新居は静かな場所に築きたいと言い出したのは、意外なことにサタルの方だった。

「ほら、騒がしいところだと落ち着いて暮らせないだろ? 俺たち、結構有名人だからね。毎日ファンが押しかけてきちゃって、さらにストーカーまで寄って来るようになった日には、さすがの俺もストレス感じちゃうからさあ」

 だから余所者には簡単に入り込めない、二人だけのスイート・ホームを作ろうね。

 そのような恋に脳味噌の溶け落ちてしまった馬鹿のような台詞を吐かれた時は、てっきりいつもの冗談だと思い軽く受け流してしまったが、なんと彼は本気だったらしい。

 サタルの行動は迅速だった。まずカノンに住みたい土地のイメージ──カノンは木に囲まれた、早朝武術の訓練をしていても近所迷惑にならない場所がいいと答えた──を訊ね、それからその条件を満たし、かつ自分たちを知る者のあまりいない、隠れ家を作るに最適な場所を絞り込んだ。その後再度カノンに場所の承諾を得てから具体的な家の設計図を相談し、その翌朝には「ちょっと家建ててくる」と呟くなり、フーガたちと仮屋としているリムルダールの家を出た。

 そして、あの浮かれ頭じみた宣言から三日後の夕方。カノンは、恋人が口にした言葉通りに作り上げた住居を見上げることになっていた。

 ──嘘だろ……?

 ラダトーム城下から遥か離れた山の奥、人里離れたこの森の中に姿を成した家の外壁を掌でぺちぺちと叩き、少女は口の端を引き攣らせた。

 触れられることから判断するに、本物の実在する家のようだ。だがしかし、こんな所業ができるわけがない。彼が家を建てると言ってから三日しか経っていないのに。

「ははあ、さては一人召喚術建築大会を行ったね?」

 サタルが再び失踪したと、カノンが伝えてもいないのに聞きつけてきたテングの、森の中に突如現れた家を目にして放った第一声がそれだった。

「土と火の精霊の力を借りて建てたんだと思う。精霊の力を借りれば、たいていの材料は難なくそろうからねぇ」

 魔法を使った建築。そういった所業をやってのけてしまうところがさすがロトの称号を得た者であると言えば、そうなのだろうが。

 カノンは溜め息を吐き、連れて来てくれた賢者を振り返る。

「テング、アイツはまだこの辺りに──」

「カノンちゃん!」

 晴れやかな声が聞こえた。

 眉根を寄せるカノンに、聞く前に来たねとテングが笑う。頭を巡らせれば、家の角から──方向的に、正面玄関から出て来たのだろうとカノンは判断した──サタルが現れたのが見えた。三日ぶりに見た男は、実に嬉しそうな顔で駆け寄って来る。

「もう気付いちゃったんだね。ちゃんと内装が君好みになってるか吟味してから迎えに行こうと思ったのに、ふふ、カノンちゃんもやっぱり楽しみにしてたんでしょ? 素直じゃないな」

 皆まで言い切るより先に、駆け寄るその身体が手を伸ばせば届く距離まで来た。だからカノンは、言葉の途中でも構わずビンタした。

 サタルは踏鞴を踏んで一転、きょとんとする。どうして叩かれたのか心底分からないという表情だ。サタルが混乱している隙に、カノンは彼の頬を両手で挟んだ。

「え、なに? なに?」

 余計混乱したようである。狼狽えているのは放っておいて、全身を眺める。

「風呂は?」

「入ったよ? そうじゃなきゃ、カノンちゃんの前に出てこれないよ」

「最後に食事を摂ったのは?」

「お昼かな」

「中身は?」

「不思議なきのみとサボテンステーキ」

「じゃあ、最後に寝たのはいつ?」

「昨夜だよ」

「テング」

 振り返らず、サタルを見つめたまま呼んだ。地に許されし者は応える。

「ずばり嘘です。この土地の風が、二晩働き続けましたと語っています」

「テンちゃんの嘘つき! なんでそんなこと言うんだよ!?」

「精霊は嘘吐かない。嘘つきはアンタでしょ」

 ぴしゃりと言い、頭を引き寄せて額を合わせる。額を通じて伝わってくる気脈の乱れが、雄弁に体の不調を語っていた。いや、そんなことをしなくたって分かっていたのだ。駆け寄る時の体の動き出し方が、いつもよりぎこちなく遅かった。

