※現代日本のようで日本じゃない現パロ。





 無機質な部屋には、人間と機材とがごちゃごちゃと詰まっていた。彼らはしばらく好き勝手に喋くっていたが、すそから五人の少年が現れた途端にそろってそちらへ群がり身を乗り出した。上座に据えられた長机に彼らが座ると、ユン棒のような巨大マイクとやたらしゃちほこばったカメラまでそちらを向いた。
 手帳を取り出した人々が矢継ぎ早に問いかける。カメラのシャッター音が負けじと鳴り響く。少年の一人が立ち上がった。黒い髪を一つにくくった彼はマイクを持っている。てんでんばらばらに叫んでいた人々が、シカマル君、シカマル君と口を揃えて呼びかけ始める。
「今回の件に、うちはサスケ君は関係してますか!?」
 どこかの誰か──あるいはどこかの誰かたちだったかもしれない──が言った。すると記者たちのざわめきはぴたりとやむ。
 五人のうち四人はそれに、微かな動揺の影を見せた。特に金髪の少年は、微かどころではなく顔を俯かせる。だがシカマル少年だけは、まだ丸みの残る頬の肉一つ動かさなかった。
「関係ねぇっすね。ちょうどこのタイミングで、来るべき時が来たって感じです」
 子供らしからぬかったるげな口ぶりで、彼は告げた。
「オレたち『A-R.operation』は、今日で解散します」
 部屋が、光の瞬きで白く染まる。
 シカマルは淡々と続ける。
「オレたちはこれまでのアイドル業界にない、歌とダンス以外に一芸を持つアイドルグループとして結成されました。そんなオレたちのカラーが好きだと仰ってくださったファンの皆様、型破りな俺たちを応援してくださった方々には感謝しております。ですが、そんなオレたちだからこそ、今日解散するべきなんだと思います」
 彼の切れ長の瞳が、ちらりと左隣に並んだ仲間たちを見やる。
「特徴あるアイドルとは言っても、オレたちはまだ十代前半。未熟です。もっとそれぞれの活動に専念して、自分を磨いていく必要があります。そのためにはグループの形にこだわり、お互いの枷となることがあってはなりません。一度グループを解散し、各自一芸を伸ばして──そしてたまに、お互いに活動する姿を確認しあいながら、励みとして成長していきたい。そう、メンバー全員が考えています」
 後のことはそれぞれから、と一度締めくくって、シカマルが席に着く。代わりに反対端に座る艶やかな黒き長髪の少年が立ち上がった。
 日向ネジである。
「オレは俳優として活動しながら、特に得意なアクションを伸ばしていきたいです。そのためにも、まずは半年後に公開される映画の撮影に全力を尽くします」
 彼は最年長らしい毅然とした態度を崩さぬまま、着席する。
 次いで立ち上がるのはわんぱく少年、犬塚キバだ。彼はどこか獣に似た瞳に強い決意を宿して宣言する。
「オレは一度、ブリーダーに戻ります。舞台犬の育て方をじっくり学んで、いつか自分の育てた相棒と映画を撮るのが夢です」
「僕はこれからもグルメレポーターとして活動していきたいです。やっていけるかどうか分からないけど……頑張ります」
 ふくふくとした秋道チョウジは、不安を滲ませながら言う。彼が座ろうとした瞬間、隣でけたたましい音を立てて椅子が倒れた。びっくりして跳ねるチョウジの隣、元凶である金髪の彼は大声を張り上げた。
「オレは、火影──木ノ葉芸能事務所イチのトップアイドルになる!」
 うずまきナルトの目尻に溜まった涙が、取材陣のフラッシュにチカチカと瞬く。
「そんでいつか、サスケをぎゃふんと言わせてやるってばよ!」
「そういうわけで。ソロ活動に励んでいくことになります」
 鼻をすするナルトの肩を叩いてやりながら、シカマルが締めくくる。
「メンバーの脱退から立て続けにファンの皆様を落胆させてしまうことになり、大変申し訳ありません。ですが皆さんご存知の通り、メンバー仲は決して悪くないので、今後も機会があれば共演していく予定です。どうかご理解いただき、そしてまた応援していただければ、これ以上幸いなことはありません」
 慎ましやかな言葉を流暢に述べ、詰め寄せた取材陣に質問の有無を問う。すぐに手が上がった。
「シカマル君はどうするんですか?」
「あー」
 ここで、能面のようだったシカマルの表情が初めて崩れた。細い眉を寄せ、やっぱり言わなくちゃダメか、と仲間にだけ聞こえる声で呟く。仲間たちは頷いた。
「オレは──」
 低く小さい声を聞き取るために、取材陣は沈黙する。シカマルは不安もなければ意思もない、のっぺりとした眼差しを虚空へと漂わせながら、言った。
「普通の男の子に戻ります」
 取材陣がどよめく。それでもシカマルの瞳孔は虚空を眺めたまま、やたらと焚かれるフラッシュを鈍く反射するのみだった。
 後に当時火影であった社長兼大女優・綱手は、この件について「いやあ、まさかあのシカマルが本当に言ってくれるとはな」と大手娯楽紙にコメントを寄せている。












