酒場でレディー達との歓談に花を咲かせていたら、すっかり遅い時間になってしまった。まあ、いつものことだけどな。
娯楽と夢の町ベルガラックは、他の地より眠りが浅い。今宵は新月、銀の眼を閉じる女神の代わりに、毒々しいほど鮮やかなネオンが人々を照らす。そのせいかな。日付はとっくに明日だってのに、町は目を爛々とさせた奴らで賑わっていた。
夜気を吸おうと外に出た俺は、ベンチに腰掛ける美女に気付く。欲に浮かれて夜闇に溶ける連中の中で、背筋を天へ伸ばすその赤毛は浮き出でて見えた。
「やあハニー。一人かい?」
二つに結われた炎が舞った。赤毛の持ち主は、げっと淑女らしからぬ声を上げる。
「ちょっと……まだ起きてたの?」
「まあな。こんな時間に会えるなんて、今日はラッキーだな」
「私はすっごくツイてないわ……」
「つれねえなあ」
隣失礼、と声をかけてからベンチに腰を下ろす。ゼシカはこれ見よがしに眉根を寄せたが、立ち去ろうとはしなかった。
「眠れないのか?」
「まあね。だってここ、騒がしいんだもの」
ゼシカが育った場所はかなりの山奥だと聞く。しかも、少々お転婆は過ぎるが見ての通りお嬢様だ。喧騒が気になっても仕方ないかもしれない。
「なら、オレが夜の楽しみ方を教えてやろうか? それとも、一緒のベッドで懐かしい子守唄でも――」
「どっちも結構よ」
ゼシカはツンとそっぽを向いた。オレは肩を竦める。こう言えば大抵の女の子は頬をリンゴに染めたり、嬉しそうにして誘いに乗ってくれるのに。
だが、女ってのは従順なだけじゃつまらない。ハードルが高いほど、こっちも燃え上がるってもんだ。
「ゼシカ、誤解しないでくれ。オレはそんなに余裕のない男じゃないぜ」
「誤解はしてないつもりよ。私、手数の多い人は好みじゃないの」
おいおいお嬢様、そりゃあないぜ。確かにオレは世にいる同年代の野郎どもに比べればやり手だけど、そこで拒まれちゃたまったもんじゃない。
「まあ待てよ、よく考えてみてくれって」
「何を考えるのよ。女神様に仕える僧侶のくせにフケツだって?」
「そっちじゃねえよ」
オレは「これなら異性の視線はオレに釘付け!」と自他共に認める、麗しき美青年スマイルを浮かべる。
「いいか? オレは一応、女神様にお仕えしている騎士だ」
「一応、ね」
「聖堂騎士の仕事の第一は、女神様の教えを万人に広めその愛を分かち合うこと。なら、分かるだろ? オレのやってることは不潔か?」
「規則はどうなのよ」
「そんなもんただのお飾りさ」
ゼシカが杏子色の目を大きく開いた。やべ、ちょっと雑な口調になっちまったかな? オレはもとの笑みを繕う。
「だから、オレは至って真面目に信仰に取り組んでるってわけだ。どうだ、見直してくれたかい?」
「でも女好きに変わりはないわよね」
彼女は遠慮なく、言葉で突き刺してきた。さすがだぜハニー。そうこなくっちゃ。
だけど、あんまり急ぐのは良くない。こういうのはのんびり楽しくやっていくのが一番だ。オレはさも残念そうに首を横に振ってみせる。
「やれやれ、ゼシカは厳しいな」
「私はサーベルト兄さんみたいな、質実剛健な人がいいの」
その紳士な兄さんみたいな人が良い、という主張よりオレは論外だと言いたげな口調だな。言い返したいのはやまやまだが、ここは堪えよう。
「私、そろそろ部屋に戻る」
「エスコートは?」
「いらないわ」
ゼシカは腰を上げる。翻ったスカートが足に絡まった。と思った時、オレは反射的に立ち上がっていた。
バランスを崩したゼシカを腕に抱きとめる。熟れた果実のように、仄かな甘い香りが鼻をくすぐった。豊かな曲線に目が行く。触れた素肌は、長いこと夜気に触れていたせいかひんやりと冷たかった。
「大丈夫か?」
逆さの雫を描く耳へ囁きを送り込み、唇で掠めて瞳を覗き込む。きりりとした顔立ちだが、驚くと途端に幼い印象になる。
「……悪いけど」
凛とした気品が戻って来た。やんわりと、胸を押される。
「これくらいでなびく私じゃないのよ」
ゼシカは背を向ける。颯爽と去っていく後ろ姿が宿の扉へと消えるのをじっと見届けて、それからオレは自分の口を手で覆った。
あんなに気が強くて、美人で、挑発的な服装してるのに。
「……かっわいー」
彼女の耳は、炎が灯ったように赤かった。
耳へのキス…誘惑
20141103 初稿
20180211 加筆修正