宿の店主に話を聞いた。
「店を始めた動機? ただいろんな人と音楽を語りたかっただけだよ。音楽家ってのは好き勝手に動き回る生き物だから、誰がいなくなったかなんてあんまり気にしてないね。三日帰って来なかったら次の客を泊めるだけだよ」
次いで、従業員たちに話を聞いた。
「うーん。いなくなった人はいますけど、どうなったかまでは知りません」
「音楽の話はよくしたけど、それ以外の話は嫌がられるんだよな」
「この宿への不満なんてないよ。お客からも良い声もらってるぜ」
「声の調子が悪くなったお客は、そんなにいないかなあ。風邪で喉の調子がちょっと悪いって人はいたけど。普通に回復して、宿を出たよ」
「暗さですか。夜しか起きてないので気にならないですね」
さらに客達からも話を聞いてみたが、失踪事件の手がかりとなるような証言は何もなかった。八方塞がりだ。
「どうするよ」
「何を?」
ソフィアに聞いてみたらきょとんとした顔をされた。つい同じような表情になる。
「何をって。次はお前が狙われてるんだろ。対策を練った方がいいんじゃねえの。アルスがやられる相手だぜ?」
「ああ。なるほどね」
そう返事をするが、呑気に安楽椅子を揺らしている。緊迫感はまったくない。
アルスが話せなくなったとレックとアベルから聞いた。朝食をとった後、ソロたちは宿の中の聞き込みをもう一度した。レックとアベルは外で宿について調査中してるはずのロト組の話を聞きに行った。
宿の従業員の話を聞き終えたので、今ソロたちは部屋に戻ってきてくつろいでいる。正直暇だが、次何か起こるとしたらソフィアだということなので傍は離れられない。たとえ当の本人がこんな感じだとしても。
「だって何起こるかわかんないもん」
「そうだな」
「対策とか、ないでしょ」
まあ、そうなんだが。
これまで失踪した演奏家達の共通点は、全員音楽に関わっていたということ以外何もない。精々よく演奏していたくらいだ。
先に来ていた自分たちでなく、後から来たアルスが標的にされた理由も謎だ。確かにアルスの歌は良いと思うが、うまさという点で言うならレックだって相当だろう。ソフィアだって悪くはない。
ソロは部屋を見回す。異様に暗くて外見こそ変なこの宿だが、アメニティは充実している。音楽家達が良い活動をできるようにという経営者の心遣いかららしい。そのうちの一つがソフィアが使っている安楽椅子だ。勢いよく揺らしすぎるせいで頭を振り子にする拷問器具に見える。あれだけの揺れに耐えられるのだからモノがいいのだろう。
「ねーえー」
「なんだよ」
「歌を作ろうよ」
「は?」
ソフィアが止まった。髪が嵐に遭った木みたいな乱れっぷりでおかしいが、本人はいたって真剣な表情だ。だから笑わないで聞いてみる。
「何で?」
「だって、アルスが先にやられたでしょ」
「ああ」
「悔しくない? あたしの方が先にいたんだから、先にやられたっておかしくないのに。アルスだけやられるなんて、あたしの歌がいまいちだったみたいじゃん」
よく見ると微妙にむくれている。拗ねているらしい。
「いや、次はお前の番だって話だっただろ」
「来るなら早く来て欲しい。だからあたしの魅力がばっちり発揮できる曲を作って、歌うの。それであたしの歌がそう簡単に盗れるものじゃないっていうの、見せてやりたい」
「なるほどな。お前、髪型だけじゃなくて頭もおかしいわ」
言いたいことは色々ある。歌を盗りに来るってなんだ。お前は気の狂ったミュージシャンか。いつから音楽家が本業になったんだ。
だがソロは退屈だった。
「よっしゃのった」
「わぁいソロ大好き」
そんなわけでオリジナルソングを作ることにした。
歌詞を作ってから、メロディを適当に考えた。一時間でできた。
「もっと手こずるかと思ってたけど、あっさりできたね」
