ある日の夕暮れ、木ノ葉隠れの里の門の前に二人の男女がいた。門の周囲には、二人の他に誰もいない。

「……もう終わりにしないか」

 女がそう切り出した。男は何も言わず、ただ黙って向かい合う彼女の瞳をじっと見つめた。

「最近、色々なところから縁談をひどく薦められるんだ。無理もない。もう嫁いでいてもおかしくない年頃だからな。弟達も何も言わないが、心配しているらしい」
「……」
「これまでは断ってきたがもう限界だ。皆に迷惑はかけられない。勝手なことを言って悪いが――」
「あんた、オレに飽きたか?」
「そんなわけないだろう!」

 男の一言に、女は激昂した。男はまた黙り込む。女は息荒く男を睨み付けていたが、やがて地に目を落とした。

「私だってずっとお前の傍にいたい。伴侶にするなら自分より強くて頼れる男が良かった……だが、私は砂隠れの忍で四代目風影の娘、五代目の姉だ。個人の自由を優先させるわけにはいかない。何より私は……砂隠れの里を、愛している」

 女は顔を上げない。男は彼女をじっと見据えていたが、しばらくすると口を開いた。

「頃合い、か」

 女は顔を上げた。男は表情を変えず彼女の瞳を受け止める。

「そこまで言うなら……確かにあんたはそろそろ婚期かもしんねーが、まだいき遅れたわけじゃねぇ。焦んねーであんたが砂隠れにとって最善だと思う相手と結婚しろ。間違っても変なゲス野郎と結婚すんなよ?」

 オレに言えるのはそれくらいだ。そう言って彼は背を向けた。女の瞳が揺れる。

「じゃあな。あんたいい女なんだから、待ってりゃいい縁談が来るぜ」

 男は振り返らずに歩き出した。女はしばしの間その背中を見つめていたが、やがて彼同様に背を向けて歩き出した。
 その白い頬は夕日の光を受け、濡れて光って見えた。




***


 第四次忍界大戦が終結して、今年で四年が経過したことになる。最初は皆で共通の敵を倒したということで仲間意識が強かった五大国も、時間の経過と共にそれが少しずつ薄れつつあった。その傾向は、同盟国同士である火の国と風の国――木ノ葉隠れの里と砂隠れの里においても同じだった。
 それぞれの里の長、六代目火影ことうずまきナルトと五代目風影こと我愛羅の間には強い信頼関係があり、同盟関係をもう口約束のものとしないという確固たる思いが互いの中にあったため、それを二国間関係の方針としてきていた。また若い世代は同じ戦場で戦ったという意識もあり、そんな最高位の二人の方針に異を唱える者はいないに等しかった。だがそれより上の世代――つまり相談役などの世代はなかなかそれを良しとしてくれなかった。彼らには現役時代であった第四次忍界大戦以前の苦い記憶の方が強い。そのため、若いリーダー達の方針に反発する傾向があった。
 それは特に厳格な風習の中で生きてきた砂隠れの方が強かった。五代目は己の経験も含め客観的にも鑑みて、今の砂隠れには新しい風が必要であるとし、それを同盟相手であり五大国最強とも称される木ノ葉からも学ぼうとしていた。お陰で砂隠れには新しい制度などが取り入れられ、旧来の悪しき風習と呼ばれたものは断ち切られつつあった。しかし年配の世代にとっては、悪しき風習と言われようが己の慣れ親しんできたものの方が良いものである。それでよく五代目はちょっとしたことでも反発され、苦労していた。

「我愛羅……」

 久々に自宅に帰れた夜のことである。彼は木ノ葉から帰ってきた姉に呼び止められた。

「どうしたんだ、姉さん」
「あのさ……私これまで散々見合いとか蹴ってきたけど、これからはそういうのもやってみることにするよ」

 我愛羅は驚いて姉を見た。テマリは微笑んでいる。
 いきなりどうしたというのだろう。姉は昔から女扱いされることを嫌い、「私より弱い男に嫁ぐくらいなら一生独り身で通してやる」と豪語するような人だった。それでこれまでも相談役や親族からきた縁談などもことごとく断って、相手にもしなかった。それに。

