現パロ「影を見て踊る者達」

※稲野巧実様「舞踏会を離れて影二つ」を読まれるとより楽しんで頂けると思われます。


 特殊能力犯罪対策室は静まり返っていた。白く熱のない電灯に照らされたこの部屋は今、無人なわけではない。部下達は珍しく勢揃いしている。だが全員、キラナの机の前に群がって彼女のコンピューターの画面を覗き込んでいた。

 コンピューターからは男女の会話が流れている。少し離れた位置に机を構えるフーガにも、その内容は聞こえてきていた。

 しかしそれにしても、この部下達は何回アレを聞くつもりなのだろう。

「社内ロマンス」

 五回目の反復が終わった時、キラナがぽつりと呟いた。するとそれが合図だったように、黙っていた班員達がせわしなくさえずり始めた。

「マジかよ。あの人達付き合ってたのか」

「でも付き合ってはいないらしいよ? 家族のようなものだって言ってたけどなあ」

「それにしては顔つきが男女よね」

 驚くスランをよそに、キラナとルネは楽しげに顔を見合わせる。アリアはやや顔を赤らめてこそいるが瞳を輝かせていて、テングはオフィスラブぅ!と大はしゃぎ。そしてサタルは、腹を抱えて笑いのツボにはまりこんでいる。

「いいなあ……」

 アリアが夢見るように溜め息を吐く。

「恋人ではなくてもお互いのこととっても信頼してて、大切に思い合ってるのね。素敵だわ」

「社長と副社長って関係もいいわよね。上司と部下で仕事仲間で、支え合う仲で」

「でもどう見ても恋人通り越し熟年夫婦みたいなのに、恋人じゃない! ってところがスゴいよね! しかもあの台詞!」

「『副社長の仕事は社長を支える事だ。お前の判断は俺の判断。お前が間違えれば、修正する。お前が望む事は、俺が達成してやる。お前が辛い事は、肩代わりしてやる。お前が進めないなら、俺が担いで連れて行ってやる』……はあ、言われてみたいわ」

「うわっ、もう覚えたのかよ」

 完璧に復唱して片手を頬へ当てうっとりしているアリアを見て、スランがぶるりと身を震わせる。

 『悟りの書』は恐ろしい。アリアはスランと並んで十課の良心だが、実は敵に回したら班の中でもトップクラスにまずい相手だと思う。

「アリアはああいう頼れる男が好きだものね」

「誰に? 誰に言われたいの?」

「やだっもう! 二人とも、からかわないでよ」

 茶化すルネとキラナに対し、アリアは白い頬を真っ赤にさせて慌てている。

 こういうやりとりだけ見てると、普通のOLと間違ってもおかしくないくらいだ。ただ、実際は三人とも警官隊を一人で相手取っても余裕でいなせるくらいの度胸と戦闘技能はある。

「テンちゃん」

 その時、真摯な声が部屋に響いた。全員思わず発言者の方を見る。サタルは先程のツボりようなど全く感じさせないキリリとした凛々しい顔で、ピエロの方を見つめていた。

「俺は誰だ?」

 真面目くさった口調に、キラナが噴き出す。だがテングは笑いもせず、威厳を持って堂々と答えた。

「サタルさん」

「お前にとってどんな立場だ?」

「超絶大親友でしょ?」

 テングの言葉に、サタルは頷く。

「親友というのは楽しいことを共有するものだ。君の楽しみは俺の楽しみ。君がボケれば、俺がツッコむ。君がやりたいネタは、俺がのってやる。君一人じゃできないネタは、一緒にやる。君がやりづらいなら、俺が引き出してやってやる。だから一人で美味しいネタを抱え込むな。俺の楽しみが減るだろ」

