※夏ミカン様(夢見の図書館)Ⅰ主(剣神)サルムさん、Ⅲ主アレクさんとマリアさん、Ⅴ主シアンさん、Ⅵ主クオさんをお借りしています交流話です。男装女装描写ありにつき注意!
   
  


「お待たせしました」

 そう言って控室へと入って来たのは、利発そうな顔立ちの美少女である。身に纏いしホルスターネックの夜会服は、夕暮れが夜へと変わる、まさにその境目へと浸したかのよう。紫紺は裾に行くにつれ黒を濃くし、夜闇相応の謎めいた魅力を感じさせる。ウエストより高い位置に締められた帯から柔らかなシフォンが緩やかに流れ落ち、彼女の華奢さを際立たせながらもそこから来る不安をさり気なく覆い隠している。深い茶の豪奢かつ上品な編み込みハーフアップが華を添え、ドレスから零れる肌の瑞々しさは純潔を意識させながらも艶めかしさをにじませる。
 どこからどう見ても、女の子だ。

 相変わらず上手いなあとハインは感心しながら、数人の驚き顔を眺めてくすりと笑う。

「あの……もしかして、ナインさんですか?」

 恐る恐るマリアが訊ねると、少女は首を縦に振った。

「はい。ナイン・キュロスです」
「すごい、本当に女の子みたいです!」

 マリアは目を丸くして口元に両手を当て、まじまじと少女――否、ナイン・キュロスを凝視する。サルムにアレク、シアン、クオもまだ驚きを隠せない。

「いや、本当にすごいとしか言いようがないな。どうやったんだ?」
「大したことはしていません。顔は皆さんにも分かるように変えないまま、化粧をしてエクステをして少々乳房を作っただけです」

 今の言い方で、質問したクオもその他四人も「ああ、やっぱりキュロスだった」と言いたげな納得した顔つきになった。さらりとありえないことや妙なことを口走るのがこの少年の特徴なのである。

「こ、これだけの腕があれば、確かにあの役も務まるね」

 アレクが取り繕うかのように、しかし人の良い笑みを浮かべて言う。キュロスは彼の方を向いて尋ねる。

「僕がいない間に決まったことも含めて、改めてご説明願えますか?」
「勿論だよ」

 みんなももう一度言うからよく聞いてね、とアレクは七人を見回して念を押し、そして説明を始めた。

 まず、今回の仕事はアベル・シアン・ユア・グランバニアの依頼だった。彼の知人で恩人、ルドマンの友人である富豪のジョナサン氏、およびその娘の警護である。貿易商であるジョナサン氏は商売の関連で、ある過激派組織に目をつけられ、唯一の家族である一人娘ともども命を狙われているのだと言う。そのため常に警備の者を自分と娘につけ、なるべく危険を避け外出を控えることで身の安全を守って来た。

 しかし、それにも限度がある。どうしても行かなければならないところができたのだ。
世界的に名の知れた大富豪、ルドマンのパーティーに招待されたのである。彼の主催するものであるから、ただのパーティーではない。大商業団体の長や今をときめく精鋭商人、政治家など世界のトップクラスにあたる人々が集まる、商業的な一大イベントなのだ。これに欠席することは重要なチャンスを失うことになり、大きな痛手を被りかねない。

 一方ルドマンは、そんな彼の窮地を風の噂で聞きつけていた。お節介かつ強かな彼が、そこに手を差し伸べないわけがない。ルドマンは彼に協力を申し出ると、その返事の来ないうちにある世界を旅した知人に声をかけた。その知人がシアンである。彼に友人の窮状を説明し、パーティーの覆面警備員となれるような腕利きの派遣を秘密裏にお願いしたのだ。
 シアンは彼に借りがあった。そのため、密かにルドマンとジョナサン氏に会い、どのような警護を必要とするかなど詳しい話を聞いた。そしてその折にジョナサンの娘を見て、王はとても驚く。
 それが、今回の面子を決める鍵となった。

「お嬢さんとサルムは面差しと雰囲気が似ているから、サルムは彼女の影武者をやってもらう。僕はそのパートナー役を務める」

 アレクに名を呼ばれたサルムが頷く。綺麗な頬に少々朱が差している。

「その警護が、ハインとキュロス。本物のお嬢さんらしくするためには一応守っている素振りが必要だから、ハインは警備員として会場内をしっかり警戒してる様子を見せてくれ。そしてキュロスはサルムの女性友人役兼変装係だよ。君の変装技術はその格好からして明らかだから、何も問題ないだろう」

 ハインは如何にもパーティーの警備員らしい洒脱な武装で、キュロスは見ての通りの美少女ぶりで既に準備万端である。

「シアンさんは来賓でもあるし自由に動けないだろうから、事情だけ知っておいてほしい。でも、主賓であるルドマンさんやジョナサンさんに近い所にいやすいだろうから、二人の正式な護衛は他にいるけど、念のため彼らの周囲に警戒してくれると助かる」
「勿論です」

 正義感の強いグランバニア国王ははっきりと約束した。
 アレクの視線は、次に女性陣に向かう。

「マリアとサンドラには、大切な役目をお願いしたい。マリアは本物のお嬢さんであるダニエラさんの友人役のフリをしながら、サンドラは悪いけど男装してダニエラさんのパートナーとして、警護にあたってほしい。本当は別のところで隠れててくれるとありがたいんだけど、本人が強く行きたがってるし、大事な結婚相手を探す機会でもあるから仕方ない。十分警戒してね」
「分かりました」

