だか知らないが、恐らくこの酒場に初めて来る人間だろう。

「ちょっと。今日はもう店終いだよ。明日出直して――」

 顔を上げながらそう言いかけて、ルイーダは止まった。目を大きく見開く。

「あんた」

 入ってきたのは大柄な男だった。鈍く光る重そうな鉛色の鎧を身に纏い、脇には同色の兜を抱えている。腰には剣、その持ち手の部分は茶色く変色している。それが汗なのか血なのかはルイーダには判断つかなかったが、とにかく使い込まれているのは分かった。背中にも巨大な斧を背負っている。明るめの茶色い髪は短く、風雨にさらされてボサボサ、顎には無精髭が生えている。黒に見える紺の瞳はあまり光を跳ね返さず、どことなく虚ろなのに、力強さも感じさせた。ボサボサ髪のせいなのか、無精髭のせいなのか、虚ろな瞳のせいなのか分からないが、全体的に疲れたような雰囲気漂う男だった。

「よぅルイーダさん、久しぶりだな」

「フーガ……?」

 気だるげに片手を上げて見せた彼の名を、彼女は愕然として呟いた。

 それもそのはず、ルイーダが最後にこの男と会ったのは、もうかれこれ六年程前のことなのである。

「あんた、今までどこに!」

「世界を回ってたんだ。俺は呪文は使えないからな。コイツの腕だけでも上げようと思って」

 フーガはそう言って、腰の剣に手を置いた。ルイーダはその仕草を見て笑い、テーブルを拭く作業を再開する。 

「相変わらずだね。剣のことしか頭にない」

「剣以外だってあるぞ。斧も使えるようになったからな。……今、お前ちょっと馬鹿にしただろ」

「してないよ。要するに、立派な戦士様になったってわけね」

 ムッとした様子の戦士を見てまた笑い、テーブルを拭き終える。そのままカウンターへと向かった。

「なんか飲んでくかい?」

「いいのか? もう閉店するようだったが」

「いいんだよ。いつもなら客がいる時間だからね」

「悪いな。じゃあ値段が手頃で強めのヤツくれ」

「はいはい」

 戦士がカウンターの椅子に腰掛ける気配を背中で感じながら、たくさんある棚に向かう。そして、ずらりと並んだ酒瓶の中から迷わず一本選び取った。片手で器用に栓を開けると、用意しておいたグラスに注ぐ。透明感ある緑色がグラスに満ちた。

「それにしても、いい加減酒の名前くらい覚えたらどうだい」

「俺はそん時そん時で酒が楽しめればいいから、名前なんてどうだっていいんだ」

 そういうところも変わらないね、と言いながらルイーダも赤ワインを出してきて自分のグラスに注ぐ。閉店だから、これくらい別に構わないだろう。

「なんでアリアハンに来たんだい?」 

 フーガは酒を一気に煽った。もっとゆっくり飲みな、というルイーダの言葉も無視して、空になったグラスを置く。戦士は、はぁと息をつくと

「オルテガさんの息子が旅立つって聞いてな」

 ポツリと呟いた。ルイーダは納得して頷く。

「ああ。あんたも勇者御一行に参加したかったタチかい?」

「いや、あの猛者の息子って奴が、どんな面してんのか見てみたかっただけだ」

   戦士の口調に、尊敬が入った。

「噂はいろいろ聞いた。オルテガの息子は父親以上に光の資質が強いだとか、非の打ち所の無い美少年だとか、アリアハンの勇者認定試験を一日でクリアしただとか。だが、噂は尾ヒレがつくものだろう。本当のところを聞きたくて、お前の所に来た」

「ふぅん。ウチを信頼してくれてるようで、光栄だね。でも、今回は役に立てないよ」

 その噂、どれも本当さ。ルイーダが唇に笑みを乗せてそう言うと、戦士は重たげな瞼を持ち上げた。

「冗談だろう? アリアハンの勇者認定試験は、現在世界で唯一、帝国時代基準の資質を求められる難関だぞ。オルテガさんでさえ、クリアするのに三日かかったらしいじゃないか」

「そうだよ。でも、一日でクリアした」

 ルイーダは指を三本立てた。

「もちろん、あたしは試験の内容は知らないよ。あれはお上の極秘事項だからねえ。でも、課される三つの題だけは知ってる。魔を退けるために必要な、知力、体力、意志を問うそうだ。それをすべて、きちんとパスしたんだそうだ」

「馬鹿な」

 フーガは唸る。

「俄には信じがたい」

「だろうねえ」

「どんな奴なんだ。どうしても一度、様子を見てみたい」

「残念だったね。もう一週間前に旅立ったって話だよ」

「そうか」

 フーガは注いでもらった二杯目を煽りかけて、ふと眉をひそめた。

 「どういう意味だ? アリアハン王のことだから、どうせこの酒場に寄るよう言ったはずだろ?」

「そのことなら、もっと詳しく話せそうな奴が来たからそいつに聞いとくれよ」

 もっと詳しく話せそうな奴?

