※「そんな二人の婚約過程」の前の裏話です。




「結婚したいんだ」

 何やら煮え切らない様子だったシカマルが口を開いたのは、先に運ばれてきた野菜を全て食し終わってやっとお待ちかねの肉が運ばれてきた時だった。
 手にした箸が、ようやく姿を現した標的を前に戦場の凶器と化そうとしたその瞬間のことである。放たれた一言は、いのとチョウジの目に宿っていた異様な輝きを消すのに十分な威力を持っていたようだった。

「え……チョウジ、今何て言った?」
「ボクは何も言ってないよ。今のはシカマルだよ」
「そうよね、チョウジにしては声が怠そうだと思ったわ」

 いのは一人頷くと、向かいに座るシカマルに目を移した。その視線に込められた猜疑心に気付いたシカマルは、言葉を返す。

「何だよ。オレらくらいの年なら言ったっておかしくないだろ」
「あんたが言うとおかしいのよ」

 いのは遠慮せず言い放つ。対してチョウジは穏やかに、のんびりとした口調で親友に語りかける。

「ボク達に言うってことは、一筋縄じゃいかない相手なんだね?」

 シカマルは無言で首を縦に振った。いのは目を丸くして、がっしりした体躯の幼馴染みを仰ぎ見る。

「え、何で分かるのよ?」
「だって、シカマルってそういう話全くしないじゃない?」
「うん。面白くないくらいしないわね」
「なのに、そのシカマルがボク達をわざわざ焼き肉屋にまで呼んで話してるんだ。ボク達の協力が必要なんじゃないの?」
「ああ」
「うっそーマジ? て言うかシカマルに恋愛感情があること自体驚きなんだけど。好きな人がいるとか結婚したいとか……」

 いのは堪えきれず噴き出した。シカマルは眉根を寄せて、バツが悪そうな顔つきで睨み付ける。

「わりーかよ」
「や、悪くない悪くない……ぷぷっ」
「笑うな!」
「まあまあ、ね? 落ち着きなさいよ」
「お前が落ち着けっての」

 いのは肩を震わせている。チョウジはむすっとしているシカマルに尋ねた。

「具体的な相手がいるんでしょ? 何となく結婚したいってわけじゃなくて」
「まあ、な」
「へーえ、本当にいるんだ。だれだれ? あ、やっぱ答えちゃ駄目。当てるから待って」
「お前真面目に聞く気ないだろ」
「大ありよ。暗号班のあの眼鏡の子?」
「違う」
「うっそ違うの!? まあでも確かにそうよね。あの子だったら、私とチョウジが出るまでもなく簡単にいきそうだし。でもそうなると、シカマルの周りにいる女の子って少ないから限られてくるのよね……」

 いのは真剣に考え込む。しばし熱せられた網の上を彷徨っていた目線は、やがて何かに行き着いてシカマルに戻った。

「他里?」
「そうだ」
「あー他里かあ。いけないこともないけど、里によってはやばそうじゃない? 小さい里ならたまーに聞くけどね、五大国相手になると里の問題に……まさか五大国の里の人なの?」

 否定しないシカマルから察したいのは、言葉をとぎって問いに変えた。彼は頷いて、静かに言う。

「砂のテマリだ」

 うっわーといのが口元を押さえ、仰け反った。肉をせっせと焼いていたチョウジは一度手を止め、やっぱりあの人かと洩らす。

「仲良さそうだったもんね、テマリさんと」
「ちょっとチョウジ、何納得してんのよ!? 確かに仕事とかよく一緒にやってたしあの戦いでも同じ部隊だったけど、そんな素振り見なかったわよ? いつからあんたそんな、シカマルの恋を見抜けるほど物分かり良くなったわけ?」
「物分かり良くなったかどうかは分からないけど……ボクはシカマルと一緒にいた時間がいのより長いし、男だからね。少しは見てて分かるところもあったよ」
「ほんとにぃ? 何か裏切られた気分……」
「何でだよ」

 シカマルの問いかけには答えず、いのは大きく息を吐いた。チョウジが焼いた肉をさりげなくかっぱらいながら、仏頂面に訊く。

「付き合ってるの?」
「……オレはそのつもりでいる」
「何その答え。聞きようによっては気持ち悪いんだけど」

 肉に食らいつくチョウジといのに倣ったのか、シカマルも焼かれたそれを口に運ぶ。三人が咀嚼する間、肉の焼けるいい音と食欲をそそられるにおい、遠くから聞こえる喧噪が個室にたゆたう。主体となるべき会話がなかなか現れない空間に耐えかねたいのが、あのねえと語尾を強めた。

「シカマル、あんた今日かなり面倒臭いんですけど!? 言いたいことあるならさっさと言いなさいよ!」
「あー分かってるよ、分かってんだけどさ」

 シカマルは額を押さえて、気怠げに呻いた。チョウジは辛抱強く、肉を食いながら待つ。いのは心持ちイライラしながら、肉を食べて気を紛らわす。シカマルは手を額からどけると、卓上で両手を組んだ。