 マリアは微笑んで見せる。サンドラは対照的にええ、とだけ返す。

「そしてクオとサタルは会場警備をお願い。表立った警備員はルドマンさん達の方で手配してくれてるらしいから、君達は覆面で頼むよ。パーティーの参加者を装いながら、クオは主に会場内を、サタルは会場外を警戒してくれ」

 クオとサタルがそれぞれ応と返す。二人ともアレク同様、タキシードを着ている。
 それからパーティーの流れ――乾杯からしばし談笑と食事、見世物も披露され再び談笑し解散――と会場の構造、来客リストなどを確認し細かなことを話し合った。最後に今回の第一優先はジョナサン氏とダニエラ嬢の身の安全であることを忘れないようにすることを言って、アレクは会議終了と言わんばかりに手を打ち合わせた。

「よし、じゃあいいね。パーティーまであと三時間ある。その間にハイン、クオ、レックは会場の安全確認を頼む。シアンさんと僕はルドマンさんとジョナサンさんに今日のことを話に行くよ」
「では、僕はお三方の衣装の見定めと化粧や変装をしてきます」

 キュロスはそう言って立ち上がり、女性二人と影武者役に会釈した。

「行きましょう」
「はーい」

 マリアが少しうきうきとしながら、サルムの手を取りキュロスの後に続く。サンドラは変わらぬ仏頂面で後を追おうとして、アレクを振り返った。

「サルム君はキュロス君が貴方のところへ連れていく。マリアと私は、支度が終わったらこのままお嬢様のところへ行って会場入りするわ。何かあったらさっき決めた通りに、連絡をちょうだい」

 リーダー格のロトが頷いたのを確認すると、サンドラは足早に控室を去って行った。

「楽しみだねえ、みんなの晴れ姿」

 莞爾としているサタルに、残った男達は苦笑やら呆れた様子を露わにする。特にシアンは苦い顔で、隣にいるハインの耳元に顔を寄せた。

「あの、彼大丈夫なのですか?」
「すみません」

 たしなめるアレク達と愉快そうに会話するサタルを横目に、ハインは困ったような笑い顔を下げる。

「ふざけたような言葉や態度が目立ちますけど、やることはやりますから勘弁してあげてください。あれは彼なりの礼儀なんです」
「礼儀、ですか」

 シアンはなおも眉根を寄せたままだ。ハインは弁解を続ける。

「それに、能力もありますので。感知、分析はキュロスに劣りますが、小狡っ……いえ、人の様子を見ることと魔法に関してはうちで一番です。妙なことしたら僕が抑えますから、どうか大目に……」

「大体、何でまた君と一緒なんだろうね?」

 アレクに溜め息を吐かれても、サタルは飄々として歌うように答えた。

「縁は奇なもの味なもの、何かあるんじゃないかな? 嫌なら、他の人にお願いすれば良かったんじゃないか? 他にも社交界慣れしてる人は何人もいただろ」
「それは駄目だ」
「だろうね。大事な子孫が危険な目に合うかもしれないんだから」
「そうだよ! 心配なんだよ!」

 アレクは珍しく、やや語調を強める。

「影武者なんて危険だ。どんな方法で命を狙われるか分かったもんじゃない! だからなるべく傍で、その危険から守ってあげたいんだ。君だって子孫がいるだろう? そう思わない?」
「うーん。確かに俺も子孫は大事だけど、うん」

 サタルは曖昧な言葉を返すと、さてと呟いて一同を見渡した。

「そろそろ行かないか? 警戒はいくらしてもやり過ぎなことはないからね」
  

 

 

 
***

 

 


  遅い。アレクには異様に時間が長く感じられた。
 もうそろそろ来てもいい頃なのに。まさか、サルムの身に何かあったのだろうか?

「はっはっは、アレク君は心配性だなあ」

 後ろから肩を叩かれた。手の主を振り返って、アレクははっと我に返り苦笑する。

「申し訳ありません……ルドマンさん」
「なあに、友人を大切にするのはいいことだ」

 ただ、まだ開演の七十分前だから気が早すぎる気はするがね、と恰幅のいい大富豪はにっこりとして、親族控室を見回す。ルドマン氏の妻、下の娘夫婦、それとジョナサン氏とその付き人、護衛が五人いる。
 まだ、サルムの姿はない。

「あのアベル君の紹介だ。君達なら何も問題ないだろうと、大船に乗った気でいるよ。なあ、ジョナサンさん」

 はい、とジョナサン氏は首を縦に振る。ルドマン氏とは対照的な、細身な老紳士である。白髪まじりの金髪も、群青の燕尾服も正しく整えてあるのだが、くたびれた印象が強い。

「皆様には本当に、ご迷惑ばかりを……」

 隈のできた目を伏せ、溜め息のような声で詫びて、ジョナサンは頭を下げる。心労の祟っているだろうことは明らかだった。

「お気になさるな、ジョナサンさん。我々がついております」

 傷心の富豪を、ルドマン氏が慰める。痩せ細った哀れな老人を、アレクは同情の念を持って見つめた。
 聞けば、ジョナサン氏は若い頃から苦労の絶えない行商人だったという。親族を亡くして十二で貿易商の屋敷へ奉公に出て、独学で経済学や貿易、商売について学び、主人の目に留まって雑用以外の商売もやらせてもらえるようになったのが二十八歳。四十で主人の娘の婿となり、その間に一人娘を設けるも、妻は産後の肥立ちが悪く死亡。主人夫婦も、後を追うようにして亡くなってしまったという。
 それでも商売には熱心に励み、浮いた噂も流さず、娘を育てて学校にも通わせて、と勤勉の鑑のような生活を送っていたのに、今回の件が起こった。

