深夜零時。漆黒の中を一つの闇が走り抜けていく。普通の者なら眠くなり、床に着くだろうこの時刻に、これだけ俊敏に動くことができるのだから、ただ者ではない。
 闇は並び立つ建物の上を、風が吹き抜けるかのように走っていく。一瞬、月が雲の切れ間から顔を出して、彼を照らし出した。静かな月光に答えたのは、金色の光。だがそれも一瞬のことで、月はまた雲に隠れてしまった。
 彼は進む。荒い息の一つも洩らさず、淡々と駆ける。やがて彼は、ある建物の上でぴたりと足を止めた。天窓から中の様子を覗き込む。数人の男達が、机の周りに集まって何やら話し込んでいるようだ。
 彼はにやりと笑った。誰もこちらに気付いている気配はない。彼は手に持つ物を握りしめ、そして。
 天窓から中に飛び込んだ。






「辞書持ってきたぜー!」

「うわあああああッ!」


 天窓からダイナミックに飛び込んできた少年に、男達は驚愕の叫びを上げた。

「な、ナルトくううん!」
「驚かせんなよ馬鹿野郎!」
「へっへー悪ぃ悪ぃ! ほら、菓子買ってきたから許せってば」
「許す!」
「あっ、こらチョウジ!」

 いち早くお菓子を漁り始めたチョウジに負けじと、他の男達も手を伸ばす。押し合いへし合いをしている彼らを脇目に、緑茶を一口啜ったシカマルが得意顔のナルトに訊ねる。

「で? ちゃんと言ったもん取って来たのか?」
「おうよ!」

 ナルトはにたーっと笑うと、机の上に依頼品を叩き付けた。
 分厚い表紙の本。表紙には、『忍術用語事典』と記されている。

「おーっおっけーおっけー! やっぱこれがねえとな!」
「どこから調達してきたんだ、これ」
「サクラちゃんに借りたってばよ」
「よく貸したな」
「『これから風呂入るんじゃボケェェェしゃーんなろー!』って言われたけど、貸してくれたってばよ! やっぱサクラちゃんって優しいよな、殴られたけど!」
「えええサクラさんに会ったんですか!? 僕も行けば良かった……!」
「ナルト、女性の部屋に夜分遅く訪問するのは良くない。何故ならば……」

 悔し泣きするリーやごにょごにょ言い始めたシノには触れず、男達は忍術用語事典をぱらぱらとめくるキバの手元を覗き込む。キバが歓声を上げた。

「おおー、やっぱ色々載ってんな! 良く分かんねーのが多いけど!」
「分かれ」
「そんなこったろうと思って調達してきてもらったんだよ」
「これなかったらどうするつもりだったの?」
「そりゃまあ……適当にやればいいだろ。てかオレは冗談で言ったんだけどな。マジでやんのか?」
「やるやる!」
「何でだよ?」
「モテたいから!!」

 若干名が目をギラギラさせながら回答した。問いかけたシカマルは「あっそう」と返したが、内心「いや、こんなんできたってモテやしないだろ」とつっこみを入れずにはいられなかった。本当は声に出して言いたいところなのだが、これだけ盛り上がってしまっているのでそうもいかない。何より、俗に言う「深夜テンション」になってしまった彼らが、冷静かつ真摯に、その現実を受け止めるとも思えなかった。

「よおーっし!」

 ここで、ナルトがパン! と勢いよく手を叩いた。

「これよりィ! 第一回口説き王選手権を始めるってばよ!」

 うおおおおお!
 男達は鬨の声のようなものを上げた。
 こうなったきっかけは、やはりナルトだった。久々に夕飯を一緒に食べようと定食屋に来た同期の男達に、ナルトが「サクラちゃんに、『アンタは乙女心とか、そういうのが全っ然分かってない!』って言われちゃったってばよー!」と泣きついてきたのである。男達は相談した本人の予想以上にその話題に食いつき、二時間の談義の末、サクラがナルトに「乙女心テキスト」として渡したという少女漫画を、ナルトの家に行って皆で読もうという話になった。
 しかも何をどう間違ったのか、ナルトの家で話している内に、いつの間にか「乙女心とは何か」という当初のテーマから「女心を掴むにはどうしたらいいのか」という話に変わってしまい、その結果「男なら、口説き文句で勝負だ!」という謎の結論に辿り着いてしまったのである。
 そして彼らは今、何かが間違っているということに気付かないまま、大まじめに新たな試みに挑もうとしていた。