「テマリと付き合ってる」
「うん」
「オレはあの人のことが好きだし、あの人もオレのことを好いていてくれたと思う。里の違う忍同士の婚姻は、難しいもんだってのは知ってる。もともと砂隠れは保守的な里だし尚更難しいかもしれねーけど、昔に比べたら随分、他里に対して友好的になっただろ?」
「ひとえに我愛羅のお陰よね。昔から考えたら、信じらんないわ」
「結婚できるとしたら今しかねえ。だからオレは、あの人と結婚したい」
「おお、アンタにしては言うじゃない! で、テマリさんにはそのこと言ったの?」
「言ってねえ。それどころか……先日別れ話を切り出された」

 いのはぽかんと口を開けた。チョウジも目を丸くしている。シカマルは苦い顔で、焼き肉を突いた。

「自分は砂隠れの忍で四代目風影の娘、五代目の姉だから個人の自由を優先させるわけにはいかない。何より砂隠れの里を愛している……だとさ」
「だとさじゃないでしょ! で、アンタは何て言ったわけ!?」
「焦って変な野郎と結婚すんな、良い相手が来るまで待ってろって言った」
「何言ってんの馬鹿!!」

 いのが勢いよく机を叩いた。卓上に置かれたグラスの中で、水が大きく揺れる。チョウジが倒れて落ちそうになった品書きを、慌てて抑える。いのはそんな周囲の様子に構わず、シカマルに掴みかからんばかりの勢いでまくし立てた。

「何でそこでそうなんのよ! 普通『待て、オレはお前を愛してる! 離したくないんだ!』くらいは言うでしょ! てか言いなさいよ! ホントにそれしか言わなかったわけ!?」
「あ、ああ」
「信じらんないこのヘタレっ! 成長して少しはマシになったかと思ってたのに、全然駄目じゃないのこの腰抜け野郎が! シカクさんが泣くわよ!」
「い、いの落ち着いてよ。とりあえずシカマルの話を聞こうよ……」

 チョウジが宥めて、ようやくいのは乗り出していた身を引いて席に戻った。だがまだ言い足りないらしく、眉根を寄せて不満気な様子である。
 シカマルはいのの剣幕にやや気圧されたようだったが、軽く咳払いをして彼女に反論した。

「何か勘違いしてるみてーだけど……別にオレは一言も別れるなんて言ってねえぞ」
「は?」
「だから、オレは別れることを了承してねーって言ってんだよ。だから、オレの中ではまだあの人とは別れてねえ。あの人は別れたと思ってるかもしんねーけど……」
「それじゃ別れたようなもんじゃない! どうすんの、取られちゃうよ!?」
「そこは一応、策は考えてある……」

 シカマルは二人に、自分の作戦を説明した。全て聞き終えた二人は唸る。

「なるほどね」
「相変わらずよく考えるわ……一個聞きたいんだけど」
「何だ」
「それだったらテマリさんにも説明して、二人で協力して木ノ葉と砂の上層部をそれぞれ説得しにかかった方がいいんじゃない? あんた一人で両方なんて、手間もかかるし絶対どっかで誤算出るわよ?」
「それも考えてたし、出来ればそうしたかったんだけどな……」
「何よ、また男のプライドとか? 惚れた女にそんなことさせたくねーとか言うんじゃないでしょうね?」
「そんな余裕ぶった理由じゃねーよ」

 シカマルは横を向いて、ぼそりと答えた。

「……それより先に、別れようって言われちまったんだ」

 いのの口から、大きな溜め息が洩れた。チョウジはああ、と同情した様子で頷く。

「それで言えなくなっちゃったワケ? なっさけないわねー」
「うるせー。それだけじゃねえよ」

 シカマルが僅かに俯く。切れ長の目は目の前にあるものの、その更に向こうを映していた。はたから見るとぼんやりしているようにも見える、だがどこか憂いを帯びた面持ちで彼は息を吐いた。

「あの人、自分の故郷が本当に好きなんだ。仕事の時も逢瀬の時も、よく砂隠れの話をしてた。だからオレは、あの人がどれだけあの里を愛しているか知っている」

 その里からあの人を無理矢理引き離すなんてことは、オレにはできねえ。シカマルは組んだ手の甲に額を乗せた。いのが打って変わって、感心しながら口を開く。

「確かに、アンタと結婚するってなったらテマリさんが木ノ葉に来るしかないものね。意外と考えてたんだ、テマリさんの気持ち」
「ついでに言うと、あの人の中で里とオレとどっちが大事かって比べた時、オレの方が大事だっていう自信がねえ」
「あーそれは……」
「負けるわね、十中八九」

 チョウジが言いよどんだところを、いのはずばり言い切った。容赦ねえな、とシカマルは苦く笑う。

「だって、自分の生活基盤と結婚したいんだか何だかはっきりしない男でしょ? 確かな方を選ぶに決まってるじゃない」
「いのはきっぱりしてるよね」
「男らしいな」
「アンタ達が女々しいだけでしょ!? 人を男みたいに言わないでよ!」