「マーニャの無茶ぶりの成果じゃね?」
「言えてる。あたしもよくマーニャの踊りにあわせて歌えって言われてた」
早速歌ってみた。伴奏にサックスを吹いてみあソロは気付く。曲調とソフィアの声にサックスが合わない。というか負けてしまっている。
ソフィアは出せる音域が広い。声量もあってパンチの効いた声を出せる。魔法で声を大きくしなくても十分複数の楽器と張り合えるくらいだ。
「お前の声って楽器みたいだわ。なんでそんな音出せるんだよ」
「出したいから」
「だよな」
ちなみにレックはアルスの歌を「語り」、ソフィアの歌を「演奏」と言っていた。非常に共感できる。
アルスは歌詞に合った歌唱がうまい。一語一語をよく拾っていて、歌っている内容に沿った表現ができる。
一方でソフィアは音への意識が強い。メロディを良く響かせ、繊細な音から激しい音まで自在に歌ってみせる。自分からどういう音が出るかを心得ていて、かつ耳が良くないとできない芸当だ。この能力を使って一度聴いた曲を一人アカペラで再現してみせたことだってあった。
この声量に張り合うには、それなりにボリュームのある楽器でないといけない。
だからノインを連れてきた。彼女の使うバンドネオンならば、ソフィアに負けないだろう。
「協力してもらっていい?」
「もちろんです」
「やったー! じゃあじわじわ頸動脈を締め上げるイメージで弾いてくれる?」
「分かりました」
「分かりませんって言ってもいいんだぞ」
一度、歌と伴奏を合わせてみる。演奏の途中から、ソロは笑いが止まらなくなった。
「めっちゃいいわ。俺、プロデューサーの才能あるかもしれねえ」
「今回は認める。じゃあお披露目してこよっか!」
「はい!」
三人は意気揚々と酒場に向かった。酒場では、舞台さえ空いていればいつでも演奏を披露していい。だから普段から作りかけの曲を奏でて反応を見たい者や、酔って適当な曲を弾きだす奴とか、いろんな者が多種多様の音を気まぐれに奏でていた。
ちょうど舞台が空いていたので、ソフィアとノインは登壇した。ソロは少々離れたテーブルにかけて全体の様子をみることにする。昼間の酒場、丸テーブルは四割程度埋まっている。大方自分たちの話に夢中になっているが、中にはソフィア達の様子を気にしているのもちらほらいた。
ソフィアはマイクを取り、笑顔で告げた。
「聴いてください。『無恥胎埜門店拓き』」
宿内部からの調査に詰まったので外に出た。宿について外で調査しているロト組と会うために、リッカの宿のサンドラの部屋へ行く。
ノックして入ると、既にサンドラとアレフが待っていた。
「首尾はどう?」
「やられた」
レックが今朝起こった事件について話す。アルスの状況について聞いても、二人は動揺を見せなかった。
「声が出ない。何が起こったわけでもない。自由を持って行かれている、か」
アレフが眉根を寄せる。サンドラが問う。
「意思があるのに、感情の表現が言葉でできないってことよね」
「ああ」
「呪術にしては中途半端ね。やられたのがアルスでなければ、マジャスティスでどうにかできたかもしれないけど」
「一応、ソロの剣を使って凍てつく波動はやってみた。でも何も変わらなかった」
「それならば、魔法の類いをかけられている可能性は限りなく低い」
少し考えてから、サンドラは再び口を開いた。
「問題なのはフィールドなのかもしれない」
「場所に問題があるってことか?」
「ええ。アレフ、おとといもらった資料はある?」
「はい」
アレフが即座に机の上に積まれた紙のうち二枚を開いた。サンドラがそれを向かいに座ったアベル達にも見やすいように回転させる。
それは音溜まりの宿の設計図と、建築計画書だった。