 班員達は顔を見合わせた。だがテングはにやりと笑って、パチリと指を鳴らした。

 次の瞬間、そこにもう親友達はいなかった。いるのは明るい笑顔の似合う女社長と、鋭い目付きに仏頂面の副社長だった。

 二人はお互いを見つめ合う。直後、宙を飛ぶ虫を視線だけで射殺しそうだった副社長がにっこりと微笑んだ。

「さあ俺の可愛い社長さん? この胸に飛び込んでおいで」

 「アレフ」は慈しみに満ちた低い声で呼び掛け、爽やかな笑顔を浮かべながら両腕を広げた。スランが床に崩れ落ちた。だがそれには見向きもせず、「ロト」は「アレフ」の胸に飛び込んだ。

「アレフさん!」

「ああロト、頼むから泣かないでくれ。お前の涙は俺の悲しみ。お前のためなら俺は何でもやるが、涙だけはダメだ。何もできなくてただ途方にくれてしまう」

「いいのアレフさん、いいの」

 キラナが痙攣に似た笑いの発作に襲われている。しかしロトは構わず大きな瞳に涙を浮かべて、アレフの広い胸板に額を押し付けた。

「傍にいてくれるだけでいいの。そうすればきっと元気出るから」

「お前が望むなら、そうしよう。朝も夜も、ずっと一緒にいる」

 アレフの声には、常のぶっきらぼうさなど微塵もない。寧ろ甘く透き通った蜂蜜のようで、聞く者の耳が溶けて流れそうだった。

「アレフさん、お願いだからどこにも行かないでね。貴方がいなくなったら私……」

「安心しろ。俺がお前から離れることはない。お前がいるところに俺もいる。そうだな、約束しようか。俺の人生に賭けて、俺は永久にお前の傍に――」

「やめて! お願い、もうやめて!」

 キラナがゲラゲラと笑いながら制止をかけた。アレフとロトは抱き合った姿勢のまま一同の方を向いた。アレフが茶目っ気たっぷりに片目を瞑り微笑んで見せたので、笑いすぎたスランが机に頭をぶつける羽目になった。

「キャラ崩壊にもほどがあるわね」

 ルネが嬉しそうに言う。スランがぜぇぜぇしながらアレフを見上げた。

「班長、勘弁してくださいよ! 夢に出そうっす!」

「今宵、お前らの夢に邪魔するぜ」

 アレフがキザな台詞に流し目と投げキッスからなる見事なコンボを決め、十課の全員が沈んだ。大抵のものは微笑か苦笑で済ませるフーガでさえ、これには腹筋がやられる危険を感じ目を逸らさずにはいられなかった。

「いやあ、普段冗談のカケラもない男でこういうことやるのって、最ッ高に楽しいよね!」

 アレフはサタルの口調で晴れやかに笑う。ルネは目頭を拭いながら携帯を取り出すと、次々にモデル立ちを決めて見せるアレフを撮りまくる。

「あたしもあたしもー!」

 本人そっくりのテンションでテングがカメラの前に飛び込み、アレフと息の合ったモデルっぷりを見せつける。彼らの遊びは次第にエスカレートし、遂には「トレンド先取り!紹介所着回し30Days」と銘打ち、アレフとロトで女性向けファッション雑誌によく載るような安いラブストーリーをカメラに収めまくるまでに至った。

「さっきのアレやってください! カメラのシーン!」

 アリアがサタルとテングにせがむ。彼女のつややかな頬は笑いすぎで上気し、目は先程よりなお煌めいていた。

「よしいいだろう。テンちゃん」

 ロトが頷き、自分の机の上に落ち込んだ様子で腰かける。その姿は顔の俯け具合から脚の角度まで、映像に映っていたものにそっくりだった。さすがはプロである。

「そっくりにやればいいの?」

「他にもできるんですか?」

「感情五割増しとか」

「お願いします!」

 アレフはモッズコートを脱いでロトにゆっくりと近寄る。かと思いきや、いきなりコートで彼女を包みながら勢いよく抱き締めた。

「ロト……俺は誰だ?」

 問いかける声はどこか熱っぽい。そして答えるロトの台詞は震えていた。

「あ、アレフさん」

「お前にとってどんな立場だ?」

「ふ、副社長、でしょ?」

 詰問するようなアレフの激しい語調に、ロトは狼狽を明らかに視線を反らす。するとアレフの骨ばった大きな手が小さな顎を掴み、無理矢理自分の方へ向けた。

「副社長の仕事は社長を支える事だ! お前の判断は俺の判断! お前が間違えれば、修正する! お前が望む事は、俺が達成してやる! お前が辛い事は、肩代わりしてやる! お前が進めないなら、俺が担いで連れて行ってやる! 社長だからと抱え込むな! 俺の仕事が減るだろ!」

