アッサラームは暑い。ここに来たのは久々だったが、以前と変わらぬ強い日差しに、フーガは何度も額の汗を拭った。
 彼はアッサラームの町で買い物をしていた。いつもより多く、水や食料を買い込む。ここはイシスの砂漠に一番近い町で、砂漠越えをするならここでの買い物は必須だった。
 この町で話を聞いたところ、魔法の鍵はイシスのピラミッドにあるらしい。フーガたちは話し合い、砂漠を越えてイシスへ向かうことを決めた。だからその前に、準備を抜かりなく進めていた。
 一日を丸々買い物に使って、気づけば日はもう暮れ始めていた。買い物を終えた戦士は、いつの間にか見えなくなった連れの姿を探す。見回して、少々離れたところで若い女性と話し込んでいるのを見つけた。
「サタル。お楽しみのところ悪いが、行くぞ」
「ああ、ごめん──じゃあまた、劇場で」
「ええ、楽しみにしてるわ」
 露出の高い民族衣装を見にまとった女は、艶かしい唇で三日月を描いた。手を振る彼女が離れたのを確認して、フーガは呆れの目を少年に向ける。
「お前、本当に好きだな」
「美しい女性といると、心の安らぎを感じない?」
 サタルはさらりと受け流した。戦士は肩をすくめる。
「別に何とも」
「枯れてるなあ」
「そうかもな」
 フーガはそこまで異性と関わりを持ちたいとは思わないので、枯れていると言われようが何でも良かった。
 夕暮れ時の商店街は混み始めていた。他の町なら閑散としだすか、帰る者たちが急ぎ足で通行しているところなのだが、この町は違う。
 アッサラームは、夜に真の姿を見せる。劇場で披露される伝統芸能のベリーダンスは、旅人たちに人気で、連日多くの客が押し寄せる。それにあやかろうと、町の人々も様々な店を出す。だから、夜は昼以上の賑わいを見せるのだ。
 二人は早足に通りすぎる人々をかい潜りながら、宿屋に帰ってきた。大荷物を抱えた彼らを待っていたのは、寝台の上で死んだように眠る武闘家だった。
「おかえり」
 少女はむくりと起き上がった。彼女は寝起きが非常にいい。それを知っている男たちは、特に驚きもせずただいまと返した。片方、整った造作の少年は似つかわしい華麗な笑みを投げ掛けた。
「微睡む姫に、おはようのキスは如何かな?」
「頭突きが欲しいならくれてやるよ」
「いや、そんな過激なお礼が欲しいわけじゃなくて……ん? でもこれは、もっと距離を縮めたいっていう気持ちの現れと取ればいいのか?」
 ならばと考え出した勇者の頭を軽く小突いて、フーガはカノンに問いかけた。
「風呂は入ったか?」
「ううん、まだ」
「良かったら、先に入ってきちまったらどうだ? 今なら宿の客はベリーダンスを観に行ってるから空いてるし、宿の女将もまだ夕飯はできねえって言ってたから」
「いいの?」
「ああ。俺たちはいつでも入れるから、気にするな」
 この宿の風呂は男女混浴である。アッサラームは治安が悪いから、他の客が帰ってきた頃や彼女一人の時に入浴させるのは心配だった。今なら自分達もいるし、風呂場はここから近いから、何かあったらすぐ駆けつけられる。そう思っての提案だった。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
 カノンは戦士に微笑んで、入浴道具を持って部屋から出ていった。
 フーガは荷物の整理をしようと屈む。途中で、自分に注がれる碧眼に気付いた。
「どうした?」
 むっつりした顔の勇者は、フーガの隣にしゃがみこむ。
「フーガって、カノンと仲良いよね」
「そりゃあまあ、お前よりは付き合いが長いからな」
「いいなー」
 俺もカノンと仲良くなりたい。
 彼の口から漏れた思わぬ呟きに、フーガは噴き出した。
「仲良くってお前、今でも十分だろ」
「カノンは俺に笑ってくれないよ」
 サタルは買ってきた燻製の袋を弄びながら言う。フーガは食品を整理しながら、首を傾げる。
「よく会話してるじゃねえか」
「でもカノンちゃん、俺には冷たいだろ?」
 気にしていたのか。確かに、サタルと会話している時の彼女は、かなりつっけんどんな物言いをする。嫌いだとも明言している。しかし、それでカノンが本当に彼のことを嫌いなのかと問われたら、フーガには何とも答え難かった。
「嫌いなわけじゃないと思うぞ」
「そうかな?」
「だって会話するだろ? あいつ、本当に嫌いだったら口も利かねえよ」
 事実である。
 それを聞いて、サタルの顔に輝きが戻った。