「ルールは簡単! 男らしく! 忍らしく! 女の子をきゅんとさせるような、忍術を使った口説き文句を言えたヤツが優勝だってばよ!」
「絶対無理だろ」
「はいはいはーい!」

 ぼそりと呟いたシカマルの隣で、元気よく手が上がった。キバだ。

「はい、キバ! じゃあキバから時計回りで行くってばよ」
「時計回りとかさせねーよ! 一発で決めてやるぜ!」

 キバはぐっと親指を立てると、犬歯をきらりと光らせて言った。

「キミの(※放送禁止のため省略)に牙通牙!」
「アウトおおお!」

 意外にも、叫んだのはリーだった。きょとんとしているキバに、リーは頬を紅潮させ、あたふたとしながら言う。

「それは駄目ですよ! 女の子の中には、下ネタが苦手な人もいるんです!」
「え、そうなのか?」
「リーの言う通りだ。清楚な女性は下ネタが苦手だ。何故ならば、彼女たちは精神的な繋がり、愛情を男性に求めるからだ。女性は男のように、肉欲はそこまで強くないし、表面には出しづらいものだ」
「へー。難しいんだな、女って」

 キバは頭を掻いた。ナルトも小首を傾げる。

「うーん……オレも良いと思ったんだけどなあ」
「せめて、『キミのハートに牙通牙!』なら良かったんじゃないか?」
「おお! それはいいですね!」

 ネジの提案に、リーが興奮して賛同する。だが、それ以外の男達は顔を僅かに引きつらせた。彼らを代表して、チョウジが弱々しく微笑んで言う。

「いや、それはちょっと……寒いと思うよ?」
「え? そうか?」
「いいと思うんですけど……ああ、ガイ先生が言ったらきっと格好いいです!」

 うっとりとしたリーの言葉に、三班以外の男達は、思わずその台詞を言うガイを連想してしまい、顔を歪めた。確かに言いそうだ。しかし、格好いいとは言えそうにない。
 ナルトがシカマルににじり寄って、その耳に囁く。

「なあ……ネジって格好いいし頭いいのに、何で口説き文句のセンスは良くねーのかな?」
「そりゃ、担当の先生のせいだろ」

 ナルトは納得したという顔で頷くと、哀れみの目をネジに向けた。ネジは不思議そうな顔をしている。

「何だ?」
「ううん、何でも……さ、じゃあ次行こうってばよ!」
「次はチョウジ! チョウジだ!」
「えーボク? ボクはいいよ……」
「そんなこと言わねーでさ、ほらこの漫画から何か捻ってみろって!」

 キバにサクラの少女漫画を渡され、渋々チョウジは頁を捲る。それを、隣のシノが覗き込む。

「これとかいいんじゃないか?」
「えーこれー? 何か恥ずかしいよ!」
「こことかこれとか変えればいんじゃね? ほら……」

 大の男が三人、小さな少女漫画を中心にひそひそと話しているのは少々きついものがあったが、誰もそこには触れなかった。
 ややあって、できた! とチョウジが声を上げた。

「ボクの身体でかいだろ。キミと一緒にいるからさ」

 ――何を、どう変えた?
 四人は激しく疑問に思った。きっと倍化の術をネタに使いたかったのだろう。だが、全く意味が分からない。それに、そもそもチョウジの身体がでかいのはいつものことだ。一時的な現象ではない。
しかし、考えた三人の顔には「会心の出来」と書いてある上に、身体がでかい云々はチョウジの禁句に繋がりやすい。どうしたものか。
少し間が開いて、ネジが顔を上げた。