 情熱的な男の訴えかけに、ロトは目を丸くしている。二人の距離は近く、鼻と鼻の先が今にも触れ合いそうだった。

 部屋にしばし沈黙が満ちる。ふと、アレフが小さく吹き出した。つられてロトも笑い始めた。アレフはくつくつと笑いながら彼女の硬い黒髪を撫で回す。

「悪い、熱くなりすぎた」

「ううん」

「後もう少しなんだろ? もう直ぐ終わるさ。そうしたら……そうだな、地中海にでも旅行に行こうか。いい家があるんだ。眺めも良くて海がよく見える。壁は白くて、大きすぎなくて……そう、その」

 アレフが口ごもる。ロトは彼の顔を覗きこんだ。逃れるように顔を反らしながら、明後日の方を向いてぶっきらぼうに言う。

「少人数で暮らすには、ちょうどいい」

 ロトはきょとんとしている。くそ、とアレフは頭を激しく振ると彼女の両手を自分のもので包み込んだ。

「結婚しよう、ロト」

「ちょぉぉぉっと待った!!」

 キラナが身を乗り出した。ピロリンという音が鳴る。ルネが携帯による動画撮影を終了した印だった。

 擬態カップルはそろって彼女を見る。キラナは首を横に振った。

「そうじゃない! もっとこう、くっついてそうでくっついてない感じのがほしい!」

「難しいこと言うなあ」

 ロトが唇を尖らせる。ルネは携帯を操作して十課全員に動画を送りつけて呟いた。

「もう電池がないわ。課長、カメラ借りていい?」

「勝手にしろ」

 フーガの返事を聞くと、ルネは鼻歌混じりに備品の置かれた棚を物色する。そして目当ての品を見つけると、演技について話し合っているテングとキラナに語りかけた。

「ねえ、私もやりたいわ。化けさせてよ」

「あっなら私もやる!」

「ええ!? 私もやってみたい!」

「俺も!」

 キラナだけでなくアリアとスランの手も上がった。テングは彼女らの希望を聞きルネとスランをロト、キラナとアリアをアレフに変える。サタルは、一人机に向かって書類を処理しているフーガの前にカメラを置いた。

「フーガ、撮って?」

「仕事があるんだが」

「あとで手伝うよ。ほら、こんな面白い真似なかなかできないよ?」

 課長はしょうがないなと苦笑すると、カメラを手に立ち上がった。

「深夜放送のドラマみたいなのやろうよ!」

「姐さん、それは色っぽすぎますよ!」

「アリア上手いわね。タカ・ラヅーカみたいだわ」

「ああアレフ! 貴方はどうしてアレフなの!?」

「もっと感情を押し殺す感じで! ほら、こんな風に――」

「フーガちゃんと撮ってるー?」

「おうおう、撮ってる撮ってる」

 特殊能力犯罪対策室は、いつのまにかさながら高校の文化祭のようになっていた。それぞれ三人のアレフとロトが好き勝手に動き回り、ある時は送られてきた映像そっくりに、ある時は原型をとどめていないほどのアレンジを加えて寸劇を繰り広げた。

 彼らは夫婦のようだが恋人ですらない社長と副社長の関係性を大いに楽しんだ。楽しみすぎて、扉が開くまで部屋に近寄ってきた気配の存在に気付かなかった。

「夜分遅くに失礼します。ご連絡を頂いたのに来るのが遅くなりまして、誠に申し訳――」

 扉を開いて折り目正しくお辞儀をした人物は、顔を上げて固まった。三人の自分と三人の上司が彼を見つめ返していた。

「…………何だこれは」

 よそ行きの声が、自然といつものトーンに戻った。いや、いつもよりなお低いだろう。スーツと眼鏡が似合う慇懃な紳士の仮面から、よく知る黒い稲妻を操る戦士の顔が覗こうとしていた。