「マジで? 良かったあ。俺女の子に嫌われたかと思ったの初めてだから、どうしようかと思ってたんだ」

「お前な」

 急に元気を取り戻したサタルに、フーガは溜め息を吐いた。
「とりあえずカノンと仲良くなりたいなら、誰でも口説く癖をやめた方がいいぞ」
「え、何で?」
「気付いてないのか。あいつはお前のそういうところが苦手なんだよ」
「あ、やっぱり?」
 やっぱり? フーガは思わず手を止めて、隣の彼を見た。にこやかな笑顔。
「そういうところが可愛いんだよな。だからつい言いたくなる」
 勇者は言う。戦士は額を押さえた。
「お前って奴が、よく分からなくなってきた」
「俺は単純だよ。三つの信条でできてるんだ」
 サタルは指を三本立てた。
「一つ目、他人には優しくすること」
 一本目を折り曲げる。
「二つ目、綺麗なものと楽しいものには積極的に関わること」
 二本目を折り曲げる。
「三つ目、家族や仲間は大切にすること」
 以上、とサタルは胸を張った。フーガはこれまでのサタルの行動を振り返る。
「じゃあお前の行動は、大体それに基づくことが多いわけだな?」
「うん」
「女にばっかり声掛けるのは?」
「女性は皆どこかしら綺麗で可愛いから、引き寄せられるのさ」
「しょっちゅう口説いてるのは?」
「口説くことになってるのかな? 俺は会話したり、その人の良いところを褒めたりしたいだけなんだけど」
「よく一緒に出掛けるのは?」
「あちらが誘ってくれるんだよ。町の見所とか、美味しいものとか教えてくれるんだ」
「町の女性が、旅立つときになるとやたら挨拶に来るのは?」
「皆いい人ばかりだから、別れを惜しんで来てくれるんだよ」
 フーガは唸った。彼が仲間に加わってから訪れた町で、各々見送りに来てくれた女性たちの顔が瞼に浮かぶ。どれも、熱を帯びた異様な輝きを放っていた。
 あれは、せっかくの楽しみを逃がしてたまるかという顔だった。
「そんないいもんじゃねえだろ」
「物事はいい方に解釈しないとだよ、フーガ」
 心から沸き出した声は、するりと口から出た。
「そんなことしてて、楽しいのかよ?」
「楽しいよ。一時の仲だからね」
 ただ、俺が何となく言ったことを勘違いして舞い上がっちゃう人がいるから、たまに困るけど。
 少年の瞳にあるのは、悪戯っ子のような愉悦の光だけだった。
「ついでに聞くが、カノンにちょっかい出すのも同じ原理なのか?」
「まあ似たようなものかな。カノンは可愛いし、ウブだし、構うと新鮮な反応を返してくれるから更に可愛い。最近ちょっとバイオレンスだけど」
 フーガの中を、あれはウブに入るのかとか新鮮な反応って何だとか、様々な疑問が氾濫した。
 彼は荷物を整理し終え、部屋の隅に置く。それから、サタルに向き直った。
「仲間が俺みたいな、女に頓着しないタイプで良かったな」
「そうだね。俺も相手がフーガじゃなかったら、こんなこと言わないよ」
 自分の言ったことが、他人にどんな印象を与えるかということは分かっているらしい。変な奴だが、常識は一応弁えているようだ。
 その時、背後で硬いものが壁に叩きつけられる音がした。反射的に振り返って、飛び込んできた光景にぎょっとする。
 開け放たれた戸口に、大きな布一枚を裸体に巻き付けただけのカノンが仁王立ちしていた。
「町に魔物が襲いかかってきた!」
 彼女はそう叫んだ。戦士の顔付きが変わる。手早く身支度を整え始めながら、しかし叫び返した。
「服を着ろ!」
「これでも行ける!」
「いいから着てこい! 俺たちは先に行って対処する」
 カノンは頷いて踵を返した。ぺちぺちと床を叩く音が遠ざかる。
 フーガは横を見た。サタルは、呆然と少女が去っていった方を見つめている。
 戦士の視線に気付くと、彼を見上げて大真面目な顔で言った。
「後で、もう一回見せてくれないかな」
「アホなこと言ってる場合か」
 素晴らしいボディーラインだった──そう呟きながら、勇者は立ち上がった。二人は宿屋を飛び出し、逃げ惑う人の流れに逆らいながら、魔物を探す。