「うん……いいと思う。ガッチリした男が好きな女は多いらしいから、いいと思うぞ」
「やったあ!」

 ネジの奇跡的なフォローでその場は丸く収まった。ほっと息を吐く暇を皆に与えず、ナルトが叫ぶ。

「次々! シノは何て言うんだ?」
「簡単なことだ」

 シノは表情を変えず――いつものサングラスにマスクなので表情が分かりづらいが――言った。

「ずっとお前の傍にいる……蟲達と共に」

 その場に、沈黙が横たわった。
 間違ってはいない。
 間違ってはいないが……何か嫌だ。と言うか怖い。ずっと蟲に見られてるなんて、怖すぎる。

「あ、安心感があるな」

 シカマルの絞り出した一言に、一同はこくこくと頷いた。確かに安心感はありそうだ。どこに言ってもシノか、あの虫の群れがついて来るのだから。
 シノは何となく皆の反応がいまいちだったのが気に入らなそうだったが、ナルトがいつもの如く次に繋げた。次はリーだ。リーならきっと、このまま沈没していきそうな空気を変えてくれるに違いない。そんな皆の期待を感じたのか何なのかは分からないが、リーが立ち上がった。思わずのめりだした一同を一瞥して、彼は言った。

「ボクは絶対の絶対の絶対に! 貴女を泣かせたりしません!」

 おっ、いいぞ! とキバが一声入れる。
 そしてリーは、必殺スマイルを浮かべて続けた。

「ガイ先生に誓って、貴女一筋ですから!」

 残念!!

 全員、肩を落とさずにはいられなかった。早速あちこちからつっこみが飛ぶ。

「何で激マユ先生なんだってばよ!?」
「全体的に良かったんだけど……」
「ガイ先生に誓ったせいで台無しじゃねーか!」
「それだと、『私とガイ先生どっちが大事なの!?』と言われそうだな」
「ああ、そうでした……!」

 リーはがくりと膝をついた。

「ボクはもし彼女ができた場合、ガイ先生とどっちを優先したらいいのでしょうか……っ」
「悩みどころそこかよ!?」
「ネジはー?」

 真剣に悩み始めたリーのことは放っておくことにしたらしいナルトが、ネジに訊ねる。天才と呼ばれる彼は、ふっと笑った。

「やはり、こういう台詞はTPOを考えればいいのだろう?」
「おお! そのて……ちーぴーおー? が何だかよくわかんねーけど、きっとそうだってばよ!」
「だからオレが考えたのは、彼女が密かに欲しいと思っていたプレゼントを買って渡した時に、驚いた彼女に言う台詞だ」
「細かくて若干気持ち悪ぃけど、何か凄そうだぞ!」

 キバの失礼な台詞は無視して、ネジは美麗な微笑みを浮かべ。
 かっと、白眼を発動させた。

「……お前のことは何でも分かる」

「そりゃ分かるわ!!」

 ナルトとキバが叫んだ。反則と言うか、それ以前に彼女は複雑な気持ちを抱えるに違いない。台詞、シチュエーションとしては問題ないのだが、白眼を発動させて言われると正直怖かった。

「駄目か……」
「ナルト、お前は先程から他人の台詞に文句ばかり言っているが、その分良い台詞は思い浮かんでいるのだろうな?」

 考え込むネジから目線を移し、シノが訊ねる。キバも唇を尖らせた。

「そーだぜナルト! いい口説き文句あんのかよ?」
「そりゃ勿論!」

 ナルトは満面の笑みと、ダブルピースを作った。

「ちゃんとサクラちゃんから借りた漫画全部読んで研究したから、ばっちりだってばよ!」

 行くぜぇ!? とナルトが勢い込む。

「オレの全部をお前にやる! 好きだ! 付き合ってくれ!」

「待て、全部はでかい! 愛が重過ぎる!」

 全員が叫んだ。それもそのはず、家の中は隙間も残さず、みっちりとナルトの多重影分身で詰まっているからである。愛は――物理的に――痛いほど感じられるが、熱い。熱すぎる。
 仲間達の悲痛な声を聞いて、ナルトは多重影分身を解いた。だが、彼はとても良い笑顔だった。えへんと胸を張ってみせる。