 首を傾げたフーガの耳に、酒場のベルの音が届いた。

「こんばんわぁルイーダさん! いつものくれよ」

「はいはい。どっかでもう引っかけてきたんかい?」

「城でなぁ~。だけどみんな酒に弱ぇや。もう潰れっちまった」

 上機嫌でやって来たのは、一見平凡そうな三十代程の男だった。服も庶民が着るような布の服で、日焼けした肌からも、ただの農家のように見える。しかしよく観察すれば、体は引き締まっていて農作業だけで鍛えられたようには見えず、大きな手にはタコができている。フーガは振り返ると、呆れたように声をかけた。

「お前はまた飲み比べしたのか。酒が好きだな」

「うるせー、黙ってろぃ」

 ひらひら手を振って陽気に応じた男だったが、すぐに訝しげな顔をしてフーガを見た。

「んん? 兄ちゃん、どっかで会ったことねーかぁ? なんか、なんっか、なんつーか……」

 最後の方はブツブツ言っていてよく聞き取れない。男はずかずかとフーガに近付いてきた。フーガは苦笑してみせる。

「出来上がってるな?」

「ん……あッ!」

 男が目を見開いて、フーガを指差した。

「おまっ、フーガじゃねーか!?」

「おめでとう。大正解だ」

 やっと思い出したらしい男に、投げやりな拍手を送る。彼に気付いたことで、男は酔いが醒めたらしかった。フーガの隣の椅子をガタッと乱暴に引き、どっかり腰を下ろす。

「生きてたのかお前!」

「そりゃそうだろ。死ぬタマに見えるか?」

「見えねぇけどさ……実はお前魔物なんじゃねぇの?」

「んなわけあるか馬鹿。表で顔洗ってこい」

「俺の名前は?」

「ニコラス・ユジ・ダルア。アリアハン城で兵士やってる。お前のお袋の得意料理はカレー、お前の親父は酔った勢いでステテコパンツ一丁で棍棒とお鍋のフタ持って歩いてアッサラームまで行った馬鹿だ」

「やっぱりフーガだ!」

 男──ニコラスは感心したように言う。その後へぇとかほぉとかまたブツブツ言っていたが、ニヤリと笑うと、 

「でも一個足りねぇなぁ。アリアハン城兵士長っていうのが」

「あ? お前、兵士長になったのか?」

「おーよ! 頑張ったよこの六年! 去年からやっっと兵士長だ!」

 ニコラスは嬉しそうに笑うと、会話の途中にルイーダがいれてくれた酒のグラスをかかげて、かんぱーい! と叫んだ。よほど嬉しかったようだ。フーガもつられて微笑む。

「良かったな。おめでとう」

「お前のお陰だよ。お前にだけは負けねぇようにと思って一生懸命やってるうちに、兵士長になれたんだ。ファラも喜んでくれた」

 そう言って照れ臭そうに笑う旧友を見て、フーガは彼に年下の嫁がいたことを思い出した。

「そうか。子供はいるのか?」

「三人な。一番上のが今年一二歳、次いで九歳、七歳だ」

 ニコラスは酒をチビチビ飲む。そう言えば昔、ゆっくり酒を味わうのが好きだ、とか言っていた気がする。

「それでよ、チャップ──俺の長男な──が、俺みたいな兵士になるって言ってくれたんだ。親父として、こんな嬉しいことはねぇよ」

 そう言う彼の顔は、心底幸せそうだった。それは、子の成長を喜ぶ親の顔でもあった。

 こいつも、こんな顔するようになったか。フーガは目を細めた。きっと、彼はこれからも人として、親として、その他の面に置いても変わり続けるのだろう。無論、彼だけではない、ルイーダや、自分の知る人も、知らない人も。皆、必ず。