「あの宿の構造を知りたくて、設計した建築家と建てた大工を尋ねたの。でもどちらも行方が知れなくて、仕方ないからセントシュタイン城に提出された書類の写しを見させてもらったわ。これはそれをコピーしたものよ」
眺めるレックの顔がみるみるうちに強ばっていく。
蜘蛛を形取る一階の下に、密封された地下室が六つある。それぞれ蜘蛛の関節の付け根にあたる部分の下にあり、床壁天井の一面に緻密な模様を描いたらしい。
「召喚陣かな。さらに建物の材料は、魔性の強い材料ばかりだね」
アベルが身を乗り出す。サンドラが頷いた。
「そう、召喚陣は魔界に繋がっているみたいよ。誰かを呼ぶわけではなく、力だけを引き出しているみたい」
「構成する物質だが、これは動く無機物を作る職人が用いるものばかりだ。普通の建材ではない」
「動く無機物ってことは」
レックが唾を飲む。
「ゴーレムとか、キラーマシンみたいな?」
「そうだ。これは建物ではない。魔力を蓄えて起動する無機物の模型だ」
「なるほど。それなら音楽家が消える理由も納得だね」
顎をさするアベルをレックが見やる。
「どういうことだ?」
「歌は魔法を発動するための祈りみたいなものだ。生命は魔力のタンクと言われる。その二つをあの建物を生物とするために使うことになっていたとしたら、どう?」
レックの顔が髪の色をうつしたようになる。
「つまり、失踪した奴らはあの建物の糧になったってことか? じゃあ、アルスは?」
「まだ失踪者がどうなったかは分からない。でもアルスは中途半端に持って行かれただけだから、元に戻れる可能性はあるんじゃないかしら」
ひとまず息をつくレックに微笑みかけてから、アベルは正面の二人に向き直る。
「どうやったら元に戻せるだろうね」
「地下の魔方陣を壊してもいいでしょうけど、そうした場合これまで吸い取られたものがどうなるか分からないわ」
「しかし、ゴーレムのような魔物の動力源を断つなんて破壊以外思いつきません」
「壊すだけじゃあだめなのかー」
アレフとレックは頭を抱える。サンドラが二人を哀れむような目で見る。
「勇者って、仕事の七割は破壊だものね」
「この仕事をやるようになってから気付いたけど、勇者ばっかり集まると逆にそれ以外のスキルを持ってる奴が輝くよな」
「その通りだ。俺も今猛烈に転職がしたい」
「転職したところでこの問題が解決できるとは限らないわよ」
もっともである。勇者二人はうなだれた。
「でも、もしかしたらうまくいくかもしれない方法もあるわ」
「あるのか!?」
「ええ。そうでしょう、アベルさん」
三対の目が一点に集まる。アベルは目をぱちくりさせている。
「え? もしかして、魔物化したところを僕が仲間にして解決を目指すってことかい?」
「はい」
「いやいやいや」
レックが大仰に手を振る。
「アベルは確かにすげー魔物使いだけど、生まれたばっかりの建物の魔物なんて、こっちの言うことを聞いてくれるのか?」
「そればかりはなんとも言えないわ。でもあの建物に私達の魔力を流し込めば、少しは言葉の通じる相手になるかも」
「すごい量の魔力がいるんじゃねえの? そんな魔力量、誰が出せるんだよ」
「人間一人じゃ無理ね。せめて似たような魔力の人が三十人はいないと」
「おい、大変だ!」
急に扉が開け放たれ、アレンとサタルが飛び込んできた。二人とも肩で息をしてるのを見て、サンドラが眉根をひそめる。
「どうしたの」
「あの宿が動き出したんだ」
「とにかく早く来てください!」
室内にいる四人は顔を見合わせた。
リッカの宿を出て音溜まりの方へ向かった一同は唖然とした。
セントシュタイン商店街の上で巨大な黒いものが旋回している。中心は丸く、そこから細長い何かが複数生えているようだが、高速で回転しているために形ははっきりと見てとれない。しかし一同には分かった。