「どうだってばよ!?」
「確かにいいけど……人によっては引くんじゃない?」
「もうちょっと少なくて良いと思うが」
「でも、全部出し切らないとホントの気持ちが伝わんねーってば」
「ああ、確かにそうだ」
「恋愛とか愛情とか、表現は人それぞれだよな」
「気持ちの大きさもね」
「うーん、難しいですね……」

 皆、愛のあり方が分からず悩みこんでしまう。
 そんな中で一人、ぼーっとした顔で茶を入れている者がいる。それを見て、ナルトがあっと声を上げた。

「そうだ! すっかり終わった気になってたけど、シカマルがまだ言ってねーってばよ!」
「あ?」
「あー、そう言えばそうだったな」
「ずるいよ、シカマルだけ言ってないなんて!」
「ここは言うべきだ。何故なら、人は平等であった方が……」
「ボク、シカマル君のとっておき聞きたいです!」
「今こそIQ200の出番だぜ!」

 俄に盛り上がり始めた一同に対して、シカマルはただ眉間に皺を寄せた。

「は? いや、お前らがオレのこと忘れてただけだろ。別に今更言わなくてもいいんじゃねーの?」
「いや、言え! そしてビシッと決めろ!」
「シカマルならできるよ!」
「や、オレより決めちゃ駄目だ! ウケを狙うってばよ!」
「お前ら何なんだよ」

 シカマルは溜め息を吐いた。湯飲みを傾け、飲み干したそれを卓上に置く。

「めんどくせーなあ。オレ便所行きてーから、簡単に済ませんぞ」
「えー!?」
「それは良くない。何故なら物事には全力で……」
「誰か一人ちょっと手伝ってくれ」
「おう、いいってばよ」

 あーあ、あんま男相手にやりたくねーんだけど。ぶつぶつ呟きながらも、シカマルは気怠そうに立ち上がった。ナルトもつられて立つ。

「なー、オレ何すればいいんだ?」
「適当にばたばたしろ」
「よっしゃ! 任せるってばよ!」

 ナルトが辺りを飛び回り始めた。シカマルが印を結ぶ。すると、ナルトの動きが硬くなり始めた。影縛りの術だ。

「ぐぎぎ……これこらい、どうってこと……!」
「本気で抵抗すんなよー?」

 シカマルは軽く言い、嫌そうに息を吐く。直後、彼の顔つきが変わった。

「……アンタのこと、傷つけたくねーんだ」

 は?
 ナルトや他の面子がぽかんと口を開けた。その隙を逃さず、影縛りの力が強まる。あれよあれよという間に、ナルトはシカマルの方に引き寄せられ、身動きが取れなくなる。シカマルはそれを見て、捕まえた、と口角を吊り上げた。瞳に、いつもの彼らしくない挑戦的な色が閃く。真摯な目を自身の捕らえたものから反らさず、ゆっくりと歩み寄る。そして、固まった相手の顔を間近で覗き込み、笑みの欠片を消して囁いた。

「もう、絶対離さねぇからな……」

 これまで聞いたことの無いような低い声が、聞く者の鼓膜を震わした。誰も身動きが取れない中、シカマルは端整な顏に一瞬満足そうな笑みを浮かべて。
 いつもの気怠そうな雰囲気に戻った。

「便所」

 一言だけ告げると、部屋を出て行った。
 残された者達は、術がかかっていないにも関わらず、動くことができなかった。数秒経って、ナルトが座り込んだ。

「何だってばよ今のぉぉぉ!!」

 その叫びを皮切りに、止まっていた時が動き出す。

「ちょっ……何だったんですか今の!?」
「あれは、本当にシカマルなのか……?」
「面倒臭そうじゃないシカマルなんて、仕事以外で初めて見たぞ」
「何つーの、あの声とか顔とか……エロい! 無駄にエロい!」
「気を付けろ! アイツ隠れ狼だ、羊の皮を被った狼だってばよ!」
「いや、ロールキャベツだよ、キャベツの皮被った肉の塊!」

 ――最早、皆第一回口説き文句大会のことなど忘れていた。


 そして、それからしばらくの間、「シカマルむっつりスケベ説」が木ノ葉の中で密かに話題になったとかならなかったとか。




20130410 執筆、支部投稿

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