 その中で、自分だけがきっと変わらず、変われないのだろう。永久に、いつまでも。

「ニコラス」

「ん? なんだよ」

「幸せにな」

 戦士のその言葉で、ニコラスの顔は瞬時に陰りを帯びた。ふっと真顔になる。

「フーガ、お前もだぞ。他人を祝ってる暇があったら、自分も幸せになれ」

「……俺は」

「忘れられないのは分かる」

 ニコラスの言葉には目的語がなかった。それでも、フーガにはすぐ分かった。ニコラスは真剣に、慎重に言葉を紡いでいく。

「もちろん、苦しいのも分かる。俺だって、お前と同じ立場だったらきっと辛く、苦しいだろう。でもな、もうそろそろ自分を許してやってもいいんじゃねぇか? お前だって、本当は分かってるんじゃねぇのか? 自分のせいじゃねぇ、って。お前が不幸になる理由なんて、どこにもねぇんだよ」 

 珍しく真摯なお調子者の言葉を聞きながら、フーガはグラスを傾けた。

「俺は不幸だなんて思ってはいねぇよ。ただ、幸せになる必要はないと思ってる」

 自分の幸せを願ってくれる友の言葉を聞いて、出てきたのは自分の幸せを拒絶する言葉だった。

「フ……」

「俺は」

 案の定、まだ言葉を重ねようとしたニコラスを止めるため、また口を開く。

「お前のその言葉だけで今は十分だ。気にしないでくれ」

 戦士は静かに微笑んだ。その笑顔を前にして、尚も言い募ろうとした兵士長は口を噤む。そして代わりに、くしゃりと顔を歪めた。

 他人事なんだし、そんな顔すんなよ。旧友の優しさにフーガは思わずそんなことを言いそうになったが、返って傷つけることになりそうなので止めた。

 ここは話題を変えるべきだろう。そう思ったフーガはなるべく自然に聞こえるよう、話を切り出した。

「ところで、一週間前にオルテガさんの息子が旅立ったって聞いたんだが」

 その一言を聞いた途端、ニコラスの目がかっと大きく見開かれた。

「あ――――――――っ!」

「うぉッ!?」

 突然隣で上がった大声に、フーガはビクッと一瞬跳ね上がった。ニコラスは勢い良く立ち上がる。

「な、何だよ急に」

 またいつ奇行に走るかもしれない友人に警戒しながら、フーガが恐る恐る尋ねる。ニコラスはフーガに目から光線が出そうな勢いで視線をやると、

「お前これから行くあては!?」

「は? 何も無いけど」

「用事とかは!?」

「べ、別に何も」

「じゃあ一つ頼まれてくれよ!」

「あ? え、ちょっ、何やってんだお前!」

 急に土下座しそうな勢いで床に座り込んだニコラスに仰天するフーガ。思わず腰が浮く。ニコラスはフーガの方を向くと、

「頼む! お前くらいしか陛下直々の命令を遂行できそうな奴はいねーんだよ!」

「は? アリアハン国王直々?」

 思わずフーガは聞き返した。突然この友人は何を言い出すのだろう。ニコラスは必死で頼み込む。

「頼むよ! 陛下も賞金出すって仰ってるしさぁ!」

「待て、一度落ち着け!」

 一旦座れよ! というフーガの言葉で、ニコラスはまた席についた。依然として目から光線が出そうだが。フーガはどこから聞いたらいいものか迷った。

「どんな内容だ?」

「くれぐれも内密に頼むぞ」

 念を押してくるニコラスを落ち着かせ、戦士は真剣な表情で話を聞く態度を作った。何せ、かつては世界を治めたアリアハン国王直々の命令だ。しかも内密の。

 ニコラスはフーガに顔を近付けると、真剣な低い声で言った。

「行方不明になった勇者を探して欲しいんだ」

「オルテガさんか?」

 フーガはすぐにピンときた。だが腑に落ちない点もいくつかある。

「でもオルテガさんって、火山に落ちたって噂だろ? 確かに信じられないが、息子さんだって旅立ったし、もう一度俺に捜しに行けと――」

「あー違う。その息子が行方不明なんだ」

 酒場に静寂が満ちた。

 ルイーダでさえ、グラスを拭く手が止まっている。

「何?」

 フーガはまた聞き返した。ニコラスはエフンエフンと咳払いをすると、

「だから、オルテガさんの息子が行方不明のうえ音信不通になったから探しに行ってくれ以上」

「以上。じゃねぇよ! 旅立って早々に迷子? 何があったらそんなひどい事態になるんだ!」

 フーガは声をひそめなければならないのを忘れて声を張り上げた。

 それに対してニコラスは苦笑しながら、

「いや、迷ったというわけじゃないんだが……何と言ったらいいのか」 

と、頭をかいた。うーん、と唸り、

「話せば長くなるんだが。いや、長くないか」

 また何か呟いている。此方のよく分からない話をブツブツ呟くのが、この友人が酔っ払った時の癖なのだ。

「まあ聞けよ」

「何を偉そうに」

 馴れ馴れしくフーガの肩に手を乗せると、ニコラスは話し始めた。

 