「宿だ……」
「蜘蛛って飛びます?」
「俺たちが蜘蛛だと思い込んでいただけで、実は別のものだったのかもしれない」
「魔界の蜘蛛なら飛ぶね」
愕然とするレック、至極当然な疑問を述べるアレン、真面目に考えるアレフ、頷くアベル。サンドラが、手を翳して飛行物体を眺めているサタルに尋ねる。
「宿に戻ってきたメンバーを見なかった?」
「見なかったよ。君こそ、いつもの力で分からないの?」
「私の察知能力は聖戦限定で発揮されるものだから分からないわ。あなたこそどうなの?」
「俺は全然できないから。天使達が専門だけど、これだからねえ」
「メンバーから考えて、そう簡単にやられるとは思えないんだけど」
「ルーラストーンで呼びかけてみたんだけど、応答がないんだ。誰も飛んで出て来ないのもおかしいよなあ」
「おい、あれ!」
その時、空で旋回する物質の中から輝く何かが飛び出してきた。煌めく青い光を纏っているので、魔力を纏って飛ぶ何者かであろう。
その影がこちらに向かってまっすぐ降下してくる。
「皆さんお揃いですね。ちょうど良かった」
降りてきたのはナインとソロだった。レックが地上に降りた二人に駆け寄る。
「何があったんだ? みんなは?」
「無事です。ですが、少し厄介なことになっております」
ナインは自分の出てきた建物を振り仰ぐ。宿はその場での旋回をやめ、大きく八の字を描いている。
「何があったんだ」
「ソフィアさんとノインの演奏で宿が覚醒しました」
全員「?」という顔をした。
「ソフィアさんがアルスさんの声が盗られたことに負けられないと言って自分に合う歌を作曲をしたのです。それをノインの伴奏で披露したところ、すばらしい量の魔力の放出が認められ、宿に命が宿りました」
「宿に命が宿ったこと以外、何もわからねえ」
アレンが言った。レックは大きく首肯する。ナインは二人に視線を合わせる。
「音楽が呪文と同じはたらきをした状況をご覧になったことがおありでしょう。オカリナの旋律がオーブの位置を示し、時として竜さえ呼ぶ。これらは特殊な道具のはたらきの結果という見方もできますが」
そして、サンドラとサタルの二人へ目を移す。
「歌声が同様にはたらくこともあります。死者の歌が現世へ影響を及ぼす。乙女の歌声が魔法の乗り物を復活させる」
今回のも同様です、とナインは天に片手を掲げた。
「何によって旋律が魔法のような奇跡を起こすのかという理論の説明は割愛します。ソフィアさんが歌ったことによって、音溜まりの宿は生物として目覚めました」
「中の連中は」
「まだ無事です。ソフィアさんの歌に夢中になってますから」
「だがぐずぐずしてると危ねえ」
これまで黙っていたソロが言う。
「アルスに起こったことから考えるに、奴は音楽が欲しいんだ。自由にてめえでてめえの気持ちをあらわせる力だけ、アルスは奪われた。音楽家が失踪したのもそういうことなんだろ。ソフィアの奴も、我が強ェからな。あの宿が何を考えてああしてるか知らねえが、他人様のモンを奪うのは得意なアイツが、もう何も奪わねえと言いきれる保証はねえだろ」
「だが、どう対策するんだ。あの宿にはまだ50人近い客と従業員がいる。我々だけで避難させるのに限界があるぞ」
アレフが尋ねる。ソロは隣のナインに目配せする。
「ナイン博士。さっきのアレ、言ってやれよ」
ナインは頷き、言った。
「音楽であの宿と心を通わせます」
一同はそろって天を仰いだ。
蜘蛛型の魔物、もとい音溜まりの宿は碧空でヘッドバンキングにいそしんでいる。
半笑いの、目が笑っていない顔でサタルが向き直る。
「本気? 冗談?」
「本気です」
ナインは無表情で肯定した。
「まず核となるのはアベルさんです」
「やっぱり僕に来るかあ」
アベルは微笑みを崩さない。穏やかである。