シカマルさんのお仕事〜朝の事務整理編〜



 新参アイドルグループ『A-R.operation』がデビューして一ヶ月も経たぬうちに売れたのは、きっと個々人の話題性に原因があったのだろうというのが、昨今のアイドル評論家たちの共通した認識である。
 テレビや映画で評判の研修生を、一つところに詰めてみてはどうか。そんな思いつきから結成された六人組は、顔面偏差値重視のあまりただの量産型イケメンの集団になりがちだったアイドルグループの中でも異彩を放っており、瞬く間にお茶の間の話題となった。
 一過性のものともなりかねなかったそれに拍車をかけたのが、彼らが初めて持った冠番組「厨二N試験」だ。これは不規則に選ばれた『A-R.operation』の三名にゲスト数名に加えたメンバーで、教養クイズ、ステージサバイバル、題目ランダムの勝ち抜きトーナメントといった勝負を行い、それを見た審査員の判定によって「一番カッコよかった」とされた者が勝者となるというバラエティー番組だった。
 当初は不定期午後五時放送の緩くて小さなものだったが、ジュニアアイドルの冠とは思えない内容の面白さ、頭と体をフルに使わせられる試験内容の過酷さ、そして『A-R.operation』メンバーのカンペなし台本なしオールアドリブという状況にも関わらずばっちりと決めてくるコントじみたやり取りが大評判となり、ゴールデンタイムにまで進出した。
 しかし『A-R.operation』は、結成して一年も経たないうちに解散となってしまった。そのきっかけは、公にしていないものの誰もが察しているだろう、人気メンバーうちはサスケの脱退である。うちはサスケは多くの名優を輩出してきたうちは一族の出身で、デビューする前から研修生とは思えぬほどのファンがついていた。
 そのサスケが脱退、そして彼が他事務所との契約を確定させるまでに起こった諸事により、木ノ葉芸能は大痛手を被り、『A-R.operation』もサスケを交えた一部メンバーの大喧嘩──実際に喧嘩したのはたったサスケを含めたたった二人だが──を経て解散する流れとなった。これには多くのファンが嘆き悲しみ、さらに悲劇はそれだけに留まらず……という時期もあったが。
「シカマル、生きてるかー?」
「駄目っすね。山場です」
「ならいい。もう少し踏ん張ってこっちの山も崩してくれ」
 机に突っ伏した男のポニーテールを、落ちてきた書類の山の巻き起こした風圧が揺らす。突っ伏した男は抵抗するかのようにしばらくそのまま動かなかったが、やがて大きな溜め息と共にゆらりと上体を起こした。露わになった切れ長の瞳は、白目こそ向いていないものの、グリルでじりじりと焼き殺された魚のような絶望と虚無を孕んでいる。
「雲はいいよなー……」
 彼はその目で、向かいの窓に映る空を仰ぐ。彼の机に書類の山を置いた白髪マスクの男は、そんな疲れ切った後輩の横顔を見て憐れみを覚えたらしい。静かに首を振り、しみじみと呟いた。
「うん。それ、アイドルだった男がする顔じゃないよね」
「オレがアイドルだったって歴史が間違ってるんスよ。文句なら採用した三代目に言ってください」
「ほらほら、ファンの真似してやるから元気出せ」
「くれるならちゃんと休める有給にしてください」
「キャー! あのォ、あなた『A-R.operation』のリーダーだった奈良シカマルくんですよネー!?」
「誤魔化すな。そいつはもう死んで普通の男になったんだ。文句なら五代目に言ってくれ」
 机からミイラよろしく起き上がった男ことシカマルはコーヒーカップを呷り、自分の肩を揉んで首を回す。それでいくらかマシになったのだろうか。どうにか人間らしい表情を取り戻した彼は、大きく伸びをした。
「あーあ、馬鹿してる場合じゃねえや」
「お前ね。社長の気遣いを馬鹿って」
「サスケが戻ってきてからほんっとに首が回んねえ。これ、いつになったらマシになるんスか?」
「世間が落ち着いたら」
「雲はいいよなー」
 彼はもう一度空を仰ぎ、溜息をついた。
 都内某所、木ノ葉ビルディング三階、木ノ葉芸能事務所マネジメント部門。それが『A-R.operation』元リーダー、奈良シカマルの現在所属している職業グループである。
 齢十三にしてIQ200以上、面倒臭がりだが番組司会もライブトークもソツなくこなす天才インテリアイドルとして 注目された彼は、五年前のグループ解散会見にて何の躊躇いもなく引退を宣言した。しかし芸事以外でも有能な彼を、事務所が逃すわけがない。シカマルはあれから今日に至るまで、木ノ葉芸能のマネージャーとして、裏方に生きてきたのだった。
「お前さ」
 空を眺めるシカマルの横顔に、カカシは声をかける。シカマルは何すかとだけ返した。
「またアイドルやりたいとか、思わないの?」
「思うわけないっすよ」
 元アイドルは思いきり顔を顰めた。
「オレはそれなりに働いてそれなりの嫁さんもらって、それなりのガキと暮らして、それなりのジジイになって、それなりの老後を送りてえだけっすから。アイドルなんてそんな、めんどくせー」
 二度とやんねーなどと言いながら苦笑するその顔が昔より遥かに男前になったと言ったら、こいつは気が変わるだろうか。カカシはコンマ二秒程度考えて、そんなわけがないなとすぐに打ち消した。
 奈良シカマルは変わった男だった。己の優秀さを誰かに認めさせようなどと考えたこともない、ただ時間がぼんやりと過ぎるのを楽しんで生きたいだけの人間なのである。アイドルになったのも、彼の師にやるだけやってみろと言われてやれてしまったから。マネージャーになったのも、楽しいことがなくもなさそうなそれなりの職種だからという、それだけの理由からだ。
 しかしアイドルになってみれば語りができる司会ができる、さらに歌まで上手い。音符が読めないくせに一度曲を聴かせてみればその通りに歌えるものだから、同期研修生努力派勢にどつき回されていたこともあった。そしてマネージャーになってみれば、この通り。担当アイドルを抱えながら社長であるカカシの補佐までこなしている。
 恐るべきハイスペックローやる気男、奈良シカマル。天が彼に二物以上を与えていることを知らないのは、きっと当人だけだろう。彼にないのはきっと意思のみなのだ──そうカカシが考えかけた時、新たな影がオフィスに舞い込んできた。
「シカマルーっ」
 騒々しい蛍光オレンジのTシャツをまとったそれは、人気アイドルうずまきナルトだった。彼の、居るだけで華やぐ雰囲気に触れ、カカシはたった今考えていたことを修正する。
 いや。シカマルにも、ほんの少しだけないことはないのか。
「シカマル。オレの今日午後持っていくものリスト、どこに行ったか知らねえ?」
「あ?」
 シカマルは眉間に皺を刻んで振り返る。ヤクザ顔負けの形相に、ヒッと悲鳴を上げてナルトが縮こまる。
「昨日お前の部屋の赤いボックスの上に置いとくっつっただろ」
「っあー……その、それが……」
「失くしたんだな?」
 しょぼんと縮こまったナルトは、こくこくと頷く。シカマルはすぐさまデスクから一枚紙を取り出した。
「ほらよ」
「サンキューっ! さっすがシカマルだってばよ!」
「褒めればいいってもんじゃねえからな?」
 パッと明るくなったナルトの笑顔に、シカマルが真顔で釘を刺す。たちまちナルトはまた、目に見えて萎む。
「忙しいのは分かるけどな。もうちょっと、自分の持ち物に感心持てよ」
「うー。でも最近、仕事に行って帰ってくるだけで精一杯だってば。忙しすぎるってばよ」
「お前のために取ってきてる仕事なんだから文句言わずにやれ」
「つっても少しくれぇ休みが欲しいってばよ」
「次の火影候補だと目されてはいるが、今が大事な時なんだ。自覚しろ」
 「火影」の一語を聞いた途端、ナルトの表情がすっと引き締まった。先程までの無邪気な彼とは別人のような凛々しさに、カカシも彼の火影に認められるに十分な資質を見出す。
 「火影」は芸能界トップスターに贈られる称号の一つで、映画やドラマ、舞台で活躍した業績から現代演劇に優れていると見なされた者が対象となる。火影の受賞発表は三年に一度しか行われず、かつ毎度必ずノミネート者が出るとは限らない。ゼロであることの方が多いのだ。
 しかしそれでも火影を決める時期になるとマスコミがこぞってそのことを騒ぎ立てるのは、火影となった者にはこの上ない栄誉が約束されているからである。火影はこの国で一番優れて美しい人間であるとして、様々な業界から引っ張りだこになる。様々な業界は国内に限らない。海外での仕事の機会に恵まれることにもなるのだ。
 ナルトは研修生の頃から火影になると豪語していた。幼い頃は目立ちたがるくせに落ち着きがなくて真実味のない演技だと酷評されたこともあったが、今ではそのくるくると変わる表情や雰囲気に呑まれる、と賞賛されるまでに至っている。心根の真直ぐでひたむきな彼の演技には、アイドル出身とは思えぬ上に純粋な俳優さえ凌駕する力があると、近年評判は鰻登りだった。
「キツイかもしれねえが、映画の撮影もあと一ヶ月でクランクアップだ。ここまで見てきた限り、間違いなくヒットできるだろう。今出てる舞台の評判も上々、お前の演技を見た別の監督からのオファーも複数来てる。ここでいい映画の主演を一本取れるだけの、信頼されるに相応しい演技力を見せ続けることができれば、お前は間違いなく数年以内には火影になれるだろう」
 なりたいんだろ、火影。
 シカマルは低く問う。ナルトは首肯し、呟く。
「なりたい。火影になって、俺の演技をみんなに認めさせたい。そして、父ちゃんと母ちゃんを……」
 黙り込むナルト。彼の両親である四代目火影こと波風ミナトと国民的アイドルうずまきクシナは、電撃結婚の後、彼一人を残して失踪した。二人とも子供を放っていく人柄ではないというのに、十年以上の歳月が経っても見つからない。ナルトが火影を目指すのは両親を寂しがっているからでもあると、カカシやシカマルといった親しい人間は知っていた。
 シカマルは無言で頷き返し、幾分か声の調子を和らげて諭す。
「お前が火影になってそれなりの地位として認められれば、ヒナタとの婚約も楽になる。分かってるな?」
「ヒナタ……」
 ナルトの表情がほっこりとする。彼の表情から思い詰めた気色が抜け、カカシもほっとする。
「よぉしっ! 俺、頑張るってばよ!」
「よーしその意気だ。じゃあ十二時までにしっかり自分で荷物用意しとけよ。ちゃんとできてたら一楽を奢ってやる」
 弾むナルトの声とは反対にシカマルのそれは一転平淡この上ないものとなっていたが、ナルトは「一楽奢り」のフレーズに舞い上がっている。約束だってばよ、と念を押して、未来のトップスターは去って行った。
「……なあ、シカマル?」
「何スか。仕事してくださいよ」
 手厳しい一言が返ってきた。別にカカシだって仕事をしてないわけじゃない。それをシカマルだって理解しているだろうに言ってしまうのは、それだけ全体の仕事量が多いということだ。この事務所は基本的にホワイトでならしているのに、こんなことになって悲しい。
「君、そこまでナルトの演技に惚れ込んでんの?」
「いや」
 即答だった。
「ただ、あのバカじゃあ火影になろうとして単純に我武者羅したらとんでもねえことになるって目に見えてますからね。だから、俺がやるしかねえなって思っただけっすよ」
 カカシはしばし黙って、ペンを動かすシカマルを見つめていた。
 鋭利な眼差し、精悍な顔立ち、細くはあるものの頼りなさは感じさせない、筋張って均整の取れた体躯。そして何より。
「君、今芸能活動したら、昔よりもっとモテるだろうにね」
 はあ?
 シカマルは顔を上げて、怪訝な顔をした。それが本当に心の底から疑問を感じている風のものだったので、カカシは笑った。












