HQでⅥパロ-2話⑥

 

 

 

 夢を見ている。

 視界の下側から中央に向けて、手が伸びていた。子供と呼ぶには逞しく、大人と呼ぶにはまた丸みを帯びた、発展途上の手である。

 前方へと伸ばした左手は、人差し指を伸ばして銃のような形を作っている。俺の視線は、自然と人差し指の銃口が狙うものへ吸い寄せられる。豊かに葉を茂らせた木、その枝にぶら下がる、赤くてつやつやとした円。林檎である。

 人差し指の先が、俄かに輝き始める。朧げな光が集い、ふよふよと縦に細長く伸び始めた。光は手を中心として、上下になだらかな弧を描く。指先がその弓なり状の弧を絞るように力を入れると、今度は縦に伸びたそれと垂直に交わるように、手前側へ光が集まってくる。光の棒はじわり、じわりとこちらへ向かってまっすぐ伸びてきたが、その棒が視界の下方を分断しようとしたところで異変が起きた。作りかけのそれ、未熟な光の矢が指先から飛び出してしまったのだ。

 わっ、と声が上がった。矢は狙っていた果実の上、重い実でしなった太い枝を貫通する。林檎は枝ごと落下した。赤い円を下にして落ちていく枝。霞む細い木肌を、第三者の手が掴んだ。

「あっぶねえな。人でも通りかかったらどうすんだ」

 イワちゃんだった。前見た時よりも背丈はずっと大きくなっていて、声も低く変わっている。身に纏うのはキタガワ第一の修練着だ。

 イワちゃんは枝から林檎をもぎ取り、ガブリとかぶりついた。

 大丈夫だよ、ちゃんと人が来ないか見てたもん。

 近くでそう訴える声が聞こえた。声はさらに喋り続ける。

 それよりイワちゃん見てた? 俺、弓無しで引けるようになってきたんだ。

「おう。見てた見てた」

 今のはちょっと失敗しちゃったけど、もっと凄い威力の矢がイイところに行くこともあるんだ。でももっともっと、精度も威力も上げたいな。イワちゃん、そこ退いてよ。また狙うから。

「そんなもんにしとけよ。魔法とか魔法矢もいいけどよ、体術の方も忘れるなよな。戦いの基本だぞ?」

 分かってるよ。声は不貞腐れたように答える。

「なら一回休んで、休憩代わりに打ち合い稽古付き合えよ。それから組手にも」

 模擬試合だねっ? うん、うんいいよ!

 声は一転して、嬉しそうに答えた。

 今日は負けないからね! 負けたら素振り百回してやるから!

「よし。その言葉、忘れんなよな」

 イワちゃんが唇の端を吊り上げる。

 視界の隅、手前から先程と同じ手が伸びる。その手にする剣に見覚えがある。俺も昔使ってたヤツだ。そう思ったところで、俺の視界は白く霞んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神代の昔。今より俗界と精霊界が近かったその頃、人間と魔族と精霊はさして険悪な仲ではなかったらしい。精霊と人間はそれぞれ見えざる力と見える力で助け合い、またそのどちらも持つ魔族は両者を助け、または仲介してうまく共生していたのだという。

 助けられる度、彼らはその好意に対する感謝の品物を贈り合った。人間は美味な果実や美しい枝木などを、精霊は精霊界に所縁ある魔法の品を差し出した。

 そういった贈与のやりとりの中で得たものの一つが、真実の鏡の製法だった。

「俺たち俗界の生物である人間には確認のしようがないから分からないけど、精霊界には全ての真実を映し出す真視の鏡というものがあるんだって。真実の鏡は、その真視の鏡の子機であり――ああ、分かりづらいか――分裂体であり、真視の鏡の効能を俗界にも伝えてくれる魔道具なんだ」