 氏が新しくオラクルベリーに持ち込んだ商品の一部に対して、ある商業組合が文句をつけてきたのだという。何でも商業権の侵害だなどと、些末なことをねちねちと言ってくるのだと言う。そして、それだけではなく、ジョナサン氏が彼らの思うようにならないと知ると、事故に見せかけて殺そうとまでしてきたらしい。
 ジョナサン氏にいちゃもんをつけてきたのは、オラクルベリーのみならず世界各地に拠点を持つ商業組合である。しかし、商業組合とは名ばかりのならず者の集まりで、客に恐喝や詐欺、時には殺人まで仕出かし、荒稼ぎしているという。至るところに巣穴を持ち、のらりくらりと他人に罪をなすりつけて逃げるそのやり方から、大ネズミ組と呼ばれているようだ。ジョナサン氏への恐喝、事故と見せかけた殺人未遂の以前にもたくさんの人が被害に遭っているのだが、捕まえられなくて歯がゆい思いをしているのだとか。

 できるなら、これ以上の被害を食い止めるために捕まえたい、とシアンは言っていた。アレクも全く同じ思いである。善良な市民を理不尽に食い物にする輩を、許すわけにはいかない。

「失礼します」

 その時ドアが二度叩かれ、二つの影が滑り込んできた。ダークヴァイオレットと真紅の、二つのドレスが目を引く美少女たちである。

「何を今更躊躇なさるのですか」
「いや……そんなことは」
「あります。躊躇っています」

 男か女かなどどうでもいいことです、と小柄な少女は真紅の彼女を叱咤している。まさか、とアレクの心臓が一つ大きな音を立てた。

 紫紺の少女は躊躇う友人の手を取り、こちらへ向かって堂々と歩み寄って来る。夜闇のようなシフォンをなびかせる彼女は――ああやはり彼女じゃない。彼だ、キュロスだ。
 では、もう一人は。

「申し訳ございません、遅くなりました」

 キュロスはルドマン、ジョナサン両氏の前に止まって一礼している。背後の少女も、それに倣う。顔の前に垂らしたベールが揺れ、赤い耳が覗いた。

「ナイン・キュロスとサルム・ロト・ヒュワーズ、今やっと支度が終わりました。お待たせしまして申し訳ございません」
「おおっ、君達が! 見事なもんだなあ」

 ルドマンは愉快そうに、少女の身なりをした少年達に拍手を送る。ジョナサンはただ目を丸くし、他の人々もそれは同様だった。そして、アレクの視線は、ただ一人に注がれていた。

 すらりとした長身に反して頭は小さく、蜂蜜の髪を編み込みを使い、後頭部で丸くまとめている。眼差しはベール越しにも知性と教養を感じさせ、通った鼻筋と相まって見る者に凛々しい印象を与える。毅然とした面持ち、ぴんと張った背筋、すらりとした体躯には矜持が宿り、真紅のサテンドレスが華麗さを際立て、薔薇飾りのついたピンクホワイトのショールが気品を添える。
 なんと美しいのだろう。しかし、朱を差した唇の端はわずかに強張っており、それが彼の内面に秘めた不安を示していることに、アレクは気付いた。

「アレクさん」

 ルドマン達への挨拶を終えたキュロスが、サルムの手を引いてこちらへ来る。子孫は何を思ったか、さっと俯いた。

「よろしくお願いします。打ち合わせ通り、僕は貴方がたの周囲にいられるようにします。たまに様子を窺いにいきますので、何かありましたら連絡をください」

 アレクが頷くと、キュロスはハインを探しに行くと言って去ってしまった。後を追おうとするサルムの手を、アレクは引く。

「そんな恰好でどこに行くの?」

 肩がびくりと跳ねた。細いなあと、アレクはつくづく実感する。

「どこかへ行くようなら、僕も一緒に行くよ。君だけじゃ心配だから」
「あの……」

 サルムを引っ張って、身体ごとこちらを向かせる。しかし、顔だけは頑なに下げることをやめない。
 どうしたの? と、優しく尋ねる。少し間を空けて発せられた声は、震えていた。

「あまり……見ないでください」

 恥ずかしい。消え入るように呟かれた言葉を振り払うように、ベールに隠された顎を持ち上げる。予想できていなかったのか、サルムはあっさりと顔を上げた。大きく開かれた眦、僅かに開いた口元が愛らしくて思わず笑みが零れる。

「そんなに、恥ずかしがらなくていいのに」

 耳元に一つ賛美を贈ると、彼の肌全体が仄かに色付いた。



 会場は、既に多くの人で賑わっていた。身なりの良い老若男女が行き交う中を、三人の若者が和気藹々とすり抜けていく。

「まだ始まる前だっていうのに、人がいっぱいだわ」
「お嬢様、あまり先に進みすぎないでください!」
「ダニーでいいわよ。敬語もいらないし。あんまり畏まってるとばれちゃうじゃない」

 先を行く少女は、サルムとよく似た外見をしている。金の髪をサイドで豪奢に結った彼女は、振り返ってマリアと目を合わせた。

「ねえマリア。ダニーって呼んでちょうだい」
「だ、ダニーさん……?」
「真面目ねえ。さんもいらないわよ」

 ダニー、もといダニエラ・ジョナサンはころころと笑う。性格は大違いだなあとマリアは思いながら、微笑む。青の釣り目、形は似てるはずなのに、全然違うように見えるのは何故だろう? サルムのものは夜の湖面に映る月のよう、ダニエラのものは無邪気な子猫のよう。

