アイツは、絶対日が昇ってすぐにはやって来ない。昔っからそうなのよ。村にいる時は、おばさんに起こされるまで起きない。
 それに対して、あたしはいつもきっちり起こされるより前に起きる。ベッドを整えて、今日着る服を選んで、ネグリジェから着替えて、髪に櫛を通してふわふわのつやつやにして、そうしているうちにメイドが朝食の時間を知らせに来る。その頃にはもうどこに出ても完璧な美少女が出来上がってるから、あたしは自信を持って食堂へ降りる。パパとママにおはようの挨拶をして、優雅に朝食を取る。今日のメニューはエッグベネディクトに白身魚のムニエル。あたしは一口齧ってみて、思わず唸ってしまう。別に、まあまあの味だったから感心しただけよ。悔しかったわけじゃないんだからね!
 朝食が終わったら歯を磨いて顔を洗う。部屋に戻り、もう一回鏡の前に立つ。髪に変なクセついてないかしら、よだれの跡なんて残ってないかしら。
 あたしの一日は、いつだってこう。決して、今日出掛ける予定があるからもう一度鏡を見に来たわけじゃないわ。あたしは身嗜みに気を遣うレディだもの、これくらい当たり前よ。寧ろ、今日なんてレディとしてはちょっと足りないくらいだわ。お化粧をしてないんだもの(勿論、化粧水と保湿のクリームはばっちりつけたわよ)。本当なら、いつも軽くお化粧をする。でも、今日はいいの。
 身嗜みチェックが終わったら、窓をそっと開け、近くに椅子を置いて外を眺めて待つ。この時も、あたしは抜かりない。外からはあたしの姿が見えない位置に座る。このきめ細かい真珠みたいな肌が焼けたら困るからよ。他意はないわ。
「マリベルー!」
 しばらく窓を開けっぱなしにしてると、窓の外から声が届く。勿論、空から聞こえたわけじゃない。下からよ。
 昔に比べて声が低くなったくせに、相変わらず子供みたいな調子で叫ぶんだから。口の端が勝手に持ち上がろうとするのを堪えて、窓に歩み寄り桟に手をかけて下を覗く。長閑なフィッシュベルの景色に、家の前でこちらを見上げるアイツの姿はあまりに馴染んでいる。この姿がなくなったらなんて、とてもじゃないけど思い描けない。
「遅いわよ」
「ごめんごめん。迎えに来たよ、行こう!」
 アイツは小さい頃から変わらない、お人好しの童顔でにっこりする。あたしはわざとらしく溜め息を吐く。
「ちょっと待ってなさい」
 アイツの笑顔に背を向けて、あたしは部屋を出る。絶対、走ったりなんてしないわ。だってあたしはレディだもの。でもさすがに人を待たせるのは悪いから、ちょっとくらい小走りにはなるわよ。優しいでしょ? これくらい当たり前よ。だけど、癪だから絶対息なんて上げないわ。
「マリベル、出かけるの?」
「うん、夕飯までには戻るわ」
「そう。気を付けてね」
 ママには今日どこに行くのか言ってある。というか、旅が終わってから定期的に同じような感じで出かけてるから、相手だけ言えば言わなくても察してくれる。あたしは玄関の前まで来たら、歩く速度を落として扉を開ける。今日初めて直に浴びる日光が眩しくて、目を細める。海を背に無邪気に笑うコイツにつられて笑っちゃったわけじゃないのよ。本当よ。
「行こう?」
「しょうがないわね。今日も付き合ってあげるわ」
 幼馴染はこくんと頷いて、踵を返して歩き出す。あたしはその隣に並んだ。
 仮初の平和を破る長い旅が終わってからも、あたし達は定期的に遺跡に足を運んでいた。長い旅の中であの神殿にある石版は大体揃えたんだけど、最後の鍵を使った先に、まだ揃ってない台座がいくつもあったのよね。だからあたし達は、漁師の仕事に本格的に取り組み始めたコイツの時間がある時を縫って石版を集め、台座を埋めて、その先の世界へ足を伸ばしていた。
 信じられないけど、神さまがいる世界や四精霊がいる世界も見つけたのよ。その時はガボもアイラも一緒で、滅茶苦茶に戦う羽目になって大変だったわ。
「今日はどこに行くの?」
「この前と一緒のところ」