 建国神話にも出てくる有名な神具だけど意外とそこまで知ってる人は少ないらしいよね、とモニワは語った。

 神具がむやみに製造されることがないようその製法は秘匿されているが、たとえ一般に公開されていたとしても、量産されることはないだろうと彼は言った。なぜならば、その原材料の入手および加工方法が極めて難しいからだ。

「真実の鏡には、二つ材料がいる。一つは真珠金と呼ばれる貴金属で、もう一つは星の粉っていう魔法の品だ。両方とも滅多に見かけないものだけど、幸い採れそうな場所に心当たりがある。星の砂はウチの領土外にあるからそっちだけで手に入れてもらわなくちゃならないけど、真珠金の方は領土内だから俺たちで案内できる。カマチたちが回復したら、一緒に行こうか」

 その誘いに頷いたのが一昨日のことである。

 そして今、オイカワは首が痛くなるほど頭を上向けていた。仰いで仰いでも、荒れた岩肌の壁しか視野に映らない。頂上が霞み碧空に溶け込んでいるそれは、絶壁と称するにふさわしかった。

「高っ……」

 げっそりした調子で漏らす。昨日ダテコーの街並みを見上げた時に発したのとまったく同じセリフだが、気分には天と地ほども差がある。

「え……これ、マジで登るの?」

「うん」

 モニワは苦笑いで頷いた。

「真珠金はこの運命の壁の、てっぺんにあるって言われてるんだ」

 オイカワたちアオバ城砦衛兵部隊四人にモニワ、カマサキ、ササヤのダテコー三年生を加えた七人は、ダテ工業都市の北に位置する峻峰、通称「運命の壁」を前にしていた。幅は三十キロメートルにもわたり、かつ見上げた者が皆絶句してしまうような高さを誇るこの山は、地面とちょうど九十度に交わるかのごとく切り立っている。その景観はまるで巨人の家を造るための巨大な煉瓦が立っているようで、所々に空く洞窟以外の場所で生物を見ることは適わないらしい。

「運命の壁、ねえ」

 ハナマキが左手を腰に、右手を目の上にかざしながら笑う。

「イイ名前だね。行く末が見えないところなんてぴったりだ」

「マッキー、ネガティブ禁止」

「禁止されたところ悪いけど、これわりと真面目にやばいよ。盗賊の俺でも先が見えない」

「あれ、本当に?」

「うん。どういうわけか、渡り鳥の目を使っても終着点が見えない」

 彼は首肯し、皮肉げな笑みを引っ込めて険しい壁面を睨んだ。高所低所、あちらこちらに口を空けている洞窟を、目で繋ごうとするように辿る。

「渡り鳥の目って、空から鳥が地上を見下ろすような感じで、上空に視点を飛ばすことで下の様子を見る技じゃん? だから広い平野で遠くにある街を探すのとかは得意なんだけど、入り組んだ建物の中を見るのは苦手。要は視点の移動が難しい技なんだよね」

 ハナマキは眼前の絶壁を指し示す。

「この壁、とてもじゃないけど登り続けられないだろ。だからところどころ空いてるあの洞窟を上手く利用していけないかなって思って今見てみたけど、ヤベェよ。洞窟と外を見比べるのにいちいち視点切り替えて移動させなくちゃだから探知が難しいし、ちょいちょい洞窟の奥にワープスポットがあるけどそれがどこに繋がるかもわからない。これ、相当手こずるな」

「でっ、でも、地図はあるんだよね?」

 オイカワが救いを求めてモニワを振り返る。ダテコー衛兵部隊元隊長は申し訳なさそうに太い眉を下げ、手にした羊皮紙を見せる。

「あるにはあるけど、途中までしかないんだ」

「えっ、何で!? 運命の壁ってダテコーの資源採掘の中心なんでしょ!?」

「うん。でも発掘は三分の一くらいまでの高さで十分できるからてっぺんまで登る必要なくて、みんなこの先に登らなかったんだよ。むしろ、てっぺんは登るの禁止されてたからね」