シカマルさんのお仕事〜昼下がりの出張編〜



 午後一時五十三分。
 スターの喧しい腹の虫を満足させ、首都高の渋滞を回避することにも成功した地味なバンは、予定の時刻七分前に目的地へと辿り着いた。木ノ葉ビルディングのあるオフィス街とは明らかに趣を異にする、一軒家が建ち並ぶここは、都内人なら誰でも憧れる高級住宅街である。
 その中でもひときわ広い庭を持つ平屋の家に入り込んだ。
「我愛羅!」
 玄関を開けて顔を現したのは、濃い赤毛に白皙の美男子である。硝子玉に似た碧の瞳が、駆け寄る親友の姿を映して細まる。
「ナルト、久しぶりだな」
「やっぱり生の我愛羅が一番カッケーってばよーっ」
 あの映画に出た我愛羅を見た、その舞台映像のこの角度が良かった、あっちの番組も見た、などととめどなくナルトは喋る。微笑んで相槌を打ってばかりの我愛羅を見かねてシカマルが口を挟もうとしたところで、玄関の戸が再度開いた。
「そんなところで立ち話なんてしてねえで、入ってきたらどうだ?」
 我愛羅より色味の渋い茶髪、四角張った顔立ち。兄のカンクロウである。
「もう茶も入れてあるぜ」
「悪ぃな」
「お邪魔するってばよ!」
 ナルトがすたこらと上がりこみ、我愛羅が続く。しんがりのシカマルが脱いだ靴を整えているうちに、客間の方からナルトと我愛羅、そして彼の姉であるテマリの会話がもう届きはじめる。
 過ぎ去りしジュニア時代ならば、考えられなかった状況だ。
「昔だったら考えられねえじゃん?」
 同じことを考えていたらしい。先を行こうとしたカンクロウが振り返り、同意を求めてきた。シカマルも薄く笑む。
「ああ」
 二人揃って当時を回顧する。
 五年前、ナルトがまだ『A-R.operation』のメンバーだった頃。そして歌舞伎座の若き影、我愛羅が今よりずっと「穏やかでなかった」頃。
「撮影現場が殺伐として仕方ねえってスタッフから苦情が出てた時期もあったが、今となっちゃあただの昔話だ」
「あの時の我愛羅は、期待を背負わされすぎていた。無理もねえ話じゃん」
 我愛羅たち「砂之一家」は古典芸能の名家である。そもそもは日本舞踊の家元であるのだが、歌舞伎、文楽といった諸芸にも優れた人材を輩出しているために、古典芸能界に砂の一族ありと称されてきた。
 しかし現代社会における古典文化への関心は、年々薄れゆくばかりだ。これまで通り劇場での活動を続けるだけでは、一族の先が危ぶまれる。そこで宣伝効果の高いテレビ業界や映画界といった方向にも進出できる、若く優れた人材の育成を試みた。その中でも出産前から最も緻密に育て上げられ、成功を収めた人間が我愛羅である。
「腹の中にいた時から長唄に義太夫にって聴かせて、無事五体を持って生まれた後はとにかく稽古付けだ。歌舞伎は勿論、普通の演劇もやらせた。歌もやらせた。教養を付けようと、古代から現代に至るまでに著名と言われる本は大体読ませた。それで、小さいガキが弾けねー方がおかしいじゃん」
「そうだな」
「お袋があいつを産んですぐに死んでなくて、親父も亡くなってなけりゃあ違ったんだろうに」
 カンクロウは談笑の聞こえてくる客間を見つめていた。その眼差しは伏せがちなまつ毛のせいでやや翳っていたが、ふと顔が上向いて瞳孔に光が射す。
「だが、ナルトのおかげで救われた。境遇の近いアイツが本気でぶつかって、本気で共感してくれたから……今の自分があるんだって、我愛羅が言ってたじゃん」
「…………」
「テマリも俺も、それから我愛羅も。アイツには、本当に感謝している」
「急に何だよ。そういうのはオレじゃなくて、本人に言ってやれ」
「言えねーからお前に言ってんじゃん。後で伝えといてくれよ」
「めんどくせーなあ」
 シカマルは頭を掻いた。カンクロウは歯を見せて笑う。
「今は、明るいこれからの話をしなくちゃなんねーじゃん? だから同じ裏方として、頼むじゃん」
「まだ明るくなるか分かんねえし、あんたまだ現役の人形遣いだろ」
「今回は、マネジメントじゃん」
 二人は客間に入っていく。出迎えたのはテマリ一人だった。一人茶受けから菓子を摘む彼女に、拍子抜けしたカンクロウが尋ねる。
「あれ、我愛羅たちは?」
「早速舞台で確認したい動きがあるとか言って、今出て行ったばかりだ」
「ったく、先に話すことがあるのに……しょうがねぇ。見てくるじゃん」
「よろしく」
 カンクロウは、客間を通り抜けて廊下へと出ていく。テマリは小気味良い音を立てて煎餅を齧りながら、片手で新しい湯飲みに茶を注ぐ。
「まあ、座って飲め。それがナルトの湯飲みだから、その隣でいいだろ」
「あんたな……へいへい」
 シカマルはこれまた片手で押しやられた中身の入った湯飲みを持って、彼女の向かいに座った。
啜ってみれば、まあ美味い。ぞんざいに入れていたが、きっと入れ慣れているのだろう。
 思い返してみれば、この家で振舞われる茶はいつも美味かった。入れ手はその時によって彼女やカンクロウであったり、ごく稀に我愛羅であったりと違ったが、濃すぎず薄すぎず、深みのある渋みを仄かな甘さが引き立てる程良い加減に変わりはなかったと記憶している。
 古典文化を継承し追究する、厳格な家柄だ。男であれ女であれ、己の生活の手段とする技以外のものも、一様によく躾けられてきたのだろう。
 シカマルは、ふくよかな唇が欠片一つこぼさずに煎餅を食む様を眺める。女の唇だ。煎餅の欠片を付けるような真似はせず、ささくれ一つなくつややかだが、濃い紅色を差さない唇。
「今回の件だがな」
 見ていたそれが動く。言葉遣いはやはり男のそれに近い。カンクロウはこれでも家にいる時は「姉さん」の口ぶりになるんだと言うが、シカマルはまだ聞いたことがない。
「お色直しを二度やるのはどうだろう? ナルトも我愛羅も、ファンは若い女揃いだ。大枚叩いてでも見たがるはずだ」
「良い案だな」
 早速仕事の話が来た。これだからこの女とは話しやすい。シカマルはすぐに返す。
「古典通りの着方が一度、現代風の着崩しが一度、最後は舞台内容に合わせて、ってところか」
「そうだ。それならば、伝統に煩い連中も程々に納得するだろ」
「色やデザインはどうする? 女のファンは色違いにして揃えたものが好きだから、それでどうだ?」
「ああ、一度はそれでいこう。だが、せっかくの着物だ。同じテーマで共通点を持たせながら、それぞれらしい独自の着こなしをするのもなかなか映えるぞ?」
「なるほどな」
 シカマルは顎に手を当てる。やはり女の意見を聞けると仕事の進みが速い。
「そういう趣旨でいいかナルトたちに確認取って、早いとこプロに依頼しちまった方がいいな。ツテはあるか?」
「ああ。一人いいデザイナーを知っているから依頼してみよう。仕立てはいつもうちが贔屓にしてるところでどうだ? 融通が利くぞ」
「デザイナーの方、紹介してくれ。これまでの仕事内容が聞きたい」
 テマリはすぐに資料を広げ、写真を示して説明する。シカマルも真剣に聞き入る。
 シカマルたちは今、現代劇と歌舞伎のコラボレーションを主題とした舞台を企画している。主役になるのは勿論、実力派アイドルと名高いうずまきナルトと、歌舞伎界の貴公子こと砂之我愛羅だ。
 二人のことを詳しく知らぬ人間はこの企画をただのタイアップだと評しているそうだが、詳しい人間は非常に楽しみにしている。何故なら、ナルトと我愛羅の関係はそれだけのものではないと知っているからである。
 二人の関係の始まりは、まだ『A-R.operation』が解散する前にまで遡る。「厨二N試験」の特番企画時に砂之三兄弟がゲストとして参加し、過去に類を見ない真剣勝負を繰り広げた。それでもテマリとカンクロウはまだ互いに落とし所のある結果として終わったのだが、そうはいかなかったのが我愛羅である。