「いいのか?」
「ああ。その代わりその時は任務を外してもらわないといけなくなるんだが……」
「そんなのは別に構わない。確かに姉さんより強い忍なんてなかなかいないけど、最近は平和でS級任務もA級任務もあまり来ないからな」

 言いながら我愛羅は姉の表情を窺う。彼女は変わらず微笑んでいる。
 はっきりと姉本人から言われたことはないものの、彼女には木ノ葉に恋人がいたはずだ。我愛羅も兄のカンクロウも下忍時代からよく知る、やる気はないくせに人より頭がずば抜けてよく切れる男が。そいつのことはいいのだろうか。
 別にあいつに姉を嫁がせたいわけではない。だがそれは他のどんな男に対しても同じように感じることだし、年の差や里違いの問題もあるし周囲から反発も受けるだろうが、それでも姉があの男がいいと言うならその意志を尊重して、周りの意見など跳ね返そうと思っていた。兄ともその話をしたことがあったが、彼も同じ考えだった。
 なのに、どうしたのだろう。まさか別れたのだろうか。

「本当に、いいのか?」

 我愛羅はもう一度聞いた。

「ああ」

 姉は同じ微笑で返すだけだった。




 一方その頃木ノ葉隠れの里では、奈良家の頭領と長男が晩酌をしていた。

「いやぁ、お前が上忍になってこうやって一緒に酒が飲めるようになるとはなぁ……年取ったもんだな、オレも」
「まだ現役で火影を叱り飛ばしたりしてるクセに何言ってんだ。たまには現場の任務でもやってみろ。あれめんどくせーんだぞ」
「嫌なこった。こんな年寄り出てってみろ、あっつー間に首が飛ぶわ」
「まあ確かにそうか」
「おい」
「冗談だよ。そういう都合の良い所だけ年寄りぶりやがって……」

 奈良シカマルは父、シカクの杯に酒を酌む。シカクは笑うと一口酒を飲んだ。

「都合がいいも悪ぃも、オレはもう任務に出るには年寄りになっちまったんだよ。そーゆーのは後輩共に譲ってやるわ」

 シカマルは鼻を鳴らした。どっちにしろ父は特別上忍だし、この里の参謀のようなものだ。ちょっとした任務なんて回されるわけがない。

「あとはお前が嫁でももらってくれれば安心して隠居生活に移れるんだけどなぁ」
「隠居生活という名の、お袋の完全なる奴隷化だろ」
「お前……言うなよそれを」

 苦笑する父を前に、シカマルは杯を煽りながら胸中で呟く。
 嫁、か……。

「誰かいい娘いないのか、お前。いのちゃんとかどうなんだ?」
「またそれか。あいつはオレみたいな地味なのよりもっとキラキラした男がタイプなんだよ。それに猪鹿蝶が崩れるだろうが」
「冗談だ。オレだっていのいちを敵に回したくない」

 確かに……という言葉は心の内に留めておいた。いのは山中家の大事な一人娘である。彼女を目に入れても痛くないほど可愛がっているいのいちの様子は、シカマルも幼い頃からよく見ていた。

「じゃあどうすんだよお前。他に誰かいないのか? ……あ、間違っても日向家はやめろよ?」
「あんなめんどくせーところと血縁関係結びたくねーよ」

 決して日向家をけなしているわけではないが、あそこは特殊である。それにその娘と言えば同期のヒナタか、妹のハナビくらいしかいない。面倒臭いことになるのは目に見えていた。
 シカマルは膳の上に置いた杯を見つめた。
 いけるだろうか。手は何通りも考えた。これが一番最善だと分かっている。あとは、己の度胸と力量次第だ。
 シカマルは視線をシカクに戻した。ほろ酔い気味の父はシカマルをからかっているつもりしかないのだろう。だがこれから切り出す話を聞いた瞬間、そんなものは吹っ飛んでしまうに違いない。

