アフタヌーンティーは、いつも妻が自ら用意してくれる。まず、執務室のテーブルに大皿を一枚。旬野菜と生ハムのサンドウィッチ、スコーンはチョコチップとレーズン。ここに戻って来たての頃は、これに加えてチキンにポテトにケーキ、なんてフルコースかよってくらいあったんだが、とても食い切れたもんじゃないので止してもらった。
 続いて白磁のソーサー、カップを俺の前に一セット。自分の前にも同じものを置く。ここまで、一切音は立てていない。
 更にティーポットをそっと、しかし手早く取り、俺のカップへ注ぎ口を傾ける。ゆるい弧を描く琥珀色。くゆる茶の香。漂う蒸気の向こうを、俺はじっと見つめる。伏せがちの長い睫毛を、整った顔を。
 人は、立ち振る舞いで案外中身が知れると言う。わちゃわちゃ動く奴は粗忽者、あんまり動かないのは腰の重い奴って具合に。
 その理屈を、今の妻の所作と照らし合わせてみよう。食器を取る手付き、置く時の手首の返し、丁寧でしなやかさがあり、たおやかであると俺は思う。だが、くねくねなよなよとした無駄なひねりはない。控えめで洗練されている。更に、俺が今日はチョコチップとアールグレイの気分だったことを、何故か見透かされている。俺は何も言っていないのに。
 そこから考えると、俺の妻は察しが良く謙虚であり、夫の三歩後ろをしずしずとついてくるタイプの淑女だ。
 だが、現実はそう一つの測りで断言できるほど単純ではない。

 

「お待たせしました」
「なあマリア」
「はい、何でしょう?」

 

 にっこり。そんな擬音に相応しい笑みが、俺に向けられる。愛想もいい。笑顔も可愛い。

 

「お前、俺よりアイツのことが好きだったんだろう?」

 

 マリアは全く同じままの笑顔で、唇だけを動かす。

 

「さあ、どうでしょうね?」
「またそうやって誤魔化しやがって」
「まあ、殿下。お言葉がよろしくないですわ」

 

 これだよ。俺はわざとらしく溜め息を吐いた。
 マリアは、世の男なら誰でも羨むだろう理想の妻だ(おっと、これは別に俺のひいき目でも何でもねえぜ)。ガミガミ口うるさいことも言わない、馬鹿げた嫉妬もしない、家事万能で礼儀作法にソツがなく、子供も可愛がるし、俺のこともよく立ててくれる。
 だけど、その分俺はコイツに頭が上がった試しがない。

 

「何度申し上げたらいいんですの? 昔のわたしがあの方をどう思っていたかなんて。どうでもいいことではありませんか」
「どうでもいいなら、言ったっていいだろ」

 

 しつこい人ね、と妻は笑う。綻び一つない完璧な笑顔すぎて、何考えてんのか、さっぱり分かんねえ。
 アイツってのは、勿論アイツだ。俺の、唯一無二の親友。不思議な男で、顔が綺麗すぎるわけでもねえのに、よくモテる。まあ男の俺から見ても十分魅せられるいい男だから、マリアが昔惚れてたって今惚れてたって仕方ねえし、どうこういうつもりもねえんだけど。
 けれど、コイツはこの話題を振ると必ず答えをはぐらかすから、気に食わなくて何度も尋ねてしまう。
 て言うか、結婚式以外で俺に自分から愛してると言ってくれたことがないコイツもいけないと思う。本当だぞ。俺達が結婚して、今年で五年。情けないことに、俺はどう仕掛けても言わせられたことがねえんだ。

 

「ねちっこい性質なんでね」

 

 冗談めかして返しながら、カップを手に取る。ほど良く温かいのは、紅茶のせいじゃない。その前から、湯で温度を調節しておいてくれた証だ。
 本当に、良くできた女だ。だからこそ、余計に。

 

「可愛いひと」

 

 そう呟いたのは、俺じゃない。

 

「そんなに心配しなくても、わたしの白馬の王子様は貴方だけなのに」

 

 紅茶を噴きそうになった。あらあら、とマリアがナプキンを俺の口元に寄せる。俺が噎せながらもナプキンを受け取り手を押し返すと、今度は背中をさすりだした。

 

「おっ、まっ……」
「そんなにびっくりしたかしら?」

 

 そして、いつもの笑顔。おいおい、何で俺だけこんなに取り乱してるんだ。おかしいだろ。

 

「言いたいことははっきり仰ってくださらないと。わたし、鈍いから分からないわ」
「……その言葉、そっくりそのまま返すよ」

 

 何となく面白くなくて、あさってを向く。追いかけて来た何かが、顎を伝って頬を覆う。隣から伸びた手であると、見る前に気付く。
 滑らかな指が、俺の顔を持ち主の方に導く。

 

「あなた、あんまり意地悪しちゃ嫌よ? わたしが内気な性格なの、知ってるくせに」

 

 本当に内気な奴は、こんな思わせぶりできねえよ。俺が反論する前に、白い閂が俺の唇を塞いだ。

 

「わたしとあなたの愛を、他の人で量らないで。わたしも、あなたのストレートな言葉が欲しいの」

 

 ひめやかな聖女の言葉は、睦言のように甘く。
 ……参ったな。
 俺は苦笑した。やっぱり、敵いそうにない。

 

「わたくしが悪うございました。どうかお許しくださいませ、奥様」

 

 細い手頚を取り、ご機嫌伺いに掌へ接吻を一つ。くすぐったそうな声が転がるのを、悪くないなと思いながら心地よく聞いた。

 

 

 








 

掌にキス…懇願


20141026 初稿

20180211 加筆修正