 その頃の我愛羅は幼くして家と業界を負う、孤独な役者だった。家の大人からは芸の道を邁進することを強制され、それ以外の業界人からは遠巻きにされる。ストレスによる不眠で顔色の悪いのを、鬼気迫る演技を、化け物のようだと称される。
 どこに行っても四面楚歌。誰も受け入れてもらえぬ彼が他者を受け入れられるわけもなく、おそるおそる差し伸べられた兄弟の手さえ跳ね除けるような子に育っていた。
 それが終始和やかで呑気な木ノ葉芸能の子供たちに出会って、ささくれだった気持ちを逆撫でされたのだ。途中まではカメラを意識して抑えていたものの、何もかもが正反対、明るく開けっぴろげなうずまきナルトとの対決で遂に爆発した。
 勝負内容は「叩いて被ってじゃんけんぽん」。普通にやれば笑いで終わるような内容である。しかし二人は途中からカメラを無視して、諸々剥き出しな言葉の応酬を始めた。互いの芸風、目標意識、そして生い立ちのことにまで及んだ罵り合いは、やがて殴り合いへと変化した。
 番組スタッフも出演者もこぞって止めに入ろうとした。しかしちょうど収録を見に来ていた木ノ葉芸能社長・猿飛ヒルゼンが止めさせず、皆が息を飲んで見守る中、ナルトと我愛羅は痣をつけ鼻血を流しながらも、最後に和解した。両親が無く周囲からも白眼視される、我愛羅の生い立ちを聞いたナルトが、涙した。己と同じだと告白した。それが決定打だった。
 さすがにこの時の映像はお蔵入りとなり、後日改めて収録を行うことになった。しかし三年後に共演した映画のインタビューにて我愛羅がその時の件に触れ、ナルトとは以来親友だと明かしたことから、業界人だけでなく彼らのファンも知るエピソードとなった。作り物ではない彼らの人となりと友情を示すこの話は、ファンの口からさらに彼らを知らぬ人に伝えられ、彼ら二人のファンがぐんと増えた。
 だからその共演を利益抜きにして期待している人間が、業界にも世間にもわんさかといるのである。
「赤字の古典芸能が顧客増加のためにアイドルを引っ張ってきたと言われようが、事務所の売名だと言われようが、そんな野次も出なくなっちまうくれぇのものを見せてやれば良い。ナルトにも我愛羅にも、一時凌ぎじゃねえ実力と関係性がある。オレたちはその見せ方をよく練って、楽しませてやるだけだ」
 衣装の件から脚本と舞台演出の大筋確認、PR方法と話が転がったところで、シカマルが言う。テマリは首肯する。
「そうだ。そのためには、ナルトに歌舞伎の動きを教えてやらんとな」
「我愛羅に教えさせるのは避けた方がいい。アイツも演じるんだから、それだと荷が重くなる」
「分かっている。私が引き受けよう」
 テマリは古典舞踊の師匠だ。最近は後進の教育と我愛羅のサポートのために自ら舞台に立つことは少ないが、我愛羅同様テレビメディアへの進出を責務として課せられてきたので、知名度はそれなりに高い。
「助かるぜ。アイツ、飲み込むのは遅いからな」
「男舞だから多少異なるところもあるが、そもそも舞踊も歌舞伎もルーツは同じだ。基礎基本ならば教えられるだろう」
 徹底的に仕込んでやると不敵な笑みを浮かべるテマリに、シカマルの口元はつい強張る。扇を手に舞うテマリはどこからどう見ても女らしいが、その心意気と指導法は猛々しい武将のようなのだ。
「……顔に傷だけはつけるなよ?」
「ふふふ」
「おい」
 婉然と笑う顔が空恐ろしい。
「お前もやるか? 砂之家の舞踊指導は、木ノ葉の生ぬるいアイドル育成とはわけが違うぞ」
「まあ、そうだろうな。あんたを見てりゃあ分かる」
 シカマルは彼女を眺めて、言った。
「あんたはそのままアイドルできるだけのものを持ってるからな。それもその、指導ってヤツのおかげなんだろ」
 テマリの笑みが固まった。だが本当に僅かな硬直であったために、シカマルは気付かず言葉を続ける。
「多少お転婆な気はあるが姿勢はいい、身の振りも基本ができてる。最近の女アイドルの中にゃあ、正面からカメラで撮るってのにミニスカートで足開くような奴もいるからな。いちいち注意してやらねえとで、面倒くせえんだ。しかしあんたの場合、身に付いた仕草がそうもきちんとしてれば問題ねえだろ」
 シカマルが指させば、テマリは弾かれたようにピッと背筋を伸ばし膝に手を置いた。
「あんた、ボイストレーニングもしたんだろ?」
「あ、ああ」
「声の通りがいい。張りのあって綺麗な良い声だ。歌も上手いから、ソロでいけるかもしれねえなって思ってたんだよ」
 テマリの頬がさっと色付く。だがシカマルは見ておらず、目線を床に落として考え込んでいる。
「だが、あんたの性格的にアイドルはどうなんだろうな……」
「ア?」
「ちっ、違ぇよ。そうじゃなくて」
 そこで目を上げたシカマルは、テマリの顔の赤さに慌てて首を振った。
「アイドルなんて、てめえの面の良さを鼻にかけたクソめんどくせー女ばっかりだからな。おまけに本ッ当に気の強ぇくせにそれを隠す猫被りが多いと来てやがる。だからあんたはどちらかと言うと、歌手の方が向いてそうだ。あの系統の路線だと思う」
「あの、って」
「中口モモナみたいな」
「誰だそれは」
「知らねえのかよ」
 シカマルは顔を顰めた。
 彼とてアイドルのマネージャーをやっているが、そもそもアイドルに取り立てて関心があるわけではない。一応マネージャーとして働いていくために、これまでにとられてきたアイドルやタレントの商業戦略については調べたが、女の、しかも歌手の知識については人並みである。
「有名だろ。『一冬の経験』『西ウィング』」
「曲は知ってる。どんな見た目なんだ?」
 テマリは彼以上に、そういった業界に関心がなかったらしい。シカマルは溜息を吐く。
「しょうがねえなあ」
 タブレットを操って適当に画像検索し、出てきた一覧をテマリへ差し出す。彼女は適当にタップして画像を流し見ていく。
「ふーん。随分古いんだな」
「あの時代にしちゃあ珍しく、歌唱力はあったぞ。だから今でも若いファンがいるし、持ち歌はカラオケの鉄板曲だ」
「ほう、そうなのか。今度少し、まともに聞いて──」
 タップする指が止まった。翠の瞳も、液晶画面に据えられたまま微動だしなくなる。そこには当時風のふわりとした黒髪をなびかせる美少女が映っていたのだが、彼女が見ていたのはそこではなかった。
 余談だが、そのアイドルが活躍した当時のPR法として、デビューしたてのアイドルにキャッチフレーズをつけるというのがあった。それを通じて新人たちを消費者に覚えてもらおうという目論見でつけたものだから、当然インパクトのある謳い文句になる。
「こっこここのっ、こ、んなっ」
「は? なんて言──」
 シカマルの言葉の続きは、声にならなかった。IQ200の額に、投げつけられたタブレットが刺さる。そのままソファーの背もたれを越え、後ろ向きに倒れていくシカマル。タブレットが床を転がり、画面を上にして止まった。
 そこには、微笑む美少女の隣に「ちょっとえっちな美新人娘」の字が踊っていた。
「誰がッ、破廉恥かッ!」
 顔を真っ赤に染めて叫ぶテマリ。しかしシカマルは、突如頭部を襲った激痛に悶えていて聞いていない。
 叫ぶ女、無言の男。見つめる影が、部屋の外に一つ。
「何でそうなるじゃん……」
 訝しがるナルトと我愛羅にもう少し舞台で練習をしていていいからとまで声を掛けて見守っていたカンクロウは、呆れた声を漏らすしかなかった。
 