「親父」
「何だ」
「政略結婚がしたい」




 あれから三ヶ月が過ぎた。テマリは何度か見合いをした。相手は砂隠れの中でも名家である所の嫡男だったり、大名の息子だったり、身分的にも問題ない男達ばかりだった。どれも条件は良かった。中には容姿だって整っている男もいたし、テマリの事なら何でも受け入れると言ってくれた優しい男だっていた。
 だけど……どいつも決め手に欠けた。
 どの男も結婚したら砂隠れの里にとって良いものになることは変わりなかった。だがいつも、まぁこの男でもいいかなと思うと、心の奥底から声がするのだ。

 ――本当に、これでいいのか?

 そして、いつも「考えさせて下さい」と返してしまう。
 テマリは自室の窓からぼんやりと夜空を眺めながら思う。自分は恋に夢見るような女ではない。結婚だって恋愛婚じゃなくていい、相手のことをそれほど好きでなくても、自分にとってそれが最善の相手ならいいかと思っていた。
 あいつに出会って、恋をするまでは。
 胸が苦しくなって、大きく息を吸い込んだ。意識が過去に持って行かれそうになるのに抗いながら、砂漠と夜空を見つめる。
 私はこの里が好きだ、この国が好きだ、この里にいる人々が好きだ、家族が好きだ、この里の忍である自分が好きだ。
 でも、それと同じくらいに……あいつのことが好きだった。
 堪えきれず顔を手で覆う。脳裏に声が蘇る。

 ――あんたいい女なんだから、待ってりゃいい縁談が来るぜ。

 私のことをいい女だと思っていてくれたなら、何故……。
 そこから先は考えるのをやめた。関係を切ったのは自分だ。今更どうすることもできない。自分は砂隠れの風影の一族、彼は木ノ葉の由緒ある旧家のただ一人の嫡男。もとから結婚など難しい関係だったのだ。諦めるしかない。
 テマリは立ち上がると、床に着いた。もう寝よう、明日も見合いに行かなければならない。今回の話は我愛羅が持ってきてくれたらしいが、見合い写真も相手の情報も全く見ていなかった。最初の頃はちゃんと目を通していたのだが、ここ一ヶ月は全く見る気にならなかった。このままじゃいけないと思っても、どうにも無理だった。
 このままじゃいけない、駄目なのに……そう呪文のように唱えながら、彼女はいつしか眠りについていた。久しぶりに見た夢には、木ノ葉の団子屋の縁側が出てきた。


 今回の見合いに仲人として来てくれることになったのは、なんと我愛羅だった。

「オレもその辺りに仕事があるんでな。里のことは兄さんや先生に任せてある。今回は移動に時間がかかるぞ」

 確かに長い道のりだった。だが見慣れた風景でもあった。と言うのも、使者としてよく木ノ葉に行く途中によく通っていた道だったからだ。
 我愛羅と何か色々話しながら言ったが、何を話していたかあまりよく覚えていない。蘇りそうになる木ノ葉の記憶と戦うのに必死だった。我愛羅は聡い子だし、もしかしたら気付かれていたかもしれない。駄目な姉である。
 結局着いたのは夜だった。見合いは明日だと言うことなので宿に一泊し、夜が明けなければいいのにと思いながら眠った。
 翌朝、朝食を食べて、ここ最近お世話になっている窮屈な着物と面倒な髪結いを済ませてから見合いに向かう。我愛羅は先に行って、先方と話をしている。気が進まないが我愛羅のためだ、行かなければ。
 見合い場所の庭は、なかなか風流な感じだった。このまま誰とも知らない奴と会話なんてしないで、庭でもぼーっと眺めていたい。そう思いながら指定された部屋に近づいてくると、中から楽しそうな声が漏れてきていて彼女は眉を顰めた。何だろう、中にいるのはあちらの仲人と我愛羅のはず……なのに何だ、何故こんなに声が若い?
 失礼します、と声をかけて襖を開け中を窺った途端、テマリはぎょっとした。