「アベルさんと他数名で、宿の中でソフィアさんたちが歌っているものに合わせた演奏をして奴の気を惹きます。こちらに気を向けてくれれば、ある程度コミュニケーションを取ることができる。確か魔物使いの心得にそういうものがありましたよね」
「うん」
「お願いします。演奏するメンバーはアベルさんの演奏のスタイルに合わせます」
「わかったよ」
アベルは腰に下げた道具袋からドラムを取り出した。地面に置き、ナインに示す。
「これでいいかな?」
「戦いのドラムですね。結構です」
「ならギターがナインで、あとレックはこれな」
「お?」
「おらよ」
ソロがアイテムを投げる。レックは反射で受け取って、丸くしていた目を輝かせた。
「これ、あれか!?」
「そうだあれだ」
「ラプソーンとか、その他すっげー強い敵と戦う時にいっぱい使われてきた歴戦の楽器、たしか名前は──ククールなタンバリン!」
「怒られろ。不思議なタンバリンだ」
「それだ!」
レックは星形のタンバリンを手にして小躍りしている。
「これ、ずっと演奏してみたかったんだよなー!」
祭り気分の彼を放って、ソロはそれ以外のメンツに言う。
「俺は宿の中の演奏を中継する音響担当だ。ルーラストーンが時空がねじれているせいでうまく作動しねえんだが、俺とアイツのならばかろうじて繋がれる」
それから手にしていた紙を開き、アベルに渡した。
「これ、アイツが中で演奏してる曲の譜面です。すんません、合わせてやってください」
「わかったよ」
アベルは受け取って眺めはじめる。
ソロはロトのメンバーを見回す。
「オメーらは、街に被害が出ないように守る」
アレンが街を見渡して顔をしかめた。
「こんな広いのを?」
「セントシュタイン軍が動き出しています」
ナインが一方を指した。路地の向こうに、セントシュタイン兵が数人こちらを向いて待機している。
「セントシュタインは昨今訪れた滅亡の危機を乗り越えようとする中で、自国の防衛設備を開発してきました。対空攻撃用防壁装置があります。魔法の応用も利くはずですので利用してください」
「どうします」
アレフが先祖に尋ね、アレンもそちらに身体を向ける。
考え込んでいたサタルがサンドラに目を移す。
「生まれたての物質系モンスター。音に関心がある。考えられる攻撃は?」
「あの長い脚や胴体を利用した単体、もしくは広範囲に渡る物理攻撃。あとは音波でこちらにダメージや状態異常をもたらす攻撃。強力な魔法を使う可能性は低いでしょうね」
「ならば、音を遮断するために真空の防壁をセントシュタイン城で張らせてもらおう。俺とサンドラで交渉に行く。物理攻撃には、アレフやアレンの攻撃で対処する。できる?」
「できます」
「アイツの攻撃を予測して叩けばいいんですよね」
サタルのふりに、子孫二人は応じる。
様子をうかがっていたソロの方を向いて、サタルは頷いた。ソロも頷き返した。
「よし。防壁が張れたら、セッション開始だ」
▶︎
ナインとソロが事態の解決を目指して地上に降りた後、残されたメンバーは宿内の安全の確保に努めていた。
建物が動き出してから、館内は終始激しい揺れに襲われている。当初はとんでもない歌手の登場と予想外にも動き出した舞台を楽しんで盛り上がっていた宿泊客や店員たちも、今は平衡感覚が狂って突っ伏している者が大半だ。
そこでエイトは嘔吐している者の看病をしている。アルスはまだ身体の自由が戻らないが、エイトの指示に従って戸口に立ち、気が動転した客が外に飛び出そうとするのを防ぐことができた。ソフィアとノインは演奏だ。彼女らが一度演奏を辞めようとしたところ、宿が活動をやめて落下しかけたからである。
「ナインたち、そろそろかな」