 

 

 

 あの日──そう、オルテガの息子の旅立つ日は、同時に彼の十六歳の誕生日でもあったらしい。もっとも、後から俺はその事を知ったんだが。

 息子は成人になったその日、かつて父がそうしたように、魔王バラモス討伐の旅に出る約束を陛下としていたようだ。そして、旅立つ時は陛下に謁見してから行くことも。

「陛下」

 息子がやって来たのは昼時だった。その時陛下のお側に控えていた俺は、あまり会ったことのないオルテガの息子をじっくり観察した。

 身長はその年頃の男子としては平均くらい。ほっそりとしたシルエットで、コイツは本当に剣を握ったことがあるのか心配になった。おまけに顔立ちは整っていて、虫一匹殺したくないとか言い出しそうなほど甘い雰囲気の持ち主だった。

「オルテガ・ジャスティヌスの息子、サタル、ただ今参りました」

 あの逞しい勇者とは似ても似つかぬ息子──サタルは玉座から三メートル離れた位置で跪き、頭を垂れた。一応礼儀は知ってるようだった。陛下はサタルに頷くと、

「面を上げよ」

と仰った。

 はっ、と返事したサタルは顔を上げた。その顔を見て、俺は自分の解釈が間違っていたことを悟った。

 若き勇者の整った顔には、柔らかい笑みが浮かんでいた。そこにふざけた印象は全く感じられない。そして、緊張した面持ちも全くない。

(大したタマだぁコイツは)

 普通国王の謁見となれば自分の無礼な行いのせいで不敬罪か何かに問われないか気を揉んで、びくびくしているところだろう。弱冠十六歳の男なら当然だ。ところがこの男はびくびくするどころか、友と語らっている時のように柔和な微笑みを浮かべている。

「大きく……いや、立派になったな、サタル」

 どうやら陛下も俺と同じようなことを思っていたらしい。微笑むサタルを見て、眩しそうに目を細めた。

「今日のそなたを見ていると、若き頃のオルテガを思い出す。オルテガも、そなたのような物怖じせぬ強い瞳を持った男だった」

 だが、と陛下は目を曇らせた。

「オルテガは四年前、火山に落ちてこの世を去ってしまった……分かっておる、儂のせいじゃ」

「陛下!」

 陛下の隣に立つ大臣が戒めるように呼んだ。彼も最近の激務のせいか、あまり体調がよろしくないようだ。

「何も言うな。あれは儂の過ち。無理を言ってでもオルテガに供をつけるべきじゃった。いや、儂自身が兵を率いてでも行くべきだったのかも知れぬ」 

 陛下は深い自責の溜め息を吐かれた。口の周りの長い白髭が、吐息で微かに揺れる。

 陛下のお気持ちは、俺にも痛いほど分かった。オルテガが旅に出たあの日、俺も旅に無理矢理にでもついていけば良かった。どうせ俺の力じゃオルテガの足手まといになっただろうが、オルテガを庇って死ぬくらいのことはできたはずだ。もし俺が今、彼が旅立ったあの日に戻れるなら、迷わずついて行っただろう。例え、今の地位を捨ててでも。

「何度謝っても償いきれない。本当にすまなかった」

 かつて世界を治めた国の王が、頭を下げた。陛下の言葉を最後に、玉座の間に重苦しい静寂が満ちる。あの勇猛果敢な男の死を悼むかのように。

「陛下」

 永遠に続くかと思われた沈黙を破ったのは、サタルだった。その顔には穏やかな笑み。

「どうかもう、父のことで悲しまないで下さい。父は陛下のせいで死んだのではありません。自分で道を選んだ結果こうなったのですから、本望でしょう。寧ろもし父が今の陛下の嘆きぶりを知ったら、自分のせいだと悲しむはずです」