「ダニー、マリア。あまり離れるんじゃない」

 二人の間に、燕尾服の紳士が割って入る。サンドラである。彼女は相も変わらず気だるげであるが、視線はくまなく会場中を走っている。

「ごめんなさーい。ねえ、アレックスはずっと私と一緒に踊ってくれるの?」
「そうなるな」

 自身の名、アレクサンドラの男性名の愛称を呼ばれても、平然と男口調で返す。サンドラは早くも男役が板についていた。

「やった!」
「てっきり、不満を言うものだと思っていたが」
「だって、意外と会場にいる人年上すぎる人ばっかだし、若いのもなんかいまいちなんだもの。アレックスの方がよっぽどイケメンだわ」
「それはどうも」

 サンドラは会話しながら、主賓席の辺りにいるダニエラ嬢、もといサルムを見る。本物のダニエラは今日、普段とは違った趣のややラフなドレスを纏っているし、化粧でできる限り顔の造作も変えているから、ちょっと見ただけで気付かれることはないだろう。それより今はサルムの方が、よほど普段のダニエラらしい。
 しかし、油断はならない。いくらベールで顔を隠していても、知る者が見れば気付く。王家のリビング二つ分のパーティー会場、このどこに誰が潜んでいるとも限らないし、誰が入って来るとも知れない。何も起きないことは分かっている。

「貴方、ダンスの相手はいますか?」

 ふと見知った者の気配を感じて、そちらを向いた。マリアに言い寄っている人がいる。

「え? いえ」
「良かったら、僕と一度踊りませんか? ええ、実は貴方に見惚れてしまいまして。是非お相手をしていただきたい」
「えーと……」

 困ったような笑顔のマリアをダニエラの方に寄せて、サンドラはナンパ男の前に立った。

「連れに手を出さないでくれないか?」
「おお、君もとても綺麗ですね! 男性などやめてしまったらどうです?」
「頭が常春に行っているようだな」

 ナンパ男は春の太陽のような笑みを浮かべ、サンドラに顔を寄せ唇を動かす。 声は聞こえなかった。が、サンドラは表情を変えず、彼を凝視して同様に口だけで文字を形取る。 彼はサンドラの言葉を見て取ると、そのまま目を彼女の背後にいるマリアとダニエラの方へ流した。

「じゃあお嬢さん方、また後で是非!」
「もう来るな」

 サンドラの声を男は背で受け、人ごみの中へと溶けていく。
 鼻を鳴らして少女たちを振り返ると、ダニエラは興味深そうに彼の消えていった方を眺め、マリアはこちらを窺っていた。

「もう一度言っておくが、用ができるかもしれないから、その時にはマリアはダニーと一緒にいてくれ。余計な男は、誰も近づけないようにな」

 ダニーの目にちらりと影が横切る。何となく、意味は分かるのだろうか。
 マリアは、しっかりと頷いた。



「サタル! いい加減戻ってきてくれ!」

 クオは数人の女性と談笑する男の姿を見つけて、そう呼びかけた。サタルは彼を横目で見ると、愛想良く女性達に別れを告げ、それから早足に寄って来た。

「そんなに時間経ってた?」
「お前が伝言を伝えに行ったのはパーティーが始まる前! もう今は食事と歓談も終わるじゃないか!」
「いやあ思ったより、話が弾んじゃったよ」

 外へと向かいながらも、サタルは全く悪びれずにこやかである。人がいなくなったので、あのなあとクオが語尾を強めようとしたところへ、異世界のロトは言葉を重ねた。

「さすが商家の奥方、お嬢様方だ。誰がどんな経由でどこへ勤めて回ってるのか、どこへ商売しにいってるのかなんてよく分かってる」

 クオは言おうとした台詞を引っ込めた。サタルは信用するには難のある奴だが、仕事では信頼できる。

「何を聞いて来た?」
  
  
 

 

 どこの商家の人だっただろうか。サルムは自分をお喋りで長いこと拘束していた男を見送って、こっそり溜め息を吐いた。

 

 それなりの富豪だから人が寄って来るとは聞いていた。しかし、これほどだとは! ただ見知らぬ人と素性を偽って話すことだけでも疲れるというのに、大人数だと、予想していた疲労も倍なんてものじゃなく感じられる。

 

「大丈夫?」

 

 吐息が漏れそうになるのを堪えて米神を揉んでいると、横からすっとタンブラーを持った腕が差し出された。腕を辿ってみれば、緑の瞳がこちらを案じるように見つめている。サルムは薄く笑んだ。

 

「お気遣いありがとうございます。平気です」

 

 タンブラーを受け取り、中の液体を飲み干す。南国で生まれた果実のまろやかな香りが喉を伝って落ちていく。芳醇でありながら後味はとても爽やかで、心の疲れが少し落ちたような気がした。

 

「少し控室に行って休んだ方がいいんじゃない?」

「いえ、そういうわけには参りません。それに、疲れてなど――」

 

 サルムの言葉が途切れる。いや、正確には思わず喋ることを忘れてしまったとでも言おうか。

 というのも、アレクの顔が急に目前に迫ったからである。

 

「やけに人が寄って来るね。油断できないよ」

「……はい」

 

 優しげな緑色をしていても周囲に視線を配る様は鋭く、さすがは歴史に称号を残す先祖である。サルムがそれにならって表情を引き締めると、アレクはやや目を開いてから口元を緩ませた。

 

「大丈夫だよ。君は僕が守る」

「守られてばかりではいられません。私とて、貴方の血を引いているのですから」

 