「あそこなら何度も見てるじゃない」
「見忘れてる所があったんだ」
 あたし達は並んで話をしながら歩く。転移呪文は、村の人を驚かせると悪いから村はずれまで移動してから使うようにしていた。
「まったく、アンタって本当抜けてるわよねえ」
 ごめんね、なんてアンタは呑気に笑う。本当に悪いと思ってるのかしら。まあ、いいけど。あたしは暇つぶしになるなら、何だっていいわ。
 とは言っても、あたしも前みたいに自由気ままな身じゃないんだけどね。あたしも網元の娘として、少しはパパの手伝いをするようになったのよ。あとそれから、家事なんてものもやっちゃったりして。ママは花嫁修業って言ってるわ。まあ、レディとして仕方ないことよね。決して特定の相手がいるからその人のためにとか、そういうわけじゃなくて――
「マリベル、どうしたの?」
 気が付いたら、横の奴の顔をじっと見ていたらしい。不思議そうな顔で見つめ返されて、あたしは目を逸らした。
「……ぼーっとしてただけよ。悪い?」
 ああもう。分かってるのよ、全く。
 認めるのは癪だけど、あたしだって馬鹿じゃないから分かっている。
 あたしはこの間が抜けた幼馴染に、一人の異性として好意を抱いている。いつからコイツがちょっと足りない子分からそんなものに進化しちゃったのか分からないけど、あたしの心臓はこの間抜け面を見る度に勝手に跳ねる。気がそわそわして、いつもと調子が狂う。お澄まし顔が似合う、クールでちょっと高飛車なマリベルお嬢様じゃいられなくなるのよ。
 コイツのにへらって感じの、腑抜けた笑顔が好き。深海みたいな緑の目が好き。あたしの我が儘に付き合ってくれる、お人好しなところが好き。纏ってるのんびりした空気も、たまに苛々させられるけど嫌いじゃない。それに対して意外とよくものを見て考えてるところとか、真剣な時に見せる凛々しい表情とか、絶対言ってやらないけどカッコいいと思う。ええ、絶対言ってやりませんけどね。
「体調とか、悪くない? 大丈夫?」
 あたしがじとっと目を戻すと、眉を下げてこちらを覗き込んできた。本当に、何でアンタはそんなに平然とこっちをまっすぐ見られるのよ。あたしは今すぐ目を逸らしたくて堪らないのに。腹が立つわ。
「あたしのこの美貌を見て、不健康そうだと思うワケ?」
「だって、マリベルはすぐ強がるから」
 それを知ってるなら、今のあたしの強がりも見抜きなさいよ。
「あたしだって、命がかかわる戦いの時は不調くらいちゃんと言うわよ」
 違う、そうじゃなくて! あたしは内心歯噛みする。どうしてもこの、喧嘩腰みたいなものの言い方が直らない。
「うん、ちゃんと言ってね」
 そしてコイツは気付かない。ずっとそうよ。あたしが――このあたしが!――自分の気持ちを認めた時も、その前からも、ずっと変わらない。
 あたし達、いつまでこのままなのかしら。何となく、胸の底がじりじりと焦げる。これは焦燥だ。あたしは、この幼馴染が意外と一部から人気があることを知っている。しかも、そうやって彼に好意を抱く相手は、よりによって強敵揃いなのだ。
 このままでいいのかしら、あたし。いや、その前に、アンタはこのままでいいの?
 そう隣の男に問いかけたくて仕方がない。でもそういう種類の度胸は、あたしにはない。
「おっ、アルスにマリベルだぞ!」
 悶々としてたら、聞き覚えのある無邪気な声がした。見ると、村の入り口の階段に、狼に跨った野生児が立っていた。
「あら、ガボじゃない」
 ガボは、今日は遺跡に行かないと聞いている。何かこの村で用でもあるのかしら? あたしは隣を見た。何故か、アルスの顔が微妙に強張っていた。
「二人ともこれから遺跡か? オラも行きてえけど、今日は我慢だぞ。アルスの頼みじゃ仕方ねえもんな!」
「頼み?」
「わああああっ」
 聞き返したあたしのこえは、アルスの声で掻き消された。大声を上げるなんて珍しい。でも、あたしの近くでやられるとびっくりするじゃない! あたしがそのことを非難する前に、幼馴染は慌ててガボに話しかけた。