 サタルの声は、とりわけ大きな声を出しているつもりではないのだろうに、よく響いた。そして、どこか俺達を安心させるものがあった。

「父の志を継げる者はたくさんおります。ですが、陛下の代わりとなれる者はおりません」

「オルテガの代わりとなれる者など――」

「私がおります」

 サタルは陛下に、それまでとは打って変わった強い口調で断言した。その揺るがぬ青い瞳は澄み切った光を放っている。

「私が父の遺志を継ぎ、バラモスを打ち倒し、地上に平和を取り戻してご覧に入れましょう。たとえ、何があっても」

 俺の息子と五つと年が離れていない彼は、力強く断言した。その凜とした姿は、まさに勇者に相応しかった。それを見て、陛下が何かをぐっと堪えるかのように玉座の手すりを握り締めたのを、俺は見逃さなかった。

「サタルよ」

「はっ」

「そなたに、勇者の称号を授ける」

「有り難き幸せにございます」

「アリアハン国王、ダノス12世の名において命じる」

 陛下はじっと少年を見つめた。サタルは表情を変えず微笑んでいる。

「魔王バラモスを討ち取って参れ」

「陛下の仰せのままに」

 サタルは一礼した。

 ──それが、オルテガの息子が正式に勇者と認められた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「別にどこにも問題点ないじゃねぇか」

 サタルとアリアハン国王の会話を聞いたフーガの第一声が、それだった。またグラスを傾ける。

「寧ろただ者じゃない感じさえするけどな。よっぽど凄い奴か、またはよっぽどのうつけ者か」

「いやいや」

 すっかり落ち着いたニコラスが言う。既に大量の酒を飲んでいるとは思えない。さすが酔い潰れた経験皆無という伝説の持ち主である。

「この話にはまだ続きがあんのさ。そうだな、こっからはルイーダさんの方がうまく説明できるだろ。な、頼むよルイーダさん」

「あたしが話すんかい?」

 美人オーナーはカウンターに肘をついて、ふぅと色っぽく溜め息をついた。それにしてもこの人は今一体何歳なのだろう。六年前に会った時と大して外見が変わっていない。多分自分より年上の気がするのだが。

 フーガはふとそんな事を考えた。

「しょうがないね。じゃあよく聞きな」

 ルイーダは頬杖をついたまま話し始めた。

 

 

 

 

 そう。あの日も今日みたいな夜だったよ。いつもなら客が来る時間なのに誰も来ない。そういう日には珍しい客がくるもんなのかねぇ。

「ルイーダ」

 やって来たのは市井の老人に変装した王様だった。あたしはびっくりしたよ。なんせ、王様がわざわざお忍びでやってくるなんて、滅多にないからさ。

「あらまぁ陛下、どうされたんです?」

 あたしは早く中に入るよう陛下に勧めながら、辺りの人気を確かめた。大丈夫、誰にも見られてない。すぐに扉のプレートを「準備中」に入れ替えて、扉に鍵をかけた。窓のカーテンも隙間が開かないように閉める。

 カウンターに戻ると、椅子にお座りになっていた陛下が、あたしにすまんな、と声をかけて下さった。

「いえ、構いませんよ。ちょうど閑古鳥が鳴いてたところですから」

 あたしはそう言った。

「何かお飲みになります?」

「酒はやめておこう。ホットミルクをくれ」

 分かりました。あたしは返事をして、陛下のお飲み物の準備に取りかかる。

 準備しながら、あたしは陛下と色んな話をした。

 今年は降水量が少なくて、穀物の育ちが心配だとか、あの小狡い盗賊バコタを捕まえた話だとか、最近ロマリアが大変そうだという話だとか。

 少し香料を入れた特製ホットミルクを陛下にお出ししながら、あたしは最近一番気になっている話を思い出した。

「そう言えば、オルテガさんとこのサタル君、旅立つんだそうじゃないですか。いつ旅立つんです?」

 あたしもオルテガさんちとは少し付き合いがあったからね、ずっと気になってたのさ。それに、確かオルテガさんのサタル君はまだ十代半ば。もし旅立つのなら、一人じゃ心細いだろうし、ウチに来て仲間を選んでいって欲しいと思ったんだよ。

 だけど。

「何を言うんだルイーダ。先日、仲間を探しにこの酒場に来ただろう?」 

 陛下はあたしの予想外のことを仰った。

「一昨日、儂の所へ挨拶に来た。その時に酒場に行って仲間を探すよう言ったはずだが?」

 あの時、あたしは必死になって記憶をまさぐったよ。サタル君とは、前に一、二回会ったことがあるから、忘れるはずがない。なのに、陛下はもう来たはずだと言う。

「陛下、サタル君は、ウチに来てません」

 あたしは戸惑いながらもそう言った。陛下は最初のうちは、「いや、冗談だろう?」と笑っていらっしゃった。けど、あたしが本気で言ってるのが分かると、だんだん青ざめていった。