 モニワの答えに、オイカワの口の端が引き攣る。

「なんだ、三分の一も分かってるなら上出来じゃねえか」

 一方、そう声を上げたのはイワイズミである。彼は壁を仁王立ちで見上げて、繰り返し力強く頷いた。

「登ればいつか着くだろ。なあ?」

「その通りだ」

 答えたのは、彼の隣に並ぶカマサキだ。彼は逞しい胸筋の前で腕組みをして、そびえ立つ難所を仰視している。

「四の五の言ってるより、登った方が早ェ」

「うし。そうとなりゃ行くぞ」

「おうよ。俺たちの筋肉、見せてやろうぜ!」

「根性もな!」

 二人は目と目を合わせて互いの意志の固さを確認し合うと、壁に向き合いズンズンと登り始めた。その背中を追ったモニワが、慌てて叫ぶ。

「ちょっと、そっちじゃないよ!」

「なあ、なんかアイツらやけに通じ合ってない?」

 正しい道は右手の洞窟からだと訴えるモニワの声を聞き、先にそちらへ足を向けながらマツカワが共に歩く男に訊ねる。彼の言う通り、イワイズミとカマサキはモニワとササヤに壁から引きずり降ろされても、律儀に二人並んで正しい方向へと進もうとしていた。

「ああ、それはね。俺の催涙弾がきっかけなんだって」

 ハナマキはなんてことなさそうに答える。

「もともとあの街に入る前の戦いで最初に手合せした時から、お互いの戦闘スタイルに惹かれあってはいたらしいんだけど。俺が催涙弾投げたのに、アイツら戦いに夢中になっちゃって逃げるのが遅れて犠牲になっただろ? あの後一緒に医務室のベッドでウンウン唸りながら互いを確かめ合い認め合い、漢と漢のアツくカタい絆を結んだそうだ」

「ハナマキくん、言い方がヒワイ」

「アイツらが本当にそう言ってたんだって」

「あの純な二人にそんなコト言わせちゃったの?」

「俺も罪な男だぜ」

「マッキーとまっつんは何言ってるの?」

 珍妙な会話を聞きかねて、オイカワが口を挟む。マツカワとハナマキはそろって彼を振り返った。無表情のまま、先にマツカワが答える。

「イワイズミの超絶信頼関係を結ぶ相手が、お前じゃなくなるんじゃないかって話」

「なんか答え方違くない?」

「イワイズミの相棒の座を奪われて、さぞかし悔しいだろうオイカワくん」

「いや別に、奪われたとも思ってないからね?」

「超絶信頼関係なんてあってもなくても、イワイズミのお前だけに対する当たりの強さは変わらないぞ」

「安心して泣け」

「何なの! まっつんとマッキーは俺をどうしたいの!?」

 オイカワは思わず声を大きくして詰め寄る。だが交互に語り掛けるだけ語り掛けておきながら、マツカワとハナマキはしれっとして進行方向へ顔を戻した。

 何だろう、この二人の息の合いっぷりは。面白いのは面白いのだが、やたらオイカワの胸を一方的に刺して来るのが解せない。

「うるせえぞボケカワ!」

 さらにそこへ、先を行くイワイズミからトドメが飛んできた。オイカワは反射的にむくれる。

 イワイズミに他市であれ仲の良い友達ができるのはいいことだ。マツカワとハナマキの仲が良いのもいいことだ。だが。

「今のは俺のせいじゃないもん!」

 オイカワは叫びながら洞窟の中へ飛び込み、奥で梯子階段を上ろうとしているイワイズミに突っかかりに行こうとした。しかし岩壁の中へ飛び込んだ途端、喚こうとした口が固まる。喉から、壊れた笛のような音が弱々しく漏れた。

