「あ」
「よぉ、お疲れさん」

 その日、砂の使者としての仕事を終え建物から出てきたテマリが目にしたのは、もはや腐れ縁と呼べるまでに馴染みの者となった木ノ葉の中忍――奈良シカマルだった。

「お前……何でいる?」
「馬鹿なこと訊いてんじゃねーよ。あんたを迎えに来たに決まってんだろうが」
「迎え……?」
「宿まで送ってってやるよ。もう時間も遅ェし」

 テマリは空を見上げた。確かにもう日はとっくの昔に沈んでおり、子供達は寝付いている時間帯である。だがこの時間帯くらいなら、忍である自分にとって遅くも何ともない。それを口に出すと、シカマルはいつもの仏頂面に呆れの色を浮かべた。

「あんたって人は……ったく」

 テマリをちらりと見やり、小さく溜め息を吐いた。その意味が分からずテマリが軽く睨むと、彼は首を横に振った。

「ここからあんたの泊まってる宿に行くには、歓楽街を通ってかなきゃなんねーだろ。こんな時間に、女が一人であんなトコ通るもんじゃねぇぜ」
「なんだ、そんなことを心配してきたのか。お前寝ぼけてるんじゃないのか? 私は砂隠れの上忍だぞ? 自分の身くらい自分で守れる」
「そーゆー問題じゃない。もし万が一あんたに何かあったら、案内役のオレのせいになっちまうだろ。それにな」

 シカマルは寄りかかっていた壁から背を離した。

「女を守るのは男の特権で義務らしいからな」
「……あいかわらず男だ女だうるさい奴だな。私より階級が下のくせに何を言う」
「うるせーな。さっさと来いよ、帰るぞ」

 シカマルが歩き始めた。その隣にテマリが並ぶ。いつものポジションだ。テマリが後ろを歩いたり、走って追いつかなければならなかったりすることは今までに一度もない。恐らく、この男がテマリの歩くペースに合わせてくれているのだろう。愛想のない面倒臭がりだが、そういう細かい気配りができるあたりしっかりしていると思う。
 砂隠れの里にはこういう男などほとんどいなかったし、何よりテマリ自身が女として特別扱いされることを嫌っていたために、このように接されたことは全くと言っていいほどなかった。
 だから……どう対応したらいいのか分からない。
 テマリはそっと隣を見やる。やる気のなさそうな目にポーカーフェイス。何を考えているのだろうか。または何も考えていないのだろうか。何だかそんな気もしてきた。そう考えてみれば、ただ単にぼーっとしているだけにも見える。よく分からない奴である。


 ちょうどその時、二人は歓楽街にさしかかった。いい時刻だと言うのにわいわいがやがやと騒がしい。まあ歓楽街と言うのはいつどこに行ってもこのような感じのものだから、当たり前なのだが。
 飲んだくれのどんちゃん騒ぎを聞きつつ、目つきの悪い男達や客の呼び込みに精を出す遊女達をすり抜けながら、テマリはシカマルに目をやる。彼は今、寄ってきた普通の男なら喜んで奉仕しそうな別嬪の艶めかしい遊女を軽く受け流したところだった。あれほどの婀娜っぽい美女に迫られてもいつもと変わらない表情でいるなんて、こいつはどんな神経をしているのだろう。
 ――この変化のない顔を崩させてみたい。
 眉一つ動かすのさえ面倒臭そうなその顔を見上げて、テマリはふと思う。そう言えばこの年下の中忍が慌てふためいたりしているところを、未だかつて見たことがない。いつも飄々としているこいつを動揺させられたら、どんなに面白いだろう。
 ちょっと遊んでみようか。テマリはそんなことを考えていることなどおくびにも出さず、口を開いた。

「なあ」
「あ?」
「もしかしてお前、実はこの歓楽街で遊んだ後かまたはこれから遊ぶつもりだったり……」
「オレが歓楽街? どっからそんな発想出てきたんだよ」

 テマリは内心舌打ちした。いつもと変わらない反応。「そんなことするか!」と憤慨することを期待していたのに、つまらない。

「いや、だからそのついでに私の迎えに来たんじゃないかと思って」
「んなわけあるか。歓楽街とか、仲間と飲むんならともかく一人で来たってめんどくせーことばっかじゃねーか」
「賭け事とかしないのか」
「そんなもんより、家で将棋でも指してた方が数倍楽しいぜ」
「年寄りみたいな奴だな」
「よく言われる……あーもーオレ二十歳じゃねーし無理だっての」