「本当に来てないのか?」

 あたしが頷くと、陛下は音を立てて立ち上がった。そしてずかずかと店を出て行こうとなさる。

「陛下! どこへ」

「ミシェルさんの所に行く。夜遅いが、仕方あるまい!」

「お待ち下さい、私も参ります!」

 その時の陛下は一人で行かれたら町の人々に気付かれてそうなほど動揺していらっしゃったから、あたしも急いで身支度をして、後を追った。

 

 

 

 

 

 

「サタルなら、あの後すぐに旅立ちましたよー。お茶、如何です?」

「いや、それよりもサターー」

「まぁまぁそう言わずに」

 ジャスティヌス邸に着いてから大して経たないうちに、あたし達は何故かお茶を振る舞われていた。

「この間、買ってきたばっかりなんですよ。私はアールグレイが好きなんですけどね、お祖父ちゃんがダージリン派だから」

 アリアハン広しと言えども、マイペースという点でミシェル・ジャスティヌスに勝る者はいない、と陛下は後であたしに仰ったわ。あたしもそう思うんだけどね。

 ミシェルさんはつややかな濃藍の髪が綺麗な人でね──もちろん顔もいいんだけど──いつも笑顔を絶やさない良い人なんだよ。けどね、恐ろしいほどのマイペースなのよ。普通に会話しようとしても、一度彼女が何かに捕らわれたら、もうこっちの話なんか聞かないのさ。皆がよく、オルテガさんはどうやってあの人と恋仲まで持ってったのかって不思議がってるくらいにね。

「それでだな」

 陛下が気を取り直して、お茶菓子を出してきた彼女に声をかけた。ミシェルさんは今度はちゃんと陛下を見た。 

「一昨日、サタルはいつ頃、どんな様子でまずどこに行くと言っていたか、具体的に聞かせてくれぬか?」

「一昨日ですか?」

 ミシェルさんは人差し指を顎に当てて、

「一回ここに戻ってきて、ちょっと休憩して……確か、まずはレーベに行くとかって言ってましたわ」

 レーベ。あたしは隣にいる陛下に目配せした。

 このアリアハン大陸は、船かルーラ以外で他の大陸に行く術がないって、普通の人は皆そう思っているようだけどね、実はもう一つ歴とした方法があるのさ。

 地図で見て、アリアハンからちょうど東にロマリアに繋がる"旅の扉"があるんだよ。まあ最も、今は封印されちゃってんだけどね。何でも、昔の王が封印しちゃったらしいから。戦か何かの都合で。だから普通の人が知らなくても当然なんだよ。

 で、今アリアハンは残念ながら勇者に船を貸せるほどの余裕がない。勇者はロマリアに行った事なんてないだろうから、扉の封印を解いてもらって、それでロマリアに行かせるしかない。そう考えた陛下が、謁見の時にサタル君にまずはレーベに向かうよう指示したらしいんだよ。そこに、扉の封印を解くのに必要な爆弾を作ってる爺さんがいるらしいから。

「そうか、ちゃんとレーベに向かったか」

「あの、サタルが何かしましたか?」 

 心配そうに尋ねたミシェルさんに、あたしは斯く斯く然々で、と説明した。

「まぁそうでしたか。すみません、うちの子がご迷惑をおかけして」

 ミシェルさんは頭を下げた。その辺はちゃんとしているみたいだった。

 ──でも、その次が違ったのよ。

「でもまあ、取り敢えず放っといて平気でしょう」

 あたし達は唖然としたよ。

 大丈夫ですよって、そんなわけないじゃないかい! 最後まで一人旅なんて! 最近は魔物も強くなってるし!