「そうだと思いたいです。ソフィアさんはまだ保ちそうですが、お客さんたちがもう限界です」
看病が一区切りついたところで、エイトは舞台上のノインに話しかける。ノインはひっきりなしに手を動かしているから、汗だくだった。君は大丈夫かと尋ねると大丈夫ですと帰ってきた。彼女はそれ以外の回答をしないのであてにならない。
「自分の歌で魔物を生み出す日が来るとは思わなかったわ」
間奏中にソフィアが言う。こめかみや首筋を汗が伝っている。表情は明るい。
「アルスみたいに持って行かれないのはちょっと残念だけど、これはこれで悪くないね。創造主になった気分」
「あとは犠牲者が出なければ文句なしだね」
もう出てるようなものだけど。
エイトはロビーで蠢く乗り物酔いの客達を一瞥してちらりと思う。しかしそれは彼女のせいとは言いがたい。そもそもこの宿は、仕組みがおかしいのだそうだから。
『待たせた』
ソフィアの首に下がったルーラストーンが瞬き、ソロの声がした。
『セントシュタイン上空に防壁が張れた。アベル達の準備もできてる。次のイントロから合わせる』
「おっけ。ついてきてよね!」
ノインが曲の終わりを奏でる。
ソフィアはその余韻が失せるのを待ち、再びマイクを取る。
▶︎
『育んできた奇蹟が潰えた、潰えた果実の甘い甘い、絶えた時の饐え朽ちゆく香り……』
ソフィアのゆったりしたソロパート。
アベルが八分の六拍子を刻む。そこにナインがギターを重ねる。魔法で音を増幅させたらしく、弦を一度つま弾くだけで鳥の断末魔の如き旋律が大気を裂いた。
伴奏が加速する。道行く人々が広場で演奏する彼らの姿を遠目に見ては、セントシュタイン兵に促され、小走りに遠ざかる。緊急待避命令を受け、住人も旅人もセントシュタイン城へ待避する流れになっていた。
『少女の歓喜の舞い、あしもとに果実、飛び散る果肉。くるぶしがまだらに染まる、まるい肉にしたたるくれないの、かつて吸った雨水、なれの果て』
ソフィアにノインがコーラスを重ねる。時にソフィアが低くノインが高く、時にソフィアが高くノインが低く、音程を絡み合わせながら音の厚みを増す。
音溜まりの怪物はゆらゆら揺れている。
『二度とは行き着けないあたたかな果樹園の昼。すべて雨に奪われ、ひとりただ果実を踏む。戦士の剣も、詩人の歌も、知らない。厚い雲を掻き消す彩りがほしい、正しい夏の日射しになりたい』
叫ぶようなソフィアの歌が二度流れる。ギターもドラムもバンドネオンも、重い音を奏でているのにさほどミスをしたり乱れたりすることがなかった。
しかし怪物はゆりかごよろしく揺れるまま、動く気配がない。
アベルのドラムを叩く手が緩んだ頃を見計らい、ソロは声をかける。
「どうすか」
「恍惚としてるね。感触は悪くない」
それから少し首を傾けた。
「でも僕のことにはあまり感心を持ってないね。このままだとかなり時間がかかる」
レック、とアベルがタンバリンを叩いている青年に声を掛けた。
「そのタンバリンを貸してくれる? できればこの位置で浮かせておいてもらえるとありがたいんだけど」
「いいぜ。こうか?」
レックがタンバリンをぽんと宙に放る。タンバリンがドラムの前に浮いたのを確認して、アベルはありがとうと笑みを浮かべた。
「そろそろ、僕を見てもらわないとね」
アベルが手を止める。
突如、タンバリンを大きくスティックで叩いた。そうして拍を取り続けたまま、ドラムを細かに刻む。
レックとソロは目を剥いた。二本のスティックに、タンバリンとドラムが一つずつ。一本のスティックはずっとタンバリンを叩いているにも関わらず、残ったたった一本のスティックで叩かれるドラムの一音一音絶妙に変わっている。高低浅深、遅さ速さの狂いもなく、猛烈なスピードでリズムを刻んでいく。
突如変わったドラムに、ナインが思わず手を止めた。アベルが告げる。
