夢を見ている。
眼前には、六人の男の背がそびえ立っている。
また、俺は子供になっていた。それも以前よりさらに幼いようで、あの時の森と同じ森にいるはずなのに、俺の目線にちょうど合うのはもじゃもじゃとした茂みのてっぺんくらいだ。たくさん生えている色の悪い木なんて、めいっぱい見上げても伸びた枝先さえ見えないほどで。
空が見えない。並び立つ木々の先が窺えない。暗い。今はいつで、どこにいるのだろう。
俺は迷子だった。どこかに行こうとしているのか、それとも家に帰ろうとしているのか、それすら分からない。ちょろちょろと彷徨っていたら、オークの群れに襲われた。そして殺されそうになったところを、彼らに助けられた。
どうして助けてくれたのかと尋ねたら、どこの誰だろうと困っている者は助けるのがヒトというものだと返された。幼心に、このご時世に奇特な人間だと思った。
だがそれでも、彼らは格好よかった。あんなに大きな魔物をあっさり倒してしまえる、見事な剣技に巧みな魔法。それらを駆使して戦う彼らの背中は、理屈抜きに格好良かった。
――ああ、勇者だ。
俺は彼らを知っていた。ヤマト全土の戦士たちが憧れる存在であり、この崩壊寸前の連合国家がまだギリギリ保っていられている理由の一つ。
全戦士の頂点に立つ、圧倒的な実力者。それが勇者だと聞いていた。
――俺も、なりたい。
その雄姿を目の当たりにした俺がそう思ってしまうのは、必然だった。
●
「ねえまっつん。現実の世界での出来事を夢で見るって、ありえるのかな?」
オイカワが急にそう切り出すと、仲間たちは一斉に彼へと目を移した。
彼らは今、焚火を囲んで朝食をとっているところだった。昨日は吹きっさらしの家も道もない平野を歩いてきたのだが、日が沈む頃にちょうどいい木立と泉を発見したので、そこで野宿したのである。
街のない平野や森の、特に夜は魔物が多く出る。だから野宿する際は、結界と焚火が欠かせない。しかし幸い彼らの中には結界を張るのが得意な聖職者のマツカワがいる上に、木立で薪を集めることも交替で見張りをすることもできたので、昨夜は野宿のわりによく休めていた。
「夢で、何か見たのか?」
パンを咀嚼して嚥下しきってから、マツカワは聞き返した。オイカワは小首を傾げる。
「最近、よく見るんだよね。妙に生々しいんだけど、夢の中の俺はそれが夢であることを知ってるような、そんな夢。でも、目が覚めるとあんまり中身は思い出せないんだ」
けど、とオイカワは眼前の光景を眺める。
彼の正面には、焚火が燃え盛っている。その左手側にはイワイズミ、右手側にはハナマキ、そして対面にはマツカワ。
「けど、今何となく思い出した。この世界に落ちてくる日の朝――こうやって、四人で焚火を囲んでる夢を見た」
人の配置は違うけれど、それとなく思い出した。あの夢を見た時はイワイズミのことしか分からなかったが、今になってみると、あと二つあった知らないシルエットはこの二人だったような気がするのだ。
「森は大分暗かったから、夜だったんだと思う。最初はまっつんとマッキーしかいなくて、それからイワちゃんが帰って来て、三人ともなんか話し出して」
その時の声の調子、細かい言葉などの記憶は曖昧だけど。
「話してた内容は、多分魔王のことだった」
オイカワは、マツカワの双眸を見据える。彼の表情はいつもとさして変わらない。
しかしこのマツカワという男は、意外と表情豊かなのだ。そうは言っても、他人に比べて大きく表情を動かすことはしない。眉も目も唇も変化の少ない方である。
だが、数日共に行動していれば分かってくる。彼はオイカワのように感情や思考を大袈裟に表すことはしなくても、その感情や考えは確かに仕草に滲み出ている。
「お前はその夢で、どこにいた?」
たとえば、今の台詞。問いかけから答えるまでに、普段の会話よりやや間があった。
たとえば、今の顔。眉は動かさず、その黒い瞳孔はオイカワから外さない。唇がもとから厚いので分かりづらいけど、少し口元に力が入ってる。しかし口調は変わらず、淡々としている。力んだりどもったりはしそうにない。
それらを総合して推察するに、今の彼はきっと、何かよくよく思案している。オイカワがこの世界に落ちてきて、既に十日が経つ。その間に、彼はマツカワがこのように間をおいてじっくり考えてから答える時が、どういう時かを悟っていた。
――この世界の俺のことは、そんなによく考えて慎重に話さないといけないような問題なのかな。
「目の前に焚火とイワちゃんの顔が見えたから、まっつんとマッキーの間に座ってたんだと思うよ」
オイカワは何食わぬ顔で答える。決して「何考えてるの?」などと急かして聞くことはしない。そう聞いた途端、マツカワのことだ、「別に何でも」とはぐらかしてしまうだろう。
アオバ城砦を発ってから、既に六日が経つ。幾度も戦いを共にしてきて、信頼も芽生えている。
しかしマツカワを知れば知るほど、彼がまだオイカワに「知らせたくない何か」を隠し持っているように思えてならなかった。そしてその何かはきっと、自分が知らなくて彼が知っていること。つまり、この世界のオイカワのこと――それも、かつての仲間であった衛兵部隊の誰もが本人に話すのを躊躇するようなことに違いない。
けれどマツカワは、オイカワに現実での記憶を思い出してほしいわけではなかったのか?