**





 午後四時十二分。
「シカマルはきっと焦らしプレイが得意だと思うんだよね」
「聞いてないわよ」
「だってシカマルは『時が過ぎるのをじっくり楽しむ』んでしょ?」
「アスマ先生はそう言ってたわね」
「それは焦らしプレイのことだよ」
「待たんかい! 先生はあいつが研修生だった頃からずっとそう言ってるから!」
「じゃあ焦らしプレイの三十年選手だね」
「まだ三十も生きとらんわ!」
「でも……」
「でもじゃないわよ」
「でも、だよ? シカマルと仲のいい女の子がいたよね?」
「あー。テマリさんのこと?」
「付き合ってないんでしょ?」
「そうらしいわね。何でなのかしら? こっちが見てる感じではもう、恋人っていうか夫婦みたいなのに!」
「サクラもそう思うんだね」
「そっりゃそうよ! 木ノ葉で、あの二人が一緒にいるのをみたことがある人間はみんなそう思ってるわ!」
「それって、いつ頃から?」
「うーん。ざっと三年前くらいからかしら? でもあの二人の場合、まず出会いというかきっかけがまず……うふふふ」
「気味の悪い笑い声なんてあげてないで、詳しく教えてくれないかな?」
「黙んなさい。……きっかけは五年前の『厨二N試験』よ」
「あー、それか。放送されたらシカマルのファンが急増した影響でファンクラブ人口が一割増えたっていう?」
「そうそう。カンクロウとの対決でシノの注目度が上がり、ナルトと我愛羅ファンにとってバイブルに等しい始まりの物語であり、そしてシカマルの株がぐわっと上がった、伝説の神回よ」
「たまに事務所で暇を持て余したいのが、後輩たち呼び集めて鑑賞会開いてる映像でしょ?」
「え、あいつそんなことしてるの?」
「うん。いつも、いのだけが呼吸困難起こすほど笑いながら見てる」
「十中八九私の言ってる回で合ってると思うけど、確認しとくわ。どんな映像?」
「小さいシカマルが『女を殴るわけにはいかねーが、男として負けるわけにもいかねーんで、程々にやるか』ってコメントするところから始まるやつ」
「それだわー! いのの奴、今に始まった話じゃないけどほんっと性格悪いわねぇ」
「ちなみにその回、サスケの出番あんまりなかった気がする」
「サスケくんは出てくればいつだって神だったのよ」
「ブスがいつも以上にブスに見えるよ」
「うるさい。で、あの回以降、それまで万年司会役だったシカマルが、特番の度に選手として出るよう強制されそうになっては逃げようとするっていうお約束が出来たのよねー」
「へえ」
「ほーんと、何でテマリさんと付き合わないのかなー! テマリさんはここ最近、明らかにシカマルのこと意識していそうなのに! あのテマリさんがあんな風に怒ったり慌てたり照れたりさせられる相手って、シカマルだけだと思うんだけど!」
「それだよ」
「へ?」
「出会いは五年前、既に男女として意識していそうな会話内容、なのに五年経ってもまだ付き合っていない──これはまさに焦らしプレイだよ」
「ああーッ! 懐かしさに気を取られて忘れてたわ! サイ、もうその話よしなさいよ。大体最初って言ったらシカマルは十三よ? 何かあるとしたらそんないかがわしいものじゃなくて、プラトニックラブに決まってるわ!」
「あれ。サクラ知らないの?」
「何よ」
「プラトニックラブは、そもそも精神的な愛を追求したギリシャ人たちにとっての同性愛のことだよ」
「うっそ!?」
「本当。で、今回の話はそれとは全く関係ないけど」
「関係ないんかい!」
「じれったい恋愛って、まさに焦らしプレイなんだよ。肉体関係がなくても、相手が自分をどう思ってるか、今手を繋いでいいかとか、キスをしたいけど今はまだ早い気がする、それに勇気も出ない、とか。そういうことをお互いに考えて考えさせられてる状況って、焦らしでしょ?」
「た、確かに……」
「だからこれはもはや精神的な愛撫で、ブラトニックラブは究極の焦らしプレイだって本に書いてあったよ」
「あんた、どんな本読んでるのよ……」
「ね? シカマルは焦らしプレイが得意なんだ」
「やめろォーっ!」
「何で?」
「何でもどうしてもないわよっ。小さい頃から知ってる奴の性癖の話なんて、フツー聞きたくないのよしゃーんなろー! ……いのも、こんな奴のどこがいいのかなぁ」
「え、何か言った? しゃーんなろーがうるさすぎて聞こえなかった」
「しまいにゃ口縫うぞ」
「お前ら、スタジオではもう少し静かにしろよ」
 ずっと続いていた緩急のついた女の柔らかな男の会話が、気だるげな第三者の介入により途切れた。
 会話していた男女が振り返る。雪の肌に桜の髪の女性、水墨画の世界から抜け出てきたような美男子。どちらも、第三者の姿を見て驚いたようだった。
「しっシカマル!? い、いつからそこにっ」
「今だよ。監督に挨拶してきたからな」
 先程までの話題の中心人物及び第三者ことシカマルは、女に手提げ袋を差し出した。
「ほらよ、サクラ。ナルトと撮影スタジオが近くて、運がよかったな」
「ありがとー! 助かるぅ!」
 会話を聞かれていなかったことを察した安堵からか、届け物がきた喜びからか。サクラは飛び上がっている。そんな彼女を眺めていた水墨画の男ことサイは、シカマルに向かって言った。
「こうして見てると、サクラが連続テレビ小説のヒロインだなんて信じられないよね」
「はあ!?」
 サイの台詞に気色ばむサクラ。しかしシカマルは首を傾ける。
「いや、ハマり役っちゃあハマり役だろ」
「おっ。さっすがシカマル! 女の子のこと、よく分かってるぅ!」
「猪突猛進っぷりと、よくドロドロするところがな」
「ちょっと!」
 乙女らしいとか、ちょっとは気の利いた言い方しなさいよ!
 サクラがぷりぷり怒っている。しかしサイは、繰り返し首を縦に振っている。
「なるほど。顔じゃなくて、中身が合ってたのか」
「スタイリストとして、ちょっとはそれっぽくなるように化粧だけは仕上げてやってくれ」
「分かった」
「あんたら──」
 サクラがわなわなと怒りを叫ぼうとしたところで、休憩終了の声がかかった。吸い込んだ息を吐き、サクラは脱力する。
「ああもう、あんたらと来たら……まあいいわ。サイ、また次の休憩の時に覚えてなさいよ」
「うん、よく覚えとく」
 何の悪意のない笑みで言うサイ。また項垂れるサクラをシカマルは笑う。サクラは恨めし気にシカマルを睨んだが、ふとその瞳が丸くなった。
「あ、そうだ」
「何だよ」
「ちょっとお願いがあるんだけど」
 サクラはシカマルに耳打ちする。彼は微苦笑して、肩を竦めた。
「そんなの、オレに直接言ってくれりゃあいいのにな」
「あれこれ考えちゃって、そうできないの。私からはうまく言っとくから、あんたは今言った通りにお願いね」
 シカマルは背を向けながら、軽く手を挙げた。
 