 先祖は嬉しげに笑みを大きくして片手を金髪へと伸ばす。しかし、はっとして手を引っ込めた。

 彼の視線が自分から離れ、一点を見つめる。賑わいを掻き分けて、知らない男がこちらへ向かって来るのが目に入った。

 

「お嬢様、しばらくぶりですね!」

 

 サルムの記憶にはないが、どうも「お嬢様」とは面識があるらしい。サルムは緊張を悟られぬように、曖昧な微笑みを浮かべた。

 

「ええ……ご無沙汰しております」

「すっかりお綺麗になられて。お父様がなかなか外へお出しにならないのも、無理はない」

 

 男が笑うと、口元から八重歯が零れた。オールバックにした黒髪と合わせて、どこか吸血鬼のような人である。

 

「ああ、失礼しました。お嬢様とお会いしたのはもう十年も前のことでしたから、一応……ジョナサン様とお取引させて頂いております、ガレット紡績のレイヴンです」

 

 そう言えば、名前はあらかじめ打ち合わせで聞いた気がする。身代わりとしてこれまでに関わりのある人物は覚えておけ、ということで。

 しまった、不審に思われていないだろうか? サルムは内心焦りながらも、表には出さず笑顔を保つ。

 

「覚えております」

「嬉しいなあ」

 

 レイヴンは口元を綻ばせた。純粋に再会を喜んでいるようで、怪しんでいる素振りは見られない。

 

「もう忘れられてしまったかと、心配だったんですよ」

「まあ。そんなことはございませんわ」

「あの頃からもう、他のお嬢様方とは違うと思っていたんです。年に合ったかわいらしさがありながらも、気品があって美しく……まるで、天使のようだと」

 

 まさに吸血鬼のような薄い頬に、やや血が通いだす。

 またこれは、なかなか帰らないな。それに気付いてサルムは内心で嘆息する。長い話を聞いて、所詮替え玉でしかない自分が気疲れする分には構わない。しかし、自分より隣の男が自分に寄って来る人々を、笑顔を保ちながらも必要以上に神経を尖らせ、剣呑な瞳で凝視しているのを見ると、戸惑いと共に申し訳なさを覚えざるを得ないのだった。

 

 給仕の少年が、銀のトレイに飲み物を乗せてくる。赤を湛えたワイングラス三つと青を湛えたゴブレットが一つ。ゴブレットのみが、この中でノンアルコールのカクテルだ。酒気はなるべく帯びたくないから、ゴブレットに手を伸ばす。しかし寸でのところで、その手は止まった。レイヴンはサルムが今しがた取ろうとしたカクテルに口をつけ、一気に飲み干す。

 と、思われた。

 

 ゴブレットが骨ばった手を滑り落ち、直線状にいくつも円を描いた。陶器が砕け散り、同心円状に破片を飛び散らせる。そしてその後を追うように、レイヴンが床に崩れ落ちるのを、サルムは見た。

 

「毒だ!」

 

 誰かの叫びで、世界に音が戻った。給仕の逃亡、そして会場の三方からガラスが飛び散ったのは、ほぼ同時だった。

 甲高い悲鳴が会場の団欒を切り裂く。割られた窓から無数の影が飛び込む。影の正体は物騒に目を光らせたならず者達、手には刃物。それを確認するや否や、アレクがタキシードに仕込んであったナイフを抜いた。

 

「君は下がって!」 

 

 先祖はサルムにそう叫ぶと、危険から逃れようと、はちゃめちゃに入り混じる人々に紛れて襲い掛かって来た暴漢三人を相手に、剣の応酬を始めた。普段より得物が小さい分、剣戟の音がせわしない。しかし、彼なら大丈夫。サルムは先祖に守りを任せ、レッドカーペットに染みを作らせ咳き込むレイヴンのもとにしゃがみ込む。

 

「しっかりして! 今毒消しを――」

 

 キュロスなら傍にいるはず。

 少年の姿を探そうと視線を上げた途端、彼の延髄に強い衝撃が叩き込まれた。

 

 

 

 捕らえよ、捕らえよと声が飛び交う。小さな給仕服は人々の間をすり抜けていく。衛兵の手がその背を捉えようとして、しかしそれより先に目標は消えた。床に転倒したのである。吊り上げられた魚のような、不規則な痙攣と共に。

 

「どいてください!」

 

 不気味なリズムで跳ねる彼を前に戸惑う人々を掻き分け、夕闇のドレスが飛び込んだ。少年のもとにしゃがみ込みその顔を一目見るや、鋭い声を飛ばす。

 

「そこの貴方、綺麗な水を持ってきてください。そっちの貴方は盥をお願いします。それから――」

 

 各人指示に従う。キュロスは懐から小瓶を取り出し、中の液体を口に含んでから、わなわなと震える唇を、迷いなく自らのもので塞ぐ。その右手は給仕服の腹部を圧迫し、左手は光を放っている。解毒の呪法だ。

 しかし突如強く右腕を掴まれ、ナインは驚いて目を上げる。手の主は、治療を施そうとしている少年だった。苦しげに喘いでいるにも関わらず、指の力は異様に強く、目は熱に侵されたかのように爛々と輝いている。血に濡れた唇が、はっきりと三つの音を作る。

 ――や、め、て。

 割れた細い声は、他の者には聞こえなかったろう。ナインが真意を確かめるより先に、少年の首ががくりと垂れた。白目を向いている。

 