「よっ、我愛羅の姉ちゃん! ひっさしぶりだってばよー!」

 そこにいたのは我愛羅と、六代目火影の羽織を身にまとったうずまきナルトだった。相変わらずの邪気のない笑みを顔中に浮かべて、手を振っている。

「うずまきナルト……!? なぜお前がここにいる?」
「あれー? お前姉ちゃんに話通してねーのか?」
「見合い写真も何もかも全部渡してある。さっき事情は説明しただろうが」
「あ、そっか! 悪ぃ!」

 ぽんと手を打つナルトに対して、我愛羅は席を立つ。

「もう行くぞ。後は本人達に任せればいいだろう」
「そうだな。会議あるし……」

 ナルトがげんなりしながらも席を立つ。唖然とするしかないテマリを和室に入れると、我愛羅は言った。

「姉さん……オレは姉さんの認めた人なら誰だって良い。何か障害があったとしても気にしないしはじき飛ばすから、姉さんのやりたいようにしてくれ」
「またそんなこと言ってー。それでもし大蛇丸みたいな奴連れてきたらどうすんだってばよ?」
「それはないと信じたいが……本当にそんな奴だったらオレか兄さんが戦ってぶちのめす」
「げっ、おっかねー……あ、じゃあな! あとはよろしく!」
「また夜に宿で会おう」

 二人はそう言って、ぽかんとするテマリを取り残して去っていった。

「何だったんだ、今のは……」
「何だも何もねーだろ」

 背中から聞こえてきたのは、いつも心の奥底で聞きたいと願っていた忘れられない人の声だった。テマリは恐る恐る振り返る。振り返った先には……

「どうした、幽霊でも見たみてーな顔して」

 そこにいたのは、衣装こそ普段と違うものの……紛れもなく、木ノ葉の奈良シカマルだった。
 テマリは動けなかった。戦場においてどんな窮地に置かれていても先の手を読むことをやめない分析派の頭脳が、完全に停止している。

「何で……何でお前が」
「見りゃ分かるだろ、見合いしに来たんだよ」

 あんたと。
 その言葉が、そこにある彼の存在が信じられなくて、彼女は頭を抱えた。

「ドッキリか……?」
「んなわけねーだろ。人がせっかく苦労してここまで漕ぎ着けたってのに」

 シカマルはすたすたとテマリに歩み寄ると、彼女の顔を間近で見つめた。

「顔色悪ぃな。大丈夫か?」
「……どうなっているのか説明してくれ」
「分かった」

 シカマルはテマリを座布団に座らせると、自分もその隣にあるものにあぐらをかいた。

「まず、あんたとの結婚を考えた時に一筋縄じゃいかねーだろうなってのはオレもあんたも分かってたことだろ? あんたは砂隠れの姫、オレは奈良家の嫡男で兄弟もいない。お互い自分の生まれ育った環境にとって必要不可欠な人間だ。周りから縛られるのは必須だった……だからオレはそこを逆手に取ることを考えた。オレもあんたも里にとって大事な人間……ならば、それを利用してやろうとね」
「里を……?」
「ああ、手っ取り早く言うと」

 政略結婚だ。
 テマリは目の前の男の顔をまじまじと見つめた、シカマルは至極真面目な顔をしている。

「今の木ノ葉と砂の関係は分かってるよな? トップの火影と風影は二つの里の同盟関係を本当のものにしようとしていて、一部のうるせージジババ共が文句を言ってきやがる。そこを利用することにした」
「まさか……」

