三槍阿保話【腐】④

※腐ってます。にほへし。

 

 

 

 

④戦闘一回目

 

 御手杵は今にもふらふらと揺れ出しそうな頭を止めておくべきか、それともその揺れに任せて倒れてしまうべきかを眠気で鉛のようになった頭で真剣に考えていた。槍ではあるが真剣である。目の前で蹲っている真剣な様子らしい男士も槍である。

「俺は、アイツって刀がよく分からなくなってきた……」

 眼前の槍は藤巴の黒着流しが乱れるのも構わず、がしがしと頭を掻いている。俺は今の状況が分からない。大体今深夜の何時だと思ってるんだ。そう言ってやろうと思ったが口にはその余裕がなく、気付けば「寝ていいか」と尋ねていた。すると癖の強い黒髪をばっと跳ねさせて頭を起こした槍は、その節くれだった両手で御手杵の両肩を掴み、必死に揺さぶった。

「待て、俺を一人にするな。俺は今、信じられないものを見たんだ」

「俺は、今まさに寝ようとしていた俺を、平然と叩き起こしたお前が信じられねえよ。寝させろよ」

「寝かさねえよ?」

「無駄にイイ正三位ボイス使ったって効かねえよ? 眠いもんは眠いんだよぉ」

「へし切長谷部が俺の手に頬擦りしてきたって言ってもか」

「夢見てんのかおっさん」

 御手杵の瞼が閉じようとする。途端、日本号は躊躇いなくその滑らかな頬に張り手をくれた。渇いたいい音がして、御手杵の頭は先程とは違った種類の強烈な揺れに襲われる。

 これはあれだ。安静にしていないとまずくなるタイプの揺れだ。

「ふっざけんなおっさん! お天子さま気取りもいい加減にしろよねみーんだよ俺はッ!」

「頼む! 頼むから話を聞いてくれ!」

 いつも弱腰な御手杵が眠気からキレた。対していつも強気な日本号は、手段こそ横暴だがこれまた珍しいことに両手を合わせて相手を拝んでいる。両者の人格が逆転したかのような、常ならば考えられない妙な光景である。

「何だ何だ、騒がしいな」

 そこへ、盆を抱えた蜻蛉切が障子を開けて入って来た。手にした大きな丸盆の上には、湯気を立てる三つのどんぶりと小鉢が乗っている。

「ほら、簡単ではあるがにゅうめんだ。薬味もあるぞ」

 小さく三名槍で円を作るように座ったその中央に、蜻蛉切が盆を置く。湯気を立てていたのは彼の言う通り、にゅうめんだった。薄めのつゆとそこに溶ける温泉卵、そして淡く煙るようなとろろ昆布の色合いが優しい、作り手の心が反映されたかのような夜食である。

「神さま付喪神さま蜻蛉切ぃ」

 眠気でおかしくなった御手杵は、隣に腰を下ろしている蜻蛉切に抱き付いて言いつける。

「こいつひでぇよぉ。俺が寝ようとしてるのにぶっ叩きやがったぁ腹減ったぁ」

「そうだな、大変だったな。良かったらそれを食え。腹は満たされるぞ」

 蜻蛉切が促すと、御手杵はすんなりと自分の前に置かれたどんぶりに手を伸ばした。律儀に頂きますと一声言ってから汁を啜り始める。その様子を確認してから、蜻蛉切もそれに倣った。