 ナインはすぐさま気道を確保し、唇を合わせて呪文を再開する。死なせるわけにはいかない。

 一心に呪法を続けるキュロスの周りを取り巻く衛兵達のもとへ、一人異なる出で立ちの戦士が現れる。竜神王の剣を抜き身で引っ提げた、ハインである。

 

「彼の警護は僕にお任せ下さい、皆さんは会場をお願いします!」

 

 普段の温厚な様子から一変、戦士の風格を前面へと押し出した彼に、衛兵達はその場を任せて散る。ある者は客を避難のため、またある者は賊の対処へ。

 

 会場は今や、見るも無残な有様である。賊共はテーブルを蹴倒しカーテンを裂き豪華な食事を踏み潰して、逃げ惑う者達を追い、剣を振り回す。

 この賊は、ジョナサン絡みの連中に間違いなかった。彼らがガラスを蹴破って侵入してきた時、そのうちの数名は続けてまっすぐと主催であるルドマン、その傍にいたジョナサンのもとへ一直線に駆けていったのだ。

 そいつらの対応は、衛兵達とシアンがしてくれている。そちらを窺っていたハインは、気配を感じて自分の周囲に意識を戻した。賊が飛びかかってきている。

 

 突き出されたサーベルを二本まとめて跳ね上げ、別の方から大きく振りかぶって来た一人の肘を切り裂き蹴飛ばす。吹っ飛ぶのを確認せず身体を翻し、まだ唖然としていた先程の二人の腿を斬りつけた。蹲ったその背後から、まだ来る。突き込んできた剣を叩き飛ばして懐へ飛び込み、そいつの腕を取って更に来た一人へ向けて投げる。

 ――やけに来るな。

 ハインの目が、こちらへまっすぐ向かってくる賊を捉える。少なくとも三人。何で主賓でもなくジョナサン親子でもなく、ただの衛兵と客と給仕のもとへ? そこまで考えて閃いた彼は、弾かれたように頭を巡らせた。

 

 給仕の毒杯を煽って、倒れた男――その行方を追ったハインは、ぐったりしたその男を担いだ賊の数名が、共に見覚えのあるドレスを担いで行くのを目にした!

 

「アレクさんッ!!」

 

 ハインが叫ぶより早く、アレクは既に子孫のもとへ向かおうとしていた。しかし、その行く手に賊の壁が立ちはだかる。

 

「退いて!」

 

 アレクは怒気も凄まじく、手を振りかざした。たちまち白い霧が賊共の視界を覆う。右往左往する頭上を、タキシードが舞う。勇者は一足に小さなバルコニーへと飛び移り、我が身が傷つくのも構わず、窓を突き破って姿を消した。

 

 

 

「来たぞ!」

 

 会場にガラスの雪が降る刹那、クオは叫んでナイフを抜いた。小さなバルコニーから会場へと踊り込むクオ、その背中を見送りながら、サタルは足下に施した魔方陣を指でなぞる。

 

「招かれざる者に呪いを。その祈りは天へ届くことなく、空に消えよ」

 

 なぞった個所から青光が溢れ出る。会場を取り囲む五か所で同じ光が発せられたのを、サタルは目ではなく身体で感じ取った。

 魔方陣から離れ、会場を見下ろす。先陣を切った数人が、戸惑いを隠せず顔を見合わせている。仕掛け人はくすりと笑った。

 

「効いてる効いてる。会場を燃やされちゃ堪らないからね」

 

 ついでに、と彼の指がちょいちょいと会場のあちこちを指す。指した先にいる衛兵が、戦士達が、たちまち力と速さを増す。

 

 眼下で戦う人々を、サタルは眺める。親しい人々はめざましい活躍を見せている。クオは舞うようなナイフさばきで賊を怯ませながら、深手を避けるために武術で次々と狼藉者らを床に転がらせる。ハインは客を出口へと誘いながら、剣を振るう。シアンは主賓来賓席周辺の、守りの要だ。衛兵達も彼が何者か承知しているだけあって、その指示に応じてよく動いている。

 

 気がかりなのは、サンドラとマリア、サルムとキュロスの、ダニエラ嬢警護にあたっている辺りだ。

 会場の主賓席からちょうど正反対の位置に、客に声をかけながらダニエラ嬢を庇いつつ会場の外へと脱出しようとしている、サンドラとマリアの姿がある。優しく労わりに満ちながら、張りのある芯の通ったマリアの声は、周囲の人々の支えとなっているようである。彼女の腕には、顔を強張らせながら抱き締められるように抱えられる、ダニエラ嬢がいる。その彼女らと、周辺の客を守るようにしてサンドラと数人の衛兵が戦っている。

 どうも敵は、本物のお嬢様の存在に気付いているらしい。賊は全体に散らばっているものの、主賓席と彼女の居場所周辺にいつでも行けるよう、気を配っている風に窺える。しかし、それでいながら。

 

 アレクの怒声が聞こえた。そちらを仰げば、見覚えのあるタキシードが窓を突きぬけて行ったところだった。サタルとクオの視線がかち合い、前者が訊ねる。

 

「追えるか?」

「多分。ただ、アレクの足に追いつけるか……」

 

 そこへ、二人を呼ぶ声が聞こえた。ハインが、クオのもとへと駆け寄って来て言う。

 

「シアンさんから伝言! 賊の行先に心当たりがあるって」

 

 その場所とは、ここからさして離れていない森の中に湧き出た泉の、畔にある洞窟だった。それが本当なら、今からでも間に合う。

 

「でも、よく知ってたな」

「最近、例の連中の遠縁が買い取ったらしいんだ。それをジョナサンさん達が、覚えてたらしくて」

「時間がない。クオ、行ける?」

 