「それから、ちょいちょい見るんだよね。ちっちゃい俺が暗い森――多分この世界のアオバの森なんじゃないかと思うんだけど――の中をうろうろする夢」
マツカワのことは信頼している。それでも、その魂胆が見えないことに変わりはない。それ以上にこの世界の自分が、分からない。
だからオイカワは、それとなく探りを入れる。それに答えようとするマツカワの表情の些細な変化を、姿勢を、言葉を頼りに、少しずつ彼の魂胆とこの世界の己を知ろうとする。
「確かに、それはこの世界のお前の記憶なのかもしれないな」
マツカワは頷いた。もう考えているような様子は窺えない。もう彼の中で、慎重にならなくてはならない場面は終わったようだ。今回のヒントは、これで終了。
「お前とこの世界のお前の間の繋がりが、この世界の記憶を見させてるのかも」
「夢が現実の夢を見るって、変な話だな」
ハナマキが火でマシュマロを炙りながら言う。謎と言えば、彼のこれも謎だ。ハナマキは朝と晩、必ずどこからともなくマシュマロを出して焼いて食べる習慣がある。マシュマロが大好きなのかと思ったが、本人に聞くところによると「そうじゃなくて代用品」なのらしい。甘くてとろっとした生菓子が本命なのだけれど、旅先では食べられないから代わりにこれで口を慰めているのだという。
それにしても、そのマシュマロはどれだけ持ってきてるんだろう。連日一個や二個どころじゃなく焼いているところを見ているが、一向に終わる気配がない。
「マッキーはそういうの、見たことないの?」
「俺はあんまり、それっぽい夢は見ないね」
ハナマキは代用品を刺した棒をくるくると回している。その目は、棒に刺されているふんわりと白い肌が狐色に染まる様を凝視している。話を聞く気はあるのだろうか。ハナマキも、考えの読み取りにくい人間だ。結構マイペースで、でも聡いから人に合わせるのが上手い。
「イワちゃんは?」
「夢なんて、数カ月見てねえ」
イワイズミはあぐらをかき背筋を伸ばし、こちらを見つめて堂々とそう答えた。その姿勢に、何故かオイカワの胸は温かくなる。
ああイワちゃん。イワちゃんのそういう裏表のない単細胞っぷりが駄々漏れになるところ、俺結構好きだよ。別にまっつんとマッキーが嫌いとかいうわけじゃなくて、むしろ二人とも頼りになって好きだけど、それとは別で。色々ぐるぐる考え込んでる時にイワちゃんのそういう無駄なキレの良さを見ると、もう本当全てがどうでも良くなるよね。
そんなオイカワの幼馴染への褒め言葉も、口に出したら間違いなく額を竹串でダーツよろしく狙われるだろうから言わない。だから黙って微笑みを向けてみたところ、イワイズミは思い切り眉間に皺を寄せて「こっち見んな投げるぞ」と先程まで焼き魚を刺していた竹串を向けてきた。
「じゃあオイカワだけ、昔のことを夢で見るようになってるわけ?」
「そうなんだろうな」
「何でコイツだけ?」
ハナマキがオイカワからマツカワへ視線を転じる。マツカワは肩を竦めた。
「オイカワだからだろ」
「あ、そっか。そうだな、オイカワだもんな」
「なに、こっちの俺ってそんなに魔力強かったの?」
「いや、オイカワだった」
「答えになってないけど」
すっとぼけたマツカワの答えにオイカワがもっと分かりやすく、と催促する。代わりに応えたのはイワイズミだった。
「自己主張が激しいってことだろ」
「僻み良くない!」
「イワイズミさんエスパー?」
「エスパーハジメ」
「僻み良くないっ、良くないよ!」
随分早い時期からこうだったイワイズミはともかく、マツカワとハナマキのこのノリの良さは何なのだろうか。まだ出会って十日しか経ってないのに、順応性が高すぎる。
まさか、こっちの俺もこんな扱いだったのか? その可能性もなきにしもあらずだが、それより自分の親しみやすさのためだと思うことにした。
「ま、それは置いといて。またそういう夢見たら言えよ。もしかしたらこの世界のお前からの、何らかのサインの可能性だってあるんだからな」
マツカワが話をもとに戻し、言い聞かせる。オイカワはこくりと頷いた。
「積極的に、お話しさせていただきます」
(続)
第二話は当分始まらないんじゃなかったのかって?
ふふん…すぐ始まったって、すぐ終わるかどうかは別問題ですよ(得意げ)
ところで花巻と松川ってやっぱりヒワイじゃないですか?
だって好物シュークリームとチーズinハンバーグですよ。割ったらとろっととろける系とかまじヒワイ。垂れる。ヒワイ。
私の頭がヒワイ色に染まっている。