 
 



 
 
 
 

 
 午後六時二十七分。
「カット!」
 監督の鋭い一声で、現場に張りつめた緊張の糸が一瞬で緩むのをシカマルは感じた。
 飛び交う「お疲れ様でした」の声、弾ける笑い声、安堵の吐息──それらが入り乱れる中をかいくぐり、シカマルは目的の人物のもとへ歩み寄る。
 学校の教室を模したセットの中央。剥き出しの上半身、下半身は擦り切れた黒ズボン一丁。腕や胸の筋肉を伝う汗を拭いもせず立ち尽くすナルトに、ペットボトルとタオルを差し出す。
「お疲れ」
「ん」
 ナルトはすぐにペットボトルを半分まで飲み干す。
「悪くねえ動きだったんじゃねーの? カメラもよく意識できてた」
「そうか? シカマルがそう言ってくれるのが、一番嬉しいってば」
 それからやっと、サンキュといつもの笑みを見せた。
「リー、ネジ!」
 シカマルは、やや離れた所で談笑している二人に声をかけながらペットボトルを二本投げた。瞬時にこちらを向いた彼らは難なくそれらをキャッチして、ナルトとシカマルの方へ寄って来る。
「ありがとう、シカマル君!」
「お前が来てくれると、役作りにだけ専念できるから有り難い」
 アクション界だけでなく業界一だろう個性派俳優ロック・リーと、天才子役と称された頃から劣らず驕らず、順当に実力派アクションスターとなりつつある日向ネジ。同じ事務所の先輩であり、最初から俳優の道に進んでいた彼ら二人とナルトが今撮影していたのは、彼らが主役のアクション映画シリーズ「青春フルパワー人間」の最新作である。リーとネジは子役の頃から取り続けてきた映画であるために、見せる気合も演技への思いも人一倍だった。
「明日は、いよいよクライマックスだ。テンテンも復帰するから、五人で頑張ろう」
「テンテンは今、どこにいるんだってばよ?」
「ライブですよ。調整が一週間前からで、ライブは一昨日からぶっ続けでやっていたようですが、今日で最終日だったはずです」
「ほぉ。ハードだってば」
「それでもファンから『世界一可愛い』と言われると疲れが吹っ飛ぶと言っていたぞ」
「理解できねー」
 シカマルは腕時計を一瞥する。午後六時三十分。そろそろだ。
「悪いな。俺とナルトはすぐ行かなくちゃならねえ場所があるから、先に上がらせてもらう。お前らの迎えは、今から三十分後にいつもの所に来るはずだ」
「え?」
「そうですか。久しぶりに一緒に食事でもと思っていましたが、ならば仕方ないですね」
「二人とも、また明日も頼むぞ」
 リーとネジに見送られ、きょとんとした顔のナルトを引っ張ってシカマルはその場を後にする。
「え、シカマルっ、俺また荷物と着替え──」
「もう車に積んである」
「えええ? でも俺こんなカッコで」
「車で着替えりゃいいだろ」
「えええ」
 有無を言わせずナルトを車へ連行し、撮影所から黄昏時の郊外へ飛び出した。一般道はそこそこに、さっさと高速道路へ乗り替える。追突しないように、轢かないように車を飛ばしながら、しかし法定速度については今だけサバを読ませてもらうことにした。
「なあシカマル。俺思い出せねえんだけど、この後何かあったってばよ?」
「何もねえ」
「え?」
 シャツのボタンを留めていたナルトの手が止まる。真ん丸になった碧眼がこちらへ注がれているのを自覚しながらも、シカマルはそちらを向かなかった。
「だが、何もねえってのが大事なんだよ」
「どういうことだってばよ?」
「いいから。黙ってねえと、火影にならねえうちにこの車ごと御陀仏だぞ」
 素直であること、仲間を信じられること。そんなナルトの長所二つを利用し、シカマルは彼を黙らせ運転に集中することに成功した。黙々と車を飛ばし、慣れ親しんだ光景に到ってからやっと時計を見る。
 午後六時五十分。
「あれ? ここ俺んち……?」
 車から降り、辿り着いた先を見上げたナルトは茫然として呟く。
 そこは彼の言う通り、彼の両親が選んで住み、それから長いこと彼一人で住んできたマンションだった。橙の電灯の灯る玄関口を見つめ、何故といった表情で振り返るナルト。いつもシカマルは、寂しがりの彼のために一緒に食事をしてから送り届ける。その習慣が身についているからこそ出た、気の抜けた表情だった。シカマルは笑う。
「ギリギリ間に合ったみてえだな」
 シカマルは彼の背後を指さした。ナルトがつられて振り返る。
 二重の自動ドアの向こうに、人影が立ち尽くしていた。
「あ、れ? な、ナルト君?」
「ヒナタ……?」
 出てきた人影は、彼らも見知ったものだった。伊達眼鏡をかけ髪を一つに結ってこそいるが、間違うことなく人気女優・日向ヒナタである。
「ごっ、ごめんなさい。あっ、あのね? ナルト君が、このところあんまりバランスとれたご飯食べられてなくって、今日はお夕飯も食べられないで帰るらしいって聞いたから……勝手にお部屋に上がって、ご飯作っちゃったの」
 ヒナタは砂糖菓子のような頬を、黄昏でも電燈でも誤魔化しきれない朱に染めている。シカマルには背を向けたナルトがどんな表情をしているのか見えなかったが、彼女はその顔を見て何か思うところがあったらしく、わたわたと慌ててまた頭を下げた。
「ごめんなさい、邪魔するつもりはなかったんだけど……つ、疲れてるだろうし、こっそり帰ろうかなって、思ってたんだけどっ……思ってたより時間かかっちゃって……で、でも、すぐもう帰るから! ごめ、なさっ」
 謝りながら駆けだそうとしたヒナタは、結局どちらにも失敗した。
 ナルトの横を駆け抜けようとして、それより先に抱きすくめられたのだ。
「なっ、なる、とくん……っ」
「やだ」
 熟れた林檎よろしく顔を染めたヒナタを、ナルトは一層強く抱き締めた。逃げようともがいていたヒナタの動きが止まる。
「やだってば。オレ、ヒナタが待っててくれて、ご飯が作ってくれてあるって聞いて、すっげー嬉しいのに……帰るなんて、悲しいこと言わねえでくれ……っ」
「ナルト君……」
 ナルトの声は震えていた。ヒナタが、戸惑いながらもその背に腕を回す。恋人たちは、さらに強く抱き締め合った。
 どさっ、と、その足元に重い音が落ちてきた。
 ぎょっとして飛びのいた二人は、投げられたのがナルトのボストンバック、投げたのがシカマルだと気づき安心する。しかし彼はにやにや笑いながら言った。
「お熱いのは結構だがお二人さん。まだ俺がいる上に、ここは往来だぜ?」
「……し、しか……っ」
 その台詞に二人とも夕日の比ではなく顔を茹で上げたが、シカマルは飄々として言葉を続ける。
「ヒナタ、悪ぃんだがそのバッグの中身、洗濯してやってくれ。そいつ今日も汗だくになったせいで衣装が汗臭ぇんだ。だが洗濯をなかなかしやがらねーから、いつも事務所で俺が洗う羽目になってる。今日だけでも洗ってもらえれば、俺もそいつもすげえ助かる」
「は、はいっ!」
 ヒナタが律儀に、声を裏返しながらも返事をした。
「ナルト」
 最後にシカマルは、自分の顔が今日一日で一番のイイ笑顔になっていることを自覚しながら、片手を挙げた。
「明日、寝坊すんなよ!」
「しっ」
 シカマルぅぅぅ、とナルトが叫ぶ声が聞こえたが、無視してさっさと発車した。あてられるのはもう十分だ。先程まで空いていたはずの腹がいっぱいになってしまった。あのバカップルめ、後でどうしてくれよう。
「どうしてくれよう、か」
 ふと、シカマルはミラーを一瞥した。
 もう誰もいなくなったマンション前。その奥の小道を、このあたりの住人のものとしては見たことのない車が通っていくのが見えた。
 めんどくせえな。声もなく呟く。あのバカップルめ。やはり後で、必ずどうにかしてくれよう。
「その前に一仕事、だな」
 勢いよくハンドルを切った。
 