 クオは背広を脱ぎサタルに渡すと、シャツの袖を素早く捲りあげて頷いた。

 

「ああ、あとは頼んだ」

 

 

 

 サルムはうつらうつらと、夢を見ていた。何の夢なのか、自分でもよく分かっていない。そのお陰もあってか、顔に冷たいものがかかって目を覚ました時、何が起こったのか理解するのも早かった。

 

「おや、起きてしまいましたか」

 

 口に異物感がある。猿ぐつわを噛まされているらしい。きっと睨み付けるも、その男は気にせず唇で弧を描いた。

 

「そんな怖い顔をなさらないで。何も、乱暴な真似なんてしませんよ」

 

 屈みこんだ男は、サルムの顔を覗き込む。やはりレイヴンだった。顔色も悪くなければ、憔悴したようでもない。あらかじめ、ゴブレットに含まれる毒物の種類を知っていて中和剤を飲んだのか、またはただ、毒を盛られた芝居をしたのか。何にしても、騙されたのだ。

 

「貴方は怒っていても、本当にお美しい。勿論、僕の嘘を信じてくださったその心もまた……ね」

 

 サルムは歯噛みする。嘘を見抜けなかった自分に対する怒り、善意を利用されたことへの憤り、そして、自分が気を失っている間に会場の皆は、仲間や護衛対象の親子、客人はどうなったのか、自分はこれからどうなるのかという不安が胸に込み上げてくる。しかし、それを押し殺して状況を把握するため周囲を窺う。

 

 ここは、どこかの小屋のようだった。木材の湿って腐りかけた匂いが鼻につく。窓がなく、ランタン以外に光がないほどに暗いことから、ここはどこかの屋内に作られた空間らしい、とサルムは推測した。

 室内にいるのはレイヴンと、会場に乗り込んできた連中の仲間らしき男が五人。外にも数人、見張りがいると考えた方がいいだろう。

 

「お嬢様は、どうして僕がこんなことをと思われていることでしょうね」

 

 レイヴンはサルムを見ているようで、遠くを見ているような奇妙な目つきで、ゆっくりと話す。サルムは彼にばれないよう、腕を動かしてみる。

 

 自分を縛る縄はかなり頑丈なようで、これを上手く解くには男達の目を上手く盗んでやらなければならないため、かなり厳しい。また縄抜けがうまくいったところで、室内に武器になるようなものはない。相手は全員武装、自分は丸腰。体術に自信がないわけではないが、この服装では動きづらい。それ以前に、下手に武術など使おうものなら、自分が偽物だと気付かれてしまう。

 

 先程のレイヴンの台詞から察するに、まだサルムが偽令嬢だということには気づいていないようだ。連中の目的を掴むまでは、ばれないよう振る舞わなければ。

 

「僕はね、一目惚れだったんですよ……貴方にね」

 

 恍惚と語るレイヴンは、あたりが暗いこともあって気味が悪い。

 

「だから、貴方が欲しかったんだ。でも貴方は全く振り向いてくれなかった。ならば、無理矢理にでも……」

 

 男のポケットから、小さな包みを出した。紙を開いた中から粉末が出てきたのを見て、サルムは顔色を変える。レイヴンは、やっと意中の令嬢に反応があったのが嬉しかったようで、笑みを深くした。

 

「本当なら全て終わるまで眠っていてもらうはずだったのですが、起きてしまったならしかたありません。全部、忘れてもらいましょう。この量でどこまで忘れてしまうのか、僕もよく分からないんですが、まあきっと大丈夫です。貴方のことは、僕がこの先ずっと、面倒を見ますから」

 

 これは、まずい。サルムは縄を解こうとあがき始める。しかしすぐさま二人賊が寄って来て、身体を押さえつけられた。顔を逸らそうとするも、乱暴に頭を固定されてしまう。

 

「貴方は僕と共に攫われて、僕に助けられたのです」

 

 レイヴンは屈みこみ、サルムに顔を寄せた。間近で、言い聞かせるように囁く。

 

「けれど、よほど怖い思いをしたのか、記憶をなくしてしまったらしい」

 

 記憶を失ってしまったらどうする? 大切な人達のことを忘れてしまう。仲間達のことも、恋人のことも、自らの血筋も、下手したら自分が誰であったのかも。

 そんなのは嫌だ!

 

「僕は自分の責任だと言って、お父様に婿入りを申し出る。恐らく、お父様は断らないでしょう。僕は貴方を救った男ですからね」

 

 サルムは女の仮面をかなぐり捨てて、懸命に足掻く。呪文を唱えようにも、口が使えない。彼を押さえつける男達はよほど力が強いのか、びくともしない。どたん、ばたん、と大きな音がする。

 

「そうしたら、僕達は晴れて夫婦となるのです」

 

 男の目は、ランタンの光を浴びて赤く光っている。赤い眼の、瞳孔は開かれている。サルムは嫌悪感で目を閉じたくなる。けれど勇気を振り絞り、気力の全てを込めて睨む。

 

「よく、覚えておいて下さいね。僕は」

「君こそよく覚えておきなよ」

 

 第三者の声が、独白を遮った。黒い腕が吸血鬼の首に回り、万力のような力で締めあげる。包みが手から落ち、白い粉末が宙を舞う。

 

「ロトの血脈に手を出すと、どういうことになるのかを」

 

 どさり、とレイヴンが床に崩れた。

 サルムは唖然として、立ちはだかった影を見上げる。影はすぐにサルムの猿ぐつわを外して、縄を解き始めた。サルムを抑えていた男達は、いつの間にか床に伸びていた。

 