 日が落ちたはずのアッサラームは、明るい。火の手が上がっているのだ。暗闇の中で燃え盛る火に、人ならざる者の影を見た。
「いた!」
 サタルが指差した方向には、劇場に襲いかからんとする魔物達の姿があった。火炎ムカデにキャットフライ、人喰い蛾――多すぎて把握しきれない。しかしその中に、一際大きな影が現れる。フーガは顔色を変えた。
「トロルじゃねえか!」
 そう、それは魔物達の中でも並外れた力と体力を持つことで知られる巨人だった。しかも、三体もいる。
 ネクロゴンド地方に住むはずの奴らが、何故ここに? だが疑問に思っている暇はない。
 アッサラームの自警団が必死に戦っている。だが、皆トロルには近付けない。トロルははみ出した舌から涎を垂らしながら、不気味に笑っている。今のところ何もする様子はないが、あの特大棍棒で攻撃されたら、この地方の自警団なんて一たまりもない。
 フーガは腹を括った。
「サタル、トロルをやるぞ」
「マジ?」
「マジだ」
 サタルは嫌そうな顔をしたが、それ以上は何も言わず剣を引き抜いた。
 自警団のもとへ駆け寄ると、一人を捕まえて尋ねる。
「団長はどこだ?」
「誰だあん──うわあっ!」
 人喰い蛾と火炎ムカデが飛びかかってきた。斧がムカデを真っ二つに裂き、剣が蛾の羽を奪う。とどめをさすサタルを尻目に、フーガは自警団員に言う。
「旅人だ。助太刀する」
 団員の目に信頼が宿った。彼はトロル達の方を指差す。
「あっちだ! 立派な黒髭の、ハンマーを持ったガタイのいい人だよ!」
「ありがとう」
 二人はすぐさまそちらへ向かった。
 トロルを囲んで、数人の男たちが武器を構えている。その中から団員の言う通りの男を見つけた。
「貴方が団長か?」
 男は、死んだ目の男と少年を一瞥した。鷹のような鋭い目をしている。通るバスの声が応じる。
「そうだ」
「俺はフーガ。こっちはサタル。差し支えなければ、一緒に戦わせて頂きたい」
「フーガ」
 団長は唸って、顎髭をしごく。この非常時にこの落ち着き具合。やはり他の団員とは格が違うといったところか。
 壮年の男の、深く皺が刻まれた眉間が寄せられる。
「お前の名前には覚えがある。雇われでやっておったな?」
「はい」
 フーガは頷いた。団長は周囲に目を配りながら話す。
「腕が立つと聞いておる。トロルを殺ったことはあるか?」
「あります」
「よし」
 団長は腕を組んで、魔物と戦う部下たちを顎でしゃくって見せた。
「見ての通り、町の四方から雑魚が襲ってきていて、うちの団員はそれにかかりきりになっている。俺が一匹仕留めるから、とりあえずまずは一匹頼む。もう一匹は」
「サタル、行けるか?」
「え?」
 サタルの顔がひきつった。
「お、俺一人?」
「ああ。無理ならよせ」
「う……分かったよ、やるよ」
 不安を色濃く写しながらも、サタルは引き受けた。団長が声を張る。
「一班退避! この辺りの雑魚どもを片付けろ! 二、三班移動! 二班は商店街、三班は東門へ行け! トロルは俺たちがやる!」
 団員たちが退避する。移動を始める彼らの前に、団長とフーガ、サタルが立つ。トロルたちは下卑た笑みで彼らを見下ろした。
 フーガはサタルの肩に手を置いた。
「いいか、まずは四肢を狙え。で、一本でもいいから負傷させるんだ。そうすれば随分楽になる」
「分かった」
 サタルは唾を飲み込んだ。初めての巨大な敵に、緊張しているようだ。
「俺も、できるだけ早く片付けて加勢する。それまで耐えろ」
「なるべく、早めにお願いします……」
 サタルは深呼吸して、剣を構えた。フーガは斧を担ぎ、トロルを見据える。
 さあ、どいつにかかろうか。
「俺があの一番でかいのをやろう」
 団長が指したのは、劇場を覗き込んでいるトロルだった。フーガが首を縦に振ると、彼は一足先に駆け出した。
 残る二匹は、こちらに向かってきている。団長がその脇をすり抜けていった。それを見届けて、サタルに告げる。
「俺は右の奴にする」
「了解」
 戦士は斧を両手で持ち、歩き出した。次第に歩を速めていき、終いに駆け出す。動きの鈍いトロルの足元をすり抜け、振り向きざまにその巨大な足へと斧を突き刺した。
 野太い咆哮が闇夜を木霊する。負傷したのと逆の足が、後ろに飛ぶ。斧を既に引き抜いていたフーガは避けるべく跳躍した。
 トロルの禿頭がこちらを向く。気付かれたことを悟ったフーガは、頭が回ったのと同じ方向に疾走した。茶色の巨体が同様に回る。ある程度回ったところで、すかさずフーガは反対方向に走り出した。予想外の行動に、トロルが一瞬あたふたと止まる。
 そこを見逃さず、先程と同じ足に向けて斧を振り抜いた。広い刃が深々と埋まり、トロルは絶叫した。
 痛みに気を取られ止まった隙に、逆の足に駆け寄る。得物を振りかぶった。

