[その少年、自らに囚われる]

  トントントトン、トトトントトントン。

 両肩に軽い振動が伝わる。長い指の、ほんの先が一瞬触れるだけ。それだけだというのに、意外なほどにその振動は響く。皮膚、血管、肉、骨さえ伝って、リズムが鼓動に届く。神経を通じて、旋律が心に響く。

 マカの目は魂を見、第六感は魂を感じることができる。けれどソウルは魂の共鳴状態において、そのマカの能力を通して魂の波長を聴くのだという。魂関知能力というのは、どうやらマカの認識しているより奥深いものらしい。ソウルは蜘蛛の糸でマカと世界を繋げ、マカはそれを辿って世界を見、ソウルはそこで聴いた波長をメロディで繋げ、だからマカは見ている世界を耳でも聴くことになる。

 不思議な共有、不可思議な相互作用である。長く続けていると、今音を聴いているのがソウルなのかマカなのか、また今見ている景色はマカの視界からなるものなのかソウルのものなのか、分からなくなってくる。

 ねえソウル。そう声をかけようとする前に、指の動きが止まった。音楽が止む。名残惜しさを覚えるのと同時に、心地良くも重い倦怠感が身体にのしかかる。

「ん」

「ありがと」

 近くにあったベンチにマカが腰かけると、ソウルが自販機で飲み物を買ってきてくれた。二人で並んで腰かけ、二つプルタブのぷしゅって音がそろって、ただ何を喋るでもなくぼんやりと眼下の光景を眺める。荒涼とした砂漠にぽつねんと栄える死の都、デスシティ。いにしえの都市国家のごとく周囲をめぐる高い城壁は来る者をかたく拒むようで、しかし最初の階段さえ乗り越えてしまえばそこはもうオアシス、殺伐だけどウキウキライフが広がっている。

 このデスシティを一望できる死武専のバルコニーは、主賓席らしい。ソウル曰く、いい旋律が聞こえるのだとか。マカは音楽が分からない。けれどソウルのピアノは好きだし、ソウルが良いというから、ここで魂の共鳴をしながら聴くソウル作曲演奏の死武専即興曲も好きだった(だけど、ソウル曰く「聴こえてくるメロディは最高だけど、俺のピアノはクソ」らしい。自虐するのは良いけど、いい加減それが好きだって言ってる人の前でそういうこと言うのはやめてほしい)。

 疲れたなあ、とマカは朧気に思う。広範囲の魂感知は負担が重い。けれど、マカがやりたくてやっていることだからいいのだ。それにソウルはマカに無茶をさせないから、いつも少し休めば回復するくらいの疲労で済んでいた。

 ソウルはいつだってそうだ。彼はマカが無茶をすることを良しとしない。

「思うんだけど」

 隣の相棒が自分のことを考えているとは知らないだろうに、図ったようなタイミングでソウルが口を開いた。

「俺、魂感知ができなくて良かったよ」

「どうして?」

「俺は狂気に魅せられやすいからな」

 彼はデスシティから視線を外さない。まるで、そこから何か失せ物でも探し出そうとするかのように。

「大好物の魂が見えちまったら、俺は食いたいのを我慢できる自信がねえ。それにいつでも自分で波長が聴けたら、ここでずっとそれに耳を傾けることになってもおかしくないかもな」

「ソウルはそんなことしないよ」

 彼がこちらを向く。少し意外そうな面持ちだ。

「何でそう言い切れるんだ?」

「だって、ソウルってそうだから」

 マカの台詞に、ソウルは僅かばかり瞠目した。それから、おもむろに噴き出す。

「なんだそりゃ」

「だって、いつもそうでしょ」

「いつもっていつだよ」

「それは――」

 マカはソウルの瞳を覗き込む。

 ねえ、本当は分かってるんでしょ? あなたはそう言いながら、いつだって自制する。言葉と思考で自分に枷をつける。そうでしょ? ねえ。

「いっつも、だよ」

 そう言えばやはり、ソウルは目を逸らしてうっすらと笑った。満足しているような傍観しているような、ニヒルな笑み。

「そうかな」

 形のいい唇はその四音を作って、さらにまた何かを紡ぐ。生まれた音は風の音に吹き消されてよく聞こえなかった。マカは目を凝らす。

 だからウェスに――そう言った気がした。

 

 




[その少年、既に知る]

「音楽聴くなら音小さめにしてね。私本読みたいから」

「ソウルの部屋はソウルがちゃんと掃除してよ? 私、レコード割ったりしたらやだからやらないからね?」

「ねえ、音楽聴いてる暇があったら洗濯物手伝ってよ。ねえ!」

 マカは音楽に理解がない。でも、俺は知っている。アイツは理解しようとしていないんじゃなくて、理解できないのだ。音程が捉えられないとか取れないとかリズム感がないとか、そういう問題じゃない。聴いて、魅力が感じられないのだ。

 だから曲調がどうなんて判別できないし、旋律に感情を乗せて歌うこともできない。逆に音の強弱やその曲におけるコードや転調からそれを読み取るなんてことは、彼女にとって至難の業にあたるらしい。