「ナイン、『キャラバン』だよ」
ドラムの光る名曲である。ちょうどコントラバスのパートに入るところで、言われるがままにナインは弦を爪弾く。ドラムに低い弦の振動が加わり、寄せては引く波のような旋律が生まれていく。
「乗った!」
ソロが背負っていたサックスを前へ持ってくる。ルーラストーンから声がする。
『なになに? アベル?』
「『キャラバン』だよ。お前も知ってるだろ?」
『えー叩けるの!? やったーあたしトランペットパートやる!』
ソフィアは戸惑いから一転、歓喜の声を上げた。
『ノイン、ピアノ!』
「バンドネオンなのですが」
『いいから!』
ルーラストーンの向こうから、求めていた鍵盤の音色が届く。すかさずアベルが言う。
「レックはトロンボーンパートで」
「よし来たっ」
レックは満面に喜色を浮かべ、低音から高音へと次第に声を張り上げていく。
そこへソロのサックスとソフィアのコーラスが加わる。
全ての楽器が合わさり、旋律が最高潮に達する。
ぴたりと音が途切れた。そこへ転がるようなドラムが入り、自然と次の旋律へと移っていく。
一瞬にして場の様相が変わっていた。先程までボーカルが導いていた集団が、今や完全にドラムに率いられている。
レックは歌いながら天を仰ぐ。
音溜まりの宿は落ちていない。ただ宿の入り口、二本のランタンをともした玄関が、こちらをじっと見つめている。ランタンが目のようだ。
音溜まりは吸い寄せられるように下降してきた。アベルたちの上空、一メートルも離れていない位置に止まる。巨大な影に遮られる形になったが、地上のメンバーは演奏をやめない。レックは夢中で歌い続け、ソロは愉快そうに、ナインは一心にそれぞれの楽器を奏でている。宿の中のメンバーも同様で、途切れる風はない。
「君もやりたいのかい?」
アベルだけが顔を上げ、ドラムを叩きながらも音溜まりの宿を見つめて言う。
「ならば、君の表現を考えなくちゃ。君の身体は確かにパーカッション向きかもね。でも君と似たような身体の音楽家は、魔界にしかいないかも。君にはもう十分魂があるみたいだから、中の人たちを出させてあげてもいいかな?」
宿はぱかりと玄関の戸を開いた。アベルが叫ぶ。
「開いたよ。早く出て」
すかさず飛び出してきたのはアルスである。戸口の方を振り返り、言った。
「大丈夫、ついて来て!」
声が戻った、とナインが驚愕を露わに呟く。
戸口から我先にと音楽家達が駆けだしていく。飛び降りてすぐ転がる者。どこか遠くへと逃げていく者。
異変を見て取って駆け寄ってきたアレフとアレンは、わらわらと群れて逃げていく音楽家や従業員達を見て会話する。
「五十人とは思えないな」
「これまで囚われていた人も、解放されたってことですかね」
最後にバンドネオンを抱えたノイン、歌うソフィアが降りてきて、エイトが出て来る。中をもう一度振り返ってから、彼はアベルに言った。
「もう中に人はいないよ」
アベルは頷き、なおも自分を見つめているらしい音溜まりを見上げる。
「ありがとう。これで魔界に行きやすくなったかな。君も魔族ならば、君がいた場所の地下にある魔方陣から魔界にいけるはず。楽器を持っている魔族に教えを求めてみたらどうかな
?」
音溜まりは頷き、飛び立つ。そしてもとあった位置に戻るとその場に沈み込み、溶けて消えるように姿を消した。
その時、演奏は最後にもう一度全ての楽器が盛り上がりを迎えていた。タンバリンの連打で全ての音が終わるや否や、すぐさまナインが飛び上がる。上空から音溜まりの宿が沈んでいった位置を見て、そこに時空移動の魔力の光の残滓を認めた彼は、滑空しながら告げた。
「終わりました。クエスト達成です!」
わっ、と地上が湧いた。