 しかし日本号は、垂れがちの瞳でじっと彼ら二本を見つめている。

「どうした?」

「いや、そうだな」

 日本号は逡巡して、幸せそうに麺を啜っている御手杵に訊ねた。

「御手杵。今お前は蜻蛉切に抱き付いたが、それはどういう心境からだった?」

「えー? お前がひでえからだよ」

「それは悪かったがそうじゃない。お前はそう、誰かれ構わず抱き付く奴じゃないだろう。何で今、蜻蛉切にはそうした?」

「おかしなこと聞くなあ。蜻蛉切なら受け入れてくれるからだろ。あと眠いし、寄りかかる場所が欲しかった」

 食欲を満たされつつある御手杵は、機嫌よく素直に答える。日本号は次いで蜻蛉切に問う。

「蜻蛉切は? 今御手杵にそうされて、嫌じゃなかったか?」

「別に。親しい間柄ですし、嫌ではありませんが」

「何だよ日本号。誘導尋問みたいな真似はよせよ」

 御手杵が目元を顰める。何が聞きたいんだと問いただすと、らしからぬ様子の豪放な槍はまた少し躊躇ってから白状した。

「さっき俺は、俺の手を取って頬擦りするへし切長谷部を見た」

「待て、展開が速い」

「何の説明にもなってないぞ」

 これは相当動揺している。話の順序が滅裂だし、更に日本号が酒を飲んでいないというのが一番の証だ。この槍は酒が自身の存在に深く関わっているから、他の刀剣と違って酒が文字通り精神安定剤ならぬ霊力安定剤になるのだ。だから出陣先での飲酒も許されているのである。

 しかしそうは言っても過ぎたるは何とやらで、深酒はよろしくない。だがその逆も然りで、即ちその本来の酒好きの性を忘れてしまう事態というのは追い詰められているのと同義なのだ。

 それを、他二本のツッコミを受けてこの槍自身も自覚したのだろう。おもむろに徳利を少しだけ傾けて唇を湿らせ、一息吐いてから語り始めた。

「さっきまで、俺が長谷部の部屋でアイツと酒盛りしていたのは知ってるだろ?」

「ああ」

「俺は宣言通り、アイツを潰してやろうと思ってたんだ。それでまあさりげなく、それなりに、速いペースで酒を飲ます流れに持って行こうとしたんだが」

「やだこのおっさん。酒は好きに飲めばいいとか言ってるくせに」

「しょうがねえだろ。アイツは顔色が変わらねえから知られてねえようだが、結構酒強いんだよ」

 日本号は苦々し気に零す。

「だが、俺が意図的にそうしようとするまでもなかったんだ」

 長谷部は勧められずとも、おのずからよく飲んだ。日本号にもよく勧めたが、自分でも手酌してまで飲んだ。隠れた酒豪である長谷部だが、勿論ザルである日本号よりは弱い。そのうち、酩酊が表面に漂い始めた。

「最初はもう、それはそれはご機嫌斜めな感じでよぉ。眉間の皺は谷かよってくらいに深ぇし、口はへの字にひん曲がってやがるし、俺が何か言わなきゃまともに喋らねえし、おうおうそんなに俺と酒を飲むのが嫌かと思ったんだが。だんだん眉間の皺が取れてきたなと思ったら話すようになってきて、これがまた、妙な塩梅で」

「ほう、どうに?」

「アイツって、主相手でもなきゃあツンって澄ました話し方するだろ? その調子がこう、氷が溶けるみたいに消えてきてだな」

 口調が柔らかくなる。眉間の皺が消える。眉に込められていた力が抜けて、必然的に表情からも厳しい気色が抜け落ちて。

「こう、長谷部の器に物吉貞宗が憑依してきたみてえな」

「何だよこれ、怪談なのか?」

「そういう類のオチがつくならやめてくれ。自分は物の怪は、ちょっと……」

「怪談じゃねえよ! 多分!」

 語気を強めながらも自信のない言葉を付け足してしまったのは、先程の長谷部の様子が本当に現実に見たものであったのか、日本号自身も怪しくなってきたからだ。

 だってあの時の長谷部ときたら、妙だった。への字に曲がっていた口はいつの間にか控えめな笑みを浮かべていて、日本号の話をにこにことしながら聞いているのだ。かと思えば自分からも話題を振って来て、日本号が笑えば長谷部も笑う。一度ふと自分たちしか知らない黒田家での思い出を零したら、長谷部も懐かしそうに双眸を細めて共に追憶を辿った。いつかの激しい拒絶からは考えられない楽しげな調子で言の葉を紡ぐのを心地よく聞いていたら、不意にそれが中途に途切れた。訝しんでそちらを窺えば、端正な横顔は隙間風に吹かれたかのように項垂れている。淡い藤色の瞳に影を落とす睫毛が、月光を受けて波打つ尾花の如く白く煌めいて。そのあまりに清らかな輝きに、刹那泣くのかと錯覚し慌てた。