 また違う店の遊女が寄ってきて、シカマルは至極かったるそうな顔で彼女を追い払った。女は名残惜しそうに店へ帰っていく。テマリはその様子を見て、新しい問いかけを思いついた。

「なあ」
「あ?」
「お前、性欲とかあるのか?」
「…………はあ!?」

 シカマルがぎょっとして眉を跳ね上げた。意表を突く質問に、さすがの面倒臭がりも表情筋を動かさざるを得なかったらしい。
 よっしゃ来た! と胸中でガッツポーズを取るが、それはまだ表には出さない。さすがに度肝を抜かれたらしいシカマルの顔を見てほくそ笑む。

「ちょっ、あ……何なんだよいきなり!?」
「お前くらいの年頃の男だったり、そうでなくても世の男というものは色っぽい女を見ると何らかの反応を示したりやらしい妄想をしたりするものじゃないか。だがお前は全く普段と変わりないんでな」

 あ、そう……とまだ動揺の色が残るシカマルが頭を掻く。そのわずかに赤らんだ顔を見て、テマリはにやりと笑った。やはりまだこいつはガキだ。身長こそ抜かされてしまったものの、中身はそれ相応らしい。面白いし、もう少し可愛がってやろうか。
 一方のシカマルは少し眉間に皺を寄せながら答える。

「別にそういうのがないわけじゃねーよ。でもオレ女めんどくせーから苦手だし。それがいっぱいいる遊郭なんて、マジめんどくせーわ。そこまで女の姿形に興味ねーし」
「ふーん、枯れてるな」
「ひっでぇ……確かにオレ年寄り臭ェけどそこまでじゃ」
「じゃあガキ」
「極端だな」
「だって、女が面倒臭いからって女に性的な興味を持ち出す前の段階の子供みたいな理由じゃないか。それに実際私より年下だし」

 シカマルはむすっとしている。その様子が面白くて、テマリはもうにやにや笑いが隠せない。これだからこいつを弄るのはやめられないのだ。

「……オレ、一応十六だし立派な男なんだけどな」
「よく言うよ」
「オレより小っさいクセに」
「昔は私の方がでかかった」
「て言うか、あんた女なんだからそういう話題他人に振るのやめろよ」
「何で?」
「あー……ったく分かんねぇかなあ?」

 歓楽街を抜けた。そう思った瞬間、テマリの背中が何か硬いものに押しつけられた。左右を確認する。これは壁だ、路地裏の――そこまで把握して目を正面に戻し直後。息が止まった。

 鼻の先が触れ合いそうなほどの至近距離に、いつになく真摯なシカマルの顔があった。

「……ッ!」

 身体が言うことをきかない。そこでやっと彼女は自分の現状を把握した。彼女の身体はシカマルによって、壁に押しつけられていた。
 テマリは身体の自由を取り戻すため暴れようとするが、両手首は彼の手で押さえられており、足は彼の膝で押さえつけられたスカートのせいで動かせない。

「待てっ、お前なにを……ッ!」
「ほら、こんな簡単に捕まっちまうんだぜ?」

 シカマルが不敵に笑う。いつもは何も映し出さない無気力な瞳が今は獲物を追い詰めた獰猛な獣の牙を映し出し、ぞくりと身体が震える。
 一体いきなりどうしたと言うのだろう。急に様子が変わった彼にテマリは狼狽した。身体が鋭い視線に射すくめられ絡め取られ、抵抗することをやめてしまう。

「めんどくせーけど、分かってねぇみてーだから教えてやるよ」
「何、を」
「あんたは確かにオレなんかより強い忍だ。だけどな……その前にあんたは女なんだよ。女は男の本能を呼び起こさせちまう。そうなったら男ってのは、どんな手を使ってでも獲物を狩ろうとするもんなんだ」

 ああ顔が近い……心拍数が上がり身体中が燃えるように熱くなる。
 混濁した意識の中、彼女は思う。これは本当に私の知る奈良シカマルなのだろうか? 何で……何でこんなに身体が熱くなる? 心臓が大きく音を立てる?
 別に私は、シカマルのことなんて……。