アレフとアレンが駆け寄ってくる。その向こうで、兵士達が歓声を上げている。
ノインはへたり込み、ソフィアは大声を上げながら大の字に寝転んだ。レックがソロとアベルにハイタッチをしてまわる。
「やったな!」
「つっかれたー! もう、無理ぃ」
「アベルお前すげー、やっぱすげーよっ」
騒ぎは町中から国中に広がり、やがて宿屋協会とセントシュタイン城主催で盛大な宴が開かれるのだった。
▶︎
その日の夜。
ある者は歌い、ある者は踊る、宴の様をセントシュタイン城バルコニーから眺める人影が二つあった。
「音溜まりか」
「なに?」
城での交渉に努めていたロトの勇者達である。横並びになった彼らは、そろいのワイングラスを手に会話をしている。
サンドラが聞き返すと、サタルはああと頷く。
「あの宿の名前。誰がどういう意図で決めたんだろうなって」
「特殊かしら」
「オト、ダマリだよ。音楽の宿なのに黙りなんて、皮肉じゃないか」
男勇者は赤ワインを一口あおり、眼下を窺う。そこにはすっかり調子を取り戻したアルスが、酔っ払ったレックに頬を引っ張られるのを腕を伸ばして拒否している姿があった。
「ルイーダの酒場でも、パーティーが互いに本名を名乗るとは限らないだろう」
「ええ」
サンドラは肯定する。
彼らの世界では、酒場の二階に「求める仲間を注文する」場があった。
まず希望する仲間の名前を伝え、ステータスの希望を、差し入れとしてツマミ代わりの種でそれとなく伝える。その後一階の酒場に降りると、自分の求めた通りの名前を持つ仲間が登録されている。
この時、雇い主の名乗る名前と呼びたい仲間の名前にはルールがあった。
「四文字以内のあだ名で呼び合うのが基本ね。本名を名乗るとしても、氏か名の一部。このあだ名を決め合うのが、契約の一部だと聞いたわ。私は酒場をあまり利用しなかったから、伝聞だけど」
「俺もだよ。でも酒場をよく使う仲間はそう言ってたし、旅に出る人間は四文字以内で冒険者としての名前を決めておけって言われたよね」
二人は頷き合う。
「サンドラ」も「サタル」も、そうして決まった名の一部だ。
「で、それと音溜まりに何の関係が?」
「うん。四文字で名乗る理由なんだけど、現実的な意味はそれぞれある一方で、本名でステータスが知られてしまう可能性があるから、って噂を聞いたことがあるよ」
「何それ。そうだとしたら、私はフルネームをしょっちゅう名乗ってるから、もうだいぶ知れ渡ってることになるわよ」
「でも、本当のフルネームではないよね? ミドルネームを名乗らない決まり、あるでしょ」
サタルが問うと、サンドラは沈黙した。
本当かどうか知らないけど、とサタルは前置いて言う。
「名は体を表す。身体も心も、欠けたものを無意識に求める。それで音溜まりの宿がああなったとすると、あの宿の造り手は何を考えていたんだろう」
「店長も従業員も、雇われた人間だと聞いたわ。でも雇い主は見つからなかった。建築に関わった人間もみんないなくなってる。どういうことかしら」
サンドラは白ワインで唇を湿らせる。サタルは肩を竦めた。
「まあ、俺たちは雇われただけだから。もしかしたら宿屋協会は何か知ってるのかもしれない。なら、深入りはしない方がいい」
「これだけ無駄に話しておいて、それでしめる気?」
「答えが出そうにないからね。他人様の世界の事情に、土足で踏み込みすぎるのもいけないし」
「それもそうだわ」
二人はしばらく、肩を並べて祭りの騒ぎを見つめる。
「そういえば君、何か楽器はできるの?」
「さっぱりよ。魔王討伐のためのステータス上げしかしてこなかったもの」
「そうか。実は、レックが旅芸人一座として仕事がしてみたいって言ってたんだけど、もしよければ俺と一緒に漫才を──」
「きゃっか」
「そこは四文字じゃなくて良くない?」