 墓だ。入口から差し込む日光の届き切らない広大な岩の洞に、所狭しと矮小で粗末な土の塚が並んでいる。

「こ、これって」

「そう」

 生唾を飲むオイカワに、モニワが頷く。

「遥か昔からこの山の頂上にあると伝わる黄金の楽園を求めた人々の、成れの果てだよ」

 亡者の沈黙が、一瞬で一行の陽気さを飲み込んだ。

 冥府の闇が口を開けたかのような岩の洞を、一行は無言で横切る。モニワの先導のもと、そのまま奥に吊るされた梯子を上りきった。一階上は陽射しの差し込む隙間のない完全な闇で、モニワの翳す角灯でどうにか周囲の岩肌を窺えるような有様だった。

「怖気づいたか」

 イワイズミがぼそりと隣に佇む幼馴染に問う。オイカワは挑むように隣を睨んだ。

「そりゃそうデショ。だってあんなおびただしい数の墓標、初めて見たし」

 でも、行く。そう呟いたオイカワに、イワイズミは唇の片端を吊り上げる。

「イワちゃんこそビビってるんじゃないの?」

「ああ。おかげで、余計進みたくなったわ」

 答える戦士の声にも表情にも、虚勢はない。今度はオイカワが片方の口角を持ち上げた。

彼らは無言で、互いの拳を突き合わせた。

「しばらくぶりに来たけど、どうかなあ」

「『鉱物の源』が枯れてなければ、あるだろ」

 モニワが狭い洞窟内を観察しながら独り言ちる。その傍に追随したササヤが、槌を肩にもたせかけながら同様に景色を観察している。彼の台詞を聞いたイワイズミが、怪訝そうな顔をする。

「鉱物の源?」

「大地の力が湧き出る場所だ。精霊界にいる大地の精霊の影響が色濃く出る珍しい場所でな、そういう鉱物の源からはその名の通り、鉱物がじゃんじゃん湧いて来る」

 カマサキが答えた。好奇心を刺激されたオイカワが、先程の憤慨も忘れて問いかける。

「すごいよねぇ。鉱物の源って、どんな山にもあるものなの?」

「いや、そんなことはねえな。大概は地中の奥深くにあって、湧き出た鉱物を近くにも遠くにも万遍なく流しちまうから普通は見つけられねえ。だがこの運命の壁は、本当なら地中深くにあったはずの鉱物の源が、偶然上に押し上げられる形で隆起してできた山なのらしくてな。だからここだけは他に比べて、鉱物が形成されやすいんだよ」

「へえ、そういう事情があるんだ」

 オイカワは相槌を打ちながら、こんなイイコトを聞いてしまっていいのだろうかと内心疑問を抱く。勝手に鉱物が湧き出てくる夢のような場所があると知ってしまったら、たとえ領土外だって資源を採りに忍び込みたくなるだろうし、場所ごと手に入れたいと思う輩だって決して少なくはないだろうに。

「でもね、ここは世界広しといえどダテコーにしか発掘できない場所だと思うよ」

 オイカワはぎくりとした。モニワは彼の考えていることを察したのか否か、にやりと笑っている。

「いつも見張りに目を光らせてるからね。それにその目を掻い潜ることができたとしても、生きて資源を手に入れられるかどうかは別問題だ」

 ちょっと見てて、とモニワは告げて壁に近寄った。下方に岩とは異なる色付いたきらめきがちらついている。金属的な黒に輝いているから、きっと鉄だろう。

 モニワは背に括り付けていたツルハシを手に持ちかえる。木製の柄を両手でしっかと握り、尖った先端をその金属の原石へと振り下ろした。

「ほげっ!?」

 オイカワは素っ頓狂な声を漏らした。ツルハシが鉄鉱石の上を抉った途端、そこから砂が水のように勢いよく流れ出てきたのである。

 砂はゲル状のように一つにまとまってモニワの足を這い上がろうとしたが、ずるずると滑り落ちてしまう。その明確な意思を持った動きと砂とは思えない形状を認めたイワイズミが、剣を構えて上擦った声を上げる。