「うわあああっ!」
 しかしそのとき、男の高めの声が耳に届く。思わず視線を移すと、別のトロルが振り回す棍棒にしがみつく、紫色のマントが見えた。
「サタル!」
「フーガ、上ええええっ」
 勇者はひっくり返った声で叫んだ。言葉を受け取ったフーガは空を仰ぐ。風を切って落下してくる棍棒が見えた。
 間髪入れず飛び退いた。フーガがいたはずの場所を、棍棒が抉る。
 次いで、気を抜く暇もなく緑の足が上がった。落ちてくる。ギリギリ避けて一撃。緑の血が噴き出した。
 片足をやられたトロルは、バランスを崩して地に伏した。地が軋む。怪物が手足をばたばたさせると、大地が大きく揺れる。だが、フーガは怯まない。トロルの身体に飛び上がると、払い除けようとする手を掻い潜って頭の方へ駆けていく。辿り着き、斧を高く天に捧げる。刹那の祈りを込め、刃を茶褐色の首もとへと振り下ろした。
 足元の肉が隆起した。しかし、間もなく弛緩して動かなくなる。分断された頭が転がって、後頭部を上にして静止した。戦士は、時を止めた巨躯から液体が流れ出す様を見つめる。だが、はっとして他のトロルの方を仰ぎ見た。
 団長はトロルからの一撃を盾で受け流している。あちらは問題無さそうだ。
 フーガはサタルを探した。いた。なんと、トロルの首に剣を突き刺して宙吊りになっている。巨人の盛んに頭を振る動作にも負けず、必死に食らいついている。
「サタル大丈夫か!?」
「あんま大丈夫じゃねえーっ」
 勇者は悲鳴にも似た叫びを返した。フーガは助けに行こうと一歩踏み出す。しかしそれより先に、一陣の風が隣を駆け抜けた。
 鋭い旋風がトロルの頭を襲う。つられてサタルの身体が浮かび上がる。飛ばされまいと、少年は剣に強くしがみつく。それが功を奏した。
 引き抜かれかけた剣は、風に流されてざっくりとトロルの頭を切り裂いたのだ。加えて真空で傷付いた巨体は、唸りながらしゃがみこんだ。剣は、今度こそ風に煽られ外れた。サタルの身体が宙を舞う。しかしトロルがしゃがんでいたため落下距離はさほどなく、無事地上への生還を果たした。
 フーガは振り返った。そこには、いつ来たのか仲間の武闘家の姿があった。
「遅れた」
 カノンは変わらぬ仏頂面でそう言った。フーガは息を吐いて、不地着したサタルのもとへと急いだ。
「怪我はないか?」
「大してないよ」
 サタルは背中や腕を擦りながら立ち上がった。フーガの後を着いてきた武闘家を見ると、少し怒ったように言う。
「今の君の真空呪だろ! 危ないなー、死ぬかと思ったよもう!」
「ごめん、見えなかった」
 カノンは淡白に、しかし真摯に謝った。サタルは頭をかく。
「まあ助かったからいいけどさ。あそこからどうしようか困ってたんだ。ありがとう」
 少女はきょとんとした。礼を言われるとは思っていなかったようだ。ややあって、首を横に振ってみせた。
「よし、ラストスパート行くぞ」
 戦士の声かけで、三人は上体を起こした敵に向かう。各々の武器を構え、相手の動向を窺った。
 しかし。