 それでもアイツは俺のピアノを好きだと言う。俺が音楽が好きだからか、俺に合わせようと音楽のことを本で読んで学ぼうとする。

 しかし、俺もアイツも分かっていることだが、音楽の魅力は活字では捉えられない。楽譜が読めても、音を聴いてその表現が心に響かなければ魅せられることはない。だからだろうか、最初の頃は音楽の本を持ってきては俺にこれは何かそれはこうかと質問をしてきたアイツは、最近じゃあ何も言わなくなった。それどころか、俺が音楽を聴くのに没頭していると呆れた表情になるし、キリクやリズと語っていると辟易したように顔を顰めることもある。

 でも、俺は知ってるんだ。俺が音楽に惹かれている時のアイツは、しばしばあの気高いエバーグリーンの瞳を伏せる。つまらなそうな寂しそうな、そう形容したくなる顔つきをして、時折恨めしそうに俺に視線をよこす。

 知ってるんだ、アイツが俺を尊重してくれてることは。だから苦手な音楽も知ろうとする。それで理解できないと感じても、貶すようなことはしないでいてくれてる。アイツは真面目でとても優しい。

 だからこそ、アイツにいつか知って欲しい。パートナーだからって、全部を理解しなくたっていいんだ。今みたいに認めて尊重してくれれば、それで十分なんだ。

 言っても実感できなければ意味がないことだから、俺は言わない。けれど、彼女の悲しそうな表情を見る度に思う。

 お前はそのままでいいんだよ、マカ。お前は最高のパートナーだ。度胸があって素直で一途で賢くて優しくて、俺とは正反対だ。

 だからまだ、俺の奥深くに踏み込まないでくれ。俺は、クロナみたいに清らかじゃないから。

 お前は俺を理解できない。それでいいんだ。

 





[その少年、狂気を嘆く]

 「もうすぐ、決戦の時がくる」

 そう厳かに告げるアイツはいつもの目立ちたがりなバカの顔じゃなくて、武神の顔だった。だから俺はてっきりまた何か達成困難な修業目標でも見つけたんだろうと思って、デッドシェイクストロベリー味(死んだイチゴの子供を粉々に砕いてバニラと混ぜ合わせたもの)を啜りながら適当に相槌を打った。

「ほー、熱いですねェ」

「おう。今回は前みたいにはならないぜ!」

 ブラック☆スターは一人で勝手に盛り上がってきたらしく、机の上に仁王立ちする。以前なら周りから白い視線と冷たいひそひそ声が浴びせられたのだが、今のコイツは恐れ多くも武神様である。だから白い目なんてもっての外、寧ろ黄色い声さえ聞こえてくる始末だ。まったくどうかしてるぜ、この街。

「今度こそ、超筆記試験をぶち壊すっ!」

「は?」

 俺は思わず、ストローから口を離した。ブラック☆スターは机の上から腕組みをして俺を見下ろし、にやりと口角を吊り上げる。

「前回はバカ正直に頭で挑んだのが悪かった。しかもそれを、試験前日の夜にやったってのも失敗だ。結果的に試験当日目立てたから良かったが、俺様はもっと輝けたはず!」

 視点がずれてることなんて、今更気にならない。ブラック☆スターは大仰なフリで右の人差し指を自分の額に当てる。

「そう思って俺様は頭を捻った。そしたら、別の手段で輝けることに気づいたんだ!」

「で、それが――」

 もうオチは見えていたが、空気の読める俺は聞いてやった。アイツは満足そうに二カッと破顔して、額に当てていた右手人差し指を天へと突き刺した。

「超筆記試験当日、試験受験を巡ってキッドにタイマンを申し込むッ! 俺が勝ったら試験全員合格! 俺が負けたら全員予定通り試験を受ける、しかもアイツが考案してるシンメトユニフォームの二週間の試着を、全員がやってやる!」

 俺がリアクションを取る前に、周囲から悲鳴とも歓声ともつかない声が上がった。見回すと、いつの間にか俺達の机の周りに生徒どもがわらわらと群れを成して集まって来ていた。

「ブラック☆スターさん、いくらなんでも死神様相手は無茶っすよ!」

「おい、勝手に決めるなー!」

「あのシンメトユニフォームを着るくらいなら、私全裸で過ごすわっ!」

「るっせーぞテメエらァッ!」

 辺りがしんと静まり返った。一喝したブラック☆スターは、辺りへ鋭い視線を配る。

「いいかお前ら。俺は、誰だ?」

「ぶ……ブラック☆スターさん」

 男の誰かが答える。奴は頷いて、また尋ねる。

「そして俺は、何と呼ばれる男だ?」

「武神様!」

 女の誰かが答える。奴は頷き胸に拳を当て、一同へ朗々と響く声で呼びかける。

「俺は武神だ! 力の神だ! その俺様が、力で負けるわけねえだろッ!」

「武神様っ!」

「この俺様が、必ず死神をぶちのめす! 真っ白な試験用紙をリサイクルに回してやる!」

「武神様ッ!!」

「おう、俺様は武神だ! 俺は誓ってやる――」

 武神は戦人の宿命の印たる星模様と歴戦の記憶が数多刻まれた腕で力瘤を作ると、それを威勢よく掌で叩いた。

「この力にかけて、超筆記試験をぶち壊すッ!!」

 ドッ、と食堂が沸いた。たちまち連呼される武神の三音、始まる武神コール。拳を突き上げる大衆を、俺は見回す。何でこんな時に限って椿がいないんだ。超筆記試験はともかく(て言うかむしろ無くなれ)、このバカとキッドがまともにぶつかったら、うっかりデスシティの一つくらい軽く消し飛びかねない。