「す、スライム?」

「おう。岩スライムだ」

 カマサキが応じた。なおもモニワの足を這い上がろうとするスライムを足先でつつく。途端、岩スライムはモニワを上ろうとするのをやめた。代わりに刺激してきたカマサキがいる方向を探し、そこらをズルズルと這いまわり始める。

「保護色で見えづらいな」

「そう。この岩スライムは運命の壁のそこらじゅうに擬態して張り付いてるんだけど、これが普通の壁と見分けるのが結構難しい」

 砂色をしたゲルがうぞうぞと這うのを眺めるマツカワの言葉に、ササヤが反応した。

「しかもコイツらは、鉱物の源から鉱物と一緒に湧いて出る。だから鉱物にくっついてることが大半で、そのせいで『宝石の番人』なんて呼ばれることもあるんだ。初心者が鉱物を採ろうとしてうっかりこれに攻撃なんてしちまうと――」

「うぎゃあッ」

 ちょうどよいタイミングで、岩スライムがオイカワの足を掠めた。己で掠めたにも関わらず、岩スライムは攻撃された戸でも思ったのか彼に突撃する。オイカワが奇声を発しながら長剣を叩きつける。しかし鋭い刃はゲルに埋まることなく、硬質な音を立てて跳ね返された。

「か、硬いっ!?」

 オイカワは瞠目した。岩スライムは一度後退り、ぶるぶると震えている。それとなく身体が赤くなっている気がするが、傷ついた様子はない。

「大概あまりの硬さに驚くことになる。柔らかそうな見た目をしてるんだが、鉱物の源から生まれたモンだから金属には滅法強い」

「ちなみに今ちょっと赤くなって震えてるけど、これ威嚇な。標的をロックオンした時によくやる」

「そういうことは早く言ってよ!」

 説明するササヤとカマサキは、急に移動スピードを上げた岩スライムに追い掛け回されるオイカワを面白そうに観察している。鉄鉱石を彫り出しきったモニワが立ち上がり、珍しそうに岩スライムを凝視する残りのアオバ城砦一行に語る。

「ほら、こんな感じでね。何も知らない人間がやるとエライことになるから、コツを知ってる人じゃないと五体満足で発掘できないんだよ」

「ちょ、ちょっと助けてよ!?」

「最近はあんまり聞かないけど、昔はよくあったよな。無鉄砲な山賊がここに忍び込んで鉱物に手ェ出して、岩スライムに絞殺される事件」

「ねえ聞いてる!?」

「あー、あったあった。岩スライムは窒息させてくるのが基本だから、余計素人にはキツくて」

「その素人が今目の前にいますけど!?」

 モニワ、カマサキ、ササヤは過去を振り返っていて、オイカワには目もくれない。オイカワは未だにこちらを眺めている同郷の仲間たちを縋るように見る。

「ねえイワちゃん!」

「魔物相手に必死に逃げ回るオイカワなんて、久しぶりに見たな」

 ところが幼馴染は感心したように腕を組んでいて、こちらを助けに来る気配が全くない。さらには彼の後ろに控えるマツカワとハナマキも、やる気なく手を振って声かけをするだけである。

「オイカワ頑張れー」

「お前ならいけるぞー」

「そろそろ泣いていい?」

 まだ運命の壁攻略は始まったばかりだというのに、これはいかがなものだろうか。一時的な共同戦線のためとは言え仲間の数は二倍近くになっているはずなのに、オイカワの孤独はより一層深まったように感じられる。