「待たせたわね!」


 ──忘れもしない、力強い声が響き渡った。
「逃げろ!」
 声の主を仰ぎ見ようとした少年たちを抱えるようにして、フーガは逃げ出した。次の瞬間である。
 爆発的な炎がトロルを襲った。火焔は巨人を飲み込み、断末魔さえも焼き尽くす。炎の波は付近に散在したレンガまで取り込んで、より燃え盛るための糧とする。三人が立っていた地面も焼かれてしまった。
 暴走する炎から十分距離を取って、フーガは空を仰いだ。劇場の上、月を背にして誰かが立っている。つばの広い三角帽子に赤い髪、若葉色のドレスとたなびくマント。
 覚えている。あれは。
「くぉらあああ、ルネえええ!!」
 怒号が聞こえた。団長だ。トロルを既に葬った彼は亡骸の上に立ち、その人物を睨み付けている。
「あらー。パパ、ただいまぁ」
「お前呪文を使うときは加減しろと、何度言えば分かるんだああ!」
「だってぇ、炎が素敵なんだもん」
 その人物はうきうきしながら答えた。
 ──この発言、間違いない。
 フーガは自分の勘が当たったことを確信した。
「何だろう、あの人」
 会話を続ける二人を眺めて、サタルが呟いた。カノンも呆気に取られている。
「あれはレディ・ファイヤーと呼ばれる破壊神だ」
 問いに答えた戦士の声は、沈んでいる。サタルとカノンは長身を仰ぐ。紺色の瞳は炎の光こそ映っているが、どこか虚ろだった。