 早いところキッドの耳に入れて、避難対策を――俺が席を立ちかけた時に、その声は歓声を圧倒した。

「ブラック☆スター、話は聞かせてもらったぞ」

 たちまち、武神コールが収まる。ついで、人垣が割れる。その中央を歩いてくるのは紛れもなく漆黒のマントに同じ色の髪、そこに浮き上がる三本の白線。

 この線を持つ人間、いや神は、世に二人といるわけがない。

 死神様、と誰かが呼んだ。しかし新たな死神は、満月のような瞳を漆黒の星に向けたままだった。

「その言葉、規律のもとに嘘偽りないな?」

「おうよ。男の辞書に二言はないぜ」

「それを言うなら男に二言はない、または俺の辞書に嘘偽りはない、だろう」

 キッドはきっちり訂正して、しかし平和的に収める気の一切うかがえない、挑発するような笑みを浮かべた。

「ちょうど俺も、最近身体が鈍って鈍って気持ち悪いところだ。その挑戦、受けて立とう!」

 大歓声が食堂を揺らした。俺は耳を塞いだ。おいおい、マジかよ。止めねえのかよ。どうするんだよ避難対策(テストは潰れろ)。まあいっか、デスサイズに任せりゃ。

 俺がそう結論付けてデッドシェイクを全部吸いきった時、キッドの目が俺の方を向いた。

「おい、ソウル。お前がジャッジをやれ」

「あ?」

 俺は思わず聞き返した。大歓声で耳がおかしくなったんだろうか。またキャーとかいう金切り声が聞こえた。俺のクソな耳がもっとイカれちまうからやめろ。ってそれどころじゃねえ。

「ふざけんな。人間の俺がお前らについていけるわけねえだろ」

「お前人間じゃなくてデスサイズだろ! 魔武器!」

「黙れ」

 俺がバカを一蹴する横で、キッドが首を横に振った。

「そうじゃない。マカと調和の波長でサポートしてくれ」

「それいいな! お前相手じゃ、正直なりふり構ってられる自信ねえもん」

「俺も、お前相手に狂気に飲まれない自信がないからな」

「俺様の期待を裏切るなよな」

「それはこちらの台詞だ」

「待てコラ、俺の許可なしにやる気満々になるんじゃねえ。おい、聞いてんのか」

 俺はこの神二人に抗議するが、奴らはまったく聞く耳持たずかたく握手を交わしている。あーもう、うおーキャーじゃねえうるせェこの愚民どもが! 俺とジャッジ替われ! 楽して試験無くさなきゃ意味ねえんだよ!

 俺は明日のことと、それからそれを聴いて目くじらを立てるだろう某ガリ勉女のことを考えた。頭が痛くなってきたから、やっぱりこの街はどうかしていると思った。






(後書き)

ソウル君小話詰め第一弾。またそのうちソウル君小話詰め作るかもしれない。

白髪赤眼、不敵な笑み、ダークスーツが似合う整った容姿、影のある元ピアニスト、音楽の名家の次男、兄へのコンプレックス、自己への強い誇りと失望、ニヒルで気障なひねくれ者、冷静な目と音楽への熱情、基本色調は赤と黒、蜘蛛の女王の糸を通じ旋律で敵を刻む、などなど挙げてみるとソウル君って本当にお洒落ボーイだなと思うんです。だけど、悪ガキなんですよね。マカちゃんを怒らせたり、ブラック☆スターとワルやったり。そんな大人びているようで少年らしい彼が大好きです。思わず真面目に告白してしまったけど大好きです。


ちなみにブラック☆スターとソウル、デス・ザ・キッドとソウルの友情も好きなのですが、ブラック☆スターとキッドの友情も好きです。

あの二人は友情って言うか、無二の一対感がすごいと個人的に思ってます。人間らしい神と神のような人間っていう、この対照的な二人が本編で織りなしたエピソードが大好きです。ブラック☆スターが鬼の道に走りそうになった時の喧嘩とか、エイボンの時のやりとりとか、鬼神戦の時にブラック☆スターが死神になることに逡巡するキッドに言った「お前がならねえなら、俺がなっちまうぞ…」って台詞とか。熱い。熱すぎる。


まあそれでも単体で一番はソウル君なんですけどね! 死武専男子勢はいつもバカやってそうで楽しそうだなと思います。個人的に怒りの巨人を拳で黙らせろ! のミッションを受ける時のキリクとオックス君と受付のおばちゃんのやりとりがすごくツボ。おばちゃんね、全部見てたよ…。


何にしても原作尊いです。


では、ここまでお付き合いくださりありがとうございました!

また会いできましたら幸いです。




20150913