 シカマルはにやりと笑った。

「そう、ナルトに協力してもらって上の方に提案してもらったのさ。『砂と木ノ葉の友好の証として、婚姻関係を結ぼう』とね」
「だけど人気のある我愛羅やナルトに下手に誰かを嫁がせるわけにはいかねぇし、お飾りの大名の息女なんて結婚させたって意味ねぇ。里の話なんだしな。それで婚姻関係を結ぶのは忍の一族……それもそれぞれの里を代表しても良いような一族にしようって話になった」
「あとは根回ししといた通りに動いた。五代目風影、我愛羅はあんたがこのところ元気がないのを心配していた。あいつ、オレ達が付き合ってたのに気付いてたらしい。オレが直談判しにいったら殺されんじゃないかって勢いで問い詰めてきたよ。あんたに何をしたってな」
「我愛羅……」
「それでオレはワケを説明して協力してくれないかって頼み込んだ。で、どうにかしてOKをもらった」

 そう言えば、とテマリは過去を遡る。しばらく前に、カンクロウに気になる男はいないのかと聞かれた気がする。あれがもしかして、弟達が協力してやったことだとしたら……。

「こっちの里については、親父や火影に協力してもらってどうにかいった。途中木ノ葉丸が候補に出されそうになって焦ったけどな……」
「そんなわけで、オレとあんたが公式に木ノ葉と砂の代表として婚姻関係を結ぶ手筈は整ったんだが……オレが婿に行くわけにいかねーしあんたが嫁に来るしかないってなったら砂の上役がうるさくってな。まぁそこも計算通りだったから、あんたを嫁にもらうのと引き替えにこっちがあるものを差し出すことにした」
「……何だ?」
「奈良家特製の丸薬だ。これまで砂の方には回ってなかったからな。悪いが作り方は秘伝なんで教えるわけにはいかねーけど、そっちに流すくらいなら構わないって親父が言ってくれたんで、交換条件として出すことにした。年取ってくると自分の健康に過敏になって生にしがみつくのが人間の習性だ。年取った上役達はそれで了承してくれた」
「ってことで……あんたは完全に知らなかったみてーだけど、オレは木ノ葉の忍代表として、あんたは砂の忍代表として、二つの里の同盟を強化するためにここで見合いをしてることになってる」

 テマリはシカマルの顔を、ただとくとくと見つめた。そしてぽつりと呟いた。

「何て無茶を……」
「あんたに話を通しておかなかったのは悪かったと思ってる。でもタイミングを考えると、婚姻関係の話で真っ先にあんたが浮かぶように、あんたには色んな相手と見合いをしてもらってるのが一番ちょうど良かった。それに、分かると思うが……この話はあんたが木ノ葉に嫁に来ることを前提として進んでる。あんたの砂にいたいっていう意志を尊重するのがスジなんだろうが、悪いけどこうさせてもらった」

 申し訳ない、と。いつの間にか正座したシカマルが頭を下げる。その一つに束ねられた黒い髪を見つめながら、テマリは口を開く。

「いつから、この話を考えていた?」
「あんたが別れ話を切り出す大分前からだ。あんたと結婚するにはこれしかないと思ってた。子供をもうけるって手も考えたけど、そうなったら可愛そうなのはオレらの子供だ。一生片親を知らないまま生きていくことにだってなりかねねーし、それでずっと後ろ指指されることだって考えられる。だから、できなかった」
「でもお前……別れるって……」
「オレは確かに結婚しろとは言ったけど、別れることを了承した覚えはねーぜ? よく思い出してみろよ」

 言われてみれば確かに、別れることについて明確な返事はもらわなかった。シカマルは続ける。

「この計画はタイミングが大事だった。木ノ葉と砂が婚姻関係を結んでもその互いの一族に間諜の疑いをかけられることのないような時期で、かといって二つの里がべったり仲良しってわけでもねー時。見極めんのが難しかったし、何より成功させられる自信もはっきり言ってあんまりなかった」
「だけどあんたに別れ話を切り出された時、逆に決心がついた。こりゃやるしかねーなって。あん時は結構条件が揃っていた。だから、勝負に出ることにした」