「フーガ、知り合いなのか?」
「ああ。本名はルネ。昔一度組んで、キャラバンの護衛をしたことがある。優秀な魔法使いで火炎呪文や閃光呪文が得意なんだが、その……炎系の呪文が好きすぎてな。炎を見たいがためにやたら最高位の呪文をぶっ放すもんだから、そんな渾名がついたんだ」
 フーガは遠い昔のことを思い出す。フーガは金が足りなくなると、よく傭兵として商人や学者の護衛をした。彼女と出会ったのは、まだ傭兵としては駆け出しだった頃である。
 気さくではあるが破天荒で人遣いも金遣いも荒かった彼女は、戦闘も荒々しいことこの上なかった。彼女は時に護衛対象の積み荷を燃やしかけたり、仲間を焦がしたりしていた。フーガも、何度燃やされかけたか分からない。そのうち、戦闘中も魔物より彼女を恐れるようになった。
 今まで会った魔法使いの中で最も優秀だが、最も危険。それがルネだった。
「気を付けろ。奴に魔物と仲間の見境なんてねえ。あいつは炎しか見えないんだ」
 フーガがそう言ってレディ・ファイヤーに関する説明を終えると、サタルもカノンも繰り返し頷いた。
 フーガはルネを見た。ルネはまだ団長と何事か話している。そう言えば先程、彼女は団長のことをパパと呼んでいた。まさか血縁なのだろうか。
「いいか、もう町中でベギラゴンなんて使うな! メラゾーマも使っちゃならんぞ!」
「えー、しょうがないわねぇ。分かったよ」
 ルネは不満そうに言って、腕を組んだ。杖の先にある宝珠が、月光を受けて光る。
「じゃあパパ、町の外はおっけー? 早く何か燃やしたい」
「おま……」
 団長は何か言いかけて、溜め息を吐いた。もし本当に実の父親なら、色々大変だろうなあ。フーガは同情した。
 浅黒い肌に筋を浮かべながら、団長は渋々といった様子で言った。
「いいだろう。ただ、人間は焼くなよ」
「やったー。パパ大好き!」
 魔法使いはとびっきりの笑顔を浮かべて、月を掴まんするかのように両腕を掲げた。
「ああ、燃えるものがいっぱいあるわ……」
 彼女は目を閉じて、恍惚とした表情をした。炎より赤い唇が、弧を描いてから開く。
「地獄のハサミが三十二匹、キャットフライが五十七匹、人食い蛾が七十四匹、デスジャッカルが二十匹――」
 おもむろに魔物たちの名を紡ぎ始めた。団長は近くにいた団員を捕まえる。
「町の外で戦う全団員に伝えろ。レディ・ファイヤーが来たから、今すぐ町の中に退避しろと」
「はっ、はい!」
 若い団員たちはみるみるうちに青ざめて、四方へと疾走していった。それを見届けて、団長は険しい顔で天を仰いだ。
「あの人、何やってんの?」
 カノンが仄かに赤光を帯び始めたルネを見上げて問う。フーガは答えた。
「獲物を数えてるんだ。あいつは魔力や生き物の気配に敏感で、どういうわけか、自分を中心としてある程度の距離以内にいる生物を関知することができるんだ。それで、これから多くものを燃やせるって時は、張り切って数を数えるんだと」
「儀式みたいなものってことかな?」
「そんなようなもんだ」
 ルネの瞳が開いた。二つの琥珀が、爛々と輝いている。唇が細かく動き始めた。それとほぼ同時に、四つの精霊文字が彼女の周りに現れる。そこから大小の文字の帯が流れ出て、魔法使いを囲んでぐるぐると回り始めた。
 赤い女は手を横に広げて、地と水平に払いながら歌うように言った。
「さあ、燃えよ栄えよ──ベギラゴン!」
 町の淵が、真っ赤に染まり上がった。
 彼方から届くちぐはぐな悲鳴、大気が燃え、肉が焦げる臭いにフーガは鼻を覆う。町中にいても届くなんて、一体どれだけの数の魔物が餌食になったのだろう。いくら魔物とは言え、彼は冥福を祈らずにはいられなかった。
「うふふっ……あはははは」
 魔女は高らかに哄笑した。魔物たちの断末魔に、彼女の止まらぬ笑いが同調していく。
 月に向かって笑い続ける魔女を、人々は生きた心地を感じられないまま、やがて声が止むときまで眺めていた。







 

 

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