「やあアレフ、ご苦労様」

 三人のアレフの中から一際にこやかなアレフが出てきてそう挨拶した。だが扉の前から微動だにしないアレフは、彼を無言で凝視した。眼鏡をかけた瞳に、温度は一切ない。しかし、フーガにはその背後に今にも火を噴かんとする噴火口が見える気がした。

「そんな驚かないでよ。俺達実はいいもの見ちゃってさ。ね、アレフ。俺は誰だ?」

「質問に答えろ。何だこれは」

「だからいいもの見ちゃったんだってば」

 にこやかなアレフは無表情のアレフの前に立つと、ちょいちょいと後ろを振り返ってロトの一人を呼ぶ。そのロトは道化めいた笑顔で飛び出してくると、にこやかなアレフに抱きついた。

「ねぇ、アレフさん!」

「なんだ?」

「ううん。なんでもない」

「こいつぅー」

 ロトとアレフは語尾にハートがつきそうな甘い調子でじゃれる。それを氷点下にまで下がっただろう凍てつく眼差しで、デキる副社長仕様のアレフが凝視する。だがその顔は、もう完全にモッズコートのアレフのものだった。

「お……ま……え……ら……」

 地の底から響くような声が、彼の口から漏れた。いちゃついていたアレフとロトが彼の方をそろって見つめた時、彼は自分の中の何かがプツンと切れる音を聞いた。

「ふざけんじゃねぇ! てめぇらみたいなのに、俺達の血税ぶち込まれてるとか我慢ならねぇ! この税金泥棒め!」

「君が言ったことじゃんかー」

 怒髪天をつく勢いのアレフを、にこやかなアレフが笑う。それからやや口元を悪戯っぽく吊り上げて囁いた。

「逆に考えなよ。これは普段養ってもらってる分のサービスさ」

「いらねえ! 金返せ!」

 怒鳴る本物。心底楽しそうな偽物は、同じく偽物の微笑むロトをこれ見よがしに抱き寄せる。

「君達があんまりにも女の子が好きそうなシチュエーションだから、ついサービスしちゃった。こうしてみると、余計それっぽいだろ?」

 怒りのあまり、アレフは何を言ったらいいのか分からなくなってしまう。

 その彼の前に、薄いノートが放られた。反射的に受け取ってしまったアレフに、ロトの肩を抱いたままのアレフが読んでみろと促す。一ページ目を開くと、こんな文字列が並んでいた。


《暗い面持ちで沈むロトの、伏せられた長い睫毛が震える。露の重さに堪えきれない、か細い花のようだ。そう思った時、気付いたらアレフは彼女の寂しげな肩を抱いていた。久しぶりに触れた肩は、驚くほど薄く華奢だった。狼狽するアレフの胸に、ロトは額を擦りつけ縋る。悲しみの海に溺れまいとしているような、または遠くへ発とうとする愛しい人を引き留めるようとするような。その微かな動作には、胸を締め付けられるような哀願が籠っていた。

 アレフは思わず彼女を抱く力を強め、憂う瞳を覗き込む。闇夜に青白く浮かぶ孤独な月に似て美しい。彼は小ぶりな耳へ、慈しみを込めながらそっと愛しい名前を囁きかける。

「ロト、俺は誰だ?」――》


「自分が恋愛小説の主人公になる気分はどう?」




 神秘庁舎二十七階、時刻は深夜二十一時。

 どこかからか凄まじい怒号と悲鳴、そして解せぬことに笑い声が聞こえたという連絡が管理会社に入る。その十分後に警備の者が到着したが、上げた者の姿はどこにもなかった。残業していた霊能課の職員は、その時はっきりと聞こえた「税金返せ!」の声を思い出しては、あれはきっと公務員に恨みのある幽霊でもいたのだろうと思うのだった。




何をやっているんだろう、この人達は。