「無茶するな馬鹿。身体弱いくせに」

「だって」

「言い訳しない。ほら、行くよ」

 カノンはサタルの膝裏に片手を回し、横抱きにかかえ上げた。軽いとは言えないが、決して無理ではない。そのまま歩き出すと、サタルが喚き始めた。

「待って待って待ってカノンちゃん! 頼むから下ろして!!」

「ベッドは用意してあるんだろうね?」

「勿論あるよ!? でも待って! これはさすがに駄目!!」

 男の沽券に関わるだとか、自分でちゃんとベッドまで向かうから許してだとか、そのようなことを随分叫ぶこと叫ぶこと。喧しいので、仕方なくカノンは背後について来ているテングを振り返った。

「どう?」

「体調的には問題ないと思うけど、勝手に無茶した罰として抱えていってもいいんじゃないかな?」

「ほら。主治医もそう言ってるから、諦めてあたしに任せなよ」

「下手なボケかますのやめてよ笑えない!」

 サタルは悲鳴を上げた。

 結局、玄関を通ろうとしたところで物凄く暴れ出したため、面倒臭くなって譲歩した。手を繋ぎ、寝台のある部屋までさっさと案内させる。早足で通り過ぎながら、もっとじっくり内装とか見てよ頑張ったんだよと引っ張られている男が弱々しく訴えてきたが、今はお前の体調が優先だと言うと黙り込んでしまった。流石にそれだけで済ましてしまったら悪いかと思い、後でまたゆっくり説明してよと顔を覗き込むと、満更でもなさそうな顔をして頷く。子供のようだと思う。

「靴脱いで、横になって」

 寝台のもとに辿り着いて早々、男をそこに沈めて服を寛げた。カノンが胸元の紐を解いている間にもうとうとと微睡み始めている。やはり眠っていなかったのだ。そこまで無理をする必要なんて、どこにもないのに。

「くそ……やらしいコトしたいのに体力が足りないなんて、不覚……」

「黙って落ちろ」

 くだらないことを言う男の目元を手で覆い、額から生え際を撫で上げる。きちんと入浴したという言葉に偽りはないようだ。額は滑らかで、前髪も指通りが良い。目の下がやや燻んでいる感はあるが、痩けてはいないようだ。食事もそれなりに摂ったのだろう。己を疎かにしやすい彼にしては上出来なのだろうが、それにしても。

「ねえ」

 思考が引き戻された。撫でている手に指を絡めて、微睡んでいたはずの男がうっすらと目を開いてこちらを見ていた。

「七日間。純潔の愛を育んで結ばれたカップルには、恒久の平和が訪れるらしいよ」

「……は?」

 今度はカノンが目を瞬く番だった。何をまた言い出したのだろう。

「純潔?」

「ルビスきょうの、俗信さ」

 眠気と戦っているのか、たまに語調が辿々しくなる。落ちようとする目蓋を堪える様に、また幼さが滲む。

「七日かけて世界をつくったせいれいしんにあやかりたかったんじゃないかな。つまり、結婚前のなのかかん、せっくす禁止」

 口調言動こそ子供のようだが、言い出した内容はいつもの奔放な男のそれだ。このアンバランスさが魅力なのだと訴える女もいたが、カノンからするとそれよりもコイツはどういう幼少期を送ればこうなるんだという疑問の方が大きい。

「はあ」

「とっても幸せでいられるんだってさ」

 とりあえず適当な返事をしたのに、サタルは微笑んでいる。

「やろうよ、それ。明日から数えて七日後に、けっこん」

 結婚。

 そう言えばずっと前に、言われていたか。本当にする気なのかと他人事のように思う。

「夢だったんだよなあ。結婚式の夜の初夜ごっこじゃなくて、ちゃんとした結婚初夜するの」

「そんな理由で?」

 呆れた声になっていたらしい。サタルは閉じかけていた目を開いて、絡めた手を引き寄せた。寝台に膝立ちしていたカノンは、必然的に彼を上から覗き込む形になる。

「幸せになりたいだろ?」

「……アンタがしたいのは、初夜プレイでしょ?」

「それとも、今すぐ抱いてほしい?」

「そんなわけあるか」

「決まったね」

 サタルは満足そうに言う。

「七日後に結婚しよう。必要なことは明日からやれば、十分間に合うさ」

「別に、無理にしなくていいのに」

 そう言ってられるのは今のうちだからね。

 男は笑って、目を閉じた。

 




20180318   執筆途中