 










 
 
 シカマルさんのお仕事〜夜のヒミツ編〜


 
 午後十一時五十二分。
 その男は目を開けた。埃と潮の匂いが鼻につく。薄暗くてよく見えないが、引き出しのない事務机やビニールの剥げたコードなど欠損品の散らばっている様子からも、廃屋であるのは明らかなようだ。窓はなく、閉まった戸の下から差し込む月明かりだけが唯一の光源となっている。
 身を起こそうとするも、全く身動きが取れない。口にも何か嵌められていて、喋れそうにない。目を落とせば、ドギツい赤い紐で手足をキツく胴へとくくりつけられている。この姿勢はどこかで見たことがあった。手と足を曲げ、身体の前面に精一杯押し付けるようにして縮こまる──そう、胎児だ。図体のデカい胎児のように丸められている。
 胎児というイメージで思い出した。そうだ、屈葬だ。この縛られた形は、原始人が人を葬る時に行った埋葬法の一つに、そっくり似ているのではないだろうか。
 急に気味が悪くなり、彼はもがいた。ポケットに携帯電話の感触がない。財布はあるようだが、それ以外には何も入っていなそうだった。勿論、先ほどまで手にしていたカメラも。
 そもそも何故こんなところにいるのだろう。彼はオフィスに帰ったはずだった。仕入れた特大のネタを流そうとコンピュータを立ち上げた。その後が思い出せない。
 ──ブゥン。
 低い羽音に似た音と共に、急に視界の一部が明るくなった。やや離れた位置にある机の上で、液晶が輝いている。彼はアッと声を上げた。
 それは彼のノートパソコンだった。
 輝く液晶が、パッパッと映像を変えていく。認証画面から悠々と駆ける競馬写真──ホーム画面に設定しておいたものだ──へ、次いでスタートメニューからプレゼンテーションソフトウェアが立ち上がる。
 リモコンにしてはスムーズすぎる。遠隔操作か。
 愕然としている彼の耳に電子音が届く。ノートパソコンに繋がれた投影機が動き出したのだ。雑な塗装の壁が四角く輝く。濃く塗られた部分のみが眩いが、それ以外は仄暗い。それでも、映った文字は寝転がった彼にもよく読めた。


【『週刊快春』編集部
   ×× ××× 様  】


 真っ白な背景に黒いゴシック体で、ビジネスメールにおける宛名書きの定型のようにして彼の名前が映し出されていた。
 もがくことを忘れた彼の前で、たった一人のためのスライドショーが始まる。
 画面が変わり、ゴシックの文字が急に馴れ馴れしく語りかけてきた。


【目が覚めたか】
【あんたはオレのことを知らないだろうし見えないだろうが、オレはあんたのことを知っている上に見ている。今も勿論そうだ】


 男は無意識に辺りをもう一度見渡した。しかし、誰の姿も見当たらない。
 スライドが変わった。


【前置きは抜きだ。本題だけ話す】
【あんた、面倒くせえことをしてくれたな。心当たりがあるだろう】


 その文字の下に、写真が現れた。男の顔は蒼白になる。それは、先程彼が特大のネタを収めたカメラそのものだった。

 
【うずまきナルトと日向ヒナタ、熱愛発覚ってな。朝っぱらからネットでバラまくつもりだったのか? 夕刊でも売れただろう。世間の連中はよく出来たサスペンス映画や推理小説より、現実を生きる人間のお粗末なゴシップの方が好きらしいからな。一儲けできるだろうと思っただろ】
【残念だったな。そうはさせねえよ】


 いったい、このスライドは誰が見せてくるのだ?
 男は引き込まれながらも疑問を抱く。
 警察ではない。彼らは芸能人のゴシップ写真程度では動かない。ならば、うずまきナルトと日向ヒナタの関係者か? 木ノ葉芸能。 彼らの所属事務所なら、彼をこんな目に遭わせるだけの動機がある。
 しかし、本当にこの相手は芸能事務所の人間なのだろうか?