 話したくないと言っていたのに悪かった、無理をするなと詫びると、煤色の頭がゆっくり横に振られる。違う、嫌だったわけではない。そう言ってこちらを向いた顔は、眉尻こそ下がっていたものの微笑んでいた。

 ――すまない。お前があまりに変わらないから、俺もつい気が弛んで……色々と、余計なものまで溢れて来そうになる。

 そう零して、下がった眦を指で拭った。

 手袋で守られていないその白い指先を、日本号は初めて眩いと思った。

「ありゃあれだわ。未確認生物だわ」

「あんたな。今結構いい雰囲気で話してたのに、何でいきなりそういうこと言うんだよ」

「しょうがねえだろ、調子狂ってるんだからよ。俺ぁあんなへし切知らねえぜ? アイツとの付き合いは長ぇが、あんなアイツは……あれがそうか、うーまって奴なのか。未確認生物なのか」

「馬ではないだろう。むーま、ではなかったか?」

「夢魔じゃねえだろ。春本やら西洋の坊主じゃねえんだから」

「ゆーま、UMAだろ? あんたら横文字弱いなあ」

「若ぶるな若作り」

「あんたがおっさん臭いだけだろー?」

「で、日本号。続きは?」

「ああそうだった、すまねえ」

 日本号は咳ばらいをした。

「アイツは酒を飲みながら、らしくねえ、力のないっつーより力の抜けた声でぽつぽつ話し続けた。俺と二人で飲む酒は美味いとか、宴の席では切り盛りや周囲の目の方が気になって飲んだ気になれないとか、宴や酔っている連中の様子を見るのは嫌いじゃないが性分のせいで酔えないのが申し訳ないだとか、ただ俺とのサシなら心置きなく酔えるだとか、俺相手だと気が抜けてしまう、気が置けないんだとか」

 挙句の果てには「もっともこんな辛気臭い飲み方をする相手とじゃあ、お前は楽しくないだろうがな」と皮肉気な笑みを浮かべて自虐の言葉まで漏らしたので、日本号は思わず真顔になった。

 別につまらなくねえよと否定すれば、長谷部は鼻を鳴らして「正三位殿の懐の広さにはまことに恐れ入るが、そこがたまに腹立たしくなる」と、穏やかな口調ながら吐き捨てた。

 憎たらしい。憎たらしいのだが、これまでの憎たらしさとは趣が異なるその感情が何なのか分からなくて、日本号は気を逸らそうと杯を干した。

 それを見た長谷部が新しく酒を注ぎ足そうとする。しかし、もう手先まで酒気が回ってしまっていたらしい。日本号が差し出した杯から、奔放に注がれた酒が溢れた。ぱたぱたと、着流しの右膝に雫が落ちる。長谷部がおぼつかない手つきで手拭いを取り濡れた着流しの膝を拭こうとするのを見て取った日本号が、その片手から徳利を奪い取る。膝を拭こうとした長谷部は、急に手の内から失せた徳利の重みに、思いの外戸惑ったらしかった。バランスを崩した彼はそのまま雪崩込み、日本号の分厚い胸に寄りかかって胴に腕を回す形になってしまった。

 そうなって焦ったのは、最初彼を潰すことを目論んでいたはずの日本号の方だった。大丈夫かと声を掛けて寄りかかった上体を起こそうとしたが、長谷部の身体はぐにゃりとしてうまく起き上がらなかった。掴んだ肩も腕も熱くて、溶けた鉄のようだと思った。

 長谷部はよほど酩酊していたのだろう。日本号にしな垂れかかったまま、離れようとしなかった。が、日本号がその身体を起こそうとするのを諦めた頃、もそもそと身動ぎをして右手を着流しの左側に添わせた。