「ミシェルさん! サタル君はまだ十六歳になったばかりだ!」

「いえ、でもあの人の息子ですから」

「いや、幾らオルテガの息子でも一人は無茶だ!」

「ほら、私の息子でもありますし」

「分かっておる! だから」

「それよりお茶が冷めてしまいますわ」

「しかし」

「あ、そうでしたわ」

 ミシェルさんが何か思い出したみたいだったから、あたし達は身を乗り出した。

「このクッキーは隣のジェイソンさんちの子が」

「話を戻してくれミシェルさん!」

 陛下は必死にミシェルさんに事の重大さを認識させた後、どうにかサタル君を追う人を出すことになさった。いやぁそれにしても、あの不思議っぷりは凄かったね! あたし一人じゃ絶対相手出来なかったろうさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「強者だ」

 ルイーダの話を聞き終えたニコラスが呟いた。正直、フーガも同感だった。

 勇者の一家は曲者揃いらしい。

「そんなわけで、陛下はサタル君捜索をしてくれる人を募ってるってわけ」 

 ルイーダはそう言って、溜め息を吐いた。次いでニコラスがフーガに目を移す。

「で? 行ってくれるのか?」

「で? って」

 フーガは眉根を寄せた。

 はっきり言って、この後の予定は何もない。今まで通り、勝手気ままな修行の旅に出ようと思っていた。さらにオルテガの息子の顔も見てみたいと思っていたから、勇者の捜索の依頼が飛び込んでくるのは、渡りに船のようなものなのだが。

 ――どうにも、胸騒ぎがするのだ。 

「なぁ! 頼むよフーガぁ」

 ニコラスが再度懇願してきた。その困り果てた顔を見て、

「分かった。行きゃあいいんだろ?」

 結局、フーガは折れた。

「ホントか!?」

 ニコラスが目を輝かせた。

「いやぁ、助かるぜ! 今日の酒代は俺の奢りな!」

「あー分かった分かった。いいから止めろ、背中痛ぇよ!」

 ニコラスは勢い良くフーガの背中をバンバン叩いていた手を下ろした。フーガは苦笑いしながら、背中に絶対紅葉がたくさんできたろうな、と思った。

「ルイーダさん」

 フーガは彼女の名を呼んで、グラスをまた一気に空けた。

 胸騒ぎを掻き消すために。

「名簿、あるか?」

「ああ。ちょっと待ちな」

 ルイーダはカウンターの下をがさがさと探った。

「ほら」

 ばん、とカウンターの上に置かれたのは、分厚い本だった。

「なんだこりゃ?」

 城の兵士しかやったことのないニコラスが素っ頓狂な声を上げた。

「名簿だよ。この酒場に来て、一緒に旅してくれる奴を探してるって奴のための」

 フーガは旧友にそう説明すると、ページをパラパラ捲った。ルイーダがカウンターに肘をついて尋ねる。

「どんな奴を探してるんだい?」

「回復呪文が使える奴」

 フーガは即答した。その間も、ページを捲る手は止まらない。

「今度のはもしかしたら長くなるかもしれないからな。呪文の使えない俺一人だと正直厳しい。だから出来れば回復呪文が使えて、尚且つある程度の戦力になる奴が欲しいな」

「おお! 何かプロっぽいぞフーガ!」

「うるせぇ、ちょっと黙ってろ」

 フーガは一喝して、また名簿に目を落とす。怒られても全く懲りないニコラスがまた口を開いた。

「魔法使いとかどうなんだ? 仲間にいたら旅しやすいんじゃないか?」

「だろうけどな。魔法使いには、あんまりいい思い出がねぇんだよ」

 フーガは昔を思い出しながら苦々しく言った。ニコラスはふーんと軽く流すと、まだ訊いてくる。

「僧侶は?」

「いいんだけどな。俺はあんま神様とかに従順に従う奴は好きじゃねぇんだ」

 それに最近はなよなよした実践に不向きな奴が増えてきたし、とフーガはページを捲りながら言う。うーん、プロだねぇとニコラスが悦に入ったように言った。

「でも、そんな都合のいい奴いるんかい? 程々に戦えて、回復呪文使える奴なんて」

「心当たりがあるっちゃああるんだが、何せ俺以上にいい加減な奴なんでな」

「それ、頼りになんのかよ」

 ルイーダの問いに素直に答えたフーガに、ニコラスがつっこんだ。

「いや、実力はあるんだ。ただ、気まぐれって言うか、面倒くさがりって言うか」

「当てにできんのか、それ」

 ニコラスはだんだん不安になってきた。と、そこで、フーガの目がある名前を捉えた。

「いた!」

「うぉっ、マジか!?」

 三人して名簿を覗き込んだ。

「……ああ、この子かい?」

「……おい、ホントに頼りになんのか?」

 しばしの沈黙の後、ルイーダは納得したように、ニコラスは不安そうに呟いた。

「ああ、腕は保証する」

 フーガは自信を持って言い切ると、ルイーダに目を向けた。

「こいつは今どこに?」

「街の宿屋だよ」

 ルイーダが腕組みしながら答えた。 

「明日の朝にでも、早めに行くんだね。あの子、結構な早起きみたいだから」

「ああ。そうする」

 フーガは相槌を打つと、もう一度その名に目を落とした。

 