「アレク、さま……?」

 

 先祖は、これまで見た中で一番傷を負っていた。上等なタキシードは切り裂かれ、血が滲んでいる。それは肌がむき出しの部分もそうで、顔にいくつか鋭いもので裂かれたような切り傷があった。

 

「アレク様、お怪我を」

 

 回復呪文を使おうとして、伸びた腕に詠唱を遮られた。先祖はサルムを強くかき抱き、くぐもった声でその内を吐露する。

 

「良かった……っ」

 

 サルムの首筋を、温かな雫が伝った。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「つまり、君はサルムが攫われるかもしれないことを知っていたと」

「はい、仰る通りです……」

 

 パーティーが始まる前にミーティングをしていたのと同じ部屋、大体同じ配置で一同は座っていた。違うのは、椅子に足を組んで座るアレクの前で、サタルが正座していることくらいだろうか。

 

「あのサルムを攫った人は、以前からダニエラさんに一方的な好意を寄せていた。いつか大金持ちになって、ダニエラさんを、と思っていた。そこを大ネズミ組に目をつけられ、利用されたわけだね?」

「はい」

「大ネズミ組に騙されて経営難になり、追い詰められたレイヴンさんは、彼らの持ちかけた作戦に乗る。それが、このパーティーでダニエラさんの誘拐、そして偶然巻き込まれて助けたふりをして、ジョナサンさんに付け入るってことだったと。君はそれも知っていたの?」

「誘拐するかどうかまでは、知らなかったよ。ただ、きな臭いルートで怪しい薬を手に入れているらしいって話は聞いた」

「その噂は、そのレイヴン氏に限った話ではなかったようですね」

 

 シアンが額に手を当て、疲れたように溜め息を吐いて言う。あのならず者達を相手にしての大立ち回りの後、休む間もなく今回の件の後始末に追われていたのだ。勿論まだ終わっておらず、ここでの話が終わったらまた、続きをやらなければならない。

 

「ジョナサン氏の付き人が、裏で大ネズミ組やらその他の犯罪組織と関わりがあったと、先ほど確認が取れました。彼も、ジョナサン氏の財産を狙っていたらしい。大ネズミ組と手を組み、レイヴンを唆し、今回の計画を立てたのも彼だったそうです」

「あの給仕の子供に、自害用の毒物を渡したのも彼です」

 

 キュロスが口を挟んだ。既に女装は解き、少年らしい出で立ちに戻っている。

 

「あの毒物は、市場に出回ることのないかなり高価なものです。毒針ほどの即効性はありませんが、致死量はほんの爪の先程、水溶性でちょっとの水分でよく溶けます。ですから、雇われの暗殺者が、万が一捕まった時の自害のため使うのです」

「ちなみに、今あの子は?」

「一命はとりとめました。もしかしたら当分喋れないかもしれませんが、しばらく経てば回復するでしょう。ルドマン氏が、後の面倒は見ると仰って下さいました」

 

 尋ねたマリアは、ほっと息を吐いた。その兄が、少し声を張って要点を整理する。

 

「つまり、ジョナサンさんの付き人が、大ネズミ組と手を組んでレイヴンを利用し、彼がダニエラさんを誘拐するための目くらましとして、給仕の子供に毒殺未遂を起こさせ、大ネズミ組の手下を会場で暴れさせた。でも、それじゃレイヴンがお嬢さんも財産ももらうことになっちゃうんじゃないの?」

「レイヴンのことは、誘拐させたお嬢様ごと始末させるつもりだったみたいだよ」

 

 ハインが答える。彼はシアンと共に付き人の企みを暴いたため、その事情はよく知っていた。

 

「それから、気落ちしたジョナサンさんをどうにかして、商売を乗っ取るつもりだったみたい」

「全く、嫌なことをするな」

 

 クオが憤りを隠さず、言う。そうだね、とアレクは同意してから、まだ正座していたサタルに向き直って、にっこりする。

 

「これでサルムに何かあったら、君をどうしていただろうね?」

「そんなにサタルさんを怒らないであげてください」

 

 サルムが、アレクを宥める。彼ももう女装をやめ、慣れた服を身に纏ったことで、幾分か安堵しているようだった。

 

「こうなったことで、結果としては丸く収まったではありませんか。付き人が主犯であることも、突き止められましたし」

「まあそうだけど……」

 

 アレクは深呼吸をし、気を落ち着かせる。それから、隣にいる子孫の肩をがっしと掴んだ。

 

「もう、影武者なんてやらせないからね! 絶対だよ!」

「は、はい」

「そんなにホイホイ似てる人がいるとも、思わないけどな」

 

 アレクの怒りから逃れられたサタルは、平然と自分の席に戻って呟いた。その隣でサンドラは、もう君を危険な目に合わせたくない、とアレクに語られ続けて困り顔のサルムを見つめ、一言ぽつりと漏らす。

 

「美しきは罪、ね」

 

 

 

 

 

(後書き)

夏ミカン様にリクエスト頂きました、「夏ミカン様宅主人公と拙宅主人公の交流話」として作成しました。夏ミカン様の許可も得て、「DQ主人公共同戦闘企画」にも載せさせていただいております。

 

リクエスト頂いた時から何カ月も経ってしまい、申し訳ございませんでした。

お持ち帰りは夏ミカン様のみ可とさせて頂きます。この度はリクエスト、ありがとうございました。よろしければ、お納めくださいませ。

 

では、ここまでお付き合いくださりありがとうございました。

またお会いできましたが幸いです。

 

 

 

20141008