「くそっ、いいよもう! オイカワさんできる子だから、一人でどうにかしてやるもんねっ」

 舌打ちをして、オイカワは片手を上向けて広げた。掌上に火の玉が宿る。青く揺らめくそれを、振り返りスライム目がけて投げつけた。

「おおっ」

 砂色のゲルが青炎に飲まれ、ジュッと音を立てて消えた。モニワたちダテコー衛兵部隊から、感嘆の声が上がる。

「すげー!」

「分裂のヒマも与えないで一撃かぁ」

「これなら資源集めも捗りそうだ。いやあ助かる!」

「三人とも、もしかして今わざと倒し方教えなかったデショ?」

「いや、教えようと思ったんだけど先に倒しちゃったから」

 ごめんごめん、と謝るモニワはあくまで笑顔である。もしかしたら後輩の装備を焦がされたことを根に持っているのかもしれない、とオイカワは何となく思った。

 オイカワは少し大袈裟に眉間に皺を寄せ、人差し指を彼らに突きつける。

「忘れないでよ? 街の魔道具を動かすのに必要なエネルギー源になる資源を集めるのと、真実の鏡を作るための材料集め。イーブンなんだからね?」

「分かってるって。魔法使いの杯まで交わしてんだ。破るわけねえだろ」

 彼の念押しに、カマサキが豪快に笑って応じる。モニワが先に進もうと促し、彼の案内のもとふたたび歩を進め始めた。

 ダテコーの面々は繁くこの場所に通っているだけあって、足取りは淀みなかった。日の光の差し込まない曲がりくねった道をすいすいと進み、洞窟を抜けきればそこから険しい斜面を登りまた別の洞窟に潜っていく。そうしながら、時折壁面に顔を覗かせる鉱物を発見するのも忘れない。採掘する手際も見事なもので、オイカワたちが出現する魔物を引き受ける間にさっさと腰に提げたダテコー特製資源収集用革袋に取得物をしまいこみ、魔物との戦いにも参加する姿には、こなれた雰囲気と貫禄とが漂っていた。

「採掘すごい上手いけど、衛兵部隊もここによく潜ってたの?」

 地図に描かれた道のりの終盤に差しかかろうかという頃に、オイカワは訊ねてみた。ちょうど鉱石を採りきってあとは魔物を片付けるだけのところであり、採掘を担当していたモニワは顔を上げて頷いた。

「うん。俺たちは特に、もともと戦闘じゃなくて物作りがメインの職業だから」

 手にした鋼を袋に詰め、彼は眼前で戦う同級生へ視線を転じる。

 モニワが魔道具の専門家こと魔工技師であるのと同じように、他二人も物を作ることに長けた職についていた。カマサキは錬金術師、ササヤは鍛冶職人である。だがカマサキの錬金術を駆使した戦法は攻防どちらにも優れており、またササヤは人の上半身ほどもある槌を器用に操り、職人とは思えない攻撃の腕を発揮している。

 身内でもないオイカワが傍目に見ても、二人とも物作りが本業とは思えない立派な戦士だ。それでも彼らを見つめるモニワの笑みは、ランタンによる陰影だけでない翳りを帯びていた。

「俺たちの世代は、全体的にウチの防衛軍が求めるような体格のデカい騎士スキル使いがいなくて。その中でも俺たちはまだマシな方だったから衛兵部隊に入れたワケなんだけど、それでも決して伝統を受け継げるような素材じゃなかった」

 ダテコー衛兵部隊において、騎士職はこなしていることが前提であり、それを本職とすることは滅多にない。だから皆、防壁スキルを持つ他職として前線で力を発揮することを求められた。

 その中でモニワたちは、戦士として武器の扱いを極めるにも武道家として体術の腕を磨くにも、呪文職について魔法に専念するにも中途半端だった。それならばそこそこの攻撃力がありダテの基本である魔法工学にも通じていて、かつ本人達の関心も高い職人職がいいだろうということで、それぞれ今の職に就いたのである。

「顧問は、俺たちを見限るようなことはしないでいてくれたよ。俺たちには俺たちの戦い方があるって言ってくれた。でも先輩たちや衛兵部隊以外の人たちからは、戦力としては全然期待してもらえなくてさ。一個上の先輩たちが引退するまで、マネージャーみたいなことばっかりやってたよ」