【あんたのカメラはオレがもらった。データファイルもだ。メールの履歴も改めさせてもらったが、まだ流してねえようだな。あんたにとってもオレにとっても幸いなことだ。お互い、無駄な騒ぎは避けたいだろう?】


 このスライドの作成主こと犯人は、何も考えずに文を示しているように見えて、相当頭を使っている。まず、この言い回し。犯人の素性が読みづらいのだ。自分は犯行のデメリットを考慮し芸能事務所を思い浮かべたが、他にもデメリットを持つ者として二人の熱烈なファン、または身内という可能性だってある。その中から絞り出そうにも、このスライドの書き方では全く割り出せないのだ。よくも私の娘を、とか、ナルト様を害するなんて許せないとか、そのような書き手の主観が、文の中に一切ない。強いてあげるなら「面倒臭い」、それだけだ。
 さらに使っている道具がまた、犯人の巧妙さを示している。ノートパソコンも投影機も、彼自身の私物と会社のもの。しかも犯人が彼を縛った道具は、SMプレイ用の麻縄とマウスピースだった。これはスライドの明かりで照らされてやっと分かった。
 この状況では、万が一人に見つけられたとしても、野外でセルフ緊縛を楽しんでいたドM野郎にしか思われない。通報されるのが関の山だ。
 何ともよく考え抜かれた、嫌な手である。


【オレは穏便にことを済ませたいんだが、あんたみたいなゴシップ記者は、あることないこと叫ぶのが仕事だろ?】
【だから、残念ながらあんたをここに放置する羽目になった】


 正体不明のゴシック文字は、ただでは男を帰さないと仄めかしている。しかし画面を睨む彼は、決して絶望していなかった。
 勝算はある。誰がこんなことをしたのかはわからないが、詰めは甘いようだ。
 彼が発見されれば、あのパソコンのスライドも警察に見せることができる。そうすれば、ヤツの手がかりとして有力なものになるだろう。
 男は勝利のための算段を立て始める。しかしその時、また新しく浮き上がったゴシック文字が彼の困惑を呼び覚ました。


【ところであんた】
【四年前の十二月四日を覚えてるか?】


 急に何だ。四年前の、十二月?
 男はつい、記憶を辿る。毎年同じようなことをして過ごしているから、時間の感覚が麻痺していた。いつが四年前でいつが去年かわからない。
 迷ううちに答えが出た。


【あんたが白波組幹部とグラビアアイドルの熱愛を暴露した日だ】
【芸能人にとって暴力団との繋がりはご法度だ。事務所を辞めさせられ、世間とマスコミからバッシングを浴びたそのアイドルがどうなったか知ってるか?】
【可哀想に、首吊って精神病院行きだ】


 そうだったかもしれない。だが、それが何だというのだろう?
 アイドルのくせに、ファンの期待や好意を無視してヤクザの女になったのだ。そんな悪女の汚さを暴いて、何が悪いのだろう。
 報道は自由だ。隠蔽された情報を、全て真実を曝け出すことこそ誠実だ、正義だ。彼はいつも口にしている信条を叫んでやりたかったが、情の分からないゴシック文字はまた話題を変える。


【そう言えば、あんたの今の居場所を教えてなかったな】
【今更だが、教えてやろう】


 画面が変わり、動画が再生される。
 懐中電灯が、寝転ぶ自分の姿を映している。それがぐるりと回り、足音もなくドアを通り抜けて倉庫を横切り外へ出た。
 その景色は──男の顔から、今度こそ血の気が引いた。
 見たことがある。
 まさに四年前。件のグラビアアイドルの跡をつけてまわった白波組のアジトの、近隣だった。いや、近隣どころではない。この道を左手に曲がったそこに、白波組の手下どもが出入りする裏口があったのではなかったか。
 話題は変わってなどいなかった。男が悟る頃、ゴシック文字が変わる。


【このパソコンの隣にある投影機の影に、もう一つ四角い箱があるのが見えるか?】


 もはや、見たくなかった。
 しかし男の目は真実を暴くことを信条にしてきた男の習慣が、そこを見る。
 その通り、箱があった。しかし先程まで全くあることにすら気づけなかったそれは今、小さな液晶パネルに煌々とデジタルの数字を浮かべて、その存在を誇示していた。
 あれは、どう見ても。


【爆竹みてえな可愛いもんだ】
【あんたのところまでは爆ぜないだろうから、安心しろよ。ただ、パソコンと投影機は駄目だろうな】


 そんなわけがあるか!
 男は絶叫したくなった。パソコンが爆発すれば、彼の仕事は終わったも同然だ。しかも爆発が届かないにしても、この距離である。爆風が、飛び散った破片がこちらに飛んでこないことがあるだろうか?
 心臓が跳ね狂い、パニックと恐怖が冷たい血流と共に全身を駆け巡る。だが無情なゴシックはそんなこともお構いなしで、淡々と文字を並べる。


【きっと、大きい音がするだろうな】
【誰が最初に来てくれるかな?】


 どうしてこんな目に、と男は漏らす。勿論くぐもった音にしかならない。
 だが、ゴシック文字が変わった。


【さあ、なんでだろうな】
【その頭で暴いてみせろよ。真実を暴くのが、あんたの仕事なんだろ?】


 箱のデジタル数字が、減り始めた。

 






**



 都内某所、アパートの一室。
 奈良シカマルはパソコンを閉じ、ベッドに入って伸びをする。
 もう遅い、明日のために寝なければ。携帯電話で目覚ましを設定する。そのついでに、隣に並べてあった社用の方も見る。
 認証画面を三つクリアして、アプリを起動した。
 黒塗りになった都の地図に、無数の点が光っている。彼はそのうちの沿岸部分を拡大した。パソコンを落とす前までは点いていた一つが消えていることを確認し、欠伸をする。
「残業代、請求できねえよな」
 最近の労働監査はタイムカードだけでなく、パソコン起動時間も見る。それに反した不審な給与支払いは、厄介ごとの種だ。
 ナルトたちの仕事が事務所の陽なら、シカマルの仕事は陰。人に知られず、存在すら感知されない。仕事をしたと気付かれないのが、彼らの「良い仕事」なのだ。
 まあもっとも、シカマルに褒められたいという願望などほぼないのだが。
 シカマルは転がって、窓の外を見た。墨汁をブチまけたような空に、くっきりと輝く満月。その明るさを前にすれば、雲は宵闇に溶け、無いも同然だった。
「雲はいい」
 だがそれでもシカマルは呟いた。よく見れば、細い黒雲は確かにあって風に流されている。
 シカマルは平穏を愛するごく普通の男である。だが平穏には、それを作る強い規則が不可欠だ。生憎、無精な彼にはなりたい姿も貫き通したい信条もなかった。だからグループ解散になって、アイドルを辞めた。
 しかし、ナルトなら。その持ち前の根性と明るさで、太陽よろしく世間を照らして世界を回してくれるだろう。彼はきっと、出演した作品だけでなく芸能界全体にも安寧をもたらす。彼の作る平穏に任せてみたい。それを眺めて時に流されているくらいが、平穏とほんの少しの楽しみを求めるシカマルにはちょうどいい。
 だが芸の道は、いくら打たれ強く自分を持つナルトだとしても、厳しく険しい道である。芸能界の闇は深い。それをよく知っているから、シカマルは影の仕事についた。実際にやってみて、なりたい姿も貫き通したい信条もない自分だからこそできる仕事だと感じている。情緒不安定な女に似た法律と倫理が柔肌を晒してくる、それを扱ってやるか。抱き込むか、弄ぶか。選択肢を誤り犯せば、奴らは途端ヒステリックに叫び始める。その見極めをつけるのが、シカマルはうまかった。影と闇とは、聡く怠惰な彼の、幼い頃からの友達だった。

 午前零時一分。
 奈良シカマルは目を瞑る。
 泥のように纏わりつく微睡の中で、彼は太陽でも月でもない、雲になる夢を見た。







20170604