 ――腹は、もう大丈夫なのか。

 一瞬何のことか分からなかったが、添う右手の擦った脇腹の箇所ですぐに悟る。一昨日の出陣で長谷部を庇おうとして受けた、腹の傷のことを言っているのだろう。

 ――本当に……胆が冷えた。お前を傷つけたくはなかったんだ。なのにお前は、俺なんかを庇って。

 罵る声の響きは、ぐずりに近い。右手が着流し越しに、脇腹の輪郭を筋肉の凹凸にそって丹念になぞる。温かな吐息が泣いているように震えて、襟から覗く剥き出しの胸を擽る。

 長谷部と呼びかけた声が震えてしまったのは、恐らく彼の吐息がくすぐったかったからだ。きっとそうだ。

 肩に腕を回しその顔を覗き込んで、そして――彼が眠っていることに気付いた。

「え? 嘘だろ?」

「そこで嘘吐いても何にもなんねーだろ」

 御手杵が問うが、日本号はぶすくれたような顔つきでそう言い返した。

「腹ン中暴くも潰すも何も、アイツは一人で好き勝手言って一人で潰れやがったのさ」

「おお……それは」

「しょうがないから、抱え上げて布団を敷いてやって寝かしつけた」

 何故か憐れむような目を向けてくる二本。日本号自身、この自分が翻弄されているようで気に食わなかった。だが先程のしおらしい様子を思い出し布団に横たえらえた彼のあどけない寝顔を見ていると腹が立ってこないことが、更に日本号の胸を騒がせた。

 幸い、長谷部はまっさらな内番着で飲んでいたから着替えさせる手間はない。律儀に布団を肩までかけてやって、日本号はその場を去ろうとした。

 布団から離れようとした手を引かれた。寝ているものと思っていた長谷部が、うっすらと藤の瞳孔を覗かせていた。

 もう寝ろと低く囁くが、長谷部は首を縦に振ろうとしない。寝ぼけ眼で日本号の手を見つめ、両手でそれを挟んでふにふにと押したり撫でたりを繰り返した。暗がりであるせいだろうか、それとも酒気を帯びたせいだろうか。平時より赤味を増した唇が、おもむろに綻ぶ。

 にほんごうの手は、おおきい、な。

 微笑んだ唇が、たどたどしく零した。厳しく号令や檄を飛ばし、仲間の言葉にさえ冷笑を浴びせるそれから出たものとは信じられないくらい、柔らかな温もりで出来た声だった。

 その声で、長谷部は呟いた。

 たくましいお前の手が好きだ、と。

「そしてアイツは、何を寝ぼけたのか俺の手を取って頬擦りした。俺は何も言わず、奴がすっかり寝入ったのを確認してから部屋を出て、ここに戻って来た」

 日本号は語り終えた。頬擦りする前の長谷部の台詞については、何となく口に出せなかった。明確な理由などないのだが、正体不明のあの発言は自分でその正体を突き止めるまで誰にも言ってはいけないような気がした。

 御手杵と蜻蛉切は、いつの間にか夜食を食べ終わっている。否、正確には御手杵がまだ日本号のどんぶりを綺麗にする作業に取り掛かっていたが、ひとまず今はいい。日本号は溜め息を吐きたいのを堪えて、呟いた。

「なあ、アイツ何なんだよ。何なんだ、俺はどう捉えたらいいんだ」

「その答えは、もうお前の中で出ているのではないか?」

 蜻蛉切の返事と眼差しは、その本体の如く真直ぐに日本号の瞳を貫いた。日本号が黙っていると御手杵は最後の汁を胃に流し込み空になったどんぶり三つを積み重ねて丸盆の上に乗せ、それを彼に差し出してにっと笑いかける。

「明日の朝をお楽しみに、だな」

「それは、つまり」

 日本号が盆を受け取った。途端、御手杵と蜻蛉切はそそくさと敷かれた布団に潜りこみ就寝の姿勢に入る。残された正三位はなおも何か言い募ろうとしたが、溜め息一つで諦めて部屋の灯りを落とし、丸盆片手に部屋を出た。

 

 その翌朝、「さっき目を覚まして水を飲みにいったら偶然長谷部と厨で出くわしていつもの調子で何のかんのと会話したが次のサシ飲みの約束をした」と起き抜けに報告してきた黒田の槍に、古参二本は「朝っぱらから長谷部の話か」と言おうか「肝心な会話の部分を略してんじゃねえよ」と言おうか迷い、結局「もう三十分寝かせてくれ」と寝不足の目を閉じることを選んだという。

 

 

 

 

 

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今日も墨俣と池田屋を回りました。ギネさん来ません。