 運命の壁での採掘もその一環で始めたことで、最初は嫌で嫌でしょうがなかった。鉱石の採掘が疎ましかったわけでも、物を作ることや自分たちの職業を嫌っていたわけでもない。だが周囲から中途半端で鉄壁となるには足りない世代として憐憫の眼差しを向けられるのが、どうしようもなく惨めで耐え難かった。

 無論、先輩たちが自分たちを役立たずだとか足手まといだなどと罵ったことはない。前線で守ってもらったことも幾度もあった。しかし味方として期待されずただ庇われるだけの存在として扱われるのは、理不尽に敵の前へと放り出されその身をもって盾となれと言われるより、よほど苦痛だった。

 回顧するモニワの表情が、ふとおもむきを変える。

「でも、だからって戦わないわけにはいかないだろ? 魔物は毎日攻めてくるんだから。だから俺たちは俺たちなりに、カッコよくなくても鉄壁っぽくなくても街を守ってやろうって決めて、資源集めも先輩の戦いのサポートも頑張ったんだ。そうしてるうちに、アイツらが入部してきて」

 一つ下の後輩たちはモニワたちと違い、体格的にも騎士としての技術にも優れていた。しかしかなりアクの強い個性派揃いで、世話役のモニワたちはひどく手を焼かされた。

「コノヤローって思うこともあったし――っていうか未だにそう思うこともあるけど、アイツら散々生意気言いながらも俺たちのこと慕ってくれて、仲間として頼りにしてくれて」

 モニワは目を糸のように細める。語り出した当初帯びていた翳りはすっかりなりを潜め、いつの間にかその微笑みに後輩への温かい情が満ちていた。

「それからは、資源集めも嫌じゃなくなったなあ。だから採掘も上手くなったのかも」

「なんだなんだ、いきなりデレか?」

 道の割れ目から飛び出し戦いに乱入してきた食人花を仕留めたササヤが、双眸を弓なりに眇めニヤニヤとしてモニワの肩を抱く。純朴な顔立ちが赤く染まり、慌てて左右に振られた。

「ち、違ぇよ! 別に採掘の話してただけだからっ。それより先っ、先行くぞ!」

 モニワはササヤの背中を押して勢いよく前進する。その後ろから、ササヤと似た笑みを浮かべたカマサキが続いていった。

「そう言えば、ユダたちもよく採掘行ってたな」

「え、ユダっちが?」

 ダテコー衛兵部隊トリオの後を追うハナマキが口にした台詞に、オイカワは目を丸くする。その驚きに答えたのは、四人の中で唯一魔王戦前の記憶があるマツカワだった。

「ああ。お前らの記憶がまだあった頃から、金がなくて防具が作れないって時にシドとサワウチと三人でよく原材料を集めに行ってたよ。贔屓の鍛冶屋に割安で装備作ってもらって、前線に立つ俺たちに『使え』って回してくれた」

「糸紡ぎしてるところも触媒の採取してるところも見たけど、あれも前から?」

「そう。ウチも予算がなくて、切りつめられるところは切りつめなくちゃだったからなあ」

 アオバ城砦での日々を振り返る同級生の会話に、オイカワは驚愕を隠せない。なにせオイカワのいた世界のアオバ城砦では、戦い自体がなかったからいくら予算が減っていても装備品に苦労することがなかったのだ。