 紅一点である彼女が噛みついて、男二人は笑った。いのはむっとしながらも、シカマルに問う。

「アンタがテマリさんを大事に思う気持ちは分かったわ。けど、それなら何で本人の了承も得ずに話を進めようとしてるの?」
「それはボクも疑問だな。それにシカマルが上手くやる前に、結婚決めちゃうかもしれないよ?」
「ああ、それはな」

 賭けだ。
 短く返された言葉に、向かった席の二人は一様に首を傾げる。

「賭け?」
「オレと里と、まともに比べられたら勝てるわけがねえ。だから、敢えてあの人に別れたと思い込ませるような返事をした。あの人の中では今、オレという恋人を失ったことになってるはずだ。それで、さっさと立ち直って違う結婚相手を決めるならそれは……仕方ねえ、諦めるさ。けれどもしオレより良い相手が見つからないか、オレがいなくなって耐えられねーようだったら、オレを選んでくれるかもしれない」

 シカマルは水を一口啜り、喉を潤す。グラスを置いて、聞き入る二人を見据えて言葉を続ける。

「ある意味これは賭けだ。あの人が里を選ぶか、オレを選ぶかっていう……な。オレが全ての手を打ち終える前にあの人が婚約したら、オレの負け。逆にオレが全てを終えた時、あの人が婚約してなかったらオレの勝ちだ」
「テマリさんがどう思ってるかとか婚約したかとか、どうやって把握するのよ?」

 いのが尋ねる。シカマルは耳のピアスを弄りながら、不敵に笑った。

「それは……詳しくは言えねーんだが、オレにも“耳”があるんでね。情報は入ってくるようにしてある。ある程度時間が経てば、あの人がどう思ってるか見当がつくはずだ。それに応じて、いけそうなら我愛羅とコンタクトを取る。そこまで待たなくても、いけるかもしれねえねどな」
「何で?」
「どうも我愛羅とカンクロウは、オレとテマリが付き合ってることに気付いているようなフシがある。恐らく、オレのためにテマリがこれまで見合いを蹴ってきたことぐらい察してるだろう。あの人のことだ、どうせ帰ってすぐ見合いを受ける意志を我愛羅達に伝えるに違いない。現に、そういう情報も入ってきてる。そうしたら、急にどうしたのかと訝しむだろう。その場合、オレとどこかで接触を持とうとしてきてもおかしくないかもな。そうなったら……色々考えちゃいるが、我愛羅達を抱き込むのも悪くねーかな」

 焦げ臭いにおいがして、三人ははっと目を落とす。話に夢中になっていたせいで、肉が炭化している。三人は慌てて犠牲となったかつて肉だったものをどけると、新しいものを乗せた。今度は無駄にしないようにと、チョウジが網を見張る。
 チョウジに任せておけば大丈夫だろう。そう思った残り二人は顔を上げ、視線がかち合った。いのは呆れたように言う。

「シカマルって……昔からそうだったけど、面倒臭がりの癖に面倒臭いことするよね」
「こればっかりは里のことも関わってくるし、めんどくせーなんて言ってらんねえよ」

 言いながら、焼き上がった肉を取るシカマル。チョウジが同様に、だが数枚を一気に自分の皿の上に載せる。それを目で追いながら、いのは鼻を鳴らした。

「アンタって、ある意味酷い男よね。恋も戦争も何もかも、将棋盤の上で図るんだから」
「そんくらい綿密にやらねーと勝てねーだろ」
「テマリさんの意志はどうするのよ?」
「正統なやり方じゃねーのは百も承知だ。だけど、オレは一応こうすることであの人の意志を尊重しているつもりなんだよ。この筋書きで大事なのは、あの人が自分の意志でどうするか決めることだ。オレは、直接的には口出ししてない」
「ふーん」

 いのはチョウジに焼いてもらった肉を頬張り、飲み込む。

「直接的には……ね。やっぱり酷いわね、アンタ」
「何とでも言え。それでもオレは、あの人の意志でオレと結婚する道を選んでもらいたいんだ」

 そのために、とシカマルが目の前で関心が食事に移りつつある二人を注視した。

「おめーらの力が必要なんだ」
「何やるんだか知らないけど、ここの食事代持ってくれるならいいよ?」

 豪快に食事を楽しむチョウジの台詞に、シカマルは首を縦に振った。

「ああ、いいぜ。ハナからそのつもりだ」
「やった!」
「さすが未来の特別上忍候補さんは違うわね」

 素直に喜ぶ二人は、脇にどけられた品書きを開く。シカマルは少し不安になって訊ねる。

「おめーら、本当にやってくれんだろうな?」
「やるよやるよ」
「どうせ、お見合い候補の裏工作とかでしょ? 任せなさいよ。最近デスクワークばっかりで退屈してたところだし……久々の猪鹿蝶、楽しみだわ」
「おっかねー……首謀者、オレのはずなんだけどな」

 楽しそうに微笑むいのと、品書きを食い入るように見つめるチョウジ。
 この二人がいれば、オレは何も怖くない――今夜の会計が現金だけで済むかどうか以外は。シカマルは覚悟を決めた。




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