 

 

 

 

 

 ルイーダの言葉通り、フーガは朝早くに宿を訪れた。辺りはまだ静かで、街の人々が起き出す様子はまだない。

 フーガはまず最初に、宿に入らず裏庭に向かった。彼の予想が当たっていれば、きっと何かの音が響いているはず。そして、その予想は当たっていた。

 ――ガンッ! ガンガン!

 激突音だろうか。街の人々には分からないだろうが、フーガには何の音か分かっていた。

 開けた裏庭に出ると、一人の小柄な少女が一心不乱に木を蹴り、殴っていた。少女が動く度に、身に纏った武道着と紫色の肩掛け、高く結った艶やかな黒髪が揺れる。

 その背中に、フーガは呼びかけた。

「カノン」

 小柄な少女が振り返った。幼さの残る顔立ちの中で、大人びた黒い瞳がフーガを映し出した。

 

 

 

 

 

 宿屋の食堂で、二人は向かい合って座っていた。互いに、朝食をまだ取っていなかったからである。

「朝はやっぱり、朝食食べる前に稽古しとかないとね。食後はキツいから」 

 向かい合った少女は、そう言ってパンを頬張った。

 少女の名は、カノンという。フーガの半分程度の年であるが、武才に秀でて肝が据わっており、さらに癒術まで操る武闘家である。まっすぐに切りそろえた前髪にピッグテール、さらに背の低い童顔であるため、初対面の者はまず見た目で彼女を未熟な戦士と見誤るが、そうして瞬殺された敵を、以前共に戦ったフーガは何度も見た。

「で? 今回はどうしたのさ?」

「ああ? ああ」

 単刀直入に訊いてきた。まどろこしいことを嫌う彼女らしい。

 フーガは声を潜める。

「アリアハンの新しい勇者の話、知ってるか?」

「知らない」

「そうか。今から言うことは、秘密にしてくれ」

  フーガはこれまでの次第を全て語った。カノンはその間、平然と食事を続けた。アリアハン王の名が出ても、魔王討伐の語が出ても、一切動じなかった。

「へぇ、勇者って奴、そんななの」

「そんな奴らしいな」

「それでよく認定試験をパスしたね」

「本当だよな」

 これにはフーガも同意した。

「そんなのを心配しなくちゃなんないなんて、アリアハン国王も苦労するねぇ」

「それはいいから、お前、俺と一緒に行かないか?」

 このままだと彼女に持っていかれそうなので、フーガは無理矢理本題を切り出した。

 実は、フーガはカノンが旅に付いて来る可能性は低いと思っていた。カノンは武術など興味のあるものに関しては非常に熱心になるのだが、その他の彼女にとってどうでもいい話になると、信じられないほどの怠惰さを見せる。迷子勇者の探索なんて、彼女は絶対蹴ると思っていたのだ。

 だからさっさと返事を確認して、昨日名簿で探しておいた他の仲間候補の所を訪れるつもりだったのだが。

「いいよ。あたしも行く」

 意外にも、彼女はあっさり同行を決めた。フーガは思わず瞬きする。

「お前、本当にカノンか?」

「何さ? 何か文句でも?」

 文句なら口じゃなくて拳で言いな、とすぐに拳を鳴らした彼女を、違う違うと宥める。

 彼女は頭を使うより、拳を使うことの方が大好きでもある。お得意の拳法が出てくる前にと、フーガは本音を吐いた。

「いや、てっきり面倒くさがるかなと」

「だってさ」

 カノンはそこで、水を一口飲んだ。戦士はそれをただ見守る。グラスを置いた彼女は、それまで以上に真面目な顔で言った。

「面白そうじゃん」

「は?」

「だって、楽しそうじゃない?  迷子の勇者と追いかけっこなんて」

 だから、行く。

 ぬけぬけとそう言ってのけた女武闘家に、フーガは

「あ、そう」

としか言いようがなかった。

 かくして、戦士と女武闘家の迷子の勇者探しは始まったのである。

 そしてそれがまだ長い長い旅の始まりでしかないことを、彼らはまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

20191228 加筆修正