 同じ記憶を持っているイワイズミへ視線を投げると、彼もオイカワと同様の信じられないといった表情を浮かべていた。

「なんだ。国内四強のアオバ城砦でも、そんな状態なんだな」

 カマサキが振り返って会話に加わる。マツカワが肩を竦めた。

「そりゃそうだ。衛兵部隊なんて、今時みんなそんなもんだろ。そうじゃないのはきっと、王都の連中くらいだろうよ」

「ここんとこ毎年武道大会優勝だもんなー。賞金も予算も総取りなんて、いくら人口がいて国内の有力な連中もたくさん養わなくちゃなんねーからってずりぃわ」

 カマサキとマツカワは、オイカワの知らない衛兵部隊事情を次から次へと話題にのぼらせる。第五次人魔大戦後連合国家が疲弊しているせいもあり、傘下の諸国への支援金が減少の一途を辿っていること。衛兵部隊は特に取り分が少ないこと。それでも戦況は激化する一方にあったため、より強い者が多額の賞金を手にすることができる武道大会が設けられたこと。そしてここ数年のミャギ国においては、絶対的な天才エースを擁している王都シラトリザワが優勝を勝ち取り続けていること。そのためにミャギの諸市衛兵部隊は、慢性的な金銭不足に喘いでいること。

 シラトリザワ。

 王都「シラトリザワ」の、絶対的な「天才」エース。

 マツカワだったかカマサキだったか。どちらかが発した「シラトリザワ」と「天才」の二語が、オイカワの鼓膜に反響し脳内を駆け巡る。

 ――この世界にも、アイツがいる?

「しっかりしろ」

 肩を叩かれて、オイカワは我に返った。イワイズミが険しい顔つきでこちらを見つめている。幼馴染は肩を掴んだまま、声を落として耳元で囁いた。

「今はあの野郎とツラ合わせてるワケじゃねえだろ。自分のことどうにかしねーと、あの野郎の横っ面はっ倒すこともできねえぞ」

「……分かってるよ」

 声を絞り出してみて、オイカワは自分の呼吸がかなり浅くなっていたことに気づいた。

 そうだ。イワイズミの言う通りだ。地平線にたちのぼる蜃気楼を眺めていて砂漠に迷ってしまっては、どうしようもない。オイカワが今一番にすべきことは己の正体とこの世界の実体を、そしてこの世界のどこかにいるというもう一人の自分を知ることである。

 ――だけどこの俺がもしこの世界の俺の見ている夢で、この世界の俺が本当の現実の俺なのだとしたら。この世界の俺も、もしかして。そしてその夢である俺は。

「地図の終わりに着いたよ」

 モニワの声が、オイカワを現実に引き戻した。彼らは崩壊しかけた石階段の前に立っていた。

「ここから先は、俺たちダテコーの人間でも立ち入ったことがない。この先に進んでいって帰って来なくなった人間も、俺たちはたくさん知ってる」

 オイカワは眼前に佇む、同じ衛兵部隊隊長だった男の背中を見つめる。オイカワより小さく、幅のない背中だ。

 何故彼はここにいるのだろう。ふとオイカワの脳裏に、そんな脈絡のない疑問が浮かぶ。それから同時に、何故自分もまたここにいるのだろうと考えた。

 しかしそういった問いかけは、振り向いた彼の顔を一瞥するなりすぐに霧散する。

「それでも、本当に行く?」

 モニワは真摯な眼差しをオイカワに注いだ。その強張りを残しながらも引き結ばれた口元、精一杯力を込めた眉を見て、オイカワは彼の己を語る時の自虐的な笑みと、後輩について語る時の嬉しそうな笑みを思い返す。そして彼らに何かあったら容赦しないと告げたその後輩の赤い瞳を思い出す。

 さらに郷里を発つ己を見送った切羽詰まった眼差したちが、それに「帰ってくる」と告げたイワイズミの言葉が、あの時隣に並び肩を並べている仲間たちの存在が、その仲間たちと切り抜けてきた戦場の昂揚が、オイカワの胸に蘇ってくる。

 どうしてここにいるのかなんて、馬鹿な疑問だったな。彼は胸中でつい先程の己を嘲笑う。

「もちろん」

 オイカワはにやりと笑った。

 

 

 

 

(続)

 

あと1.5塊……。