 ――頃合い、か。

 あの時の彼の言葉を思い出す。そうか、あれは二人の関係が潮時という意味ではなく、計画を実行に移す頃合いという意味だったのか。
 シカマルは息を吐いた。

「あー……一時は勘当されるかとかもう終わったかとか思ったけど、どうにかこうしてあんたに会えるとこまで来れて良かったぜーホント」
「お前な……」
「ん?」

 テマリは下を向いたままふるふると震えていたが、やがてキッと顔を上げるとシカマルの胸ぐらに掴みかかった。

「お前な! そういう話は先に私にしとかないかこの馬鹿者! お陰でこの三ヶ月間どれだけ無駄に着飾って相手方の調子窺ったりとかそんな肩の凝る陰鬱な生活を送ってきたと思ってるんだ!?」
「だから悪かったって言ってんだろ!? オレだって先にあんたがどっか嫁がないかひやひやしながら計画練ってきたんだからな!? ちゃんとあんたが砂隠れにとって最善と思えるような結婚に仕立て上げたんだよ! それにあん時一応言っただろ、待ってろって!」

 ――そこまで言うなら……確かにあんたはそろそろ婚期かもしんねーが、まだいき遅れたわけじゃねぇ。焦んねーであんたが砂隠れにとって最善だと思う相手と結婚しろ。間違っても変なゲス野郎と結婚すんなよ?
 ――じゃあな。あんたいい女なんだから、待ってりゃいい縁談が来るぜ。

 確かに今考えてみれば、あの時シカマルは彼の計画が成功した時のことを言っていたのだ。現状なら、このシカマルとの見合いは砂隠れにとって最善で、良い縁談だと言える。

「紛らわしいわ……!」
「しょーがねーだろ、成功する確証なかったからあんま自信満々なことは言えねーし。ほんっと苦労したんだぞ……親父説得したり相談役説得したり、我愛羅に砂縛柩されそうになった時はオレの人生ここまでかと――」
「知るかヘタレ! お前なんか……っ」

 テマリのシカマルを揺する手が止まった。シカマルは小刻みに震える白い手を取り、両手で包み込む。

「お前なんかっ……やっぱり別れられるわけないだろッバカ!!」

 テマリがシカマルに飛びついた。シカマルの首筋に、生暖かい液体が流れる。彼は泣きじゃくるテマリの背をさすった。

「それは、オレのことまだ好きってことでいいのか?」
「当たり前、だろ……っ」
「ごめん……辛い思いさせちまって」

 テマリが激しく首を横に振る。シカマルは彼女を強く抱きしめて、その耳に囁いた。

「なぁ……聞いてくれ。さっきも言ったけど、この婚約はあんたがオレの家に嫁ぐことを前提にしてる。嫁に来ちまったらなかなか砂隠れには帰れなくなるかもしんねぇ。しかも、砂隠れの忍としてもやっていけなくなるかもしんねぇ。そしたらオレは、あんたの人生から大事なものを奪ってしまうことになる……何度か来たことがあるとは言え、見知らぬ土地で知り合いもロクにいないのに暮らしてくってのもキツいって分かってる。あんたには苦労させちまうことになる」
「だけど、その分あんたを幸せにするから。うちの親族があんたのことで何か言ってきても黙らせるし、間諜の疑いが万が一かかったとしてもオレが守る。任務に行っても死なねーで帰ってくるし、どうなるか分かんねーけどあんたが砂の忍としてやってけないかとか、たまには故郷に帰れるようにとか、うまくかけあってみる」
「オレが一生、あんたを幸せにするから……」

 シカマルはテマリを少し引き離して、その潤んだ瞳に己の瞳を合わせた。

「テマリ……愛してる。オレの嫁になってくれないか」

 テマリの瞳から大粒の涙が溢れた。彼女は顔を手で覆うと、首を上下に振った。
 何度も、何度も。




20121018 執筆、支部投稿

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