「なあ、だからヘタに男を挑発すんなよ? いつでもオレが助けに行けるわけじゃねーんだから」

 心臓の音がうるさくて言っていることの意味を読み取れない。
 大きな手が自分の髪をなでているのを感じた。

「でもさ、そーやっていつまでも固まって可愛い顔してっと……」

 柔らかいものが頬を掠って。

「先に襲っちまうぜ……オレが」

 耳に、熱く低い囁きが吹き込まれ、そして……



「きゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」



 次の瞬間、この世のものとは思えない程の強風が木ノ葉の里を襲った。







「あー死ぬかと思った」
「それはこっちの台詞だ馬鹿!!」

 あの後、錯乱状態に陥り強力な風遁術を使用してしまったテマリをどうにか気絶させ、シカマルは予約してあった宿に彼女を担ぎ込んだ。
 しばらくして目覚めた彼女は枕元に座るシカマルを見るなり、顔を真っ赤にしてかけ布団を被ったきりしばらく何も喋らなかったが、やがて彼を散々に罵り始めた。

「この変態! むっつり! 鹿男!」
「だからあれは演技だっての! もとはと言えばあんたが最初に下ネタ振ってきたのが悪いんだろ!? 仕返しだよ!」
「うるさーい!」

 テマリはまた勢いよく毛布を被った。

 ああ信じらんない信じらんない!
 テマリは頭の中で絶叫する。あれがあのシカマル!? 嘘!? ただの無気力枯山水だと思ってたのに……!
 彼女の脳内で先程の出来事がぐるぐると回る。

 ――いつの間にか追い抜かされた身長と、引き締まった身体。
 ――それに熱い眼差しと掠れた囁き声は、間違いなく男のもので。

 そして……最後に右耳を食まれた時は自分の発熱と羞恥心、更に表現しがたい甘い痺れたような感覚に死ぬかと思った。

(くそ、いつの間にあんな大人の男になってたのよ……!)

 彼女がまだ回想の余韻でぷるぷると震えていると、毛布の上から何かが置かれる感触がした。

「なあ……ごめん、な」

 シカマルの、手だ。テマリは布団を被ったまま拗ねたように言う。

「いつ、あんなこと覚えてきたんだ」
「知らねぇよ……言っとくけど、本当に襲う気はなかったからな」
「あったら殺すぞ」
「もう殺されかけただろ」

 でもさ、これで分かっただろ? シカマルの声に、テマリは被っていた布団から目だけを出して彼を見上げた。

「分かった……お前が内側に野獣を飼っていることが分かった」
「だから本気でやったんじゃないって言ってんだろ。そうじゃなくて、あんま一人で遅い時間彷徨いたり、男にそういう話するなってこと」

 テマリはこくりと頷いた。

「でも職業柄無理だ」
「仕事以外の時の話だ。仕事の時は容赦なくのしちまえまいいだろ」

 まぁ分かってるだろうとは思うけど、普段から気を付けとけよ。シカマルは面倒臭そうに言った。
 本当に、さっきの様子が嘘のようだ。あの時の彼は、普段からは想像もできない程意欲的だった。

(あ、やばい……また思い出してきた)

 食まれた場所がまた熱を持ち出し、テマリは目を伏せた。認めるのは悔しいが……あの時の彼は、格好良かったのだ。不覚にもときめきを覚えるくらいに。

「しっかしまぁ面白かったなー」

 シカマルがにやりと笑った。嫌な予感がする。

「まさかあれであそこまで固まるとは思わなかったぜ。顔も真っ赤だったし……意外にウブなのか?」
「っさい黙れ!」

 テマリは上体を起こし枕で彼をぶっ叩いた。痛ェと顔をしかめるも、また口を開く。

「あのあんたすっげぇ面白かったぜ……もしかして、ときめいたりしたか?」
「口寄せの――」
「待て待て待て悪かった俺が悪かったからやめろ! シーツに血が付くだろ!?」
「うるさい、一回シメてやる!」

 あーくそ……。慌てふためくシカマルと言葉の応酬を繰り広げながら、テマリは内心溜め息を点いた。

 当分、こいつの目を直視できなくなりそうだ。
 色々と前途多難になりそうな今回の木ノ葉滞在を思い、テマリは頭を抱えた。

 

 

 

20121011 執筆、支部投稿

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