「あのっあのねガボ! ガボは今日、母さんに用があるんだよね!?」
「ああそうだ、忘れるところだったぞ。おっちゃんが採れた山菜を持って行ってくれって言ったんだ。ついでにメシももらうんだぞ!」
 ガボは歯を見せてにかっと笑った。食い意地は変わらないらしい。アルスが繰り返し、いつものまったりした風のものとは違う不自然なくらいの愛想の良い笑顔で頷く。
「そうだよね、ありがとう。おじさんによろしくね。じゃあ!」
 アルスが足早にガボの横をすり抜けようとする。いつもならもう少し話をしたり、一緒に行こうとか誘う癖に、変だわ。あたしは追求しようとする。だけど、それより先にガボが遠ざかろうとする幼馴染の方を振り返って言った。
「ああ、あとなアルス」
「なっ何?」
「アイラから、次アルスに会ったら伝えてくれって言われたんだけどな」
 アイツは振り返った。何だか、余裕のなさそうな顔つきだわ。戦闘の時とはまた違った感じの表情してる。
「いい加減、遺跡でえとじゃなくてお町でえとの方がいいらしいぞ。なあ、でえとって何だ? 美味いのか?」
 ガボが言った直後、アルスが地面に落ちた。というか、殴られたみたいに膝から崩れ落ちた。呆気に取られるあたしを余所に、アルスは両手で顔を覆ってうううと唸っている。
「あ、アルス?」
「ごめん待って、ちょっと待って」
 顔を覆ったまま、アルスは普段の呑気ものの字もない差し迫った勢いで首を横に振る。帽子から零れて見えた耳と前髪の隙間から覗く肌が、日焼けしたわけでもないのに真っ赤だ。
「違うんだよ! いや違わないけど、その――」
「どうしたんだアルス! 目がいてえのか!?」
「大丈夫、何でもない!」
 心配しているガボにもその調子で返す。でもガボは、心配して更に尋ねる。
「なあ、でえとって何だ? そんなアルスがびっくりするようなもんなのか! あっ、まさか怪物か!? もしかしてこれから、でえとと戦いに行くのか!」
「違うよっ! あれっ、いやでもちがっ……」
 アルスは顔から手を離してちらりとこちらを見た。それは思わずの行動だったようで、すぐにまた慌てて目を逸らした。顔中が、茹でたタコみたいに赤に染まりきっている。
 ちぐはぐな男達の会話にいつもならツッコミを入れるところだけど、あたしはただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。それどころじゃないのよ。
 だって、どういうこと? コイツはガボに何を頼んだの? アイラは、アルスに何を伝えようとしたの? でえとって、あのデート以外に何かあったかしら。
 自慢じゃないけどあたしの頭はとってもいいの。だから、すぐにある可能性が思いつく。いえ、でもだって、そんな都合のいいことあるわけないわ。今まで、そんな素振り全然なかったじゃない。
 混乱している頭を整理しようとしていたら、またアルスと目が合った。そしたらもう一回、今度は明らかに照れた様子で目を逸らされた。
 あたしはつい頬を押さえる。やだ、熱って目を合わせただけで移るものかしら。あたしの美しい純白の肌が、目も当てられない有様だったらどうしよう。
 まったく、なんてことしてくれるのよ。アルスの分際で、生意気だわ。

 


(後書き)

第39回ワンライに参加させて頂いたもの。

お題は「ガボ、マリベル」選択。状況的には、「メダパニ」も含むなんですけどね。

 

マリベル様がいらして書かないわけにいかなかった。主マリ、別名アルマリ大好きです。Ⅶ主はアルスが定着してるので、今回はいつもの主人公の名前は出さないルールの例外ということで書かせてもらいました。

アルマリ最高です。大好きです。ガボちゃんも好きです。

 

では、ここまでお読みくださりありがとうございました。

またお会いできましたら幸いです。

 

20150506